第35話 嘘と真実

 手入れの行き届いたマダム自慢の秋の庭を眺めながら、ダリオは物憂いため息をついていた。夕刻までにはバルトロメオのもとに戻らなければならない。今夜は例の作戦の決行日なのだから。


 主から手紙を預かって、マダム・ステイシーの宿を訪れるのはこれで六度目となるのだが、ジョアンと出くわした時以来、手紙の交換はできていない。

 それ故に日に日にバルトロメオの機嫌は悪化し、周囲へ悪影響が出始めている。王は八つ当たりをするわけではない。しかし、とにかく苛立たし気でため息ばかりで、ピリピリとした空気を放っているのだ。

 王の不機嫌の理由の知らぬ諸侯たちは、先の戦で戦果を挙げられなかったためだろうか、妃たちの実家である侯爵家の対立のせいであろうかと、様々な憶測をたて王の顔色を伺いそして萎縮していた。彼らはまだ知らされていないがルイーザは毒を盛られてしまったのだから、その想像の半分くらいは正しい。しかしもう半分は俗に言う恋煩いというヤツなのだ。


――アンナ様からの手紙さえくれば、ころっと機嫌をお直しになるだろうに……


 ふうと大きく息をつくと、向かいに座っていたマダム・ステイシーがティーカップにお茶を注いでくれた。


「ごめんなさいね。こんなお婆さんの昔話なんて退屈だったわね」

「……い、いえ、そんなことは。申し訳ありません。少しぼんやりしてしてしまって」

「ジョアンさんがいらっしゃらないから?」

「い、いえいえいえいえ! 友人がまた残念がると思っただけで。私はただの遣いですから、べ、別にあの方に会いたいとか、そういう事では……」


 マダムにクスクスと笑われて、墓穴を掘ったなと口を閉じるダリオだった。どうして、こうもすぐにバレてしまうのかと不思議でならない。ポリポリと頭を掻くのだった。

 待っていても、ジョアンが今日来るとは限らない。じっとしていても始まらないので、バルトロメオに命じられた通りマクミラン子爵邸を探った方が良いだろう。 ダリオはマダムにお茶のお礼を言って宿を辞したのだった。

 市街地に向かって歩いてゆく。まずは大聖堂へ行くつもりだった。


『やっぱり嘘は良くないわね。全てが明るみに出たときの衝撃ったら、世界の終わりかと思ったほどよ』


 思い出すマダムの言葉が胸に重かった。先ほど話してくれた彼女の若い頃の話は、バルトロメオの恋にとても似ていたのだ。

 マダムは元はエルシオン人で、亡くなった夫はリンザール人であったそうだ。二人ともエレバスに移住してきたのだ。

 その頃は、度重なる戦で家や職を失った者たちが、エレバスに逃れてくることがよくあったそうだ。

 そして、祖国を離れたとはいえ、両国出身の者はやはりこのエレバスでも対立していた。今でこそエルシオンもリンザールもなく皆エレバス人だと融和ムードが広がっているが、当時は激しく諍いを起こしていたという。

 それ故に先住であるエレバス人は、いがみ合う移民を嫌っていたのだ。

 後に夫となる人をエレバス人だと思い込んでいたマダムは、嫌われたくない、もっと親しく近づきたいという一心で、自分もエレバス人だと偽ったらしい。だが彼の方でも同じ理由で出身を偽っていたのだ。

 双方共に嘘をつき、それに気づかぬままに交際を深めていったのだが、やはり真実が明るみに出る時は来るもので、敵対する祖国を持つ者同士であると分かった時、二人の交際は家族に猛反対を受けることになったのだった。

 それでもマダムたちは障害を乗り越えて結ばれたわけだが、それはそれは大変だったらしい。


『反対されると余計に燃え上がるものなのよ』


 ほほほとマダムはいたずらっぽく笑っていた。

 全くマダムの言う通りだとダリオは思う。バルトロメオは障害を望んではいないが、その障害ゆえに燃え上がっているように思えてならないのだから。

 バルトロメオが身分を偽ったのは王であるが故だが、マダムと同じように恋しい人と同じ立場にいたいという願いもあっただろう。

 いつか真実がアンナに知れた時、彼女はどうするだろうか。マダムたちのように、結ばれることはできるのだろうか。

 バルトロメオは万難排して彼女との恋を貫こうという勢いだが、ダリオはやはり不穏な未来を感じずにはいられないのだ。

 戦を前にしながらも、恋うることを止められないこの激しさが、とても危うく思えてしまうのだ。


 見覚えのある通りに出ると、収穫祭の折にはここを仮面を被って歩いたものだったなと苦笑を浮かべる。

 あの日、バルトロメオとアンナを二人きりにしたことで、大きな運命の輪が回り出したような気がする。王に逆らう術などないのだが、自分が彼らの運命を動かしてしまったような、なんとも畏れ多い気持ちになってしまうのだ。

