こちら銀河清掃部隊106

山狸

第1話:過去から来た船

 宇宙航路・空間保全隊----通称、銀河清掃部隊----第106部隊の隊長、P.B.ブルストリーは、事故船が映し出されたメインスクリーンをじっと見つめていた。救難信号を受けてすぐこの現場へ駆けつけたが、果たして間に合ったかどうか・・・

 事故船は余程の衝撃を受けたものらしく、特に右舷方向の損傷がかなりひどい。壊れた船壁は全て飛び去って辺りには見あたらず、事故船自体も惰性で実際の事故現場からかなり遠ざかった位置にまで流れてきている。

 一方事故船の内部では、乗員救助のために来た隊員たちが、その惨状にもめげず、遺体の回収を行っていた。残念ながら生存者は見あたらないようである。

 調査官であるスラーヴァは事故船を様々な角度から写真に収め、更にコクピットへ入って船の航行記録を探しはじめた。宇宙連邦警察から派遣されている彼の仕事の第一は、事故原因の究明である。

 事故船の周りでは、すでに清掃作業が始まっており、小型機が飛び回っている。衝突時に飛ばされた船体の部品は遙か遠くへ飛び去っているものの、それでも何かとゆっくりとはがれたり転がり出たり流出したりして周囲に漂っている分もあり、取り急ぎ回収しておかなくてはならない。

 106部隊の母艦白竜号から事故船の様子を監視していたエミット・コラーニャは異変に気づいて緊迫した声を上げた。

「事故船の一部に温度上昇がみられます。場所は恐らく動力室跳躍用エネルギー炉」

「全員退避!」

ブルストリーは即座にそう言った。ぐずぐず考えている暇はない。

 急な退船命令はいつものこと。子機たちの反応も早い。が、一機だけ出遅れたものがいた。事故船に乗り込んで作業をしていたグループである。

「スラーヴァ調査官、早く!」

パイロットのフレイヤ・テミスがせかす。が、スラーヴァは事故のショックで留め金のねじれた航行レコーダを相手に奮闘中でそこから離れようとしない。

「6号機、何をしている。爆発するぞ」

母艦にいる副長のレイ・アリューズは苛々して怒鳴った。

「スラーヴァ調査官!」

フレイヤ・テミスがスラーヴァをせっつく。

「先に戻っていてくれ」

「そんなことできるわけがないでしょう」

「こいつがないと事故原因の解析ができない」

スラーヴァはまだレコーダにかじりついている。フレイヤは叫んだ。

「死んだら何もならないじゃないですか!」

「あと少しなんだ」

 いつまでたっても退避してこない6号機を待ちながら、母艦のブルストリーたちは気が気でない。

「6号機、即刻帰艦しろ!」

繰り返し繰り返しそう呼びかける。と、ずっと事故船を監視していたエミットが報告した。

「隊長、温度上昇速度150%超過、推定炉内温度4000度、まもなく炉壁臨界です」

「分かった元素分解線用意」

ブルストリーの冷徹な声が響く。

 ガタン、と音がしてレコーダが外れた。

「やった!」

スラーヴァが喜声を上げる。フレイヤはスラーヴァの荷物を手当たり次第にひっつかみ走り始めた。すぐ後にレコーダを抱えたスラーヴァが続く。

 事故船の炉の温度は上がり続けている。

「炉壁臨界まで30秒」

ブルストリーは固く結んだ唇を開いた。

「発射」

 事故船めがけてビームが照射される。それを逃れるようにして白い小型艇が空<<くう>>を待った。翼の一部がビームをかすって消失する。

「6号機、無事か?」

副長のレイが尋ねる。フレイヤの快活な声が響いた。

「乗員2名、死体と共に無事です」


「全く片翼だけでなく本体装殻部分全体を取り替えなきゃならないんですからね」

整備主任のキャラウェイが大音声で怒る。元素分解線を浴びて翼の一部を失った6号子機を前にどうしても腹立ちを押さえきれない。

「すみません」

フレイヤはそう謝った。キャラウェイは子機の小型艇にせよ、母艦の白竜号にせよ、まるで自分の子どものようにかわいがっていて、彼らが「負傷」するのを好まない。

「大体みんないい加減すぎる」

キャラウェイはぶつぶつ言いつつも部下たちを指揮して仕事にかかった。

 さて一方6号機の「負傷」の原因を作った当のスラーヴァはといえば、事故船から運び出した11体の遺体を医師である霧影まやに引き渡し、検死の依頼をすると、自分はレコーダの解析にとりかかっていた。6号機とその乗員を危険にさらしたことで、隊長のブルストリーが抗議しにやって来たが、ほとんど右から左で聞いていない。

 この事故は明らかに不法航行船による当て逃げである。しかも事故船の状況からみて相手はかなり大きな船だったらしい。それほど大きな船を無許可で航行している----しかもこの辺境宙域で。一体裏に何があるのか・・・スラーヴァは小さく手を握りしめた。。


 細い指が軽やかにオペレーティング・タッチ(操作盤)の上を駆けめぐる。4本の腕にそれぞれ4本、計16本の指は不規則に、けれども整然と盤上に舞い、ブルストリーが近づく気配にも一切乱れを見せない。

「万事順調です」

四本の腕を間違いなく操りながらイシュラインは振り向きもせずそう言った。振り向かなくとも十分見えているのである。

 クヌート人----地球人が初めて出会った異種知性体。外骨格生物で複眼を持つ彼らは地球人の目から見るとまるで昆虫のように見える。このクヌート人のイシュラインは106で科学技官を務めている。

 二十ばかりあるモニタを一度に見、それぞれにふさわしい操作を間断なく行う。一人の地球人では到底できない芸当である。ブルストリーはいつものことながら感嘆してイシュラインの仕事ぶりを眺めていた。

