Ms.ティー・カップはご機嫌ななめ

馬田ふらい

Ms.ティー・カップはご機嫌ななめ

 地元の商店街がいつもにまして盛り上がってるな、と覗いて見たのが運の尽きだった。いや、賞品も見ずにガラガラを回したのがマズかったか。とにかく、ポトリと零れたゴールドに浮かれたオレはバカだった。

「よっしゃ!有馬か?道後か?洞川どろかわか?」

「いえ、6等のティー・カップです。どうぞ」

 紛らわしいわ。


 くじ引きでの失敗は二回目だ。

 一回目は汚い四畳半で下宿を始めてすぐ、同じく温泉旅行に目が眩んだ結果ティー・マシーンを手にしてしまったことだ。専用のインスタントの紅茶をガチャリと入れてスイッチを押すとお湯の口から紅茶が出てくる。こう書くとそれなりに使い道はありそうだが、景品にインスタント紅茶そのものが付いておらず、そもそもオレにそこまで紅茶を嗜む趣味がなかったものだから、コイツは箱に戻してレポートの山の奥の奥にしまいこんだ。


 しかしせっかくティー・カップを手に入れたんだから、とスーパーで紅茶を探し出した後オレは何年かぶりにティー・マシーンを引っ張り出した。とりあえず埃を拭いて、艶やかな白いティー・カップをセットする。


 ガチャコン。


 ピッ。


 ジョジョジョジョジョジョ……。


 ティー・マシーンからホットな紅茶が本当に注がれたときは少しばかり感動した。オレはティー・カップを持って読みかけの小説の置いてある机に腰を落とした。栞の挟んだページを開き、紅茶を啜った。はずだった。


 ジョボジョボジョボジョボ……。


 ビタビタビタビタビタビタ。


 目の前の小説が、紅茶の香り高いスプラッシュを受けて紙も文字もゆるゆるになる。


 一瞬、何が起こったのかわからなかった。オレはティー・カップを傾けて紅茶を飲んだ……。

 いや、オレの口には1ccたりとも入っていない。顎を伝ってすらいない。小説はカップの真下の位置にあった。つまり、ティー・カップの底から漏れたのだ!


 いやいやいや。冗談はよくない。底あるし。

 しかし、このティー・カップに妙な感じを覚えたのもまた事実。

「もう一杯、確かめてみるか」


 こう言う事態も想定して、オレは一応スーパーでもう3杯分揃えてきていた。オレは机を拭いて、スイッチを押す。


 ピッ。


 ジョジョジョジョジョジョ……。


 うーん、確かにティー・カップに溜まってはいるのだ。ということは何かの拍子で口に入らなかったに違いない。

 オレはビショビショになった小説を傍に置いて、今度は慎重にティー・カップを傾けた。


 ジョボジョボジョボジョボ……。


 ビタビタビタビタビタビタ。


 拭いた机がまた濡れた。慌ててカップの角度を戻しても滴る液は止まらない。最後にはカップの中全てが流れ落ちた。


 これは異常だ。明らかに異常だ。


 もう一杯入れよう。今度は絶対にこぼすまいとティー・カップにぶちゅりと唇を付けた。ところがその瞬間、ティー・カップがいきなり発熱し出してグイッと跳ね上がり、


 バチャッ!


 と顔に熱々の紅茶が降りかかった。


「アッツウ!」


 流し台の下に雑多に積まれたタオルを一枚湿らせてやけどしかけた顔にかぶせる。生き返るような心地だ。ダージリンなオレの顔を拭きながら考える。


 どうも問題はこのティー・カップにあるらしい。

 見た目は美しいティー・カップ。焼物には詳しくないが、素人目でもその表面の光り方が高級なのはわかる。なるほど、金色の玉と引き換えなわけだ。

 しかし、されど6等賞。まともに紅茶を注げないとなるとコイツに存在価値はない。

 オレは一応、律儀にティー・カップを箱に戻し、三週間前から袋を変えていないゴミ箱の奥底にギュッと押し込んだ。

 オレに紅茶の趣味は合わないのだ。ティー・マシーンも直そうとしたそのとき、


 ガタガタ……。


 ガタガタ……。


 ガタガタガタガタガタガタ……!


 ゴミ箱が暴れ出した。そして中のモノを次々と吐き出していった。まるでゴミ箱が怒っているかのようだった。

「ポルターガイスト!?」

 ゴミを出しきってもなおゴミ箱は騒ぐ。

 オレは恐る恐る近づいてゴミ箱の底に手を入れた。すぐにバタンとフタを閉じ、食べられた。

「イテテテテ!なんなんだよ!」

 ゴミ箱の抵抗に負けじとオレは四角い何かを掴んだ。これがポルターガイストの元凶だ。腕を引っこ抜いて掴んでいるものを見た。ティー・カップ。

「またお前かよ!」


「ふぅー」

 オレはバタリとカビの生えた畳の上に寝転び、シミだらけの天井を見る。相変わらず汚い部屋だ。オレの傍らには恐怖のティー・カップがいる。


 今までの状況を整理すると、


 状況①:普通に飲む→なぜか閉まっているはずの底から紅茶が漏れ出す。

 状況②:意識して口を付ける→顔に紅茶をかけられる。

 状況③:捨てようとする→ゴミ箱の中で暴れ出す。


 これは明らかに異常だ。そして原因はこのティー・カップにあるのも明白だ。

 しかしコイツ、モノなのになんとなく感情的である。キスされたら発熱したり、捨てられたら暴れたり。

 まさか、と思って推理を加えた。


 推理:このティー・カップは意思を持っている?


