第35話 再会と余話
今日は休日。安息日の明るい午後。
キッチンとバス・トイレ付きの六畳一間には、僕の正面に腰を下ろしたミカエルがいる。
彼は天界に帰ったのに、また来ていた。
お菓子を食べ足りなかったんだとか。
天界時間と地上時間では進む速さが違うから、戻って報告書を作成してからすぐこっちに来たんだろうね。
それでもこっちでは十日近くが経っている。
まあたったの十日とも言えるけれど。
ミカエルはお菓子爆買い第一段として大量に買い込んできた某スナック菓子の棒をはぐはぐしながら記憶を手繰るような素振りをした。
「そういえば電話で言ってたけど、聖女ちゃんのいる大教会ってとんでもなく大きくて豪華なのにあり得ないくらい一部が質素なんだって。聖女ちゃんの力の影響で最新の家電を買っても壊しちゃうかららしいんだけどさ。だからもう屋内にいながらのアウトドア的生活環境にしたみたいだよ。ごはん炊く竈とかさ。建物自体はそこの本棚にあるファンタジー小説にあるような貴族の屋敷みたいだって言ってたっけ。聖女ちゃんは面白かったって言ってたし僕も読ませてもらおっかな~」
「いつでもどうぞ」
僕は自室の本棚に目を向ける。並んでいる本の中身は全部知っている。
桜の衣食住はなんちゃって中世風なのか。
……豪華なのにかなり不便なんだね。
うーん、ならココアは贅沢品として禁止されていたって考えていいの? おそらくは炊飯器も壊れるからって教会側が買いもしなかったから存在さえ知らなかったんだね。
なるほど、だから彼女の知識は極端に偏っていた。
他にもミカエルから話を聞くと、風呂が家の外で無駄に広いって言っていたのは禊にも使う施設だかららしかった。率直に言ってそこ同じでいいのって思ったけれど、まあ桜レベルの場合お湯でも水でも関係ないからね。いいんだろうね。
ただ、それ以外は今回の家出騒動で大幅に見直す方向で動いているんだって。炊飯器使えるといいね。
「まあ、結果的に良かったってわけかあ」
「そだね~」
僕はあれから桜とは連絡を取っていない。挨拶に来るって言っていたけれど、まだ来ていない。
もしかしたら来ないのかもしれない。宗像神父が彼女の代わりのようにうちに来てお詫びとお礼と称して大手通販のギフトカードを置いていったしね。
桜と過ごした間こっちも楽しかったし何も埋め合わせ的なものは要らなかったのに。
「――ところでさ、結局神様ってノーマルだったんだね!」
つい物思いに耽ってしまっていたら、ミカエルがそんな事を言い出した。
「え、ノーマル? 何を突然……?」
「だって僕てっきり聖女ちゃんが神様だと思ってて。神様って男神でしょ、だからわざわざ女の子の姿で男の子と同棲してたってことは同性好きなのかと思っちゃったんだよね! 天界にも新しい風が吹いたって。だとすれば直属の部下の僕の貞操も危ないかもって。でも僕にはガブリエルちゃんがいるからさ、想いには応えられないしなーって」
「……ああそう。あと同棲じゃないからね。あれは臨時で間借りさせたようなものだよ。ミカエルこそ、そう言えばデートはどうだったの?」
「すんごかった!」
……え、何が?