 今、イシュラインが行っているのも、やはり例の事故の後始末である。事故が起こった当初に飛び散った破片の処理----実のところこれがいちばん厄介なのである。何しろ上下もない、空気抵抗もない宇宙空間では、破片は初めに飛び散った時の速度のまま、四方八方へ飛び去って行く。空気抵抗がない分、どのような形・サイズであれ初期速度で飛び去るため、理論上は円状に広がることになっているが、しかし実際には途中に恒星やその他、重力場があれば、それだけで破片の飛散ルートは変わってしまう。

 時間がたてばたつほどその拡散範囲は広くなり、二次災害の危険性----つまり飛び散った破片と他の船が衝突する可能性----が高くなるため、この作業はとにかく時間との勝負と言えた。

「今回は比較的早かったのでかなり回収できるはずです」

イシュラインは回収用に出した無人機を遠隔操作しつつ言った。

「ああ、だといいが」

ブルストリーがどこか気の晴れぬ様子でそんな風に返す。

 中央部ならともかく、辺境部隊の守備範囲は広い。空間跳躍を使って駆けつけるにしても、どうしても遅くなりがちである。ブルストリーは小さく息をついた。もう少し守備範囲が狭ければやり易いのだが。

 清掃部隊一隊につき多大な人員とコストがかかる。それに清掃隊のような地味な仕事は皆、あまりやりたがらない。地味なだけならまだしも、危険で厳しく不規則、一度宇宙に出ると当分帰れない、となれば大概の者は逃げてしまう。ブルストリーは更に深いため息をついた。


「特におかしいと思われるような外傷もないし、今までのところほとんどが急激な気圧変化による烈死ね。あと二人検死が残っているけど、このうちの一人もそうでしょう。残る一人は船がぶつかった時のショックで投げ飛ばされたのが直接の死因みたいね」

106の医師、霧影まやは目玉焼きをつつきながら言った。名前も華やかだがそれに負けない顔立ちをしている。はっきりした目鼻立ち、くっきりと真っ赤なルージュを引いて、肩少し下まである栗色の髪は天然パーマ、そして目には縁なしの眼鏡。

「全員即死?」

スラーヴァがそう尋ねる。霧影医師は一寸肩をすくめた。

「恐らくは。まあ、宇宙空間での死体というのはなかなか芸術的だから」

 一瞬思い出して一瞬吐きそうになる。食事時にこんな話するものじゃないな----スラーヴァはそう思った。グレイビーソースのかかった肉をギシギシと切る。

「それで、事故の解析は進んでいて?」

まやの方が今度は尋ねた。

「まあまあね。どうも事故の相手船は無許可で作られた大型戦艦らしいんですよ」

「アルカディア号でしょ」

まやがくすりと笑う。スラーヴァは驚いて思わずばっと立ち上がった。

「ドクター、それはどんな艦ですか。どの団体の何のための・・・」

「勉強ばかりしてちゃだめよ、スラーヴァ調査官」

「冗談・・・だったんですか」

のろのろとスラーヴァが腰を下ろす。

「でもどうして大型戦艦らしいと分かったの?」

「まだしかと分かった訳ではないんですよ。ただその可能性が高いというだけで。事故船から採取したサンプルに、事故船のものではない物質が付着していましてね。で、物質素材班の連中に調べてもらったら、多分タクサイドAだろう、という話なんです」

「タクサイドAってあの・・・」

「ええ、衝撃に強く、硬度、粘性共に高い希少物質です。希少なのと重いのが難点で、使われるのは大型戦艦の外板がほとんどです。この外部に特殊加工をすれば分解線をかなりの程度まで防げますしね。まあ、戦艦は丈夫でないと話になりませんから」

「そんなのにぶつかったんじゃあひとたまりもないわけだ」

まやはグラスを取り上げて言った。スラーヴァが訂正する。

「ぶつかったんじゃない、ぶつかられたんです」

「ああ、そうね。でも何故?」

まやのそのストレートな問いにスラーヴァは肩をすぼめた。

「それが分かれば苦労はないですよ」


 スラーヴァは独り、部屋の中に沈んでいた。繰り返し繰り返し、例の事故船の航行レコーダの音声コピーが流れる。

 マレイ号----それが事故船の名前なのだが----は最期の瞬間のほんの30秒前まで、全く順調に航行していた。レーダーに異常接近してきた物体が映ってからレコーダの記録が途絶えるまで、その間29.4秒。逆算すると相手船の速度は秒速6万キロを超えていたはずである。

----光速の28%・・・----

 スラーヴァは心の底でつぶやいた。普通の船はそこまでスピードを出して航行することはない。光速の14%ばかりあれば空間跳躍が可能であり、その方が時間的にもエネルギー的にも、余程効率がよい。

 マレイ号は相手船を確認するとすぐに回避行動をとったが間に合わなかったらしい。相手の光速の28%という速度もさりながら、相手船が全く回避行動をとらなかったらしいことも衝突の一因である。

----何故だ----

 スラーヴァは苛々と指先で机を叩いた。何故それほど高速を出す必要があったのか。何故回避行動をとらなかったのか。いかに丈夫なタクサイドAといえども、それほどの高速で他船とぶつかったのではただですむはずがない。

 マレイ号はとりたてて特徴もない中型の貨物船だった。載せている物資も人員も、調べた限りでは特に問題はない。破壊せねばならないような、あるいは殺されねばならないような理由は見あたらない。よしんばそうせねばならない理由があったとして、一体誰が貴重な物質でくるまれた大型船をぶつけて志をとげようとするだろうか?そんなことをしなくても、マレイ号のような通常の船を破壊し乗員を殺す方法はいくらでもある。

 故障・・・か。船の制御がきかなくなっていたのだとすれば、話のつじつまは合う。スラーヴァは自問した。

----どうする?----

 もし件の船が予測通り戦艦であれば、話はかなり厄介である。調べた限りではそのような戦艦は登録されていない。けれども全ての戦艦が公式に申請登録されているとは限らず、各々の惑星系、場合によっては一惑星が密かに保有している可能性もある。惑星系連合が「宇宙連邦」と称して一応宙域全体の主導権を握っているとはいえ、各惑星系や惑星の間の関係は複雑かつ微妙で、うかつに首を突っ込めるような状態にはない。一介の事故調査官や清掃部隊が扱える問題ではないのである。

