第2話 猿と虫
360度全面地平線と稜線。
水樹はしばらくその文字を眺めていたけれども、気を取り直して歩き始めた。ぽつねんとある管制塔へと向かう。
「やあ、ようこそ宇宙一の大フロンティアへ」
管制塔で待っていたのは最近赴任してきたばかりの63分室室長、ライリー・キャンベルだった。水樹からみれば斜め方向の上司にあたる。が、水樹は一瞬声が出なかった。趣味の良いデザインのグレーのスーツ、流行を少し取り入れた、それでいてオーソドックスな髪型、黒い革の靴。ここまでは良い。
キャンベルは水樹の驚いた顔にいたく満足したらしかった。
「平凡な人間はどこか一点アクセントをつけなくちゃね」
そんなことを言って笑う。
「はあ・・・」
水樹は返しようもなくて曖昧に賛同した。ネクタイの上で赤地に鮮やかなグリーンのとかげが行進している。
「キャンベル室長はとかげがお好きなんですか?」
何も言わないのも悪いような気がして水樹が言う。キャンベルは笑った。
「外れ。これはいもりだよ」
「いもり・・・ですか」
「そう。とかげもあるんだけどね、まあ、いつかお目にかけよう。ところで、辞令とID証を見せてもらえるかな」
ネクタイに気を取られていて忘れていた。慌てて水樹が辞令とID証を出す。キャンベルはそれをコンピュータに通すと、少しばかりすまなさそうに言った。
「悪いね、決まりの手続きって奴だ。網膜パターン照合を頼むよ」
言って機械を示す。水樹は指示に従って四角い箱のようなものをのぞきこんだ。
「はい、完了。ヘリオス星系地球出身、かやの水樹と確認」
キャンベルはID証を返しながら言った。
「106隊からの迎えが少し遅れているんだ、着任早々すまないね。ちょっとトラブルが発生したらしい。何しろ、この第63宙域には106隊が一つ所属しているっきりだからね。それがええとなんだったかな、清掃部隊兼警察兼・・・救急医療室兼輸送をやっているものだから大変さ。何しろ辺境部なものだから、不便な惑星が結構多くてね」
20分ばかりたってようやく迎えの小型艇が来る。
「ではよい旅を」
キャンベルはそんな随分トンチンカンな挨拶を水樹に送って手を振った。
「ようこそ、106部隊へ」
ぱんぱんぱん、とクラッカーが鳴る。水樹は緊張した面持ちで部屋に入った。数十人ばかり人が集まっている。
「長旅で疲れたでしょう」
隊長のP.B.ブルストリーはそうねぎらった。順々に皆が自己紹介して行く。隊長のブルストリー、副長のレイ・アリューズ、機関部長兼保守整備部主任のキャラウェイ、医師の霧影まや、全体の調整役、庶務の翠楓・・・一度にはとても覚えられそうにない。順々に紹介が進んだところで、不意に場の空気が変わった。面白がるような、興味津々というような、そんな感じ。
「科学技官のイシュラインと言います」
人の背後にいたイシュラインが前に出てくる。昆虫そっくりのクヌート人。水樹は卒倒しそうになった。昔いとこにカミキリムシでいじめられて以来、虫の類は大の苦手である。イシュラインは軽く会釈するとまた後ろに下がった。自己紹介が続くけれども水樹はまったく上の空。クヌート人、クヌート人、そんなものがいるなんて聞いていなかった。
水樹のいた地球は現在ではどちらかというと田舎の方になっていて、クヌート人なぞ遠い遠い世界の話でしかなかった。実物を見るのは無論初めてである。
早くも逃げ出したい気分になっていた水樹は、歓迎レセプションの後の翠楓の言葉に本当に今すぐにでも荷物をまとめて立ち去りたくなってしまった。
「イシュライン技官、すみませんけど、彼女に船内を案内していただけますか」
イシュラインが先を歩く。二メートル近く離れて水樹はその後を歩いた。できるだけ見ないよう顔を上げないよう廊下を見つめる。
「ここが休憩室兼リビングになっています。そしてここが食堂」
キッチン・スタッフに軽く挨拶をして部屋を移る。温室、プール、ジム・・・一通り大体揃っており、環境としては悪くないのだが、水樹は相変わらず上の空。何でもいいから早くこのクヌート人から解放されたい、そんなことを思う。
「それからここが----」
イシュラインは305と書かれた部屋をノックしながら言った。中からどうぞ、という声が返ってくる。
「この船の頭脳、白竜号の"自室"です」
