五円があるよ

蒼生 涙以

五円があるよ

「四千九百九十八、四千九百九十九、五千っ!キターーッ!」


 私は、遂にやり遂げた。大業を成した。苦節五年、ここまで来るのにどれだけかかった事やら。達成感と優越感に暫時浸り、喜びの情に身を任せた。


「五円が五千枚貯まったぁぁーーー!!」


 私は万歳をしながら大きな自作の貯金箱に収まったその銅と亜鉛の合金で出来た大量の金属塊たちを満悦の表情で眺めた。やっぱりここまで貯まると壮観である。私にはそれが黄金の様に輝いて見えた。嗚呼、美しや。


双葉ふたば!いい加減降りて朝ごはん食べなさい!学校遅刻するわよ!」

「はいはーい!今行くー!」


 私はバターを塗った食パンを咥えてスクールバッグを背負い家を飛び出した。一見朝寝坊して遅刻しそうな人に見えるかもしれないけれど、メイクも服装も寝癖直しもバッチリだ。


 学校を出るギリギリまで箱らしい箱状の貯金箱に貯まっていく穴の空いた硬貨を眺めるのが私の日課だ。何で五円玉を貯めてるのかって?理由はたった一つ。


「素敵なご縁がありますようにーっ!」


 パンを食べ終わってから私は桜の舞う陽だまりの道を元気よく小走りで行く。暖かい春の日差しが、私を青い春へと誘うように柔らかに私を照らしていた。



「それで、五千枚貯まったからハイスペック彼氏が出来るように願った訳ね」

「そうそう!高身長高学歴好青年なカレシが出来る時が私にも来たのだッ!」

「あんまり夢見すぎると落ち込むから気をつけなよー」


 昼休みに中庭でこうして私の話を聞いてくれるのは、私の誇り高き盟友、その名も小百合だ!妄想ばかりしている私の話を白けた顔でも優しく聞いてくれる私のたった一人の親友なんです。ほんとにたった一人。なんで友だちが一人しかいないの?なんて、悲しくなる質問は受け付けません!


「いやー、五年も待った甲斐がありますよぉ〜」

「まだ男友達すらいないのにはしゃぎ過ぎよ」

「あー、もう彼は本当格好良くて素敵なの!爽やかな黒髪でぱっちり二重で整った顔立ち、シャープな輪郭に、あーもう好き!全部好き!」

「妄想し過ぎ……」


 なんだかんだで話を聞いてくれる小百合が私は大好きだ。私は頭の中で描く理想の彼をイメージしながら、小百合に抱きつく。


「さーちゃん大好き!!」

「ちょっ、やめてよ厚かましい!」


 小百合はこうして不意にスキンシップをすると可愛い声を出す。現実世界での私の癒しだ。


「明日には絶対カレシ作って来るから、待ってなさいよ!」

「気が早いよ……」


 確かに、これも妄想だ。私の頭の中は恋愛というものに興味を持った五年前から恋の妄想であふれていた。散々言うだけ言って妄想で終わっちゃうのが現実なんだけどね。と思っていた。


「ハンカチ落としましたよ」

「あ、ありがとうござい……ま?!」


 そう思っていたのに、本当に、本当の本当に、その日の帰り道に、彼は現れた。爽やかな黒髪でぱっちり二重で整った顔立ちでシャープな輪郭……。奇跡だ、私は奇跡を起こした!ありがとう、私のハンカチ!見つけたよ、私の愛しきマイダーリンッ!


「ありがとうございます!!あの、突然失礼ですがお名前とかってお聞かせ願ってもよろしいでしょうか?何せこのハンカチ、私がとても大切にしていた一枚五千円の超高級ハンカチでして、何というか、その、お礼に何か出来ることはありませんか?!」


 ハンカチを拾ってくれた彼の手を掴んでそう食い気味に話しかけた。あー、やっちゃった。私は友だち作りにも恋にも積極的すぎていつも空回りしてしまうのだ。しかも嘘までついて、これじゃ理想のカレシ様に引かれちゃう……。


「あああ、あの、ご、ごごごめんなさい!変なこと言いました忘れてください!」


 下げた頭が彼の胸にぶつかった。いやあもう、男性に対する免疫の無さが丸見えですね、とっても恥ずかしい!とかなんとか思いつつ、頭をあげると、彼は天使のような笑顔を見せていた。


「名前は榊原さかきばら謳慈おうじです。お礼は結構ですので、良かったら少しお茶して行きませんか?出来れば貴女のお名前もお教えいただければ嬉しいです」


 嗚呼、神様。ありがとう。家に眠る五千枚の五円玉よ、ありがとう。私にも、青春を謳歌する時が来たのだッ!これは千載一遇のチャンス、逃してはならない!


稲水いなみず双葉です!オウジさん、いえ、オウジ様!是非、お茶させていただきます!」


 私は、男性と初めてデートをする事になった。いや、デートだよね、これ?二人きりでお茶だよ?緊張で汗ブワーって全身から出ちゃってるよ?デートでしょ?デートだ!