 事故の相手船が戦艦である、とは言い切れないことはスラーヴァ自身、よく分かっている。まだそれは単なる憶測の域を出ない。もし違っていた場合、何が考えられるか。

 そしてまた思考は何故その相手船が異常な高速をだしていたのか、何故回避行動をとらなかったのか、というところへ戻ってしまう。スラーヴァは先刻からずっとこの堂々めぐりを続けていた。疲れた時の悪い癖で、埒もあかない循環思考をいつまでも繰り返してしまう。ちょうど今、エンドレスに流れている航行記録の音声のように。


「少しいいかな」

スラーヴァは科学解析室を訪れてイシュラインに話しかけた。

「ああ、スラーヴァ捜査官、ちょうどよかった。例の物質の解析が完了しました。そちらの端末にも一応転送しておきましたが、タクサイドA-チタン化合物のアルファ1型です」

イシュラインは丁寧な口調でそう言った。緑から赤、赤から緑、きらきらと目の色が変わって見える。

「アルファ1型というと・・・」

「確かに少々奇妙ですね。現在の主流はガンマ3型ですから。よほど旧式の船か・・・」

「独自建造船か」

スラーヴァがうなる。

「その船のことで少々力を借りたいんだが、構わないかな?」

「私にできることでしたら」

「助かるよ。実は、どうやらその問題の船は光速の28%を越えるスピードを出していた上、マレイ号のレーダー圏内に入っても回避行動をとらなかったらしいんだ」

「それはますますもって不可解ですね」

イシュライン考え込む風を見せる。

「だろう。一つ考えられるのは、相手船が故障していた可能性だ」

「なるほど。つまり、操船ができなくなっていた、と」

「その通り。それで、その場合の相手船の位置を割り出してもらえないかな」

「おやすい御用です」

イシュラインは立ち上がって言った。端末に座りオペレーティング・タッチの上に指をすべらせる。と、不意に手を止めて言った。

「すみません、マレイ号の航行記録がまだ正式登録されていないようなのですが・・・」

「しまった、忘れていた。今転送するよ」

スラーヴァは慌てて事故解析室へ戻るとマレイ号の航行レコーダを端末に接続した。端末経由で共有データバンクに登録する。

「・・・受信しました。航路を追跡します」

イシュラインが言い、軽くスクリーンに触れた。画面が切り替わる。

「事故の衝撃によりかなり航路が変わった可能性が高いですね。少々お待ち下さい・・・ライナ、シミュレータオン。それから・・・」

少しも手を休めることなく次々と指示を出していく。スラーヴァは感心して眺めていた。ライナ、というのはどうやらこの端末の名前らしい。やがてイシュラインはぽんぽん、と指を盤上で跳ねさせるとくるりふり返って言った。

