切り取られたセカイ

紅いまんま

第1話 終わりの始まり

 ――あの雪の日。彼女は確かにそこにいたんだ――


 頬が痛くなるほど冷たい風が吹く夜の道。僕と幼馴染でクラスメイトの月城あゆみは、白い息を吐きながら、塾からの帰り道を歩いていた。時刻はもう八時を回っており、街灯と住宅の明かりが僕達の歩く道を照らしている。いつも空に浮かんでいる月や星は、厚い雲で隠れており、今にも雪が降りそうだった。

「ねえ、寒いしコンビニ寄って帰ろうよ」

 あゆみは塾の帰りに、よくコンビニに寄ろうと提案する。そこで週刊マンガの立ち読みと、チョコレートを買うのが習慣となっている。

僕が家まで歩いて帰るのには、あと二十分程歩かなければならない。小腹も空いており、断る理由はなかった。

「いいけど、早く帰らないと雪が降ってくるよ」

「大丈夫。今日は立ち読みする予定のマンガはないから。でも、本当に雪が降ってきそうな空ね。もう十二月も中旬なのに、初雪がまだだったから、なんかテンション上がるけど」

 僕も雪は好きだ。あのたくさんの白が、目の前いっぱいに広がる景色。何か、すごく特別な世界に突然紛れ込んでしまったような感覚。今までの風景が一新され、世界が新しく作られる。でも、世界が終息に向かっているような物悲しさ。

「そうだね。今年の初雪は、いつもよりちょっと遅い気がする」

 そんな話をしていると、僕達はコンビニに辿り着いた。あゆみは、やはりマンガ雑誌のコーナーをふらふらしている。スムーズに店を出れそうにはない。

 僕は肉まん一個と温かいお茶を買い、外に出る。白い息と、白い湯気が混ざり合う中、肉まんを頬張り、お茶を飲む。

 肉まんを全部食べきった所で、ようやくあゆみがコンビニから出てきた。

「ごめんごめん。いやあ緊急増刊号があったから、つい読んできちゃったよ。これ、お詫びの品」

 あんまり悪びれるような様子もなく、笑顔で今買ってきた個包装のチョコを三つ渡してくる。いつものことだから、特に気にもならない。

 貰ったチョコをポケットに詰め込み、再び僕達は帰路に就く。少し歩いた所で、あゆみが口を開いた。

「そういえば、今日配られた模試の結果どうだった?」

「4つともB判定だったよ。あゆみは?」

「私は本命の教育大はC判定。滑り止めの所は全部Aなんだけどなあ」

 あゆみは憂鬱そうに、空を見上げた。彼女の首に巻いてある手編みの茶色いマフラーが、少しだらんと垂れ下がる。

あゆみは教師になることを目指している。自分の夢・目標が明確に決まっており、それに向かって毎日一生懸命努力している。彼女とは小学校からの幼馴染だが、昔からはっきりした性格で行動力もある上、何事もコツコツ頑張ることもできる。

 そんなあゆみなら、きっと入試本番までには更に点数を伸ばし、志望校にも合格してしまうだろう。

 では、僕はどうだろうか……

「ヨッシーは結局、どの大学が第一志望のつもりなの?」

 空を見上げたままのあゆみから、ぼんやりとした声で質問が降ってくる。

「まあ、市内の公立大だよ。家から通えるし、お金もそんなかかんないし」

 親と相談し、担任とも面談して決めた志望校。特に特徴も無い、僕の学力でも無理が無い程度で入れる大学。

本当にこれでいいのだろうか。そんなことは、考えないようにしている。大学でやりたいことが見つかるとは到底思えないが、やりたいことがなくても、きっといつかは何かをやらなければならない状況になる。なら、その時がくる来るのをじっと待てばいい。

そう。これでいいんだ。

「でも、本当にそれでいいの?」

 あゆみの言葉に、胸がドキッとする。

「良弘ってさ、自分のことはいつも我慢してるよ。相手のこと考えて、傷つけたり困らせたりしないように。たくさん我慢しすぎると、何を我慢しいるかもわからなくなっちゃうよ」

 幼馴染の彼女の言葉が、胸の奥底に突き刺さってくる。

「良弘は、確かにまだやりたいことが見つかってないかもしれないけど、それを探すのも真剣に考えてやらないと。他の人のことなんて関係ない。自分の為なんだから」

 そんな風に言うのなら、コンビニであんまり待たせないでよ。なんてことは、ほんの少し考えてしまうが、こうやって相手のことを思って、ズバッとものが言えるのがあゆみの良い所だと思う。