 大聖堂が見えてくると、ダリオは二人の行く末を神に祈りたくなった。





 こんな偶然があるものだろうかと、ダリオは息が止まるかと思った。彼が開けた扉の先には、目を丸くしたジョアンがいたのだ。

 大聖堂には、エレバス市民の氏名や生年月日等が記された台帳が神官によって管理されている。税徴収に利用するためだ。そして、もちろん貴族のものもあるし、家系図など保管されている。

 ダリオはマクミラン子爵邸に行く前に、家族構成などを把握しておこうと、大聖堂にやってきたのだ。聖堂としては、貴族の個人情報を簡単に晒すわけにはいかない。だからダリオは、担当神官にそっと金を掴ませたのだった。

 そして台帳を保管している部屋に案内され、ドアを開けたところでジョアンに出くわしてしまったのだ。


「ま、まあ……」

「き、奇遇ですね」


 頬を引きつらせながら、ぎこちなく微笑んだ。バクバクと心臓が鳴っている。それは彼女に会えた喜びなどでは無かった。

 ジョアンの方も戸惑いを隠せない様子だ。眉間に皺を寄せ、息を飲んでいた。

 お互いに、相手がここにいる理由を一瞬で理解してしまっていた。


 ダリオは先ほどマダム・ステイシーの宿では、彼女に会いたいと思っていたのだが、まさかこんな所で願いが叶うとは思いもしなかった。できれば、ここ以外で会いたかった。

 ジョアンも、クレイトン家を探っていたのだ。お忍びで収穫祭にやってきた時の警戒の様子からして、まだバート・クレイトンの身元を怪しんでいたのだろう。

 父マクミラン子爵の指示なのか、ジョアン一人の行動なのか分からないが、交際を進めるのなら相手をよく知っておこうと考えるのは当然だ。アンナは、余程大切にされているお嬢様なのだろう。

 だが同時に、まずいと内心焦っていた。どうやら、ジョアンはもう既に台帳を見た後のようなのだ。弁明しなければならない。


「あ……あのジョアンさん、少しお話がしたいのですがよろしいでしょうか」

「はい。私もお聞きしなければならないことがございます……」


 ジョアンの静かなそして悲し気な口調に、ダリオは背筋が凍る思いがした。




 大聖堂前の広場を、二人は並んで歩いていた。ゆっくりと少し俯き加減で。

 ダリオは、ジョアンがいる左側をヒリヒリと感じながら、大きく息を吐いた。


「ご覧になったのですよね? …………申し訳ありません」

「お謝りになるということは、やはりあの身分証は偽りであったとお認めになるのですね」

「本当に申し訳ございません」


 ダリオは、ああと手で顔を覆い、項垂れてしまう。彼女に出くわした瞬間に覚悟してはいたが、バート・クレイトンがこのエレバスに存在しないことは、やはりバレてしまっていた。

 ダリオが深々と頭を下げると、ジョアンは疲れたようにクスリと笑った。


「なぜ貴方がそんなに謝らなければいけないのですか? 嘘をついたのはバート様でしょう?」

「……私もその嘘に加担しましたから」


 さて何と言い逃れようかと、ダリオは暴れまわる心臓を抑えながら懸命に考える。バートはクレイトン子爵の隠し子であるため台帳に乗っていないのだ、と言ってみるのはどうだろうか。いや、身分証を偽造と認めてしまったのだから、これは通用しないだろう。

 はたまた、教皇からの密命を実行中の特殊兵で本名を明かせないのだとかなんとか言ってみようか。

 何にせよ、嘘に嘘を上塗りしなければならない。


 『やっぱり嘘は良くないわね』


 またマダムの台詞が蘇り、胸に痛かった。

 ジョアンが探るような目で見つめて来るもの、心苦しい。


「あそこに来られたということは、ダリオ様もマクミラン家をお調べになるおつもりだったのでしょう? 見ずに出てきてしまわれたけど、良いのですか?」

「……ええ、もういいです。貴女に会えましたから」

「どういう事でしょうか」

「本当はお屋敷に伺うつもりだったのです。この頃お手紙が来ないので、アンナ様のご様子をどなたかにおたずねしようと。大聖堂に行ったのは、ご家族のことを知っておけば話のきっかけになるかと思ってのことです。ですから、こうしてジョアンさんに会えたからには、台帳に用はありません。手紙の交換という目的は果たせるでしょう?」


