47・番犬と狼~different~


 女の子たちのユニフォームは、メイドさん。ひらひらの短いスカートにニーハイソックス、白いフリルのエプロンのフレンチメイド。かと思えば、ロングスカートのエプロンドレスにホワイトプリムのヴィクトリアンメイドを好む女子もいて、その対照的な装いはなかなかにかわいい。

 途中、一部の男子が執事の格好をして接客、という意見が出て、選抜された数名がその衣装を着せられている。

 そして、俺はと言えば。

 でっかいプラカードを抱えて校内を歩いていたら、市谷(いちがや)先輩とばったり会った。先輩は引退したはずの生徒会の腕章をつけて、今日も隙なく着こなした制服姿で次々に仕事を片付けているらしく、近くにいた後輩たちに的確に短く指示を出していた。

 俺の姿を見た市谷先輩が、珍しく面食らったような顔をした。

「──陽佳(あきよし)」

 俺の名前を呼ぶと、右手の指先で眉間の辺りを押さえる。

「ついに本物の犬になり果てたか」

 はあ、と深い溜め息をついて、市谷先輩がつぶやいた。

 そう、俺は犬になっている。制服姿の俺は犬耳と犬尻尾をつけられ、首輪までされて、その首輪からはプラスチックのチェーンがぶら下がっていた。隣にはクラスメイトの女の子。ミニスカートのフレンチメイドさん。俺の手綱を取るようにして一緒にビラ配りと店の宣伝をしていた。

 コスプレならばルックスだ、という女子の意見で候補に挙がった男子は数人。俺と広瀬も一応その中に選ばれたが、広瀬は生徒会が忙しいからと素早く回避した。男子の衣装は女子の手作り。採寸の段階になって、女子の1人が、ぽつりと言った。

 ──沢村くんってさ、犬だよね。

 その時の教室中の女子生徒の納得感と言ったらなかった。ああ、とうなずいて、みんなで俺の衣装の採寸をしていた手を止め、こそこそと話し合いを始める。置いてけぼりになった俺がぽつんと待っていると、現状一致で決まりました、と言われた。

 ──何が?

 俺は首を傾げたけれど、結局、なんだかかっこいいビクトリアンな執事の衣装は着せてもらえなかった。そして、文化祭当日、俺は客寄せパンダならぬ、客寄せ犬となったのである。

「異常なほど似合うぞ、陽佳」

「……嬉しくないです」

 文化祭は2日間。もちろん、今日だけでなく、明日も俺はこの格好でプラカードを持ってうろうろとお店の宣伝要員だ。

「お前以上にその格好が似合うやつもいないな」

「がるるる」

 俺は犬の真似をして市谷先輩に威嚇するようにうなった。市谷先輩は声を上げて笑う。

「先輩、なっちゃんは?」

「小沢と2人でぶらぶらしてる」

 やたらと忙しい市谷先輩が後輩に声をかけられて去って行った。俺はその姿を見送って、また客寄せ犬の仕事を全うすることにした。

「沢村くん、行くよー」

 ひらひらのスカートを翻したクラスメイトが、俺の首輪から伸びるチェーンを軽く引っ張った。

「わん」

 ふざけて一声鳴いてみたら、クラスメイトが笑った。周りにいた一般客も、驚いたように俺を見て、それから笑顔になった。途中、何度も他校の女子生徒や、なぜか同じ学校の女の子たちにまで写真を撮ってもいいですか、と訊ねられ、そのたびに並んで写った。

「──やっぱり、こっちで正解」

 クラスメイトが小さくつぶやいたけれど、俺には何のことだか分らなかった。結局、午前中いっぱい、俺はミニスカメイドや正統派メイドの女子とぐるぐる校内を歩き回り、休憩まで忙しく宣伝を続けた。

 差し入れのジュースを飲んでいたら、広瀬が控室に顔を出した。犬の格好のまま椅子に座って休んでいた俺を見つけて、笑う。

「沢村、すごく似合うね」

「市谷先輩にも言われた」

「あはは」

 広瀬は途中で買ってきたという調理部が売っていたパウンドケーキとクッキーを広げた。

「俺もちょっと休憩なんだ。──これ、おいしいよ」

 かわいくハート形に抜かれたクッキーをかじると、甘いバニラの香りが口に広がった。控室は、空き教室が使われている。他のクラスと兼用だけど、さっきまでいた数名の生徒は、広瀬と入れ違いみたいに出て行った。

「うちのクラス、結構人気あるみたい」

「メイドさん、かわいいもんね」

 俺が答えると、広瀬は笑いをかみ殺すような顔をした。どうしたの、と訊ねると、ちらりと周りを見て、控室に誰もいないのを確認すると、

「ていうか、沢村ね」

「俺?」

「──何で、沢村だけこんな格好なのか、知ってる?」

「犬みたいだから」

 広瀬は小さく吹き出す。

「うん、まあ、それも間違ってないけど……。あのね、ここだけの話、本当は沢村を完璧に着飾るつもりだったみたいだよ」

 広瀬はクッキーをぽりぽりとかじりながら続ける。

「でも、それじゃ絶対ホストクラブみたいになって、指名されまくっちゃうからって、クラスの女子が同盟組んじゃって」

「……同盟?」

「他の女の子近付けないために、沢村は外で客引きに、ってことになったんだって。かっこよさ全開だと逆ナン必死だから、かわいく仕上げて、人目を惹く作戦。だから、いつも、見張りの女子が1人くっついて手綱握ってるでしょ」

