46・rest


 高校3年。最後の文化祭だからといって浮かれるタイプの人間は、この特進クラスには皆無である。ホームルームを使って、今年の文化祭はどうするか、という議題が持たれたが、クラスで何を催すか、ということ以前に、文化祭に参加するのか、という基本的な問題からのスタート。

 文化祭くらいは参加したいと手を上げたのはクラスの半数。残りは球技大会同様ボイコットの姿勢。市谷(いちがや)と小沢は、参加に手を上げた。俺もそれに倣っておいた。

 と、いうわけで、結局我がクラスは文化祭に参加を決めたが、手の込んだ出し物は却下。このままだと、適当な展示のみの自由参加状態になりそうだ。

 夏前まで生徒会で文化祭を仕切っていた市谷は、今年もその手伝いに駆り出されることになったらしく、珍しく広瀬が3年の教室までやってきた。

 入り口で教室を覗き込む広瀬に一番最初に気付いたのは俺で、席を立って入口まで行って声をかけると、市谷先輩をお願いします、と言われた。俺は振り返り、窓際の自分の席で後ろの席の小沢と何か話していた市谷を、大きな声で呼んだ。市谷がこちらを見て、席を立つ。

「どうした、広瀬」

「今日の放課後の実行委員で使う資料です」

 ステープラーで留められたプリントを差し出す。

「今年はミスコン復活の声があるみたいです」

「──そんなこと、してたのか?」

 2人の隣にいた俺が訊ねると、市谷が資料をめくりながら、

「5年くらい前までな」

「あまり盛り上がらなかったので、すたれたらしいです」

 広瀬が付け加える。

「それが、どういうわけか、今年はミスコンだけじゃなくミスターコンテストをやってくれって声が多くて」

「そりゃあれだ」

 市谷が俺を指さす。俺だけでなく、広瀬もきょとんとした。

「陽佳(あきよし)」

「──ああ」

 市谷の言葉に、2人で納得した。

「どうせ、やったところで小沢か陽佳が獲るだろ。結果が分かっててつまらん。却下だ」

 確かに、学校中を見渡したって、陽佳や小沢以上に見栄えのする生徒はいない。外部からの参加を募ったとしても、あの2人と肩を並べられるような人間が、そうそういるとは思えない。