僕にはそんな言葉、到底言えない。

相手の事を思って言ったとしても、それがどう受け止められるかわからない。

すごく嫌な思いや悲しい思いをさせてしまうかもしれない。

そんなふうに、傷つけてしまうことが一番嫌だ。

「あゆみの言いたいことは、よくわかるよ。あっていると思う」

 僕はそう返すことしかできなかった。

自分の今までの生き方について、少なからず否定されている。

かといって、その意見が間違っているか言われたら、間違ってはいないと思う。

だからといって、どうすればいいのか僕はわからなかった。

「じゃあ、まずはさ。思いついたことをどんどん実行する癖を付けようよ。ヨッシーって後から後悔すること多いでしょ」

 満面の笑みで、僕を見ながらあゆみが言ってきた。

「考えてみるよ」

 ため息交じりの返答は、白い靄となって辺りに消えていった。

いつの間にか、あゆみと別れる道の所まで来た。

お互いにまた明日と声をかけ、別々の道を歩いていく。

まだ、家に着くまでは十分ほど歩かなくてはならない。夜道はどんどん暗くなり、街灯の数もだんだんと減ってきた。僕の他に歩いている人は見当たらず、車がたまに通る以外は、とても静かだ。その静寂を破るように、僕の頭の中ではさっきのあゆみの言葉が響いていた。

 ――やりたいこと、思いついたことを実行する――

僕の普段の行動の中には、誰かへの配慮という名の遠慮が多い。だが、それは相手や周りを思いやっての行動なので、悪いとは思わない。その結果、自分というものが無いと言われてしまえば反論はできなかった。

こんな僕でも、あゆみのような行動力のある人間に変われるのだろうか。

本当に変わる必要があるのだろうか。

頭の中の迷路に、どんどん迷い込んでいってしまう。

全く思考がまとまらない中歩いていると、いつの間にか公園の近くにいた。

 いつもは気にもとまらない公園。遊具はブランコや鉄棒、滑り台など最低限のものしか設置されていない。他には、街灯の下にぽつんとベンチが一つあるだけだった。

この寒い時期の夜の公園では、誰もいたりはしない。。

なんだがモヤモヤして、すぐ家に帰る気分ではなかった。

公園のベンチに腰掛け、空を見上げる。すると、いつの間にか雪がゆっくりと舞い降りていた。

「やっぱり、今日が初雪だったか」

 このままベンチにずっと座っていれば、たった一人のこの世界で、そのまま世界が終わってしまう景色が見れるのではないだろうか。

世界で本当にたった一人になってしまえば、相手のことなど考えないで、僕自身が本当にやりたいことを自由にやるようになるのだろうか。

 そんなことになれば、まず生きてはいけないだろうななんてことを、しんしんと降る雪を見ながら考えていた。

いくら考えたことで、結局答えは出ている。

今、僕は色々なものから逃げているだけだ。

人とぶつかるのが怖いだけだ。

自分が傷つくのが怖いだけだ。

傷つきたくないから、目の前の状況からなんとか抜け出そうと、解決策を探すのではなく、苦しくない方に流れているだけ。

そうやって、ずっと生きてきたんだ。

でも、やはり何か変わらないといけない。

変わりたい。


「こんな雪の夜に、一人で何をしているんですか?」

 気が付くと、目の前に見たことの無い少女が僕の顔を覗き込んでいた。

「い、いや、ちょっと雪が綺麗だなって見ていただけです」

 突然見知らぬ少女に話しかけられ、戸惑う僕。

「雪って綺麗ですよね。私も大好きです。なんだか雪って見てて飽きないですよね。全部同じに見えて、一つ一つ形が違っていて。手のひらに落ちるとすぐ消えちゃうけど。でも確かにそこに存在していて……」

 そう言った彼女の顔は、とても笑顔なのだけれでも、どこか儚げでもあった。

彼女もこの場所で、この雪を見て、世界の終わりをどこかに感じているのだろうか。

「いつからベンチに座っていたんですか?」

「雪が降り出すちょっと前くらいですよ」

「じゃあ、私が公園に来たのとほとんど同じくらいですね」

 彼女が公園に来たことに、僕は全然気付いていなかった。そんなに深く考え込んでいたのだろうか。でも、全く気付かないで目の前にいるなんてあるだろうか。彼女をチラリと見る。