 ジョアンは、ああとため息をつきながら首を振る。


「あなたはまだ手紙の交換をなさるおつもりですの?」

「ええ、もちろんですよ。その為に来たのですから。ジョアンさん、彼は本気なのです。自らの名を偽りましたが、その心は本物なのです。心から、あの方を愛していらっしゃる。どうかそれだけは信じて下さい」

「……アンナ様がお信じにならなければ、私が信じたところで意味がごいませんわよ? それにまだ、どこのどなたなのかも伺っておりませんし」


 彼女の言う通りだと、ダリオは力なく笑った。

 素性を隠している者の言葉を、易々と信じることはできないだろう。真実は告げられないが、嘘を重ねることだけは止めようと、ダリオは立ち止まった。

 主はこの判断をどう思うだろうか。


「……理由あって今は名乗ることはできませんが、真実彼は、卑しからぬ身分の者です。いずれアンナ様を妻に迎えたいというのも真実。……このエレバスを挟む二つの国の争いを、我々はもう傍観しているばかりではいられないことをご存知ですか? 否応なしに関わらざるを得ないのです。しかしご安心下さい。必ずエレバスに平穏を取り戻しますから。そしてその時には、彼は必ず名を明かすことでしょう」

「……戦に、国防に深く関わるがゆえに名乗れない、そういう事なのですね?」

「恋を失いたくないからこそ、彼は名乗れないのです。害意はありません」


 問に真っ直ぐには答えず、しかし際どいところまで言ってしまった。だが、嘘はない。ダリオはゴクリと唾を飲んで、眉を歪めるジョアンをじっと見つめる。

 軍の上層部の人間であると、これで想像できるだろう。その想像を彼女がどこまで広げるかが問題だ。これ以上もう何も言えない。

 エレバス国境警備兵の上級士官と受け取るか、更に上の司令官と思うか。それとも想像の翼をさらに広げて、彼女はエルシオンにまで目を向けてしまうだろうか。


「……どういうご身分の方なのか皆目見当もつきませんが……ではなぜあの日、下級兵士の恰好をしていたのですか?」

「それは……たまった鬱憤の解消といいますか、しがらみは一時置いて、ただただ祭りを楽しもうとしたようです。他意は無かったのだと思います。アンナ様が町娘に扮していたのと、多分同じ理由でしょう」


 矛先を微妙に返すと、ジョアンは困ったような笑みを浮かべた。色々と質問はあるのだろう。彼女の瞳は落ち着きなく揺れていたが、不意に諦めたようにため息をついた。


「そうですね。たまには羽を伸ばしたいと思うこともあるでしょう」

「納得して頂けましたか?」

「はい、バート様が戦の行方に気を配らなければならないお立場にあるということでしたら、密かに立ち寄らねばならない場所があっても不思議はないでしょう。疑問が解けましたわ」


 ダリオの眉間にぐっと力が籠る。緊張に背が強張った。

 彼女は何を言っているのかと懸命に考える。主がエレバスで密かに立ち寄る場所、それは旧聖堂しかない。なぜ、彼女はそのことを匂わせるのか。


――そうか、あの日手紙の受け渡しをするだったのに、ジョアンが来なかったのは……旧聖堂に向かう我々を見てしまったからか……。神官の変装などしていたし、不審に思われるのも仕方がない。


 疑問は解けたと言うからには、バルトロメオをエレバス軍の幹部と想定して、国防の為の会合とでも解釈してくれたのだろうか。


「あの日マダム・ステイシーの宿で、あなたをお待ちしていましたが……来られなかったのは、あそこへゆく我々に不審を抱いたからだった、そうなのですね?」

「……ええ」

「でも、疑問は解けたと仰るということは、私の言葉を信じて下さった、そうですね?」


 もの憂げな表情だったが、ジョアンは小さく頷いた。

 詳しいことを語らぬ者の言う事を、なんとか信じようとしてくれていることに、ダリオはホッとする以上にやましさを感じてしまう。どうかこの綻びが広がりませんようにと祈る思いだった。

 ジョアンが手紙を差し出した。


「どうぞ、バート様に……。今はバート様のお心を信じようと思います。けれど、苦しい恋であることを、どうかご自覚下さいとお伝えくださいませ」


 そういってジョアンは深々と頭を下げた。

 そして再び顔を上げたジョアンの目に、今にも零れそうな涙が浮かんでいた。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

この恋は罪過 ~瑠璃の戦姫と銀朱の闘王~ 外宮あくと @act-tomiya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