「多分優勝は小沢だな」

 市谷がさらりと言った。

「どっちにしろ、優勝と準優勝が確実じゃ、一種の出来レースだろ」

「それは、確かにつまらないですね」

 広瀬がうなずく。

「ミスコンだけならやってもいいが、結局たいして盛り上がらないと思うぞ」

「──お前は時々、本当に失礼だな」

「お前に言われたくないよ、夏基(なつき)」

 俺も市谷も、女に興味がないせいか、対女性にはかなり辛辣である。

「お前のクラスは何をするか決まったのか?」

 市谷の問いに、広瀬が顔を上げる。茶色の髪がさらりと揺れて、柔らかな雰囲気の顔が少し困ったような笑顔になった。市谷と並んでいると、どことなく兄弟みたいに見える。

「クラスの女子が、かわいい衣装を着てお店をやりたいって言ってるんですが、男子の方は面倒くさがってる感じですね」

「ふうん。──男子にどんなコスプレが好きかアンケートでも取って、女子にそれ着せればいいんじゃないか? テンション上がって多少無理くらい聞くようになるだろ」

「──なるほど」

 広瀬が目から鱗を落としている。

「じゃあ、放課後な」

 くるりと丸めた資料を手にした市谷がそう言うと、広瀬が一礼して去って行った。

「コスプレ……」

 男子にアンケート、ということは、陽佳もその中に入るのだろう。生まれたときから一緒にいるが、陽佳のそういう趣味嗜好というものを、あまりよく知らないな、と思った。

「──気になるなら、猫耳でもつけてみたらどうだ」

 市谷はつまらなそうに自分の席に戻って行く。俺はそのあとをついていき、大人しく席で待っていた小沢の机の横で立ち止まる。

「猫耳は、どこで買うんだ?」

「……冗談だぞ、夏基」

 市谷は呆れたように俺を見た。小沢がきょとんとして、

「何、猫耳? 俺持ってるよ」

 市谷は、今度は、その呆れた視線を小沢に向けた。

「何でだ」

「前の彼女が置いてった」

「──倒錯か」

「ただの興味だろ?」

「お前も好きなのか?」

「いや、何か、俺に、つけられた」

「…………」

 市谷の視線が冷たいものに変わった。小沢の猫耳姿でも想像したのかもしれない。

 俺も一応想像してみたが──悪くはない、ような気がする。

「欲しいならやるよ」

「ん」

「──マジでつけるのか、お前」

 深い溜め息をつく市谷に、俺は首を傾げた。

「柴なら似合うんじゃないか? 素っ気ない黒猫っぽいしな」

「陽佳は、好きか?」

「さー。あいつ犬だからなー。──まあ、陽佳なら、柴に何ついてようと喜びそうだけど」

「そうかもしれない」

 陽佳はいつだって、俺を好きだと言う。いつ何時でも好き好きと抱きついて、かわいいと連呼する。わざわざコスプレなどしなくても、確かに、俺なら何でもいいんだろうな、とすら思う。

「ところで、何でいきなり猫耳の話になってんの?」

 小沢が不思議そうな顔をしたので、俺は手短に広瀬との会話を説明してやった。

「あー、なるほど。ていうか、市谷の提案って、本当に無駄がないよな。愛もないけど」

「うるさい。──放課後は委員会だ。遅くなるようなら、連絡する」

「分かった」

 小沢がうなずく。何か、約束でもしているのだろう。

「夏基──」

 自分の席に着き、振り返るようにして小沢の机で頬杖をついていた市谷が、俺を見上げた。

「お前は時々、俺の予想の斜め上を行くな」

 市谷の言葉の意味がよく分からなくて、俺は再び首を傾げた。その正面で、小沢がおかしそうに笑った。


 それからしばらくして、結局、俺たちのクラスはクラス写真を行事ごとに並べただけの展示参加にすることが決定した。準備も簡単なら、当日の仕事もほとんどない。クラスの有志が提出してかき集めた写真を、パネルに適当に貼りつけるだけ、というお手軽さ。参加自体に反対だったメンバーは、その準備にすら顔を出さず、図書室や自習室で黙々お勉強だ。

 さすがに下級生は楽しそうに休み時間や放課後を準備に当ててはしゃいでいる。そんな姿を眺めながら、俺と小沢は1年の教室が並ぶフロアを歩いていた。

 陽佳のクラスは、喫茶店をやることになっていた。市谷の提案通り、広瀬は男子生徒に決をとり、女子生徒がその中から気に入ったものを着る、ということで決着したらしい。女子生徒は念願通りかわいい衣装を着られて、男子生徒は目の保養をしつつの裏方。素晴らしく合理的な解決方法である。

 陽佳のクラス前で足を止め、教室を覗き込む。クラスメイトが数か所で分かれて固まって、それぞれ作業していた。広瀬がその集合体をあちこち行ったり来たりしながら頼られているのが見えた。

「あれ、おもしろいことになってるぞ」

 小沢に肩をつつかれて、俺はその方向を見た。教室の隅に固まる女子生徒。その中心に陽佳が座っていた。数名の女子生徒に髪を触られ、眉を八の字にしている。

「陽佳」

「なっちゃああん」

 俺が声をかけると、情けない顔をして俺を呼ぶ。周りを囲んでいた女子生徒たちが少しだけ陽佳から距離を置いた。椅子に座っていた陽佳は、どういうわけか、髪にヘアピンをつけられていた。

「何してるんだ?」

 小沢と2人で教室に入っていくと、女子生徒が数人、きゃあと声を上げた。小沢がにこりと笑ってそれに応えている。──どこへ行っても女子の目を引くやつだ。

「作業するのに髪が邪魔だなあって言ったら、つけられたー」

 陽佳の前髪を押さえるヘアピンはキラキラのカラーストーンでできた花がついていた。

「つけられた、じゃないよー。髪結んだらって言ったのに、やだって言うから、貸してあげたんだよ」

 女子生徒の1人が唇を尖らせる。

「俺、女の子じゃないもん」

 むう、とふくれると、陽佳を取り囲んでいた女子生徒たちがきゃらきゃらと笑った。

「でも似合うよー」

「かわいいよねー」

 完全に遊ばれている。

「ピンクのお花なんて、似合わないもん」

 陽佳はますますむくれている。俺が眉間にしわを寄せていると、それに気付いて、

「どうしたの、なっちゃん。何か用事だった?」

 少し、心配そうな顔をして訊ねてきた。

「──陽佳」

 俺は椅子に座っていた陽佳の腕をつかんだ。

「話がある」

 陽佳は椅子から立ち上がり、俺に腕を引かれて歩き出した。教室を振り返って、ちょっと出てくる、と言い残す。小沢が呆れたように小さく溜め息をついて、ひらひらと手を振ったのが見えた。