部屋中央に立体映像映写台が据え付けられており、その上に白い服を着た少年が立っていた。茶色い癖っ毛。
「イシュライン技官じゃないですか、ごきげんよう」
愛想良く言って手で中を示す。イシュラインが奥に入り、ずいぶん遅れて水樹がおずおずとついてきた。
「ようこそ、水樹。私がこの船を預かる頭脳、白竜です」
「え・・・あ、かやの水樹です」
わけも分からぬまま手を差し出す。白竜は幻の手でそれを握り返しながらそんな水樹の反応にいたく満足したらしかった。
「歓迎しますよ、水樹。私はいつもここにいますから、時々は遊びに来て下さいね。あ、イシュライン、冷蔵庫に確か冷えた飲み物が入っているはずです。よければ・・・」
「いえ、今船内を案内している途中なので・・・」
「おや、それは残念。水樹、また来て下さいね」
白竜はにこやかに言って二人を送り出した。
「あれは・・・?」
きっちり距離を置きながらも水樹が思わず尋ねる。
「彼は船の頭脳です。どういうわけか途中で意識を持ってしまいましてね。ああ、そうだ、彼は無視されることを嫌いますから、適度にかまってやって下さい。まあ、人を扱うように扱ってやれば大丈夫です」
イシュラインはそんなことを言って笑った(もっとも水樹にはこの表情は分からなかったけれども)。
なんだかんだでようやく一巡りし終え、自分の部屋に引き上げさせてもらえる。水樹はベッドに倒れ込むなり、しばらく動けなかった。
トントントン、ノックの音がする。
「こんにちは、となりのグレースです」
そんな声に扉を開ける。
「えへへえ、ご挨拶に来ましたーっ」
小脇にボトルと紙包みを抱えている。
あっという間に宴会状態になる。
「地球から来たって?地球ってあれでしょ、元々のわたいらの故郷」
グレースはバリバリと煎餅をかじりながらそんなことを言った。癖っ毛の金髪、鼻の頭にはそばかす。ピンクのゴムでちょん、と右上の方を小さくくくっている。
「って言っても今はど田舎だけどね」
水樹が笑う。人が宇宙へ出るようになって、手頃な鉱物資源がもうあまりなくなってしまった地球はあまり見向きされなくなった。というわけで、最近ではもっぱら観光事業で成り立つ惑星になっている。
「でもここいらよりはましでしょ。ねえ、じゃさ、ピラミッドとか見たことある?」
目を輝かせてグレースが尋ねる。おきまりの質問。
「それが実はないんだよね」
と水樹。
「そっか、じゃさ、えーとえーと、エッフェル塔は?」
「あー、それもないの」
「えー、もったいない。近いんでしょ?」
大体地球から来ました、と言うと皆同じことを聞く。万里の長城に行ったことがあるか、自由の女神は美人か、アマゾンは行ったか、etc.etc.大体皆、隣近所にそういうものがごろごろ転がっていると思ってくれているものだから始末が悪い。地球と一口に言っても結構広いのである。
「うーん、惑星のほとんど裏側だからねえ」
「結構遠いんだ」
ここでようやくグレースは納得したらしかった。
「でもいいよねー、いろいろいっぱいある星でさ。わたいのところなんかほんとなーんもない」
グレースは言ってくすくすと笑った。
「ところでさ、水樹、ひょーっとして虫とか苦手?」
「あ・・・は・・・あはははは」
思わず笑ってごまかす。
「あ・・・やっぱりね。気をつけた方がいいよ。翠楓さんにばれると無理矢理組まされちゃう」
グレースはそう言ってくれたけれども、もう遅いようだった。翠楓の方はどうやら水樹が虫の類が嫌いで、その大親分のようなイシュラインがそれこそ「大」がつくほど苦手であると、とうに見抜いているフシがある。
「翠楓さん、いい人なんだけどさー、ときどききっついんだよねー。わたいなんか機械類苦手なんだけど、逃げ回ってちゃだめだって徹底訓練コース受けさせられちゃった。お陰で多少使えるようになったんだけど、やっぱだめ」
グレースは言ってぱっと両手を上げた。
「わたいが触るとなーぜか機械がストライキ起こすんだ。ぜったいあいつら人見て動いてるって」
翌日。グレースの予言は見事的中した。
「基本的に作業は二人一組でやります。何かの時に一人だと身動きがつかなくなりますからね。無論シフトも同じ。で、あなたの相手ですが、」
翠楓はぴらり、シフト表を見せて言った。
「イシュライン技官にお願いしてあります」
やっぱり。水樹は熱が出そうだった。荷物をまとめて帰るべきかしら?
