蝋燭心中

黄鱗きいろ

蝋燭心中 前

 学校の裏山に重機が入っていく。あの山は木を倒され、土を崩されて、住宅街になるのだという。六年生になったぼくは、教室の窓からそれを眺めていた。

 真冬の山道、プレハブ小屋、セーラー服の少女、人蝋、そして炎。

 あの時、本当は何があったのか、ぼくだけが知っている。





 それは小学四年生の冬のことだった。夏のころはあれだけ生い茂っていた木々の葉もすっかり落ち切ってしまい、足元で無残に丸まっている。雲は空を覆い尽くして、今にも雪を降らしそうだ。ぼくは軽くなったランドセルを背負ったまま、裏山を登っていた。


 どうして裏山なんかに行ったのかは今では思い出せない。でも多分、どこにも居場所がなかったぼくには、そんなところしか行く場所がなかったのだと思う。


 その頃のぼくはいわゆる不登校というやつだった。教室では物を隠され、机に落書きをされて、ひどい時はこっそり殴られたり蹴られたりもした。だけどそんな状況でも、先生は助けてくれなかった。関わるのが面倒だったのだと今では分かる。


 両親は一応ぼくのことを心配してくれたけれど、共働きで忙しくて、結果的にぼくは放置されていた。それが寂しくなかったと言えば嘘になる。だけど仕方ないことだと半分ぼくは諦めていた。


 そんな寂しい思いを抱えながら、ぼくは山道を登っていた。申し訳程度に石が敷き詰められた石段に、木々から落ちた小枝がぽつんぽつんと落ちている。それらは踏みしめるとぱきんと音を立てて割れ、ぼくの通った後には踏み折られた枝たちがてんてんと続いていた。


「寒い……」


 白い息を吐いて、体を震わせる。立ち止まって、お気に入りの赤色のマフラーに顔を埋めた。石段の脇に、一本の細い横道があるのに気付いたのはその時だ。


 横道はほとんど下草に隠されていて、しばらくの間、誰も通っていないように見えた。ぼくは久しく感じていなかった冒険心がむくむくと心の中で膨らんでいくのを感じた。


 横道に足を踏み入れる。下草は昨日の夜降った小雨によってまだ濡れているようで、ぼくは何度も滑りそうになりながら小道を進んでいく。時折不安になって後ろを振り返ったりもしたけれど、なけなしの勇気を振り絞って、ぼくは前に視線を戻し、足を進めていった。


 そうやってしばらく行くと、広場に辿りついた。広場にも雑草がぼうぼうに生え、その中央に膝丈ほどの雑草に守られるようにしてトタン屋根の廃屋があった。


 ふと、廃屋の中に何か光るものが見えた気がして、ぼくは雑草を踏み越えて、廃屋に近付いていった。


 入り口の扉は半分だけ開いて錆びついていて、ぼくはその隙間に体を滑り込ませた。廃屋の中は薄暗くて、屋根に空いた穴から薄い光がぼんやりと差し込んでいる。


「ごめんください」


 薄闇に小声で尋ねる。きっと答えはないだろうとは思っていたけれど、心細くて何か喋らなければいけないように思えたのだ。だから闇の向こうから声が返ってきたときには死ぬほどびっくりした。


「だれ?」


 廃屋の中に響いた落ち着いた女性の声に、ぼくは怯えながらも影の中へと歩みを進めた。だんだん目が慣れてくると、廃屋の奥に一脚の椅子が置いてあることに気がついた。椅子には誰かが腰かけていた。


 まず白い肌が見えた。手の指は細く太ももの上で交差しており、スカートの下に覗く足も行儀よく揃えられている。全身は深い紺色のセーラー服で覆われている。お手本のように縛られた胸のリボンがわずかに揺れ、プリーツの深いスカートが椅子の上からさらりと落ちた。


「はじめまして」

「は、はじめまして」


 震える声で挨拶を返す。ぼくには彼女がまるで、この廃墟に住む王女さまのように見えたのだ。


「こんなところに人が来るなんて、思わなかったよ」

「……お姉さんは人じゃないの?」

「どうだろう。きみにはどう見える?」

「人じゃないと、思う」


 頭の裏にふわふわとした感覚がある。形の良い唇が動くたびに心臓の音が跳ね上がるのを感じる。ぼくは近所の中学校の制服を着たあやしいお姉さんの存在に、惹かれていた。


「きみ、名前は?」

「梅木レン」


 どきどきしながら名前を告げる。真っ白な肌のお姉さんは、首をわずかに傾けて答えた。


「私は小滝 紫乃。よろしくねレンくん」

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