「なっちゃん」

 俺は返事もせず陽佳の腕をつかんだままずんずんと歩く。放課後の校内は、どこもかしこも文化祭の準備で賑わっていた。その賑わいを抜けるようにして人気のない場所を探した。3階から階段を上って各教科室のある4階を覗いたが、そこも人がいる。そのまま再び階段を上がり、屋上へと抜けた。

「どうしたの、なっちゃん?」

 屋上には人気がない。一応建前として立ち入り禁止になっているそこは、俺たちがいつも昼休みに昼食をとる場所でもある。

 俺は振り返り、陽佳の前髪を留めていたピンを引き抜いた。

「勝手に……」

「──なっちゃん?」

「お前に、勝手に触ってた」

 俺はピンを陽佳の制服のシャツの胸に押し付けた。陽佳がそれを受け取って、胸ポケットに入れた。それから俺の顔を覗き込むように少しだけ身を屈める。

「なっちゃん、やきもちだ」

「悪いか」

「悪くないよ」

 陽佳はにこりと笑って、俺の身体を抱き締める。

「すごく嬉しいよ」

 屋上の入り口の扉に背を預けるようにして、陽佳が俺を抱き寄せたまま座り込む。

「少し休憩していこうね」

 向き合うようにして抱き締められた俺は、陽佳の前髪にそっと触れた。

「大人しく結んでおけば、触られたりしなかったのに」

「──だって、あの髪型は、なっちゃんがいるときしかしないんだもん」

「そうなのか」

「髪括った俺、なっちゃん好きでしょ」

 俺はうなずく。

「だから、なっちゃんに見せてあげるために結ぶんだよ」

「──それは嬉しいけど、勝手に触られるくらいなら、結べ」

 陽佳はうーん、と少し考えてから、右手をズボンのポケットに突っ込んだ。出てきたのはヘアゴム。俺の身体を支えていた手を離して、手早く髪を括る。

「ヘアピンつけられるより、いい?」

「当たり前だ」

「なら、次からそうする」

 少ししゅんとして、陽佳が言った。色の抜けた髪は、風に揺れてふわふわと光っている。結局、どうせすぐ伸びるから、と明るく染まった髪はそのままだ。黒髪だった頃より柔らかくなったその髪を撫でたら、陽佳が顔を上げた。そして再び俺の腰のあたりを支えるように腕を回す。

「なっちゃん」

「何だ」

「本当は、何の用事だったの?」

 別に特別な用があったわけじゃない。市谷はばたばたと忙しく走り回っているし、クラスの展示は完成してしまってやることもないし、陽佳からは準備があるからと言われていたので一緒に帰ることはできない。だから、陽佳が仕事を終えるまで、ぶらぶらと時間をつぶしていただけだ。