「相手船の正確な質量が分かりませんので、完全な予測にはなりませんが、これが大体の予想位置です」

パネル画面上にオレンジ色の領域が現れる。

「探査できるか?」

「隊長の許可さえあれば可能ですよ。聞いてみましょうか」

「あ・・・ついでにお願いできるかな」

「了解」

 あっという間に手続きを済ませて探査を開始する。全て操作を終了するとイシュラインは静かに言った。

「さて、これで向こうがステルス機能を搭載していない限りは見つかる筈です。何しろタクサイドAの塊ですからね」


「見つかった?!」

連絡を受けて飛び出して行く。

「あ、スラーヴァ捜査官」

画面の中でイシュラインがまだ何か言おうとしたけれども、聞いてなどいない。その足で解析室のイシュラインを訪れる。

「直接来ていただかなくても結果は端末の方へ転送しましたのに」

イシュラインはそんなことを言った。笑っているのかなんなのかどうもよく分からない。

「それでどうなんだ」

「ひとまず光通しでの通信を送ってみましたが、返事はないようです。何らかの理由で通信装置が作動していないか、あるいは・・・」

「返事をする気がないか、か」

 イシュラインはループ探査の結果を表示しながら言った。

「これが艦影です。戦艦にしては大きすぎるのではないでしょうか」

「・・・・・」

スラーヴァは顎に手を当て考え込んだ。何か今、考えが通り抜けたように思ったのだけれども。

「どういう船か分かるか?」

とりあえずそう尋ねてみる。

「勝手ながら探査機を派遣してみました。何しろ向こうの速度が速いですからね、あまりいい映像ではないのですが・・・」

画面が切り替わる。現在ではまずお目にかかれないようなデザインの船。見たような見ないような文字が描かれている。

「・・・」

スラーヴァはしばらく声もなかった。さらさらと文字の写しを取る。

「イシュライン、」

「はい?」

「使える限りのチャンネルを使って通常通信メッセージを送ってくれないか」

「通常通信ですか?」

少しばかり意外そうな調子でイシュラインが言う。

「メッセージは・・・ああ、少し待って。教授に聞いてみた方がよさそうだ」

スラーヴァは言い残すと飛び出して行った。


「・・・読み方は様々だろうが・・・セリーア、と読めるね、私には」

通称教授、高等部の教育を受け持っているシェアー・アパデュライはそんなことを言った。本物の教授だ、という噂もあるが、はっきりしたところは分からない。

「セイリーア?」

「意味は分からない・・・シーリーアかもしれんし、もっと他の読み方かもしれん・・・いや、待てよ。サリーアじゃないか?」

「・・・やはり」

スラーヴァは呻くように言った。

「サリーアと言えば確か2、300年ばかり昔に建造された巨大宇宙船じゃなかったかね?結局途中で行方知れずになったが」

「ええ、その通りです」

スラーヴァは少しばかり興奮を抑えきれない様子で言った。

「サリーア号ですよ、教授、サリーア号だったんだ」

「・・・と言われてもね」

アパデュライは話が見えずいぶかしげである。

「事故があったことはご存じでしょう」

「ああ、聞いている。もう少しで6号機共々消されるところだったって?」

「あ・・・はは、そこまでもう話が回っているんですか。いえ、それはともかく、問題の当て逃げ船というのが・・・恐らくそのサリーア号なんですよ」

「・・・・」

教授はぽかんとしている。

「旧共通語でメッセージを作成していただけませんか」

「それは構わんが・・・本当にサリーア号なのか?」

教授は端末に向かうと何やら呼び出した。

「文面はどうする?」

「どうしますかね。白竜号から旧き同胞へ、返事を乞う、くらいでどうでしょう?」

「それじゃなんのことか分からんだろう」

「ですがどう説明します?300年近くも新しい私らが彼らに追いついてしまったことを」

「そうだな・・・」

アパデュライはしばらく考えていたがさらさらと文面をしたため、それを翻訳にかけた。

「どうする?チップに落とすか、それとも転送しようか?」

「あ、転送して下さい。科学解析室のイシュライン技官あてで」

「隊長には報告したかね?」

「あ、忘れていた!」

スラーヴァは言うと慌てて飛び出していった。


「間違いないのか」

ブルストリーが信じられない、といった様子で言う。

「ほぼ確実かと思われます」

イシュラインはそんなことを言った。

「サリーア号・・・無謀とも英断とも言われ地球を飛び立った船がこんなところで見つかるとは」

低くブルストリーがつぶやく。

「予定航路から大分外れていますね」

明るい中性的な声はこの船、白竜号自身の声である。ふいっとスクリーンに灯が入りサリーア号の元来の航路と現在位置とが表示された。

 辺境勤務というのはひとたび事が起こると恐ろしく忙しいが、暇な時はそれこそ苛々するほどに暇になる。おかげでたまにおかしな能力を開花させる人間もいて、そういった連中が時に変なことをしでかすのである。この白竜号などはそのいい例で、これはイシュラインの前任者の置きみやげである。前任者ナハッド・ウェディーはどこをどうしたのか白竜号の頭脳を勝手にいじくり回した挙げ句、意識を持たせることに成功、そのまま自分はよそへ引き抜かれてとっとと中央へ帰って行ってしまった。初めのころは何かとトラブルの多かった白竜号だが、最近はさすがに多少まともにはなったらしい。

「恐らく舵か何かに異常が起こったのでしょう。今回のマレイ号事故も一端はそこにあるのではないかと睨んでいます」

スラーヴァが言う。

「しかしこれは・・・少々厄介かもしれんぞ」

アパデュライがそんなことを言った。ブルストリーも頷く。

「彼らはショックを受けるでしょうね・・・」

「乗り込んだ人間が生きていればな」

「チームを組んで派遣しましょう。医療部と解析部の人間、それから----」

少しブルストリーが考え込む。

「誰か心理的なケアのできそうな人間も一人いる方がいいだろう」

とアパデュライ。

「私は今回は控えた方がよいでしょうね」

イシュラインはそんなことを言った。

「申し訳ない、イシュライン技官。本当ならあなたの力をお借りしたいところなのだけれども・・・」

ブルストリーが申し訳なさそうな表情になる。イシュラインはさらりと言った。

「どうぞお気遣いなく、隊長。後発に追いつかれた上異星人までいたのでは、きっと皆卒倒してしまうでしょうからね。母艦から支援態勢をとりましょう。白竜、頼むよ」

「了解。ばしばしやりましょう」

そんなおかしなことを白竜号が言う。ブルストリーは即座に言った。

「やらんでいい」


 特に船内に支障が出た風もなかった。ただ衝突時の衝撃で航路がずれたこと以外は。どうやら自動排障装置も駄目になってきているらしい。あんな巨大な浮遊物体を感知できなかったとは。

 薄暗いコントロール・ルームの椅子に身を沈めてサリーア号船長キルシュは暗澹たる思いにとらわれていた。一体どれだけの船体機能が失われているのか、考えるのも恐ろしいほどである。予定航路をとうに外れた船は、今もあてもなく暗い空間をさまよい続けている。絶望への航路----このことを知っているのは船長たるキルシュと副長のセリーエ、技師サファドの三人だけである。

 もう200年以上昔のことになる。技師の一人が船を破壊しようとしたことがあった。クルーたちの活躍で致命的な破壊は免れたものの----船は大きく予定航路を外れてしまっていた。それだけならまだしも船体の姿勢制御部分の大半がその時失われたのである。

 サリーア号船体の3分の1は実は全く機能していない。一般乗員たちは単に必要ないから使われていないのだと思っているらしいが、使っていないのではなく、使えないのである。

 無論、何度も修理は試みた。が、この小さな船では環境維持が手一杯である。積み込まれていた予備部品はその前の事故の時に大方使い尽くされていた。部品がなくては修理しようにも修理しきれない。無論ちょっとした部分はなんとかならなくもない。が・・・ここまで大規模に狂ってしまうといかに技術陣が優秀であるとしても、いかんともしがたい。

 ゆっくりと死んで行く船を、代々の船長たちは見守り続けて来た。当初の予定航路を外れ、戻ることもできず、さりとて別な目標を定めることもできず・・・

 一般搭乗者たちには、当初予定地が居住に適さないことが判明したので第二候補へ向かうのである、と説明してきた。完全な嘘。それでも----他にどんなやりようがあっただろう?

