歌詠士

はるかぜ

第1歌 奪われた言葉



 その日のことは今でも覚えている。朝から鉛のような雲が空を覆っていて、もう2、3日もすれば夏休みだっていうのに、ウキウキした子どもの心を嘲笑うかのような重々しくどこか不気味な朝だった。


 --僕は田舎の高校に通う高校2年生で、よく有りがちな平々凡々な人間である。これと言って特技もなければ、成績がいいわけでもない。美術かなんかに才があるわけでもないし、運動だって。


 しかし僕は昔から周りの人から、こう呼ばれていた。


 -歌詠くん-



 その日は、先刻話した通り朝から厚い雲がお出迎えをしてくれて、僕の気分もまた雲に負けないくらい鉛のように重かった。


 朝から母さんがやんやん騒いでいて、僕の住む中国地方が梅雨明けしたとかなんとかって詠んでたけど、こんな天気じゃ信じろって言うほうが無理があるよって心の中でなじった。夏の空気はどこか気だるげで、時間だけがさらさらと流れているようだった。


 僕が暮らすこの部落では、奇妙な習わしがあって伝えたいことは全て歌にしなければならない。歌と言っても必ずしも、古典世界のような歌だけではなく、ロックやポピュラーなど適当な節に言葉を乗せるそんな歌でもよく、特段意思疎通に困ることは無かった。この風習は60年ほど昔から少しづつ風化してきて、いまでは僕の暮らすこの歌ヵ丘(うたいがおか)にしか見られなくなった。


 そのせいでぼくは級友からはある種蔑称的に、歌詠くんと呼ばれているのだ。


 歌詠と聞くと、最初のうちは物珍しいようで、どうやって考えてるのとか、いちいち言葉見つけるの大変じゃないとか、色々と聞いてくるけど、7月のこの時期だ。僕への興味はとうに無くなっていて、歌詠の歌は歌としてではなく、単なる言葉として届いていた。それはみんなが発する言葉一つ一つに注意を払わないのと同じように-


 先生も最初のうちは、歌詠に配慮してか授業中に僕を指すようなことは極力しなかったが、一部から反感が上がったのだろうか、前よりも声を出す機会が増えたようにも思う。


 その日は僕が日直だったので、異変にはすぐ気がついた。


 -歌が詠めないのである-


 幸いにも担任の先生は、古典の先生でこの地方出身だ。歌ヵ丘のことにも精通しているので、状況は察してくれたようである。先生はこう僕に伝えた。


「歌が詠めないんだね。」


 僕は頭を垂れるしかなかった。


「歌が詠めなくなった歌詠はどうなるか知ってるかい。-奥都城へ行くんだ。」


 やおら、そう告げた先生の顔はいつもの先生とは違うように見えた。感じの良い初老ではあったものの、目は虚ろででも僕の双眸を掴む力強さがあり、僕は恐怖心を抱いた。


 -窓の外は雨が降り出していた。













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歌詠士 はるかぜ @HaruHalu

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