何となく訊けないので「へえ、それは良かったね」とだけ言っておいた。
「でもさ、ミカエルに貞操観念なんてあったんだ? って言うか貞操の危機? ははっ冗談、ウリエル同様とっくに童貞卒業してるんじゃないの?」
「わあああそれはオフレコだって前にっ……神様のばかあああ!」
「ああそうだっけ? ……どうせ僕はまだだよ」
「あわわ、神様、ううん、神代君ごめん~っ。でもまだこれからだし!」
慌てた様子で菓子の棒を振り回すミカエルへとやさぐれたように言えば、実はミカエルと一緒にまた来て台所で料理をしていたガブリエルがいつの間にかこっちにいて、能面のような顔で僕達を、いや正確にはミカエルを見下ろしている。無言なのがまた心臓にくるなあ。
僕は黙祷を捧げた。一分後のミカエルに。ミカエルごめんね。僕が不用意だった。
「あ、そうだった、ちょっとコンビニ行ってくるね」
僕はさも必要な物があったかのようにしてそそくさと立ち上がるとそのまま玄関に向かった。
「今の話は一体何ですかミカエル?」
「ひっ! いやあのガブリエルちゃんに恋する前の前のずーっと前の話だよ!」
「ほおー? ぜひ詳しく聞きたいものですねー?」
ガブリエルの尋問を受けるミカエルの悲痛な叫びが玄関ドアの向こうに聞こえていた。
アーメン、青春。
……ふう、桜は元気にしてるかな。
まだ離れて一月すら経ってないのに、僕はふとした時にそんな事を考えるようになっていた。
それからまた日は流れて、木の葉の色づく季節になった。カラフルな色彩も綺麗だけれど、淡く優しい色彩に満ちる桜の季節はまだ遠いのが少し残念かな。
因みに、聖女の桜からは本当に何の音沙汰もない。
本日もチャリ登校して授業開始を待つ。
その前のSHRで担任が後ろに誰かを引き連れて入って来たようだった。
転入生を紹介とか何とか担任が言った。
今日の僕は眠くて机に突っ伏していたからその誰かを見ていなかったけれど、周囲のざわつきと、そしてこっちに近付く足音が耳に入る。クラス担任がシャキッとしろって活を入れに来たの?
前髪の隙間から覗いたら、クラスメイトやその担任の視線がこっちに集中していた。
え、じゃあ誰っていうか何?
――って、あれ? この気配は。
「私、今日から同じクラスで共に過ごせる運びとなりました」
この声も。今更ながら悟って慌てて顔を上げたそこには案の定彼女がいた。
僕の机のすぐ手前に佇んでいる。
大教会で頑張っているのかなと思ってたのに。
どうしてここに?
「桜……。ひ、久しぶりだね」
呆然とした僕が名を呼ぶと彼女は
「はい、お久しぶりです。宗像桜です」
と、僕の耳元に顔を寄せて来る。
うわわっ、こんな場面をクラスメイト達には見せられない。
仕方がないから力を使って結界を張った。これで僕達のやり取りや仕種は大それたものには認識されないはずだ。
桜は結界を悟って「良かった、これなら踏み込んだ話もできますね!」と何故か嬉しそうにした。
「君が転校生ってマジで? 何がどうなってるの?」
「そうですよね、びっくりさせてしまいましたよね。転入までしたことですし、ここにいる理由を正直に打ち明けますね」
「う、うん」
何か重大な事件が起きたのだろうかと、ごくりと咽を唾を飲み込む。
「あのですね、以前私は私自身でもかなり無理をして、仏のような無私の境地で天界に行ったらフォーリンラブさせるなど大口叩いてしまいましたが、同じ地上でご一緒できるのですもの、こんなことは願ってもないチャンスだと気付いたのです」
「へ? チャンスって?」
それに、あの宣言はどう聞いても無私じゃないよね。私情入りまくりでしょ。
「よくよく考えてみれば、不安要素のある賭けをする必要などないのですよね。私、案外辛抱が利かない性分のようで、そんなに待てないってわかったのです」
「ええと?」
「もちろん、私も聖女として皆のために長く貢献したいとは思っています。だからこそ、動くべきだと悟りました。あなたを他の誰かに盗られるなんて、想像しただけで死んでしまいそうでした。実は何日も教会では塞ぎ込んだものです」
「えっ塞ぎ込んだ?」
「はい。そんなコンディションでは到底聖女など務まりませんよね。教会の方も私レベルの聖女候補は現在いないので、焦ったのでしょう、どうしたら元に戻るのかと訊かれました。そんなわけで、私は条件を出したのです」
「条件……。まさかこの学校に編入させてくれないと調子が出ないとか、また脱走するとか言ったんじゃ……」
それはズバリ当たっていたらしい。桜はにっこりとして頷いた。
って言うかさ、聖女が邪でいいの? ねえ?
まあ、エロ本上等とお年頃の男子高校生な神の僕が言えた義理じゃないけれど。
「地上にいる間に私を振り向いてくれたなら望外の喜びです。その時はお互いに清いまま天寿を全うしましょう。天界に行ったならもう思う存分堂々とイチャ付きたいです。なので覚悟して下さいね。今日から死ぬまでずっと、あなたが他の誰かに行かないようにお傍できっちり見張らせて頂きますから」
えぇ……。もう言葉もないよ。
桜って見かけによらない。
「因みに聞かせて。もし僕が他の誰かを好きになったら?」
すぅ、と彼女の顔から柔らかさが消えた。笑顔なのに。笑顔っなのにっ!