 元々サリーア号はこれほど長い航行を想定して作られてはいない。一つ、また一つと機能が停止して行くのもやむを得ないことではある。とにかく基幹部を優先的に維持するようにしてはいるが、いずれは基幹部も浸食されて行くことだろう。

----願い<<サリーア>>、か----

キルシュは虚ろに笑った。なんと皮肉な。


 ため息の出るような巨大船である。母艦の白竜号も一般船としてはかなり大きなほうだが、その数倍はゆうにある。

 サリーア・・・願い。どこの言葉から拾ってきたのかそう名付けられた船は、ピルナ5を目指して飛び立ち----そして消息を絶った。その古い古い船が今、彼らの目の前にあった。

「通信への返事は?」

医師霧影まやが背後から尋ねる。副長にして今回のリーダー、レイ・アリューズは首を振った。

「まだないようだ」

「仕方がないわね。これ以上こうしていても埒が明かない。ちょっと様子を見てくる」

「一人では危険です。誰か行かせましょう・・・クレイ、サポートを」

「了解」

クレイ・S・モナクがまやに続いて出て行く。アリューズは小さく息をついた。これだけの至近距離である、サリーア号はとうにこっちの存在に気づいてもいいはずだ。が、依然相手は何も言ってこない。全て死に絶えたのか何か別な理由があるのか・・・

 いずれにせよ、これは少々厄介な事態といえた。中で何が起こっているのか、皆目見当がつかない。

 まやとクレイが相手船に泳ぎ着き、ハッチを開いている。ハッチの形状が合わないのでランデブーはできない。

「サリーア号に到着しました。内部調査を始めます」

クレイの落ち着いた声がした。

「了解」


「・・・?」

航行状態を監視していたリートはおや、と首をかしげた。ハッチランプが点灯している。特に外へ誰かが出る、という報告も出ていないはずなのだが・・・と、思う間にまた再びランプは消えてしまった。

「少し様子を見てきます」

リートは船長にそう告げてハッチへと向かった。子どもたちがいたずらでもしたか?

 通路を抜けて第7ハッチ近くまで来たリートは見慣れぬ影に足を止めた。宇宙服・・・のようではある。が、こんな宇宙服は見たことがない。光の加減で顔が見えないが----

 何かマイクとおぼしきものから声がしたけれどもなんと言ったのかは分からなかった。

「ラウィか?ニキか?」

リートは声をかけた。

「馬鹿な遊びをするんじゃ・・・」

言いかけて目を大きく見開く。

 後で思えばよく卒倒しなかったものである。ヘルメットを脱いだ目の前の人物はラウィでもニキでもなかった。栗色の髪、はっきりした目鼻立ち、唇には真っ赤なルージュ。少し丸顔でややぽっちゃりした感じの・・・

----誰だ?----

 しばしリートは動けなかった。

 この船にいる現在の乗り組み人員はおよそ200名。その全てが互いに顔見知り----のはずである。

 と、その相手ははっきりとした発音で言った。かなりたどたどしい。

「白竜号の医師、霧影まやといいます」

「・・・??」

一体何が起こっている?リートは後ずさりながら考えた。どうすればいいのか分からない。サリーア号が地球をたってこのかた300年余り、途中大きな事故もあった、内部崩壊寸前まで行ったこともあった。それでも----こんな不可解な事態は初めてである。見知らぬ個体がこの船に現れるなんて。

「地球人です」

相手はそう告げてきた。

 正確にはまやは地球出身ではない。が、この際そのくらいの「誤差」はやむを得ないだろう。それがブルストリーの判断だった。そうそう複雑なことをいきなり話すわけにも行かないのである。

 リートはゆっくりと首を振った。チキュウジン?チキュウジンって何だ?

「こわくない」

まやはそう言った。何しろ付け焼き刃の言語知識である。これだけ話せるだけでもよしとしてもらわなくてはならない。

「リート、一体何をとろとろしている?」

 不意にリートに背後から救いの主が現れた。シュウエンである。船長のキルシュがいつまでたっても報告がないのを不審がって送り込んできたものらしい。

「ガキどもの・・・」

言いかけたシュウエンはリートと同じく硬直した。

「な・・・」

「霧影まやです、地球人です」

まやは辛抱強く言葉を繰り返した。リートが現れた時の様子から、そうせっぱ詰まった状況にあるわけではないらしい、というくらいの見当はついている。となれば次は、接触<<コンタクト>>のための準備に入らなくてはならない。とにかくこちらの存在に慣れてもらうこと、敵意がないとを認めてもらうこと----である。

 300年という長い年月を完全に閉鎖状態で過ごした彼らに、「外部」という概念が残っているのかどうか、まやはそこが不安だった。彼らは、日常接する人間以外のものが存在する、ということを受け入れられるだろうか?

 無論、知識としては彼らも知っているはずである。自分たちの起源は地球という惑星にあり、そこにはまだたくさん同胞が住んでいる、と。あくまで親たちが教育を怠っていなければ、の話ではあるが。通常、平均より強力にこうした教育は行われているはずだ----マネージャを務める翠楓はそう言っていたけれども・・・

「地球人」

後から来たシュウエンの反応も似たようなものだった。途方に暮れたように立ちつくす。

 シュウエンにせよリートにせよ、地球人を知らないはずがない。地球を知らないわけがない。が・・・二人の当惑は、その地球人の実物がここにいる、そのことにあった。どう考えればよいのかが分からない。まるで映画の中の登場人物がいきなり実体化したような、そんな感じである。そして二人は船を預かるだけあってきわめて現実主義者であった。

 彼らの中で地球は時を止めている。二人に限らず、全てこの船内にいるメンバー全員にとって、地球は長い時の中で美化され変容した、300年前の地球の姿をしている。追いついてくるなどとは思いもよらない。いや、そもそもそこから後発が出てくるなどということは。

 そうこうするうちに、とうとう、二人の背後から最強の現実主義者が現れた。この船の最高責任者、キルシュである。

「地球人なのだそうです」

シュウエンが途方にくれたように言った。いつもの快活さの影もない。キルシュはしばし穴があくほどシュウエンを見つめ、それからまやに目を向けた。

「霧影まやです。地球からきました」

たどたどしいしゃべりかた。

 地球人。その言葉がキルシュの胸に落ちるまで少しばかり時間を要した。地球人だって?

----神よ----

思わず叫びそうになる。こんなことがあるのだろうか?それとも夢か?心の奥底で密かにそうあれかしと願っていた・・・その願いの見せる夢なのか?