「かやのさん、」
翠楓は独特の表情を浮かべて言った。
「部隊の任務は常に危険を伴います。苦手や嫌い、といった感覚をメンバーの中に持っていては、いざという時動きが遅れて大惨事にもなりかねません。昆虫嫌いの人もあるようですが、クヌート人は昆虫とは異なります。宇宙空間にあっての唯一の隣人であり友人たちです」
「は・・・はい・・・」
一応学校では習ったけれど・・・習うのと実物を見るのとでは大違いである。翠楓は目の奥を光らせて言った。
「詳しいことは技官から説明を受けて下さい」
はああああ、翠楓と別れて深いため息をつく。よりによって・・・早くも後悔の嵐。と、非番のグレースが通りかかった。
「どうしたの、浮かない顔して」
「それがね・・・」
事情を話す。
「あーあ、やっぱりね」
グレースは笑って言った。
「翠楓さんって人の弱点見抜く天才なんだよねー。絶対あの人とはケンカしない方がいいよ。それはともかく、挨拶は行った?」
「まだ・・・地球に帰りたい」
「何情けないこと言ってんの。まだ来たばっかりのくせに。ほらほら、ついてったげるから」
グレースは気乗りしない様子の水樹の手を引いて解析室へ向かった。
「大丈夫だって。イーさんはとってもいい人だから」
「イーさん?」
「うん、イシュラインだからイーさん」
「・・・」
水樹思わず脱力。
「おや、解析室にいないとすると・・・おっと今非番か。部屋かな?」
イシュラインの部屋をノックする。
「はい」
そんな声がして扉が開いた。至近距離。
「わー、水樹!」
慌ててグレースが後ろを支える。
「いや、あの、その、えと、その」
どうしても顔を合わせられない。水樹は結局床を見つめたまま言った。
「あの、ペアを組むことになりましたかやの水樹です、よろしくお願いします」
「床に向かってしゃべってどうするのよ」
ばん、とグレースに叩かれる。が、顔を上げると悲鳴が飛び出しそうで上げるに上げられない。
「話は伺っています。科学技官のイシュラインです・・・ああ、昨日もうこれは言いましたっけね。どうぞ」
イシュラインは言って入るよう勧めた。逃げ出したいけれども後ろにグレースがいて逃げられない。水樹はイシュラインからいちばん遠い隅に立った。
「あ、あ、あの」
「イーさんあのね、水樹ちゃん虫嫌いなんだって」
はっきりグレースが言う。慌てて水樹はグレースを止めた。
「グレース!」
「馬鹿だね、ちゃんとこういうことははっきり言っておいた方がいいんだよ」
今日は蛍光黄緑のゴムでちょこんと髪を留めたグレースが言う。
「だって、そんな、失礼なこと」
「あんたのしてることの方がよっぽど失礼だよ。大丈夫、イーさん慣れてるから」
「あ、あの、すみません。クヌートの方と虫は違うって分かってはいるんですが、その、あの。昔いとこがカミキリムシ持って追いかけてきて、それで、噛みつかれて、あの」
あたふたとしてしまう。グレースは豪快に笑うとどん、と水樹の背中を叩いた。
「まあしっかりやんなよ。じゃね、イーさん、あとよろしく」
「あ、グレース」
水樹が慌てる。もうしばらくいてくれると思っていたのに。グレースはにいいっと笑うと軽く指先をつけたりはなしたりして挨拶し、出ていってしまった。
後に水樹とイシュラインが残される。
「どうぞ、ええと・・・なんとお呼びすればよろしいですか」
丁寧な口調でイシュラインが言う。
「あ・・・なんでもいいです。水樹でもなんでも」
「ではお名前でお呼びしてよろしいでしょうか。私の方も呼びやすい名前で呼んでいただいて結構です。椅子をどうぞ」
椅子をぐい、と水樹の方へ押しやる。それを受け取り、出来る限り後ろへ引いて水樹は椅子に腰を下ろした。相変わらず顔が上げられない。
「ええと水樹さんは科学解析室配属ですね。失礼ですがご専攻は?」
「あ・・・地質学です」