 付き合いのいい小沢は、その雰囲気を楽しそうに味わっているようだったが。

「用事なんてない。お前に会いに来ただけだ」

 陽佳は俺の答えに嬉しそうに笑顔になる。

「屋上、誰もいないね」

「ああ」

「なっちゃん」

 陽佳が小さく首を傾げるようにして俺にキスをした。

「なっちゃん、大好き」

 また、唇が重なる。何度か短いキスを繰り返しているうちに、陽佳の手が俺の背中をたどった。初めは触れるだけだったキスも、いつの間にか深くなる。

「あき、よし」

「──ん、何」

「学校だ」

「うん」

 校庭からも、生徒たちの声が聞こえていた。まるで弾けるように、楽しそうに笑う声。はしゃぐように、陽気に。

「知ってるよ、なっちゃん」

「──まだ、いっぱい、みんな、残ってる」

「うん」

 気が付くと、これ以上ないというくらい密着していた。陽佳の心音が、直接俺の胸に響く。

 考えてみれば、学校でキスをしたのは初めてだった。

「──誰か来るかも──」

「来ないよ」

「どう、して」

「入口は、俺がふさいでる」

 陽佳に抱きついた俺の正面には扉。陽佳がしっかりと背中をつけている。屋上への入り口はこれひとつ。

「だから、大丈夫」

 するりと、シャツの内側に入った陽佳の指先が、俺の背骨をなぞる。

「──教室、戻らなきゃ」

「うん、ちょっとだけ」

 さっき、教室で女子生徒に囲まれて、情けない顔をしていたのとはまるで別人みたいに、陽佳の声は落ち着いていた。その響きは低く、まるで陶酔するように、俺の意識が揺らぐ。

 陽佳の唇は頬をかすめ、首筋に移動する。

「大好きだよ、なっちゃん」

 いつもは額や、頬に落ちて揺れる髪が、括られている。整ったその顔が露わになった分、はっきりと陽佳の表情が見える。

 くっきりとした目はいつもより鋭さを持ち、俺を見つめる。その視線で射られてしまいそうだ、と思った。

「──陽佳」

 陽佳の手が俺に触れる。その指先が、優しく、時に荒く。

 俺は必死で堪える。陽佳のささやきが甘く、俺の耳に届く。

 校庭からの声は続いていた。校舎のあちこちから聞こえる、金づちの音や、がらがらと何かを運ぶ台車の音、時々誰かが大声で何かを叫んだり、笑ったり。

「────っ」

 俺は陽佳に抱きついたまま、ぎゅっと目を閉じる。頭が真っ白になった。

 スピーカーから、呼び出し音が鳴った。生徒を呼び出す放送が流れる。

「──なっちゃん」

 陽佳の声が耳元で聞こえた。

「大丈夫?」

 俺は乱れた息を続けたまま、ゆっくりと身体を起こした。目の前の陽佳が、まっすぐに俺を見ている。

「──平、気」

 俺の返事に陽佳はふっと笑った。

「立てる?」

「……分からない」

「じゃ、もう少し休んでていいよ」

 左手で俺の身体を支えて、陽佳は汚れた右手をぺろりと舐めた。俺が真っ赤になると、陽佳はくすりと笑った。俺は慌ててハンカチを取り出し、陽佳の手を拭う。

「──そんなの舐めるな、馬鹿」

「うん、馬鹿なんだ」

 陽佳は何だか嬉しそうにそう言って、俺を抱き締める。

「なっちゃん」

「──ん?」

「文化祭、一緒に見て歩こうね」

「ん」

 うなずいて、陽佳の身体に身を預けたら、目の前で陽佳の髪がふわふわ揺れていた。明るい髪色を見つめながら、俺は、何かに似ているな、と思った。

 金色に近い、明るい茶色。ふわりと柔らかなその毛並み。

「──陽佳」

「何、なっちゃん」

「お前は、どんなコスプレが好きだって書いたんだ?」

 俺の問いに、陽佳は俺の身体をべりっと剥がすようにして、ぎょっとしたように俺を見た。

「な、何でアンケートのこと知ってるの、なっちゃん?」

「──市谷の提案だから」

 陽佳はうあー、とうなだれて、今にも頭を抱えんばかりだが、両手は俺を支えているから、実際はうつむいただけである。

「メイドか、セーラー服か、ナースか」

「な、なっちゃん……」

「スク水か、婦警か」

「なっちゃん、コスプレって言っても、エッチなことじゃないよ……」

「猫耳か、ウサ耳か」

「────」

 どうやら、陽佳はだんまりを決め込むことにしたらしい。俺からわざとらしく目をそらし、聞こえないふりをしている。

「陽佳」

「い、言わないもん」

「……陽佳」

「ひ、秘密だもん。言わないったら言わないからね」

 なぜそんなに焦るのだろう。

 俺はじとりと陽佳をにらみ、陽佳は必死で目をそらしている。

「そんなにマニアックなのか」

 陽佳が背けていた顔を戻し、あわあわした。

「ち、違うよー!」

 そう叫んだ陽佳の声は屋上に響き渡り、空に吸い込まれていったのだった。


 了



 なにしてるんすか。

 完全アウトですよ、お二人。

 市谷にばれたら、殺されますよ。


 わんわん。

 そのうち、お手もできないお馬鹿な犬に成り果てそうです……。

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