【実録】どこへでもいける切符【電車旅】

春川もここ

1番線 青春18きっぷ

十八歳で、夏で、バカだった。


筋肉少女帯、大槻ケンヂの名作「ロッキン・ ホース・バレリーナ」の冒頭を読みながら私は焦っていた。もう十九歳の夏だというのに、バカなことをひとつもしたことがなかったのだ。


狭い集合団地の片隅で私は育った。学校区は息が詰まるぐらい狭く、歩いて2分もすれば友人宅についた。家の上にも下にも同級生が住んでいる。小さな病院、小さなコンビニ、小さな公園が校区内にはあって、それだけでもう充分だった。何不自由なかった。中学校に上がっても、変わりばえしない幼馴染達と笑いあった。ずっと一緒に育ってきたから、友達というよりもはや兄弟というような感覚だった。普通に楽しくて、普通に幸せだった。


多くの大人たちがこの街で生まれ、この街で育ち、この街の人同士で結婚し、この街で子どもを育て、この街で死んでゆく。私もそうやって生きてゆくものだと思っていた。

だってこの街の境界線には結界が張られている、小学生の時から本気でそう思い込んでいた。



十九歳で、夏で、ケチだった。


大学へは特殊な奨学金を借りて行っていたのだが、その夏、貸与している団体からハガキが来た。「集会をするのでトウキョウに来い」と。交通費は団体が持ってくれるとはいうものの、その頭金さえ工面できない程の貧乏だった。私は決して賢くはないが、節約のこととなると頭が働くほうだった。


「鈍行列車で東京まで行けば、新幹線との差額分儲けが出る!」


どういう経緯でその切符の存在を知ったか、今となっては憶えていないけれども、ちょうどいい、バカな事を人生の記念にひとつでもしてみるか。そう思った。その切符を買った。

青春18きっぷだ。当時は増税前だったから11,500円。博多からトウキョウまでの新幹線代は、片道21,810円。差額は10,310円。これが往復だから…計算しながら顔がほころんだ。あきれるほどのケチだった。


その時はひとつも知らなかった。十九歳の、たいくつな私が手にしたのは、校区の結界をも破ることのできる、そんな魔法の切符だった。

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