 とすれば、


 結論:オレはこのティー・カップに嫌われている。


 ……オレが疲れているのだろうか。しかしこう考えたら辻褄が合う。きっと待遇が良くないからティー・カップは拗ねたのだ。そりゃそうだ。こんな汚い四畳半で雑に紅茶を入れたのだから、怒られたって仕方ない。

 だったら、このティー・カップに極上のもてなしをしてやろう、とオレは考えた。今までのことを踏まえると、相手は割れやすい(=センシティブな)淑女レディなのだという意識で行動しないといけない。でないとオレがケガをする。


 まず、オレは銀行で預金を下ろした。初めて10万円という大金を積んだ財布はまるで岩のように重たかった。しかし、これも彼女のためだと腹をくくる。

 次に、ネットで夜景の見える高級レストランを探す。どこも予約で一杯だったが、一店だけ明日の午後七時の席が空いていたので即座に予約。場所を確認したらJR大阪駅直結の商業ビルの8階だ。オレはその時まで4階以上は全てオフィスだと思っていたので、行ってもいない今から緊張する。しかし、これも彼女のためだと腹をくくる。

 最後にスーツを揃える。ここで10万円のうちほとんどが消え去って、財布の中にはあと1万円。経済状況を見ると、やはり張り切りすぎたのかもしれない。しかし、これも彼女のためだと腹をくくる。

 明日は待ちに待ったデートだ。


 環状線、ぐるりと回って大阪駅。一般に梅田と呼ばれる、大阪の中心地である。日曜日の梅田は恐ろしく人が多い。人混みからティー・カップを守るため、彼女を胸に抱きしめて歩いた。

 午後七時、予約の時間ジャストに高級レストランに入る。天井が高い。当然シミもない。ここならMs.ティー・カップも不満はないだろう。


「ご注文はお決まりですか?」

 とビシッと決まったウェイターが聞く。コースメニューは「旬の○○の△△、□□を添えて」というようななんとなく言うのが恥ずかしい名前が多く、震える指で指差して

「こ、これと……、これ……で」

 とたどたどしく話してしまう。

「あと、それと、」

 ウェイターが去る前に、言わなければ。

「紅茶は、このカップに入れてください」

 ウェイターは一瞬、呆気にとられたが、すぐもとの笑顔を浮かべて、

「わかりました。ご安心ください」

 と去って行った。


 料理が来ると、オレは二人席のもう片側にティー・カップを置く。

「綺麗な夜景だね。まるで、二人の未来みたいに煌びやかだ」

「こう、夜の世界の中にいると、まるで世界にオレたちだけが取り残されたみたいだな。違うかい?」

 ステーキを切りながら、ティー・カップに対し歯の浮くようなセリフを並べるも反応はない。傍からは狂人に見えることは重々承知だ。

「もう、許してくれないか。オレもあの時は若かった」

 昨日の話である。反応はない。

 オレはティー・カップに口を付けた。一滴、舌の上に乗った。

 お、ついに、やったか?

 オレはついに彼女に認められたのか?

 そんな甘い希望は途端に裏切られ、数秒後、オレはまた紅茶をぶっかけられることになった。

「熱い熱い熱い熱い!!!!」

「お客様!?しっかりしてください」


 ここまでプランをたててもMs.ティー・カップの心は掴めないのか。オレは替えのシャツをユニクロで買うと大阪環状線に乗った。上はカジュアル、下はフォーマル。さぞかしだらしなく見えただろう。

 落ち込んだ心をそのままに、オレは玄関扉を開けた。


 なんか、疲れた。意地なんて関係なく、紅茶を飲んでゆっくりしたかった。オレはティー・マシーンに最後のインスタントをセットし、スイッチを押した。


 ピッ。


 ジョジョジョジョジョジョ……。


 フワッ、と疲れた体にレモンティーの爽やかな香りがみ渡る。

 オレはティー・カップを持ち上げ、フゥフゥと冷まして、唇の先で温度を確かめると、ゆっくり啜った。

 まろやかな酸味が口に広がり、しかし誇張はしすぎず、バックに隠れた苦味が全体の風味の豊かさを演出している。カップも紅茶を殺さない、絶妙な口当たりで視覚以上に美しく感ぜられた。

「ホゥ」

 とオレは一息つく。


 ん?


 んん?


 んんん!?


 Ms.ティー・カップが心を開いた!

 なるほど、彼女は見せかけの優しさじゃなく、片手間でも意地でもなくただ紅茶だけを見てほしかったのだ!そりゃ、そうだよな!誰だって、自分を見てほしいよな!

 オレはゴクリとレモンティーを飲み干した。

「ごちそうさまでした。おいしかったです」

 Ms.ティー・カップにそう告げた。陶器のツヤが満足げに光った。



 翌朝。月曜日。

「やっべ、ちょい寝坊した!」

 オレがレポートをカバンに詰めて家を出ようとすると、台所になぜか入れたてのアールグレイを湛えているティー・カップを見つけた。

 オレはそれを優しくゆっくりと飲んだ。

 カップの下に雑誌を見つけた。表紙を向けた。

 結婚情報誌だった。

「ハハハ、まさかね」

 しかし、もしかしたらオレはとても手の掛かるティー・カップを手にしてしまったのかもしれない。

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Ms.ティー・カップはご機嫌ななめ 馬田ふらい @marghery

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