足音
野方幸作
第1話
学生時代からの知り合いの三上が亡くなった。
通夜に参列し、今はもう長いこと会っていなかった彼の顔を見ると、懐かしい風化した記憶の数々が蘇ってきた。
そして、私は学生時代にやったある事を思い出した。
確かあれは高校1年の夏、先輩がふと部室で振ってきた話に端を発したんだったかと思い起こす。
ーーー皆でやった、百物語。
「そういえばさぁ、皆・・・・・・怖い話って好きか?」
夏休み前の試験期間も終わり、うだるような暑さの中、ロクな冷房装置もなく、一台の扇風機を首振りにして皆で熱風を享受していたそのとき、竹内先輩が投げかけた質問だった。
皆、といっても総勢5人しかいない弱小文化部の文芸部の熱気のこもった部室は、思考能力を先輩後輩の区別なく平等に奪い取っており、各々が溶けたようにぐったりとしながら、書き溜めた原稿用紙をただただまくったり、暑さと湿気でふやけた文庫本を、それも暑さで頭に入ってこない文章を何度も往復して読んだりと、ひどく生産性のない活動をしていた。
竹内先輩の思惑としては、この蒸し風呂のような空間で少しでも涼みたい、という一心から出た思い付きなのだろうが私はそこまで深く考えず、大好物の「怪談」が聞けるのではと嬉々として「好きです」と即答した。
周りからも続々と「好き」「まあ嫌いではない」と声が上がりだしたが、ただ1人、三上だけは渋面を作り考え込んでいた。
「先輩、もしかして百物語でもやろうってんですか?」
「お、ご明察。その通りだ」
と三上と竹内先輩がやり取りしている。
私は、口こそ挟まなかったが、そんな確認はどうでもいいから早くしろ三上という心境で、一刻も早く怪談が聞きたくて聞きたくてたまらない有様だった。
しかし百物語となると、一人頭20話分用意しなければならない。
差し引き80話分聞けるにしても、そこまで用意出来る自信はなかったし、私のこの調子だと周りから聞ける話の質もタカが知れているだろうとも思った。
「どうした三上、苦手なのか?」
「・・・・・・いえ、いいですよ」
よし来た、と私は内心ガッツポーズを取る。
「全員異論はないようだな。まあ、百物語と言っても100話も用意出来ないだろうから、ここは一つ各自の持ちネタの怖い話を披露しあう方向でいこうや」と竹内先輩。
話数は大いに減ったものの、思うようにことが進んで、竹内先輩より多分私の方が内心喜んでいたと思う。
周りからは「持ちネタなんかねえよ」と野次が飛ぶものの、
「文芸部員たるもの、話のタネくらい各ジャンルでストックがあって当然だろう」と竹内先輩は一蹴する。
「そんなネタがあったら今頃原稿用紙の上で文字になって踊ってるよ」と酒匂先輩がひとりごちる。
「酒匂は怖くねえの?」
「私はむしろ好きな方。女だからって怖い話が苦手だと思わないでよ」
酒匂先輩はやや男勝りなところがあるものの、時折文章や会話の中に女の子特有の可愛らしい表現が出る。
私には思い付けない、ロマンチックな表現の混じった酒匂先輩の文章が、私は好きだ。
だが今はそれより何より怪談だ。
「よし、そうと決まればだ、ロウソクはあるか?」
竹内先輩は割と形から入るタイプらしい。
部室になぜかあった非常用持ち出し袋からロウソクを取り出し、五本分火を灯す。
「これ本当に使っていいんですか?」という私の質問に竹内先輩は
「いいよ、どうせ俺らが使う機会なんかありゃしねえんだから」と同じく袋に入っていた非常用マッチを置きながら言う。
「じゃあ俺から時計回りに行こう」
竹内先輩が部室の照明を落とし、席に着く。
そうなると大トリを飾るのはあの三上だ。
内心私は、ざまあみろ、渋ったりするから怖い話の大トリなんてとんでもなく難しいのが来るんだ、と三上を嘲笑半分、それでも、とんでもなく怖い話が出て来るという、期待半分で見やる。
・・・・・・結論から言うと、彼は私の半分の期待に見事に応えてくれた。
私の珠玉の怖い話はそれなりに受けた様だった。
百物語形式である以上、途中で口を挟む行為は厳禁。
五人全員分の話が終わったところでようやく感想が言える寸法だ。
しかし手応えでなんとなく受けたのは分かった。
さて、それより三上だ。
どんな話を聞かせてくれるのだろう。
逡巡の末、三上は重い口を開いた。
「これは僕が子供の頃の話です」
僕は子供の頃、家庭の事情でよく引っ越してました。
事の起こりは、小学二年生のときの引っ越しです。
引っ越した先はごく普通の四階建てのアパートで、僕の家は四階の角の部屋でした。
そのアパートはコンクリートで出来た階段と、金属製の非常階段がそれぞれの角部屋のところにありました。
僕の家は金属製の非常階段側でした。
金属製なので、よく響くんです。
日が落ちてからはうるさいから駆け上るなとよく親に怒られたものです。
ところが、母が言うには夜の11時ごろになると、その非常階段がカンカンとうるさい。どうにも誰かが駆け上がっているらしい。
僕はその音がすると言う時間帯は基本的に寝てました。
何しろ小学二年生でしたから。
しかしたまに寝付けないときなどはその音を親が起きていれば一緒に聞くこともありました。親が寝ていれば一人で聞いてました。今日も誰か走ってる、という程度の認識でした。
ある日、寝付けない夜のことです。
僕は好奇心であの音の主を見極めてやろうと思いました。
そして、カンカンと一階から誰かが駆け上がって来る音が聞こえ出しました。
いつものあの音だ。
そう思って階段側の窓を開けました。
二階、三階・・・・・・さあ来るぞ。
そうして現れたのは、靴でした。