 けれどもキルシュは初めの動揺を見事に飲み込んだ。小さく息を腹の底に落とす。そしてはっきりとした声で返した。

「本船船長、キルシュです」

 やった、まやは内心思った。初めての「適切な」反応である。

「すみません、言葉、下手です」

ゆっくりとまやが言う。

「メッセージ」

言ってからしばらく考える。えーと、なんだっけ。

「聞いて下さい」

 言って胸元のレコーダのスイッチを入れた。機械翻訳された古い言葉でメッセージが流れる。


 突然のコンタクトをお許し下さい。私たちは同じ地球人の系譜を持つ者です。サリーア号については私たちも聞き及んでいます。300年の昔に地球を発った勇気ある人々。遙か昔音信が途絶えた後も、そのことは語り継がれて来ました----


 ブルストリーの声に似せて作ってある。

 さすがのキルシュも、しばし状況を理解するのに時間がかかった。地球人の系譜、地球人の系譜・・・300年の昔と言ったな。ということは・・・

 ひとわたり聞き終えると、ハッとしてキルシュは言った。

「すみませんね、このようなところで立たせっ放しにしてしまって」

いつもの癖で早口に言ってしまってから、ゆっくりと言い直す。あの翻訳でさえ、かなり言葉が異なるようである。古めかしい----そんな印象があった。300年のうちに、船内であちこち言葉が変化してしまっているのである。何しろここは小さな世界である。あんなまどろっこしい言い方をしなくても大体のところは話が通じる。

 招待を受けた時点で、ようやく後ろに控えていたクレイが宇宙服のヘルメットを外した。クレイというのは不思議な男で、奥に控えてじっとしていればおかしなまでに気配がない。

「クレイ・モナクといいます」

クレイも同じくたどたどしい言い方でそう告げた。こうなれば一人も二人も同じことである。キルシュはリートに人を呼びに行かせ、シュウエンにコントロール・ルームを預けると先に立った。


「コンタクト第1段階終了。第2段階に移ります」

クレイから手短な報告を受けたレイ・アリューズは母艦のブルストリーたちにそう報告した。まやたちの受け入れが上手く行けば、次はアリューズたちの番である。アリューズに教授ことアパデュライ、そして技師が3人。この子機にはパイロットのフレイヤ・テミス他1名が残るだけである。

「逐次こちらに言語データを回して下さい」

白竜号の声がした。

「随分訛っているようですからね」

 古いデータを元に翻訳機を作成しはしたが、確かにかなり言葉が独自の変化を遂げているようである。といっても現在の地球共通語ほどではないのだけれども。

「分かった」

アリューズは言うと通信を切った。順繰りに消毒室へ入り、準備を整える。うまく行けばいいと思いながら。


 第2陣の到着は第1陣の到着時ほど難しくはなかった。船長キルシュの方は大体話を飲み込んだらしい。残りの連中はまだ恐る恐る、といった風情である。

 一方白竜号はといえば、そこから送られてくるデータ解析に大忙しである。

「何しろ台詞が省略につぐ省略ですからね。骨が折れるったら」

「あれ、骨なんかあったの?」

脇から作業員の一人、グレース・シーラが茶々を入れる。

「骨組みの骨が折れるんです」

白竜号はぶーっとむくれてそんなことを言った。

「はいはい、時間がないから急いでね」

翠楓がせっつく。

「えーと・・・次、これの意味は?・・・あーと直訳すると、"とって"」

「・・・それだけじゃ分からないわね」

ある程度の文脈解析は白竜号もするが、さすがにここまで省略が多くなると厳しくなってくる。というわけでその援護のために翠楓とグレースがいるのだが、二人がかりでもってしてもなかなか難しい。

「しっかしすっごい会話だなあ・・・」

グレースが感心したように言う。主語なし、対象目的語大抵なし、時々述語なし。しかも音がくっついているのでやたらと言葉が短い。

「三百年だものね」

翠楓は言ってため息をついた。船内の人々を思うと鉛を飲み込んだように重い気分になる。彼らはどうするだろう。今までの旅の意味を失って。いっそ見つからずに過ぎた方がよかったのではないか----そんな気もしてくる。

「・・・楓さん、翠楓さんってば!」

グレースの声。翠楓はハッと我に返り、再び仕事に集中し直した。


 互いにしばらく見合ったまま立ちつくしていた。どこか声を出しづらくて。

「その・・・何と申し上げればよいのか」

ブルストリーはサリーア号船長キルシュに椅子を勧めながら言った。白竜号が間で通訳をしている。

「お詫びを申し上げなくてはなりませんね」

キルシュは静かにそう言った。衝突した浮遊物体が宇宙船であったとは。

「事故です」

ブルストリーの声は柔らかかった。今回ばかりは誰も責められない。運が悪かったとしか言いようのない事故である。

「どうされますか」

ブルストリーはそう尋ねた。深く皺の刻まれたキルシュの顔に浅い笑みが浮かぶ。年はブルストリーとさほど変わらないという。けれどもキルシュの方がはるかに老けて見える。余程の苦労を重ねてきたに違いなかった。

「そうですね・・・」

サリーア号に降り積もった長い年月はそうそう簡単には振り払えない。けれどもサリーア号の未来はもうとうの昔に閉ざされていたのである。

 一つ方法がなくもなかった。すなわち、サリーア号を修復し、更に先へ進むという・・・今の地球人たちの行動範囲の向こうを目指して。それだけが唯一、今までの時間を守る方法だった。

「連邦は喜んであなた方を迎えますよ」

ブルストリーは温かな調子で言った。キルシュが沈黙する。

「確かにあなた方の申し出の通り、サリーア号を修復することも可能です。ですが・・・」

ブルストリーは押しつけがましくならないよう気を付けながら言った。

「大地もまた悪くないものです」


 キルシュがブルストリーと連邦の言葉を携えて船に戻る。

 船内の意見は真っ二つだった。進むもとどまるも、結局苦い決断であることに変わりはない。父の、母の、そのまた父の、母の・・・彼らの時間をこのまま無に帰するのか、それとも、「外」の連中が自分たちよりはるかに早く進めることを知りながらその空虚を引き受けるのか。

 「外」への恐怖があることもまた否めない事実である。もう幾世代にも渡って彼らは大地を知らないままに来た。船内の閉じた小さな世界----何もかもを見通せる世界の中で生きてきたのである。「外」に果たして適応できるのか、「外」は自分たちを受け入れてくれるのか?