どうしようねえもうホント。この僕が身の危険を感じるなんて馬鹿げた空気はねえ。
まあそんな心配要らないと思うけどね。きっとそんな暇もないだろう。
実は何と冥界で地上進出の気運が高まっているらしく、近いうちそうなるかもしれないんだ。悪魔が地上に沢山出てくるなんて惑わされる人間が続出で大変だ。
故に、神が地上にいるんだし、この際先手を打っておこうって天界会議で決定した。僕はリモート参加。
そうなんだよね、僕は神だしそこらの悪魔には負けないし気配隠してたら容易に天界関係者だとは気付かれないってわけでまさに適任なんだよね。
ああいや、正確には一体の悪魔にはバレているか。
僕に気付き、僕も気付いた。
冥界での正確な序列は知らないけれど、高位だと思う。
桜も天使達も気付けなかったくらいだしね。正直油断ならない。
ミカエルなんかは少し変人な隣人女子大生と思っているに違いない。普段は僕もそう思っているし。
とにかく、僕は地上が乱れないように監督しないといけないから、他の女の子に時間を割いてなんていられないんだよ。
桜には言わないけれど。
「なーんてね。桜が目を光らせていてくれるんでしょ?」
「…………もうっ、神代君の意地悪。そうですよ。そのためにも私、同じアパートの二階に部屋を借りました」
「へ、マジで?」
「マジでです。ご不満ですか?」
「い、いやそんなことは……」
賑やかになりそう。言葉とは裏腹に、桜は両手を後ろで組んで第一の目標達成とばかりに晴れやかな様子になる。
「神様、いいえ神代君、ですから、またしばらくはどうぞよろしくお願い致します」
僕の前に突然再臨した女神みたいな聖女は、どうしようもなく幸せそうに花の
~~余話 喜劇にはならない僕の周辺事情~~(これは本編とはあまり関係ないので読んでも読まなくても同じです)
とある日、天使達みたいに隠形して人目につかないように神代家屋敷の庭陰に降り立つと、僕は真っ直ぐ執務室へと向かった。
神代家は代々続く古い家柄で、寺社仏閣関係からモバイル事業関係まで手広く管理や事業展開をしている一族だ。
昔は神代商社って名前だったのも、現在じゃ神代ホールディングスなんて横文字にもなっている。
前回実家に帰ったのは半月前。
両親はたぶんまだ旅行中だろうから家長代理として決済や何やを僕がチェックしておかないとならない。
この家から強引に出たものの、困った事に家業のあれこれは投げ出したくても性格的にそうできなかったんだよねー、ははは。我ながら損な性分だよ。自由になりたいのに、嗚呼ジレンマ。
ぶっちゃけ、跡取りって立場だけれど家を継ぐとは決めていない僕は、一方的な周囲のおもねりとか蹴落とそうとする動きを煩わしく感じている。
ま、この家じゃあ人の気持ちなんて誰も
実の両親でさえ僕の気持ちも考えず長期旅行に行っちゃって家長仕事を押し付けて平気な顔でいる。
庭も屋敷も広い神代家はその大きさ分だけ家族の情が薄まったように互いに干渉しないしほとんど顔を合わせない。
会社のパーティーを抜きにして、家族だけで一緒に食事を摂るのなんて年に何回あるだろう。
親戚関係もそれに倣う。叔父や叔母との仲なんて希薄どころか険悪だ。
もう家を出たんだし、使用人達も含めて家の人間と顔を合わせるのは嫌だった僕は、書類仕事がある程度溜まってからこっそり一時帰宅するようになっていた。今日もその口だ。
「さっさと終わらせて帰るかー」
まだ一文字も見ていないのにもうほとほと疲れた心地で執務室の鍵を開ける。
因みに第三まであるうちの秘書たちの二か三辺りがここの鍵を持っていて書類を運んでいる。
第一秘書はいつも両親と一緒だ。今回の世界旅行にも付いて行った。本当の本当に即日決済や許可が必要な事案についてだけ第一秘書から両親に上げられるようにしてあった。
扉を開けると、先客がいた。
この執務室に無断で入る者は普通いないから相手は限られる。
鍵を持つ秘書が書類を置きに来たか、そうでなければこの部屋の本来の持ち主だ。
「びっくりした。帰ってたんだ――父さん」
僕は完全に愛想笑いを張り付けて、書棚の前に佇んで書物を手に取っていた男性を見つめた。僕も人並みに成長したしほとんど背の高さは変わらない。