「……あれ、見張りなの?」

 俺のリードを持つメイドさんは、そういうことなのか、と思った。

「えー、あの衣装着たかったなー。終わったら衣装もらって、なっちゃんと、ご主人様と執事さんごっこしようと思ったのになあ」

「沢村じゃ、執事じゃなくてホストになっちゃうって」

「じゃあ、ホストとお客さんごっこでもいいや」

「……なかなか倒錯的だね、沢村」

 あっという間に、クッキーがなくなっている。仕方ないのでパウンドケーキを半分に割って食べた。こちらも、ふわふわでバターがいい香りでおいしい。

「午後は柴崎さんと回るの?」

「うん」

「さっき、柴崎さんに会ったよ。小沢さんと2人で、たこ焼き食べてた」

 校内を歩き回っていたのに、夏基(なつき)とは一度も会えないままだ。俺も夏基とたこ焼きを食べたかったなあ、とがっかりする。

「俺は午後は市谷先輩と見回りなんだ。──そろそろ戻るね」

 広瀬は残っていたパウンドケーキを口に放り込み、席を立つ。広瀬もいつも、忙しい。俺はうなずいて、ばいばーい、を手を振った。広瀬がいなくなると、控室は俺だけになった。ジュースを飲んでいると、ポケットの中でスマホが振動した。

 ──教室の前にいる。

 夏基からだった。俺はペットボトルのキャップを閉め、急いで控室を出た。俺の教室の前で、夏基と小沢先輩がメイドさんに囲まれていた。チラシを手渡され、何か説明されている。なっちゃん、と声をかけると、夏基が顔を上げて、きょとんとした。

「──陽佳」

「言わなくていいよ、なっちゃん。分かってるから」

「似合うな」

「言わなくていいって言ったのに……」

 俺はがくんとうなだれる。

「おー、違和感ないなー」

 小沢先輩までそんなことを言い出す。

「元々こういう生き物みたいだな、お前」

 俺の犬耳を撫でながら、小沢先輩が楽しそうに笑う。

「わんわん」

「ははは」

「がるるるるー」

「メイドさん、この番犬、しつけがなってないよ」

 小沢先輩に話しかけられたクラスメイトは、はしゃぐようにごめんなさーい、と言った。

「俺、メイドさんとお喋りしてくわ」

「分かった」

 初めからここで別れるつもりだったのだろう。夏基は女子に手を引かれるようにして教室に消えていく小沢先輩を見送ってから、俺を見上げる。

「……本当に、似合うぞ」

「喜ぶべきか、悩むよ、なっちゃん」

 自由時間の間も、1日店の宣伝は続けてね、と言われているので、俺の背中には手書きのチラシがピン留めしてある。犬の格好のまま歩いていれば目を引くだろうから、と耳も尻尾も外すなと念を押されている。

「なっちゃん、おなかすいた」

「──じゃあ、何か食べよう」

「たこ焼き、おいしかった?」

「どうかな。小沢がおごってくれた」

 聞けば、夏基が客引きにつかまり困っていたところ、俺が食べたいから、と小沢先輩がひとパック購入して、分けて食べたのだと言う。

 おいしいとも不味いとも言えない微妙な味だったらしいけれど、頑張っていっぱい売れよー、などと笑いながら売り子に声をかけた小沢先輩に、その売り子たちが陥落していくさまが夏基には見えたという。

「さすがハイスペック小沢先輩……」

「ああ、売り子の目がハートだった」

「うわー」

 無自覚にどんどん女の人を落としていく小沢先輩は、時々すごく罪深いような気がする。

「……なっちゃん、本当に、やめてね。小沢先輩に落ちないでね」

「馬鹿」

 呆れたようにそう言って、夏基はパンフレットに目を落とす。

「何を食べる? 2年がカレーの店をやってるし、ラグビー部のお好み焼きとか、中庭で1年のクラスがやきそばの屋台を出してる」

「お好み焼き、食べたいなあ」

 俺と夏基は校庭の一角で売っている、お好み焼きの屋台に向かった。ラグビーボールを模した形のお好み焼きを買って、どこで食べようかとうろうろしていたら、中学の時の同級生とすれ違った。同じクラスだった男子生徒が、俺を見るなり声をかけてきた。ひさしぶりー、と盛り上がっていたら、そいつの連れの彼女も、同級生だった。いつの間に付き合っていたのか、まったく知らなかった。