「それでですね、私、素敵な男性に会う為に五円玉を五年前から貯め始めていまして、ついに今日、五千枚を達成したんですよ!」


 もう話題を引き出すのに夢中で自分の恥ずかしい趣味まで話してしまった。けどそれも笑顔で返答して下さる。素敵が素敵過ぎてもう素敵と素敵のミルフィーユ状態だよ!もう自分の頭の中で何考えているか分からないくらいに、私の頭は熱と興奮と緊張でいっぱいだった。


「双葉さんの笑顔、とってもキュートですね。よく似合っています」

「い、いやあ、そ、そんなこと、あったら嬉しいなー、なんて!ありがとうございます〜!いやもう、オウジさんって慈悲深くて優しくて、私の頭の中もうハッピーハッピーのダブルコンボでノックアウトですよ!」


 やばい、もう抑えきれない。この興奮が、この高揚感が、この夢みたいな夢見心地が、次々に意味不明な言葉を生み出していく。あー、もう、恋ってこんなに、情熱的なんだ。これが現実なんだから、こんなにも嬉しいことはないよ……。


「……非常に言いにくい事なんですけど、一ついいですか?」

「はい!何でも言ってください!」

「今晩一緒に、如何ですか?その、男女の営みといいますか、何といいますか……。あ、変な事言ってすみません。無視して下さい」


 彼にこんなにも積極的に誘われた。まだ全然踏み出したことのない世界だけど、彼は私のこと、女として見てくれたんだ。私は戸惑う気持ちもあったけど、何より嬉しかった。こんな素敵な人と、一晩を過ごせるんだ……。


「あの——」


 私が言葉を言いかけたところで、遮るようにプルルルと着信音が鳴った。


「ごめんなさい、電話が来たので少し席を離れますね」

「は、はい!全然いくらでも話してて大丈夫です!」


 といいつつ、彼がどんな人と電話をするのか気になり、ついつい彼を追って電話の声を盗み聞きしてしまった。


「もしもし」

「もしもし、タロちゃん。ママは今日も帰りが遅いって聞いて心配で、電話しちゃったよ」

「ママ〜、ごめんねぇ〜。明日はママの膝で寝るから許して〜」


 彼の声色が変わった。ていうか何だ今のは?!ママの膝で寝る?!さっきまでの興奮と緊張で混乱していた頭が、更にオーバーヒートを起こし始める。母親らしき人物との電話が終わったところで、彼の元にはもう一件電話がかかってきていた。


「もっしー、何だよリョーコ」

「おい、太郎!本命の私放っておいてどこほっつき歩いてんのよ!今日はヤらせてくれそうな女の子と、明日はお母さんのとこで泊まるって?!私は実家の婆ちゃん置いてきてまであんたと住んでるのよ!早く帰って来なさい!」


 電話は一方的に切られたみたいだ。はぁ、とため息をついて、彼は私の元に迫ってくる。ヤらせてくれそうな女の子?別の女性と住んでる?ナニコレ?どうなってるの?あれ、おかしいな、彼は素敵なオウジさん、だよね……?


「今の会話聞いてただろ。盗み聞きは趣味悪いぜ?」


 彼はまた突然として声色を変えた。どうする?どうすればいい?私が彼がどんな人かも知らないで関わっちゃったのは確かだけど、これって、どうなるのかな……?私は冷静な思考になれずパニックに陥った。


「偽名使って悪かったな。俺の名前は太郎だ。だせーだろ?だから嫌なんだよ、この名前。でさ、そんな話はいいから気を取り直して、行こうぜ、ホテル。気持ちよくさせてやるからよ」


 私の腕を掴まれた。ダメだ、もう何といいますか、私はとことん、ご縁のない人だ。五年も待った結果がこれだ。周り見えなくなって自分の妄想ばっかで、現実はこんなに、残酷なのか。


「待ちなよ」

「誰だお前」


 刹那、私と彼の前に現れたのは、小百合だった。どうして?なんで?小百合は私を助けにきてくれたの?私、もう、何が何だか、分からないや……。私は呆然として立ち尽くして二人のやり取りを見る。


「そこの女、あたしのモノだから。勝手に手出すなよ」

「あたしのモノ?女のくせに恋人ぶってんじゃねーよ。ていうか、こいつが俺に色目使ってきたから誘っただけだ。俺は何も悪くないぜ?」

「あんたが悪いかどうかなんて関係ないね。双葉は私の親友だ。あんたになんか渡さない。それだけ」


 小百合はそうやって私を無理矢理彼の手から離した。彼はそれ以上何もして来なかった。


「ありがとう、さーちゃん。でも、何でここに?」

「双葉が好きだから」

「えっと、嬉しいけど、なんでここに居るって分かったの?」

「それは……」


 彼女は言葉を詰まらせた。落ち着け私。彼は爽やかを被ったサイテー男で、小百合は私を助けてくれたんだ。そうだ、小百合は親友として……。


「あたしさ、口下手で奥手で、友達なんかまともに出来たことなくてさ。ずっと一緒にいたくて、あんたと居る時間をなるべく増やして、帰り道ストーキングまでして、男が寄り付かないようにしてた。今日もそれであの男に誘われてるの見て、こっそり後をつけて来たんだよ。勝手に人の憧れ潰して、最低だよねあたし。でもそれくらい大切なんだ。失いたくない。ずっとあんたの一番でいたい。大好きだ、双葉」


 私は、言葉にならなかった。どう受け止めてあげたらいいかも、今の気持ちをどう表現したらいいかも分からなかった。だけど、小百合の真剣な表情は、どんな男の子より、カッコよく見えた。


「ありがとう、さーちゃん。私も大好きだよ」


 私にも大切なご縁がありました。たった一人の、大切な。

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