だけどさ、こんな顔を桜には見せられないな。
相手は扉の音で気が付いていたはずなのに、さも今気付いたかのように徐に僕の方を振り向いた。
紛れもなく僕――神代
本当にいつ会っても年齢不詳というかどう見ても少し離れた兄にしか見えない。父親の歳には見えない。若い。
母親も若々しいから合わせようと頑張ってスキンケアをしていたりするんだろうか。そこを想像したら笑えた。
とは言え気も表情も弛めず面と向かう。
「理人が黒づくめの胡散臭い者達と争ったという連絡が入ったからな。一旦戻ることにしたのだ。その姿を見ると杞憂だったようだがな」
「……耳が早いですね。ご心配をおかけしました。けれど僕のことは気にかけて頂かなくて結構です。もう不用意に誘拐されたり遭難したりはしませんから」
不愉快だったのか、父親は微かに眉をピクリとさせた。
だけど僕はこの家族には何も期待していない。
無関心を通り越して見放していると言うのが正解だ。そんなものをおくびにも出さず僕はわざとらしくにこにことした笑みだけを貼り付ける。
「あなたが戻ったなら、当面僕は家長代理の面倒事から解放されるってわけですよね。しばらく旅行には行かないでくれると助かります。純粋に高校生活を楽しみたいですから」
「……」
僕は笑みを深めた。単にこれで書類の山から解放されるって喜びと、そして一方的な押し付けへの腹立ちを織り交ぜた笑みを。
僕はハッキリ言って両親でさえ信用していない。
――この家には僕を殺そうとした者がいる。
それが彼らかもしれないからだ。
中二の時、僕は山でたった一人で助けを願った。
桜には山で滑落して遭難したと言った出来事だ。
けれど、その内容は単なる滑落とそして遭難じゃない。
僕は同行者から故意に斜面を落とされた。
出血を伴った酷い怪我をして、すぐにも治療が必要だったのに、激痛と不安の中に放置されたんだ。
普通ならあそこで僕は死んでいただろう。
神代理人はこの世から消えていた。
だけど、僕の生きたいという願いに天がというか神が手を差し伸べてくれたからこそ、自力で下山しこうして生きている。
登山に同行の男の姿は、以来一切見ていない。高い報酬を手に海外に高跳びでもしたのかもね。
彼は家族じゃあなかったけれど、僕が物心付いた時から長年うちに仕えてくれていた使用人の一人で、珍しく親戚連中とも折り合いが良かった。要は気に入られていたんだね。
だから、僕の事故に見せかけた暗殺未遂の背後に誰が居ても不思議じゃない。
黒幕は誰か。
僕はそれを突き止めたい。
廊下を足早に歩く僕を見かけた女性使用人が驚いてから慌てたように頭を下げる。いつの間に来たのって顔だった。
僕は頓着せずにどうせなら正面玄関口から出て行こうと長い廊下を進む。
その中でふと悟る。
「ああ、まただ」
唇で小さく呟く僕が、神になってこの家に来る度にずっと気になっていた気配がある。
今は微かに漂う残り香だけれど。
――悪魔の。
おそらく、その相手はここ半月の間にこの屋敷に足を踏み入れた。
いつもは巧妙に気配を隠しているのに、きっと気を抜いたんだね。
この屋敷には家族親戚使用人と多くの人間が出入りする。
そのうちの誰かが、――悪魔憑き。
「はー。静さんみたいに大雑把な悪魔なら楽だったのに」
まー、彼女みたいなのはかなり特殊なんだよね。隣同士上手くやっていけてるから良かったけれど。向こうも僕について何か嗅ぎ取っているはずなのに敵意がなさそうなのは幸いだよ。天界と冥界って犬猿の仲だからさ。
僕は、この家にに巣食っている悪魔憑きを炙り出さないとならない。
僕を殺そうとしているのと同一人物だろうから尚の事。
神代家の人間として、そして天界の神として。
ただし、神の力は使えない。使えたらさっさと自白させるのにね。例えば石壁の向こうが見えないように悪魔が関わると力が及ばないんだから仕方がない。探偵みたいに地道に探るしかない。
そんなわけで、さて、誰がそうなのか本格的に始めようか。
ワケあり美少女を拾ったら「神!」とか言われた。 まるめぐ @marumeguro
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