最終話「三和」


 目が覚めた。

 チリチリとした痛み。

 うっすらと目を開けると、横尾が座っていた。

「目が覚めたか?」

 私はぼんやりした気分のままうなずく。

 そうか。

 なんだろう?

 ここはモスクワかどこかの病院で。

 私は中隊長をしていて、大隊長は同期の横尾。

 はぐれた部下を捜索して、へまをして。

 みんな無事だと聞いたが私は病院。

 ぎりぎりのところで敵の空挺部隊は後退したから、生き残って。

 反撃部隊は?

 戦況は?

 旅団は?

 大隊は?

 いったいどうなったんだ?

「よく、死ななかった」

 横尾はそれだけ言った。

 私は生きている。

 そうか。

 生きてる。

 生きているのか。

 指先を動かし、その感覚を味わう。

 まだ少し痺れた感じがするが、感覚は戻っていた。

「……みんなは?」

 みんなは。

 戦況は、中隊は、大隊は、旅団は、ロシア帝国は……いろいろ聞きたいことがあった。

 でも、口にした言葉はそれだけだった。

「敵の空挺が下がってから、大きな損耗そんもうはない」

「……そうか」

 私は安堵のため息をつく。

「ロシア帝国領内の敵はほとんど降伏した、組織的抵抗はない……国境沿いの州でゲリラが一部残っているが、たいしたことはない」

「それはよかった」

「もう、俺たちも本当の意味で予備になった」

 ふっと笑う。

 横尾も笑った。

 痩せたな。

 目が窪み、頬がこけている。

 大隊長という重圧の中で磨かれた精悍さと危うさを感じた。

「横尾、ありがとう」

 私がそういうとバツの悪そうな顔をする横尾。

 今のこんな状態のことを気にしているんだろうか。

「そんな顔をするな……私は、生きているだけで十分だ」

「……すまん、違うんだ」

「……?」

 嫌な空気を感じた。

 横尾が謝る。

 そんな悪い話が、もしかしたら残っている……。

 まさか。

 私の中隊に……部下たちに……何かあったというのか。

「野中……ほんとうに、謝罪しても、足りないが……」

 ……私は息を飲んだ。

 大丈夫。

 覚悟はしていた。

 何があっても。

 私はおめおめ生きているが。

 覚悟の上だ。

 戦場なんだから。

 ……。

 横尾の深刻な表情。

 それが事態の重さを物語っていた。

「悪いが野中、手違いで戦死扱いになっていた」

「……は? あ、いや、そんなことか」

 私は安堵のため息をつく。

 なんだ。

 そんなことか。

 まあ生きているからいいじゃないか。

「家族に通知がいってしまった」

 なるほど、そうか。

 三和も……みんなも、少しはショックを与えたかもしれない。

「すぐに訂正して、生きていることも伝えている」

 なら、なにも問題ないじゃないか。

 一年後に、ひょっこり生きていました……では大ごとだが、たった数日ならなんの問題も。

「ただな、遺書を」

「遺書?」

「送ったらしい」

「らしい?」

「いや、間違いなく手元に行ってる」

 いや。

 まて。

 あの遺書は読まれたらやばいだろう。

 恥ずか死ぬレベルだ!