「沢村は、やっぱりなっちゃん先輩と一緒なんだな」

 2人が夏基にも挨拶をして、俺に向かってそんなことを言った。

「高校まで追いかけてくくらいだもんなあ」

「そうだよ。俺となっちゃんは、ずーっと、一生、一緒なんだよ」

「変わらないなあ」

 2人が呆れたような顔をして、それから、

「ところで、何で犬なの?」

 と不思議そうに訊ねてきた。説明するのも面倒だったので、くるりと背中を向けて、チラシを見せた。その宣伝だと納得して、2人はあとで寄ってみる、といって去って行った。

 校庭の隅の花壇のへりに座って、俺は途中で買ったペットボトルのお茶を夏基に渡した。夏基はそれを受け取り、ありがとう、と言った。俺は、さっき控室で飲んでいたジュースの残りを飲む。

「あの2人が付き合ってたなんて、知らなかったなー」

「クラスメイトだったのか?」

「うん、3年の」

 パックを開けると、甘じょっぱいソースの香りが広がった。本物のラグビーボールくらいの大きさのそれは、毎年のラグビー部の名物なのだと言う。2膳もらった割り箸で、分けて食べる。中にはたくさん焼きそばが挟まっていて、見た目も中身もボリューム満点だ。

「──さっき」

 夏基が箸を止めてつぶやく。

「ずーっと、一生、一緒」

「──うん」

 俺はうなずく。さっきの2人に言ったことを、ちゃんと聞いていてくれたらしい。

「俺はね、この先もずっと、一生、なっちゃんと一緒だよ」

「──ん」

 夏基が少し頬を赤くしてうつむいている。

「ねえ、なっちゃん」

「何だ」

「俺ねえ、クラスで、忠犬って言われてるんだよ」

 夏基が顔をしかめた。

「いつでもなっちゃんのために尻尾ふって走っていくから」

 俺は、ベルト通しに引っ掛けられた犬の尻尾を持ち上げてふるふると揺らして見せた。

「──市谷が……」

 夏基は俺から目をそらして言った。

「さっき、お前に会ったって言ってた」

「うん」

「お前が、メイドの番犬してたって」

 それを夏基に吹き込む市谷先輩の愉快そうに笑う顔が想像できた。あの人は時々、小沢先輩や俺たちをからかって楽しんでいるフシがある。

「小沢も」

 さっき、教室の前で別れた小沢先輩は、俺の犬姿に楽しそうに笑っていた。

「番犬って、言ってた」

 確かに、俺がうなってみせたら、小沢先輩がメイドの女子にこの番犬はしつけがなっていない、というようなことを言っていた。

「──なっちゃん?」

「女の子を守る、番犬なんだろ」

 夏基はこちらを見てくれない。さっきからすねたようにそっぽを向いている。

 広瀬が言うには、メイドさんの方が、見張りだったんだけどな。

 けれど俺は、それを口にはしなかった。思わず口元がにやける。

「なっちゃん」

 呼びかけたら、夏基が視線を俺に向ける。

「俺はね、なっちゃんの番犬だよ」

 俺は持ち上げていた尻尾を再び揺らした。

「なっちゃんを守るために、いるんだよ」

 夏基はひそめていた眉をわずかに穏やかにさせた。その隙に、俺は軽く頭を下げて夏基に近付いた。

「一生傍にいて、なっちゃんを守るよ。──だから、ちゃんと撫でて褒めて」

 犬耳を夏基の鼻先にこすりつけると、夏基がくすぐったそうに少し、笑った。だから、俺は追い打ちをかけるように夏基に擦り寄り、わん、と鳴いた。

「──本当に、犬だ」

 夏基が、諦めたように笑った。そして、俺の頭を撫でてくれる。淡い茶色のふわりとした髪が夏基の長い指でかき混ぜられる感触が、とても気持ちいい。

「一生撫でて。いっぱい褒めて」

「──ん」

 夏基の手はとても優しく俺を撫でる。俺は尻尾を揺らして、にこりと笑った。

 校内は賑やかで、人混みの喧騒は校庭の隅のこの場所にも届く。俺に伸びていた夏基の手をつかんで、俺はもう一度、夏基の耳元で、わん、と鳴いた。誰にも気付かれないように、一瞬だけ、俺は夏基にキスをする。

「──なっちゃん」

 小さく名前を読んだら、夏基が目を細めて俺を見た。

「大好き」

「──陽佳」

「なっちゃん、そんな顔されたら、このままどっか、連れ込んじゃいたくなる」

 俺の言葉に、夏基は一瞬驚いたような顔をして、それからどこか呆れたような表情に変わった。

「──お前は」

 夏基は再び俺の頭に手を伸ばし、ぐしゃりと乱暴に頭を撫でた。

「犬じゃなくて、狼かも」

 俺はにっこり笑って、再びわんわん、と鳴いてみせた。

「狼はわんわんって鳴くのか?」

 夏基がそう言って、おかしそうに笑った。


 了



 狼も、わんわん、って鳴くのですか?

 アホっぽくてごめんなさい。バカップルですから。


 平和な文化祭……かと思いきや、2日目は、ちょっと、急転直下。

 次は夏基。

 広瀬の出番ですよ~。

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Dsease hiyu @bittersweet

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