水樹は小さな声で言った。あまりこの清掃部隊には必要ない分野である。
「ああ、ではトレーニングプランを組んだ方がよいでしょう。大丈夫、すぐに慣れますよ」
イシュラインはどこまでも丁寧な調子でそう言った。
「翠楓さん、ちょーっとあれは可哀相じゃない?」
一応機器類の表示を監視しながらグレースが言う。
「かやのさんのこと?」
「うん・・・なんかえっらく憔悴っていうの?げっそりしてるよ」
「でも避けては通れないことでしょう?」
「そりゃそうだけどさあ」
苦手なもんは苦手なんだよねー、口の中でグレースがつぶやく。
と、不意にSOS信号受信の高い音が鳴り響いた。
「緊急事態制準備!」
翠楓が指示を出す傍らオペレーティング・タッチに指を滑らせ発信船を特定する。
「エウリリテ号ね。どうしました?」
そう尋ねる傍らもう指は白竜号の跳躍準備指示に入りかけている。
「助けてくれ!もう持ちこたえられない!」
「落ち着いて。今すぐにそちらへ向かいますからね。事故ですか?」
「ちが・・・」
わっという悲鳴。
「エウリリテ号!エウリリテ号!応信願います!」
翠楓はコムに向かって言いながら、素早く白竜号にサインを送った。
「座標63域155、99、-132。シールドレベル9」
「了解」
白竜号の落ち着いた声が司令室に響く。船はすぐさま跳躍モードへと突入した。
「海賊か」
ブルストリーは軽く唇を噛んだ。
「まさかマラッバでは・・・」
副長のレイ・アリューズが顔をこわばらせて言う。辺境部というのは警備の手が薄い上、比較的高価な鉱物資源が輸送されるとあって海賊が出没する率が高い。中でも厄介なのがマラッバ海賊だった。襲った船は必ず爆破する。
当然警備側は救助を優先するから、すぐには追っ手をかけることができない。時間稼ぎと証拠隠滅の二重効果を持った手法である。
現場に到着するまでにブルストリーは全ての手配をし終えていた。爆発物処理に当たる者、エウリリテ号の乗員、乗客を誘導する者、後方支援を行う者・・・
先駆けの第一隊がエウリリテに乗り移る。悪いことにエウリリテ号は通常の乗客も運んでいた。月に二度の定期便だったのである。
通常の貨物船であれば乗っている人員も少なく、また訓練されてもいるので退避活動はそう難しくない。しかしこれが一般乗客ともなると・・・
「爆発物反応がありました。恐らく全部で60カ所余り」
イシュラインがそう報告する。
「座標を爆発物処理班へ送ってくれ」
「隊長、どうやらやはりマラッバのようです」
「今一つ目の爆発物を解除しました。タイマーにセットされた時間はおよそ12分」
「分かった。残り4分30秒になったら全員退避」
慌ただしく指示と報告が飛び交う。そんな中で、まだ見習いの水樹の仕事はエウリリテ号から白竜号へ乗り移ってきた人々の誘導だった。
「こちらです」
まだ恐怖の色もさめやらぬ人々に場所を示す。と、一人の女性がすがりついてきた。
「子どもが、子どもがいないんです!」
「落ち着いて」
翠楓がその腕をつかんで言った。
「どこでお子さんとは別れましたか?」
「第2デッキで・・・襲われた時とっさに隠したんです。せめてこの子だけでもと思って」
絶対出てはいけない、そう言い聞かせたのだという。その後、乗客たちは全員一室へ集められ、親子は引き離されてしまった。
「それで、それで、探したんです。でも見つからなくて!」
恐らく皆が連れて行かれてしまった後、不安になった子どもは自分で動いてしまったのだろう。
「分かりました、探すよう指示を出します。さあ、落ち着いて。かやのさん、現場に連絡を」
「了解」
水樹は通信機に飛びついた。口早に説明をする。
「りょーかいっ」
グレースの元気な声がした。
ちら、と時計に目をやる。全員退避まで残り7分ばかり。果たして間に合うのだろうか?