「横尾! 送り返すようにしてくれ!」

「……無理だ、旅団司令部が手続きをして、中央がもう送ってしまった、と」

「エリート横尾くんだろ、中央に顔がきくって、おい」

「あのな、もう送ってしまったから、今さら、時間を巻き戻すとか、魔法使いじゃないんだから」

「お、ま、あのな、遺書だぞ、生きている間に読まれたらまずいだろう」

「……野中、お前が適当に書くから悪いんだ、読まれたまずいことを」

「あのな、遺書ってそういうもんだろう」

「真面目に書かないお前が悪い」

「ばっか、じゃあ横尾も、今、遺書読まれて大丈夫なのか?」

「ぜんぜん平気、ちゃんとしっかり書いたから」

「おーおー、わかった、じゃあ遺書みせてみろ、ここで読んでやるから」

「……それは」

「それは?」

「やっぱ無理」

「だろ?」

「だから謝ってるじゃないか」

「大隊長なら、部下のことを思っているなら、なんとかしてくれよお」

 最後は悲鳴になっていた。

 まあ、しかし。

 悪くない。

 つい口調まで二十年若返ってしまったが、久々に肩の力が抜けた。

 なんとなく楽しい時間。

 同期ふたりに戻った瞬間。

「手紙はもういいだろう?」

「よくないが」

「で、左足だが……」

 首を起こし、太ももから下がなくなっている足を見る。

「発見するのが遅かった、もう少し早ければ……すまん」

 私は笑った。

「死ぬよりはましだ、ありがとう」

 そう言って笑うしかなかった。

「横尾……私の方こそ、預かった兵隊を二十七人も病院送りして……それに九人も死なせてしまった」

「他の中隊も、大隊も……お隣のロシア帝国の旅団も損害がかなりでた……あれだけの戦力差だったからな」

「そうか……」

「今日にも停戦だという噂だ、もう、どうあがいても敵に勝ち目がないからな」

 ――これだけやったんだ、ロシア帝国も、馬鹿みたいにこれでもかってぐらいの勲章をくれるだろう。

 と横尾はつぶやいた。

 死んだ者達へ。

 彼らに勲章を与えても。

 死んだ彼らが知ることもできない名誉をもらっても喜ばないだろう。

 だが、その死に意味があったことを示す『形』が必要なことは間違いない。

 彼らの家族にも。

 残された我々にも。

 おめおめ生き残った私にも、その勲章ひとつで救われるものがあるのかもしれない。

 あの場所でいっしょに駆けずり回り、必死に生きようとして死んでしまった部下たち。

 美化するわけじゃない。

 あの無慈悲な鉄と血の戦場で、誰が死んでもおかしくない、誰が生き残るかわからない。

 生き残った者は、生き残った責任を果たすだけ。

「いい奴が死んでしまった」

 二小隊長だった安井中尉。

 兄貴肌で中隊の若い子たちから慕われていた、面倒見のいい小隊長だった。

 結婚はしていないが、金沢に彼女さんがいたはずだ。

「ああ、みんないい奴だ、よく戦ってくれた」

 横尾はそう言って目を閉じた。

 我々は長いため息をつく。

 どんな非難でも受けよう。

 我々が部下に死ぬ覚悟で戦ってくれと命じたのだから。

 だから、逃げない。

 彼らを忘れない。

「ここからがまた戦場だな」

 私がそう言うと、横尾は頷いた。

「家族のところは俺がまわろうと思う」

「お前はもっとやることがあるだろう? そういうのは現場の中隊長に任せておけばいい」

 そのエネルギーは別のところに使ってもらわなければならない。

 このピカピカエリートの同期には。

「まあ、また後で検討する、俺なりの責任の取り方があるからな」

 目のくまが深みを増していた。

 彼は鏡のなかの自分を見て、どう思っているのだろうか。

「そこでだ」

 彼はバックから通常の携帯電話よりもひとまわり大きいものを取り出した。

「間違って戦死を伝えてしまったことに対して、旅団司令部も、それから中央の参謀本部も誠意を示したいらしい……衛星も軍事優先になっちまってるから、民間の衛星携帯電話で話せないが、これは違うらしい」

 俺も子供と話したいが……と彼はつぶやく。

「だめだ、私ばかりがそんなことをしたら」

「使えるものは使え、それに向こうはずっとお前の目が覚めるのを待っていたんだ」

「だから、私だけ……」

 有無を言わせない勢いで横尾はボタンを押した。

 電子音が鳴る。

 遠くで『もしもし』と聞こえた。

「あ、はい……横尾です、上司の、ええ、今かわります」

 ぐっと、力強く彼はその大きな携帯電話を私の耳元に当てた。

 私は部下に申し訳なく。

 最後の抵抗として少しだけ耳をそらした。

「野中」

 厳しい目つきの横尾。

 私は観念して耳をスピーカーに寄せた。

 少し掠れた、少し雑音が入った音声が聞こえてくる。

 その瞬間、部下に申し訳ないとか、遠慮とかそういうのがぶっとんだ。

 死んでいった部下には本当に申し訳ないけれど。

 不謹慎だけど。

 今、本当に生きていてよかったと。

 そう思ってしまった。

 中隊長としての立場も、陸軍将校としての品性もすべて忘れた。

 私は節操無く、電話にかじり付いた。

『もしもし……お父……さん?』

 デジタルに変換された声。

 それは三和の声だった。

 携帯電話に抱きつき、そして声を殺して泣いた。

『……お父さん、泣いてる? 大丈夫?』

 泣いて。

 泣いてなんか。

 咳払い。

「泣いてなんかない、泣いてなんか」

 私は電波が悪く、雑音のせいでそう聞こえるだけだ。

 そんな情けない言い訳をした。

 それから、声を出すこともできず、グッと奥歯を噛みしめていた。

 スピーカーの向うから聞こえる娘の声に混ざる、懐かしいひとたちの声。

 私はボソボソ話す娘の声を聞きながら。

 ただ、うなずくことしかできなかった。

 こぼれおちる涙を、止めようとか。

 そんなことを思う余裕もなく。

 目を閉じていた。

 