茶色いボアコートに、大きな耳当て。黒い髪はコートのフードくらいまでの長さがあり、街灯の明かりが反射して、とても艶やかに光っている。歳は僕と同じくらいだろうか。

僕の視線が気になったのか、彼女が口を開いた。

「あの、何か私の顔についています?」

「い、いえ、そんなことはないです」

 どこかぎこちない会話になってしまう。

「失礼ですけど、お名前は何と言うんですか?」

「良弘です。雪森良弘といいいます」

「雪の森だなんて、素敵な名前ですね。私の名前はハルと言います。雪が大好きなのにハル。なんだかおかしいでしょ」

 そういって彼女は笑う。その笑顔にはよくわからないが、どこかぎこちなさを感じてしまう。

「隣に座ってもいいですか?」

「ど、どうぞ」

 彼女はベンチに少しだけ積もった雪を払い、静かに座って空を見る。

 依然として、雪は静かに降っている。風は無く、ゆっくり落ちてくるだけ。

彼女も、僕も、じっと雪を見続けていた。

特に変化もしない、何の変哲もない景色。

それはまるで、寿命を迎えようとしている、白と漆黒の世界。

だけど、さっき彼女が言ったように、落ちてくる雪の形はほんのわずかだけ違う。そこだけに、少しだけど世界の変化を感じた。

どんなものでも、ほんの小さなことかもしれないけれども、変わらないものはないのかもしれない。

――どれくらい時間がたったかはわからない。先ほどまでの気まずさが嘘のように消え、ただ二人でこの雪の世界を眺めていた。

そんな静かな世界を、グーっという音が壊した。

 何の音だろうと、ちらりとハルの方を見ると、少し頬を赤くしていた。

頬が赤いのは寒さのせいだけではないだろう。でも、これは触れない方がいい。ここで話しかけると相手に嫌な思いをさせてしまうだけだ。

 何も気付かないふりをして、ポケットに手を突っ込む。すると、ポケットの中の何か硬い物が手に触れた。

さっきあゆみから貰ったチョコだ。

ちょうどいいからこれを彼女に渡すか?

でもそれは、彼女がお腹の音が鳴ったことに気付いているということになる。何より、そんな気遣いしなくても、彼女は食べ物を持っているかも知れないし、逆に迷惑かもしれない。チョコくらいではお腹は膨れないし、そもそもチョコが嫌いという可能性もある。

でも、

いや、

……

――じゃあ、まずはさ。思いついたことをどんどん実行する癖を付けようよ――

あゆみの言葉が脳裏をよぎる。

こんな小さなことでも、僕は何か理由を探して逃げようとしている。

さっき僕は、変わりたいと思ったはずだ。どんなに小さな一歩でも、まずはここから始めるべきなのではないか。

思い切って、彼女に話しかける。

「あのさ、もしよかったら。よかったらだけど、このチョコ食べませんか」

 彼女の頬は更に赤くなる。

「ごめんなさいっ。私のお腹の音聞こえてたんですね。」

「チョコ嫌いだったり、知らない人から貰いたくなかったりするんだったら、断って下さい。」

「い、いえ。そんなことはないです。でも、本当にいただいていいんですか」

 その言葉と、態度からは僕と同じ、すごく深い遠慮を感じる。

「さっきコンビニで買ったばかりのものなので、賞味期限は大丈夫なはずです。どうぞ」

 相手に遠慮させてしまったというマイナス思考をぐっとこらえ、チョコを渡す。

「ありがとうございます」

 そう言って受け取った彼女の表情は、さっき見た儚げな笑顔とは全く違っていた。

なんと言ったらいいか、僕にはわからない。頑張って表現するのであれば、僕が今までに見たことがない、とても惹かれる、魅力的な笑顔だった。

なんだか、さっきまでの気まずさとは違い、急に恥ずかしくなる。

「ぼ、僕、そろそろ帰ります。それじゃあ」

 そう言って、ベンチから立ち上がり、公園の出口へ歩き出す。

「あの!」

 ハルの声が雪の降る公園に響き渡る。

僕は振り向いて、彼女の方を見た。

「また、いつか、ここで会えませんか?」

「は、はい。では、そのうち」

 突然のことだったので、びっくりして咄嗟にそう返してしまった。

「ありがとうございます」

 その表情はさっきと同じ、笑顔だった。

「い、いえ。こちらこそ」

「では、さようなら」

「さ、さようなら」

 しどろもどろになりながら、会話を済ませて公園を出ようとする。

気が付くと、ついさっきまで降っていた雪は止んでいた。

そういえば、彼女は帰らないのだろうか。帰るとしてもどこに帰るのだろうか。夜道を女の子一人で歩くのは危ない。一緒に付いて行った方がいいんじゃないか。でも、それは迷惑にもなるだろうし。

そんなことを考えながら、先ほどまで座っていたベンチの方へ振り向くと、彼女はもうそこにはいなかった。

突然現れ、いつの間にかいなくなってしまった女の子。さっきまでは話していたはずなのに、忽然と消えてしまった。

さっきまで話をしていたハルは幻だったのだろうか。

うっすらと地面に積もった雪。

だが、ベンチには二人が座っていた為、雪がほとんど積もってなかった。

それだけが、彼女がいた証に見えた。

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