そう思った水樹の目の端に、「305」の扉が目に入った。ひょっとしたら、そう思い部屋に飛び込む。白竜の分身である白い服の少年が訝しげな顔をした。
「おや、水樹、仕事は?」
並行処理を行う白竜である、分身を操るくらいの余裕はまだ持っている。
「あ、あのね、生体反応、調べられる?」
「どうしたんです?」
「子どもとはぐれたらしいの。もし怖がってどこかに隠れてるのだとしたら、普通の探し方じゃ見つけられないかもしれない」
「そりゃいけない!」
白竜は言うと勝手にスキャナを起動してざっとエウリリテ号に探りを入れた。
----・・・・・?-----
操作していないはずの部分が稼働している。中央制御室で作業をしていたイシュラインはおや、と不審気にモニタを見た。生体反応スキャナである。
空いた目でざっと周りを見回す。見たところ誰も触っているようには見えない。
----白竜号か----
そうあたりはつけたものの、それにしても疑問が残る。白竜号が、何故?
「分かった。第三デッキだ」
白竜が場所を表示する。
「ありがと!」
水樹は飛び出すと通信機に飛びついた。
「グレース!第三デッキを探して!場所は・・・」
「水樹ちゃん、遅いよ!時間切れ!」
悲鳴に似たグレースの声が返ってくる。今や爆発まで残り時間5分を切ろうとしていた。退避誘導班も処理班も調査班も全てが退避を開始している。
「マーレイ、マーレイ!」
母親が泣き叫ぶ。水樹は乾いた唇を舐めた。およそ5分。船にたどり着くまでにおよそ1分半、第三デッキにたどり着くまでに1分、探し出すのに1分、退避に1分。ギリギリである。
「水樹!?」
翠楓の声を背に聞きながら水樹は子機ルームに飛び込んだ。
突如飛び出した一機にブルストリーが声を荒げる。
「誰だ!」
「私が追います」
イシュラインははじかれたように立ち上がると自らも子機ルームへ向かった。恐らく水樹である。それ以外にブルストリーの指示を破るような者はいない。
「水樹さん!戻って下さい!」
イシュラインは通信で叫んだけれども、水樹からの返事はなかった。水樹が第三デッキにほど近いハッチに子機をつける。この辺りはビーコンでほぼ自動化されているので初心者の水樹にもそう難しい作業ではない。
水樹は飛び込むと白竜が示した場所へと駆けつけた。ガランとした部屋。
「マーレイ!マーレイ!出てきて!」
早く、早く、早く、早く見つけなければ!水樹は大急ぎで手当たり次第に開いていった。
ロッカー、引き出し、ありとあらゆる場所を。見つからない。
「お願い、船が爆発してしまう!」
気配だけはしている。と、そこへイシュラインが飛び込んできた。ぐるり見渡し、通気口ダクトに駆け寄る。
「そこだ!」
網を外すと、その中に縮こまって小さな男の子がいた。おびえるその子を抱きかかえ来た道を引き返そうとする。が、イシュラインがそれを引き留めた。
「駄目です、戻っている暇はありません。第三デッキの救命艇がまだ残っているはずです。それを使わせてもらいましょう」
言うが早いかイシュラインは水樹を先導して走り始めた。走りながら腕にはめた通信機で白竜号本船に連絡を入れる。
「15号機、17号機を自動で退避させて下さい」
残っている爆発物はおよそ25。その全てが爆発すれば、エウリリテ号は吹き飛ばされてバラバラになってしまう。そうなれば一巻の終わりである。
残りおよそ50秒。震える手で救命艇のハッチを開き乗り移る。子どもを降ろし、水樹を乗せたところでぐらり、エウリリテ号が揺れた。仕掛けられた爆弾のどれかが爆発を起こしたらしい。
「イシュライン技官!」
衝撃で飛ばされかけたイシュラインの腕を水樹がつかむ。辛うじてイシュラインが滑り込むと、水樹はすぐにもハッチを閉じた。その間にイシュラインが救命艇を発進させる。
「退避しました」
イシュラインが報告する。それと同時に白竜号からは元素分解線がエウリリテ号に照射された。おめおめと爆発を許して二次災害の元にすることはできないのである。