 どんなに話を尽くしても結論は出ない。キルシュ自身は自分の考えを表すのは避けていた。緊急事態時には船長権限がものを言うが、これは搭乗者全員の人生と未来に関わる問題である。こう、とキルシュが個人判断で決めてしまうことはできない。それでも・・・キルシュは内心ため息をついてた。なんと過去の呪縛の強いことか。まるで怨念のように絡みつき皆を船に縛り付ける。決して逃すまいとするかのように。

 分ける、というアイディアもないでもなかった。船に残りたい者は残り、地球に帰りたい者は帰る。ただ、これはいわば禁断の言葉だった。これを言ってしまえば全ては崩壊する。

 キルシュは再び深いため息をついた。


「なーんでそんな馬っ鹿なこと考えるんだろ」

グレースがどこからかくすねてきたらしいワインを開けながら言う。白竜号も同感、というように頷いた。・・・といっても立体映像なのだけれども。

「そうですよね。馬鹿げてますよね」

 ここは305号室。白竜号の部屋である。船の頭脳が個室を持っても仕方がないのだが、本人がごねにごねてとうとうブルストリーから獲得してしまった。この白竜号、皆と同じ扱いを受けないと気に入らないのである。いっぱしにベッドも机もミニ冷蔵庫もあるが、無論白竜号自身が使うことはない。冷蔵庫の中身は大抵グレースの胃袋に収まることになっている。

「はー、んまい」

グレースはあぐらを組んでワインを飲み干すと口をぬぐった。お世辞にも行儀がいいとはいえないが、白竜号はそんな細かいことを気にしたりはしない。

「一瞬で1パーセクやそこら飛んじゃう時代だよ?これ以上あんなボロ船で先へ行ってどうなるってんだろ」

がぶり、サラミをかじってグレースが言う。うんうん、と頷いて白竜号の人型映像は同意した。

「どうもなりませんよね」

「でしょ~?」

言って今度はパッケージから剥いただけのチーズの塊をかじる。

「あーあ、わっかんないなー、オトナの考えることって」

こぽこぽとまたワインをグラスに注いであおる。グレース・シーラ15歳。都合に合わせて大人になったり子どもになったりするお年頃である。

 と、不意に来訪者を告げるベルが鳴った。

「おや翠楓マネージャ、いらっしゃい」

白竜号の立体映像が愛想の良い笑みを浮かべる。機械は愛嬌----なぞと寝ぼけたことを仕込んだ者がいるのである、もちろん。

「やっぱりここにいた。・・・とグレース!!あれほどアルコールは駄目だって言ってるのに!」

「ワインなんかアルコールのうちに入らないよお」

グレースが言う。ボトルが半分ばかり空である。

「・・・ったくもう・・・授業さぼって何をしているかと思えば。ほらほら片づけて。あーあ、もう行儀の悪い・・・ちゃんとサラミは切って、チーズは皿に出してっていつも言ってるでしょ」

ちゃきちゃき翠楓が片づけながらグレースを引っ立てる。グレースは抗弁した。

「洗い物が増えるだけだよ。お腹に入ればいっしょじゃん」

「あのね、人間は野獣じゃないの。ほら、教授が探してたわよ」

「教授?あーっと、いっけないっ、補習があったんだっけ。忘れてた!」

だだだだだ、と出て行く。翠楓は苦笑して見送った。


 仕事に出ていた白竜号がまたサリーア号の側に戻ってくる。意味もなくほっとしてキルシュは白竜号のなめらかな白い船体を眺めていた。彼らはとてもよくしてくれている。今日もサリーア号の搭乗者全員が白竜号へ招待されているのである。キルシュにはブルストリーの気遣いが痛いほどよく分かった。

「イーさん、来ないの?」

コントロールルームに残っているイシュラインを見てグレースはそう声をかけた。細いイシュラインの体がくるりグレースの方に向く。向かなくとも十分見えているのだが、これは礼儀である。

「私のことは秘密なんですよ」

イシュラインが丁寧な口調で言う。

「えー、あ、そっか。みんな卒倒しちゃうとやばいもんね」

グレースはあっけらかんとして言った。

「ええ」

「んー、じゃつまんないでしょ。みんなパーティーだって騒いでるのに」

「まあ、誰かは緊急時に備えて仕事をしなくてはなりませんからね」

「そりゃそうだけどさー、ホントならイーさんお休み時間じゃない」

「代休がありますから大丈夫です」

「わたいもつきあおうっか?。一人じゃ寂しいでしょ」

基本的にかなり雑把な性格をしているのだが、不思議なところでグレースは気が回る。

「ありがとう、グレース。でもあなたこそ勤務時間外でしょう。なんでも特製シャンパンが出るらしいですよ」

「うー、シャンパン、それは魅力的・・・」

グレースが迷った風を見せる。イシュラインは小さく笑った(といっても地球系人では表情の見分けがつかないのだけれども)。

「でしょう?行ってらっしゃい。後でパーティーがどんな風だったか聞かせてください」

「まーかせといて!じゃ行ってくるね。あ、そだ、イーさんにも後でシャンパンのお裾分け持ってきてあげる」

グレースは言うとばたばたと出ていった。


 初めて見る様々なものに子どもたちが目を輝かせる。殊、立体映像室は圧巻だった。切り立つ高い峰、深い海の底、摩天楼の林・・・

 惑星・・・彼らの誰一人として実際に降り立ったことのない場所。遠く広がる田園風景、小麦畑。一面の砂漠、古い遺跡、青い空。皆声もなく移ろう風景の中に立ちつくしていた。初めて見る父祖の地。これが命に満ちた惑星というものなのか。あの乾いた宇宙塵でもなく小惑星の類でもなく。

