蝋燭心中 中

 それからというもの、ぼくは毎日のように彼女のもとに通うようになっていった。最初の頃は特に目的はなかった。ただ彼女に会いたくて、彼女の存在が現実のものだと確かめたくて、険しい山道を越えて彼女のもとに足を運んでいた。


「また来たんだね、レンくん」

「シノさん」


 そんな僕をシノさんはいつでも椅子に腰かけたまま迎えてくれた。


「学校、行かなくていいの?」

「冬休みなんだよ。シノさんこそ学校行かないの?」


 ぼくはさらりと嘘をついた。学校でいじめられてるだなんて、かっこわるくてシノさんには言いたくなかったのだ。話をそらすために尋ねた問いに、シノさんは困ったように微笑んだ。


「学校かあ。こういう風になる前は行っていたんだけどね」

「……ごめんなさい」


 シノさんは足が悪くて立ち上がれないのだ。ぼくは目を伏せて謝った。シノさんはそんなぼくに手を伸ばすと頬を優しく撫でてくれた。ぼくはシノさんが撫でやすいように跪いて、彼女の膝の上に頭を置いた。


「ねえ中学校ってどんなところ?」

「小学校と変わらないよ。楽しいところもあれば辛いところもある」


 さらさらと音を立ててぼくの髪をシノさんの指がもてあそんでいく。時折、白くて温度のない指先が顔に触れる。


「シノさんの指は冷たいね」

「うん、そういうものだからね」


 そういうもの?と聞き返し見上げると、シノさんと目が合った。シノさんの目はガラス玉のようで光が入る角度によって様々な色に見える。


「見ててごらん」


 シノさんは右手で左手の人差し指を掴み、ほんの少し力を込めた。するとポキンと軽い音を立てて、シノさんの人差し指は折れてしまった。


「シノさん! 指が!」

「大丈夫」


 ぼくは慌てて覗き込んだけれど、シノさんの指からは血は出ていなかった。真っ赤に染まるはずの傷口には、そもそも血というものが通っておらず、真っ白ですべすべした断面になっている。混乱するぼくをよそに、シノさんは椅子の後ろの方を指した。


「蝋燭立て、取ってくれる?」


 ぼくは椅子の後ろに投げ出されていた蝋燭立てを拾い上げ、シノさんの前に持ってきた。


「そのまま持ってて」


 蝋燭立てに刺さったままの蝋燭へと、シノさんはマッチで火をつけた。マッチはぼうと音を立てて一瞬だけ大きな炎を生む。炎が落ち着いた頃、シノさんはマッチを蝋燭の先へと近づけた。ちりちりと焦げる匂いがして蝋燭に明かりが灯る。


 シノさんは蝋燭の上で形を定めた炎にさっき折った指を近づけた。すると、真っ白な指の断面が見る見るうちにとろけはじめた。


「わあ」


 ぼくは思わず声を出した。溶けて液体になるシノさんの指の断面に、指を舐める朱色の炎に、ぼくは見惚れていた。


「驚いた? 私は蝋でできているんだよ」

「ろう、」

「蝋燭を作っている白いもののこと」


 少しだけ溶けた指の断面を左手の人差し指へと押し付けて、シノさんの指は元通りになった。


「私はこの蝋燭と同じなんだ」


 ぼくはシノさんの指を見て、きれいな形のまま燃え続ける炎を見た。


「すごい」

「そうかな。これが私にとっては普通だよ」

「すごいや」


 ぼくは繰り返す。シノさんは苦笑した。


 静かな興奮が去ると、ぼくたちの前には一本の蝋燭だけが残された。ぼくの吐息によって時折ゆらめく朱色の炎。その根元は仄かに青く、上に行くにつれ朱色になっているのが見て取れた。


「炎、きれいだね」

「レンくんもそう思う?」

「シノさんも?」

「うん」


 ぼくはシノさんの顔を見上げた。真っ白なシノさんの顔はゆらゆら揺れる炎に照らされて、いつもよりほんの少しだけ血色が良く見えた。


「きれいだし羨ましいとも思う」

「羨ましい?」

「私、蝋だけど蝋燭じゃないから燃えないんだ」


 ぼくは首を傾げた。だけどシノさんがそう言うのならそうなのだろう。


「どうせ蝋に生まれたのなら、蝋燭のように燃えてみたかったなあ」


 そう呟いたシノさんは、微笑んでいたけれど、泣いているようにも見えた。

 その時ぼくは、彼女のもとに通う理由を得たのだった。







「シノさん、爪の先っちょをちょうだい」


 そうやってぼくが言い出したとき、シノさんはちょっとだけ困った顔をしたけれど、冬休みの自由研究だと言えば、喜んで協力してくれた。


 地面に座り込んでマッチ箱を持つぼくの足元には、何本もの折れてしまったマッチ棒が散乱している。ぼくはマッチ箱のざらざらした面にマッチ棒を擦り付ける。マッチ棒はまた折れた。


「レンくんはマッチを擦るの、へたくそだね」


 ぼくは唇を尖らせてシノさんを見上げる。シノさんは椅子に座ったまま苦笑していた。


「貸してごらん」


 シノさんはぼくからマッチを受け取ると、器用にも一度で火をつけた。


「いい? 擦る途中で棒の方向を変えちゃダメなの。斜めに棒を持ったまま、手前から奥に、勢いよく擦り付けてごらん」


 棒の方向を変えない。斜めに棒を持つ。手前から奥に擦る。


 ぶつぶつと呟きながら、たどたどしい手つきで言われたとおりにすると見事マッチ棒に火が灯った。


「シノさん、やった!」

「そうだね」


 シノさんはまるで自分のことのように嬉しそうに微笑んでいた。


 それからぼくは実験を始めた。

 最初、シノさんの欠片に火を近づけた時、シノさんの欠片はゆっくりと溶けるだけで、炎が点くことはなかった。ぼくは指の先をやけどした。


 シノさんにその理由を聞くのは何かが違うと思った。ぼくは今まで真面目に読んだことのなかった理科の便覧を隅から隅まで眺めまわして、ついにその原因を見つけ出した。


 一つ、固体の蝋は熱をうけてもまずは液体になるだけなのだということ。

 一つ、火がつく蝋は気体の蝋だけなのだということ。

 一つ、液体の蝋は熱を受け続けないと気体にはならないのだということ。

 一つ、熱を受け続けるには、液体の蝋を吸い込んで燃え続ける何かが必要なのだということ。


 難しい言葉ばかりだったけれど、ぼくはなんとなく蝋燭が燃える仕組みについて理解しつつあった。


「シノさん、明日もまた来るね」


 入口で振り返ってシノさんに手を振る。

 そうすると決まってシノさんはこう言うのだ。


「レンくん。他の子をここに連れてきちゃダメだよ。……魔法が解けちゃうからね」

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