「……堅っ苦しいのはやめた」

 私はそう言うと、手元にある『陸軍少年学校長卒業式式辞』と書かれた白い用紙を台の上に置いた。

「卒業、おめでとう!」

 ドッと沸く卒業生と他の学生たち。

「もう言う事はない、自分の道は自分で選べ……独立歩兵第九大隊長兼ねて金沢陸軍少年学校長、陸軍中佐、野中博三、以上終わり」

 私がそういうと、学生長が「気を付け」と叫んだ。

 お辞儀の敬礼をしていきたので、私も軽く返した。

 卒業式。

 半年前の夏の異動で二年ぶりに戻ってきたこの学校。

 当たり前のことだが、あのころの二年生と三年生はもういなかった。

 私を嫌っていた眼鏡の副学生会長も、伊原真が激烈指導しようとしたあの少年たちも、もうここにはいない。

 学校にいたころには感じなかった寂しさ。

 何度か卒業生を見送ったが、同じ空間に居たまま送るのと、別の場所で送るのではまた違うものだ。

 でも、成長したあの悩める一年生たちの姿を見た時はうれしかった。

 今並んでいる少年少女たちは、顔つきも変わり、成人の一歩手前といった感じだ。

 式の前には一足先に国に帰っていた留学生達の動画が放映されて、彼らの成長も見ることができた。

 あのロシアから留学していた金髪女子は、美少女から美女へと進化していていたが、あの挑発的かつ生意気な面影はまだ残っていた。

 まだまだ大人になれていないと思うと、なぜかうれしかった。

 子供の成長は早い。

 この二年、私の変化は大尉から中佐になっただけだが、他は何も変わりはしない。

 少佐から中佐へ昇任するための最低年数が足りていなかったが、抜擢という形で承認したらしい。

 同期の横尾はすぐに大佐になって、あと数年で少将昇任は間違いないと言われている。

 この前久々に顔を合わせたが、心なしか全体的に丸くなっていたような気がする。

 彼は「多忙で運動できないから、贅肉が増えてきた」と嘆いていたが。

 私は台に立て掛けていた杖を握る。

 ゆっくりと歩き台の後方にある席に座った。

 義足の調子はまずまずだ。

 この二年でそこそこ慣れてきたこの左足。

 私はステージ上から椅子に座っている学生達を見下ろす。

 学生達の表情は凛としたものだった。

 卒業を前にして、鍛え抜かれた青年たちの顔。

 一般の高校生徒は全然違う雰囲気だと改めて思う。

 さっき、私の言葉に反応した以外は私語などは一切しない。

 背筋を伸ばし、ほとんど動かない。

 もちろん普段からこんな感じではなく、メリハリが身についていると言っていい。

 やるときはやる。

 そういうものが身についていた。

 軍隊らしいといえば軍隊らしい。

 先日、三和の金沢女子中央高校の卒業式にいったが、まあ女子高というのもあって雰囲気は全然違った。

 なんというか、ざわざわしているというか。

 式という感じがないというか。

 そんな中、三和は淡々と卒業式に参加していた。

 一応、すれ違いざまに声をかけたが完全に私のことを無視していた。

 まだ、人前では父親と娘という姿は見せたくないらしい。

 それでもふたりきりの時は、会話はするようになった。

 ふたりで初詣も行ったし、正月は私の宿舎で雑煮を食べた。

 私の宿舎。

 半年前に帰ってきてから娘と同居していない。

 今さらまことと娘がふたりで暮らしているあのアパートに入るのは悪いと思ったので、私は軍人宿舎に入っていた。

 ここまで面倒見てもらっていて、帰って来たから出て行ってくれとは言えない。

 もちろん三人で住むことなんて、世間体があるのでできるはずもなく。

 三和もあとひと月もすれば、京都の大学にいくので、そっちでひとり暮らしを始める。

 まあ、近くに住んでることだし、半年だったらいいかな、と。

 教官や職員が並ぶ席を見る。

 半分は二年前と顔ぶれが変わっている。

 頭山は中尉になったと同時に転勤していた。

 米国へ留学、統合士官学校の時のレールからは少し外れているが、準エリートコースのようなもの。

 SNSをたまに見ているが、向うでも元気にしているようだ。

 それと、私がカウンセリングでお世話になった笠原先生はもういない。

 先生は元気にしているだろうか。

 直接連絡はもちろんとっていないが、カウンセラーの仕事も辞めて、作家として活動しているらしい。

 そう三和が言っていた。

 どんなペンネームでどんな本を書いているのか聞いてみたが、教えてもらえなかった。

 なぜか「笠原様」と娘が言っていたことが気になるが。

 そしてエニシ。

 相変わらず、バーテンダーを続けている。

 真がそう言っていた。

 私はあれからあの店に行ってない。

 なんというか。

 たぶんお互い笑顔で向き合えると思うけれど。

 前みたいに話ができると思う。

 でも。

 私がエニシに会って、何を言うべきか。

 どう接するか。

 きっと。

 たぶん。

 このままの方がいいと思う。

 どこかで偶然すれ違った時。

 お久しぶり。

 そう、お互い笑顔を向けるだけでいいような気がするのだ。

 自然に。

 そんな感じで。

『国家斉唱』

 司会の声。

 勢いよく、一斉に立ち上がる学生達。

 私はスッと立ち上がり、ステージ中央に掲げている国旗の方向に体を向ける。

 音楽隊の息遣い。

 大丈夫。

 背中をむけているから、誰にも見られない。

 とりあえず、顔を隠せてよかった。

 ゆっくりとした前奏。

 それがなぜか心に染みて、目頭が少しだけ熱くなっていた。






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39歳バツイチ子持ちだが、まわりの女に煽られる。 崎ちよ @Sakichiyo

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