 知ってはいた。知識としては。写真の類もあったし、映画の類もあった。けれども、こうした完全全方向パノラマで見るのとはまったく違う。

 一面に広がる緑。これが地球・・・

 キルシュはほうっと嘆息した。歓声をあげる子どもたち。あまりのまぶしさにキルシュは目を閉じた。明るい世界。閉じた絶望の船とは違う・・・

 さやさやと木擦れの音がした。知らないはずなのに不思議に懐かしい。流れる水のささやき。

「船長・・・」

いつの間にか側にきていたセリーエがかすれた声で言った。

「これが地球なんですね。ここから私たちは来た・・・」

 ゆっくりとキルシュが頷く。明るい陽光に溢れた世界。昼と夜のある世界。その世界を子どもたちに与えてやりたかった。狭い船に閉じこめられた小さな未来などでなく。


 灰色の船内はしかし未だ過去の呪縛に沈んでいるかのようだった。大半が地球行きを支持するようになりながら、それでもまだためらう者も多数いたのである。それはさながら船自身が人々を逃がすまいとしているかのようだった。願い----そこに込められた幾多の思いが、絡みつき皆を引きずり止めているかのようだった。

----サリーア・・・----

 ずっと暮らしてきた船である。もう長い間その船長の責を負ってきた船である。キルシュの船に対する思い入れは誰よりも強い。それでも人には未来がいる。過去だけでは生きて行けない。

「・・・何百年という時をこのまま無駄に捨て去ると言うのか」

議論は未だ続いていた。

「私らの父の、母の、その父の、母の、彼らの努力は何だったんだ?大地を捨てて犠牲になった者たち皆をこの上無為に帰すと、そう言うのか」

 年長の者ほど船に残ることを主張した。船は彼らの故郷だった。容易には捨て去れない。

けれども----

----もういい----

 キルシュはついと顔を上げた。

「もう・・・いいじゃないか」

ハッとしたように皆がキルシュに視線を注ぐ。キルシュは静かに言った。

「もう十分だ、そうだろう?この上新しい世代を犠牲にして何になる?私らは追いつかれてしまったんだ。それは消しようのない事実だ」

誰も何も言わない。キルシュは小さく息をつき、言葉を継いだ。

「たとえプロジェクト自体は失敗であったとしても、それでこの船内に息づき、生きてきた者の意味が失われるわけではない。確かに彼らはここにいて、私らもまたこの船に暮らした。それで・・・いいじゃないか」

 サリーア・・・キルシュは心の中でそっと船に語りかけていた。お願いだからもう赦してはくれないか、もう彼らを、私らを、赦してくれないか。古い積み重なった時間の軛を外し、新たな一歩を踏み出させてはくれないか、と。


「やれやれ、一段落ですねえ」

白竜号はひょいと管制室に自分の人型を出して言った。ブルストリーたちは白竜号がこれをすると嫌うのだが、幸い今この管制室にいるのは「夜勤」のイシュラインだけである。白竜号は小うるさいことを言わないイシュラインが好きで、彼の当番の時にはしょっちゅうこうして出てくる。

「ご苦労様」

イシュラインが言う。

「別に何もしていませんよ。隊長ってばあれもしなくていい、これもしなくていいってなーんにもさせてくれなかったんですから。折角私が最高のもてなしをしようと思っていろいろ申し出たのに・・・。でも、人間って分かりませんよねえ。一体何をあんなに悩む必要があったのか。地球へ行く方がいいのは自明のことなのに。変な意地はっちゃって、未来に来る世代まで巻き込む気だったんでしょうかねえ」

「さあ・・・私には分かりませんが、」

イシュラインは丁寧な口調で言った。

「ただ、そう簡単には割り切れないということなのでしょう」

「割り切れない、ねえ」

白竜号はそれこそ「割り切れない」表情をしてしばらく考えていたけれども、不意に将棋盤を取り出した。

「まあいいや、後でゆっくり考えることにします。それよりイシュライン技官、将棋しましょう、将棋」

「いえ、私は今勤務中・・・」

「カタイこと言わないで。鬼のいぬ間に何とやら、ですよ。大丈夫、わたしがちゃんと見張ってますから、ね、ね」

白竜の「大丈夫」はあまり当てにならないのだけれども、これが拗ねるともう一段厄介である。イシュラインは苦笑しながら言った。

「仕方ありませんね。では一局だけおつきあいしましょう」


 大移動の騒ぎが済んで静寂に返った船内をキルシュは改めて見回した。これはラウィがつけた傷、あそこはニキが落っこちた場所、うっすらとまだ残っているのはノナが壁にかきつけた落書き。叱られて半泣きで消していたっけ。机の上のカップの跡、扉の小さな傷、壁に残る手の跡。それら一つ一つに様々な思い出が埋め込まれている。キルシュはいとおしむようにそれらの跡に手を触れた。

 笑い、怒り、泣き・・・そのすべてを飲み込んで船はあった。小さな小さな閉じた世界。陽の差さぬ人工の閉じた空間。「外」の人間たちは----あのブルストリーでさえ----そんなキルシュたちに同情しているようだけれども、キルシュに言わせればこれほど的はずれな反応はない。同情されるようなことは何もない。この厚い外板にくるまれた内側が全てのこの世界で、キルシュは思った。

----私らは決して不幸ではなかった----

 しばしもの思いに沈んでいたキルシュは、けれども不意に船長、と声をかけられて我に返った。最後まで残って作業をしていたシュウエンである。

「そろそろ時間ですが」

「ああ・・・そうだったな」

言って小さく息をつく。

「全員移乗したか?」

「はい、全て終わっています。いざ離れるとなると・・・」

シュウエンが語尾をつぶやきに変えて辺りを見渡す。二人はしばしコントロール・ルームを眺めていたけれども、やがてキルシュはおもむろに小さな手荷物を持ち上げた。

「・・・行こうか」

 背後で音もなくコントロール・ルームの扉が閉じる。恐らくもう二度とこの扉をくぐることはないだろう。ハッチへの長い廊下を抜けたキルシュは、そしてたった一度だけ自分の船をふり返った。ただ一度、全ての思いをこめて。

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