アディダスの普通の黒い靴が階段を駆け上っていました。
月明かりに照らされて綺麗に見えたのを今でも覚えています。
そのアディダスの靴は、僕の視線に気付くと、足をぴたりと止め、そしてすうっと消えてしまいました。
変なものを見た。そう思ってその日はすぐに寝ました。
するとそれから何日かして、親が言うには夜の非常階段の音がしなくなったみたいでした。
咄嗟に直感しました。ああ、きっと僕が見たからだ、と。
何はともあれ音がしなくなったのは良いことです。
それから更に何日か経ったある日、寝付けずに親と一緒にぼう、とテレビを見てました。
すると、あの足音が聞こえだしたのです。
カンカンと。
僕は親に言いました。またあの音が聞こえるね、と。
すると親はそんな音しないと言うのです。
僕がどれほど言っても、妙な顔をするだけで聞こえないと言うのです。
そのとき思いました。きっと親には本当に聞こえてないんだろう、と。
僕にしか聞こえないんだ、と。
途端に怖くなりました。
それからは寝付けない日は無くなりました。
むしろ早く寝て音を聞かない様にしようと努めました。
そして小学三年生のある日、また僕の一家は引っ越すことになりました。
僕としてはあの足音から解放されるというだけで両手を挙げて万々歳でした。
今度の引っ越し先は築30年の古い一軒家でした。
この頃になると僕は学習塾に通いだして、宿題のために夜遅くまで、と言っても日付を跨ぐことはありませんでしたが、起きていることもたまに有りました。
尤も、もうあの足音からは解放されたので、特に気にすることもなく夜更かしをしていました。
ある日、手のかかる宿題に頭を抱えていると、外を走る足音を聞きました。
最初は誰かランニングしてるんだろうと思いました。
しかし、夜遅くまで起きている日に決まって足音が聞こえるんです。
随分時間に正確なランナーもいたものだと思いましたが、ある日その足音が僕の家の前でぴたりと止まりました。
しばらくするとまた遠くから足音が聞こえて、そしてまた僕の家の前でやはりぴたりと止まる。
それを3度ほど繰り返したあたりでしょうか。僕は怖くなって布団に潜り込みました。
それからまたしばらくしたある日、宿題に追われてつい夜更かしをしたときのこと。
また足音が聞こえて来ました。
その日は様子が違って、どうにも足音が近い。
もうその頃には反応するのも面倒になっていましたが、僕はあることに気付いてしまいました。
足音が道路から家の中に入って来ていることに。
ぎしぎしと階段を軋ませて二階に向かって来る足音に僕は半狂乱になって布団に飛び込みました。
一段一段、足音は確実に僕までの距離を詰める。
僕に残された対抗手段は布団の中でただ震えるだけ。
部屋の襖を通り抜け、いよいよ足音が僕に迫りました。
僕の周りをぐるぐると歩き回り、あるときぴたりと足音が止まりました。
消えたのだろうか、と僕は恐る恐る布団から顔を出しました。
靴の姿はありませんでした。
ほっとした僕はそのまま布団から抜け出しました。
そして顔を右に向けた瞬間、靴が目に留まりました。
あのアディダスの黒い靴でした。
その黒い靴は僕に向かって、まるで気をつけをするように爪先を揃えていました。
靴だけでしたが、まるでそこに人が立っているかのような存在感を感じました。
じいっと僕を見つめている、そんな感じでした。
やがて満足したのか、その靴は僕の前から消えました。
そう、ちょうど、こんな風に・・・・・・
そして三上はふっとロウソクを吹き消した。
遠くに響く蝉の声でようやく感覚が戻って来た。
四人が四人とも固まって動けなくなっていることに私は気付いた。
ぱちぱちと蛍光灯を点けながら三上は、終わりましたね百物語、とさらりと言い放つ。
中々怖いじゃないかと思ったが、ここで奴の話に膝を折っては負けた気分になる。
「中々怖かったが、その話はどんなオチがつくんだ?」
流石にオチまでは用意していないだろうと思って投げかけた質問、いや、屁理屈だった。
しかし、その屁理屈に三上は答えた。
「・・・・・・その足音は今もランニングを続けているよ。・・・・・・僕の耳の中で、昼夜を問わず、あれから何年も」
無表情で紡がれた言葉に背筋が寒くなるのを覚えた。
ひっ、と誰かの息を飲む声が漏れたのが聞こえた直後、三上は、ふっと笑って嘘ですよと続けた。
拍子抜けした一同に
「それからは嘘の様に何もありませんでした」と更に三上は続けた。
三上の語った怪談は、作り話半分にしても、涼むには充分すぎる出来だ。
「まったく三上、お前のせいで誰が何の話をしたか分からなくなっちまったじゃねえか」
なんて竹内先輩はこぼす。
実際私も三上の話のせいで記憶が全て上書きされてしまった。
しかし、その後何をして過ごしたのかを全く覚えていないくらいに、その日は存分に涼ませてもらった。
葬儀を終え、初七日を迎えた辺りで、何故こんな遠い過去の話を思い出したのだろう、とぼんやりと考えていた。
その矢先に、風の噂で実は三上は自殺だったらしいと聞いた。
自殺なら自殺で伏せる必要もないだろうにと思っていたが、どうにも奇妙な遺書が遺っていたそうだ。
遺書には乱れた文字でただ一文があったらしい。
「足音が聞こえる」
「・・・・・・その足音は今もランニングを続けているよ。・・・・・・僕の耳の中で、昼夜を問わず、あれから何年も」
この言葉を吐いた三上の、あの能面のような無表情を一人私は思い出していた。
足音 野方幸作 @jo3sna
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