「ふう・・・何とか・・・助かったみたいです」
さすがに息を切らしてイシュラインが言った。
「ご・・・ごめんなさい」
水樹が縮こまる。
「水樹さん、作業において隊長の指示は絶対です。よく覚えておいて下さい。命に関わることです。それにしても・・・」
イシュラインはここで少し笑ったらしかった。
「あなたがこんなに無謀な人だとは思いませんでしたよ。まあ、無事救出できてよかった」
「マーレイ!」
母親が駆け寄り子どもを抱きしめる。ようやく安心したのだろう。子どもはわっと泣き出した。
急に緊張が解けて倒れそうになる。それを支えてグレースが言った。
「ったくもう、水樹ちゃんてば無茶なんだから!わたい、あーたが向こう行ったって聞いて心臓止まるかと思ったんだよ?」
「あ・・は・・・あはは、ごめん。夢中だったから・・・」
水樹が力無く笑う。と、硬い表情でやってきた翠楓が言った。
「かやのさん、隊長がお呼びです。イシュライン技官も」
沈黙が重い。水樹は体をこわばらせてブルストリーの言葉を待った。完全な命令違反。どんな罰を言い渡されても不思議ではない。
「かやの君、退避に時間的な余裕を持たせてあるのは理由のないことではない。分かるかね?」
「はい」
小さな声で水樹が答える。
「理由を言ってみたまえ」
「それ・・・は・・・隊員の安全の確保と、二次災害の防止、不確定要因からくる不測事態の未然の防止のためです」
「では、作業に当たって指示系統が明確になっている理由は?」
「一つには責任の所在を明らかにし、責任ある行動を促すため、また一つには、事態に当たって意見対立等により身動きがつかなくなるのを避けるため、です・・・」
「私は当初に残り時間が4分30秒を切った時点で全員退避するよう指示を出したはずだ」
「はい・・・」
「そして、事の最高責任者は私だ」
普段は温厚に見えるブルストリーの目が今は鋭く光っている。
「この仕事は常に危険と隣り合わせだ。だからこそ、全てのメンバーがルールに従い、規則にのっとって行動することが必要になる。そうしなければ自分はもとより、他のメンバーをも不要な危険にさらすことになるからだ」
そう、水樹もそのつもりはなかったとはいえ、イシュラインを巻き込んでしまった。もしイシュラインがいなければ、恐らく水樹は助からなかっただろう。15号機もきっと宇宙の塵となり果てていたに違いない。
「申し訳ありません」
水樹はそう謝った。涙が溢れそうだった。あの子が助かったのはうれしい。けれども自分のしたことの恐ろしさを今じわじわとかみしめてもいた。あの時は夢中だったので気づかなかったけれども----
すっかりしょげ返ってしまった水樹を前に、ブルストリーはわずかに表情を緩めた。
「かやの君、この仕事は人を守る仕事ではあるものの、それでも『死』に慣れなくてはならないものでもあるのだよ。あの子を助けに飛び込んだ君の気持ちは分かる。だが、それでも時には冷たいようだが、切り捨てなくてはならない場合もある。情だけでは成り立って行かない。辛い仕事だ。だがまた・・・誰かがしなくてはならない事でもある」
まだ時間があると思った。あの時は。ギリギリながらもまだ時間があると。しかし実際には自分が思ったほどの時間はなかったのである。
死に慣れよとブルストリーは言う。時に切り捨てなくてはならないこともあるのだと。それがどんなに辛い選択でも。
泣いてはいけない。ここで泣いては。水樹は必死に涙をこらえていた。隊長の前で今泣いて軽蔑されるようなことだけはしたくない。
ブルストリーはそんな水樹を幾分柔らかいまなざしで見ていたけれども、小さく息を吸うと、行ってよろしい、と低い声で告げた。
「あの子が無事でよかったな」
立ち去る水樹の背中にそう声をかける。水樹は顔も上げられないままぺこり、頭を下げると部屋を出ていった。
「水樹ちゃん!」
心配げな顔のグレース。
「あ・・は・・・叱られちゃった」
出た途端に涙があふれ出た。無事でよかったな・・・誰だって見殺しになどしたくはない。それでも、そうせざるを得ない時がある----
よしよしよし、グレースが水樹を抱えて頭を撫でる。
「隊長、ほんとはすごく心配してたんだよ。すごく怒っても、それはわたいたちのことを一生懸命考えてくれてるから、だから怒るんだよ。だから・・・」
「うん・・・分かってる」
水樹は涙をぬぐいながら言った。
「ブルストリー隊長にね、死に慣れなきゃいけないって言われた」
「ん・・・切ないよね」
今日は黄色のゴムで髪をくくったグレースが言う。
「だけど、水樹ちゃんはすごいよ。なんだかんだ言ってあの子を無事連れ戻して来たんだもの」
「すごくないよ。わたし・・・もうちょっとでイシュライン技官まで死なせるところだった」
「ん。イーさんいい人だからさ~、見てられなかったんだね、きっと。イーさんはもうこのお仕事慣れてるから判断的確だし。ブリッジにいたキルイスがね、風みたいに早かったってさ」
言ってびゅん、と風の手振りをする。
「・・・わたいも、ね、似たようなことがあったんだ」
「グレースも?」
ようやく涙の引いてきた水樹が驚いたような表情になる。
「うん・・・だけど、わたい、止められて行けなかったんだ。すっごく暴れた。暴れて、暴れて、わめいて・・・いっぱい泣いたよ。だって、目の前で死んで行くのをだまーって見てなきゃいけないんだもん」
少し思い出したのだろう。涙声になりかけたグレースは、けれども次の瞬間にはいつもの快活な調子を取り戻して言った。
「そうだ、白竜のとこ行こう!隊長にこーってり絞られてきっと拗ねてるぞ。いいんだ、助かったんだから。三人で祝杯あげよっ」
きらきらと色の変わる目。そこにどんな感情があるのか水樹には読みとれない。
「あの・・・」
水樹はおずおずと切り出した。
「隊長に・・・何か言われたりとか・・・その・・・」
「懇願されましたよ、二度とあんな危険な真似はしないでくれ、と」
笑って・・・いるのだろうか?その口調はどこか面白がる風があった。いや、普通の人なら確実にそうなのだけれども・・・
「あの、その・・・すみませんでした」
ぺこり、頭を下げる。イシュラインはきっちりと水樹から距離を保ったまま軽く手を振った。
「謝る必要はありませんよ。その代わり二度とこんなことはしないで下さいね。いやもう、私も一瞬どうしようかと思いました」
それでも来てくれた。未熟な水樹を支援するために。不可能を可能にするために。
「それで、あの、なんというか、ありがとうございましたっ」
大きな声でお礼を言う。絶えず移り変わる目の色が心なしか優しくなったような気がした。
「いや、その・・・」
照れているのかもしれない。イシュラインが珍しく言葉に困っている。
ほら、水樹、言わなくちゃ。いちばん大切なことを。水樹は自分で自分をそう励まし、数歩、イシュラインに歩み寄った。イシュラインがハッと姿勢を正す。
虫嫌いの水樹は常にイシュラインから一定の距離を保って行動してきていた。イシュラインも下手に近づけば却ってアレルギーを増幅するだけだろうと、それを今まで尊重し続けていた。唯一例外は子どもの救出にあたった、あの時だけである。
「あの・・・こんなことを今更言うのは、とても失礼だとは思うのですが・・・」
水樹は言って手を差し出した。
大丈夫だろうか?イシュラインが警戒するようにゆっくりと手を伸ばす。細い細い手。
水樹は乾いた唾を飲み込んだ。水樹の手をイシュラインの手がゆるやかに握る。大丈夫、乗り越えられる。だってあれは本当にささいなこと。イシュラインがしてくれたことに比べれば、針の先にも満たない小さなこと。いつまでも怖がってなんかいられない。
少しひんやりとしたイシュラインの手。その手をしっかりと握りしめて、水樹は言った。
「かやの水樹です、よろしくお願いします」
と。
終
こちら銀河清掃部隊106 山狸 @yama_tanu
★で称える
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