第24話

「な~んか、感じ変わったよね」

 相変わらずぐだりとテーブルに頬をつけたまま、御厨は上目づかいで「ココアよろしく」と出雲にマグカップを差し出した。

 事務所で昼寝、その事務所にも自分以外の誰かがいるときは休憩室のベットで寝ている御厨は、今日も緑の瞳をゆらゆらと揺らしている。


「御厨さんって働くことあるんですか」

 嫌味の1つでも言いたくなるのも許して欲しい。

「僕が働くときは失敗の時だからね。寝てるぐらいがちょうどいいの」

 ん、羊のイラストが描かれたマグカップを出雲のPCモニターに置いた。

 薄さ3センチにも満たない不安定な場所に置かれれば、マグカップはぐらりと不安定に傾く。慌ててそれを持ち上げれば「濃いめでよろしく」と手を振った。

 コーヒーメーカーは今居る4階の事務所にあるが、ポットやレンジは2階の休憩室にしかない。めんどくさいと思いつつ新人に拒否権は無い。自分もこの会社に染まったものだと出雲は2階に降りてホットミルクにたっぷりとココアの粉を溶かす。

 4階に戻って少々御厨の乱暴に置いた。金色の髪を輝かせて「ありがと」という御厨はあざとい。わざわざ両手でカップを包み込んでいるあたり余計にあざとくて出雲はイライラしはじめた。

「で、話戻すけど、最近感じ変わったよね。フラれた?」

「どうしてそうなるんですか!」

「仕事に生きる! って感じじゃん。男に捨てられたのかなーって思って」

 余計なお世話だ。ふうふうと冷ましているアヒル口を捻りあげてやろうかとマウスを握りしめる。

「違います。部長をギャフンと言わせるんです」

 コントレックスとコーヒーを交互飲んでいる出雲は、ブルーライトをカットするという眼鏡を外した。

「あいつ仕事はできるからね~無理じゃない?」

「無理じゃありません」

 遺品整理は毎回が血なまぐさい現場な訳でもない。本当に故人を悼む故に整理出来ない方もたくさんいるのだ。

 そんな遺族の前でも変わらず淡々と整理をする。その姿を見て、納得できない所があった。

 遺族は確かにそれを求めているのだが、もっとやり方があるんじゃないだろうか。残された人を気遣いもっと支えることが。もやもやする気持ちが心の中にあった。


 そんな時に箕面市の現場で鹿骨に情で仕事をするなと言われた。自分で考えて、マニュアルを作れと。

 悔しかった。しかしそれもそうだと思った。


 出雲の机の上には最初の頃と比べて随分と使用した形跡がある。ペンケースに刺しているハンドクリームを指先に塗りこみ、資料のページをめくった。

 帝塚山の机との境界線に山の様に詰まれた本は、すべてビジネス書だった。自費で買う余裕はなく、電車に乗って大阪府立中之島図書館まで行き借りてきたものだ。

 その他にもインターネットから印刷した資料も散らばっている。他業者のホームページの紹介文に黄色のマーカーペンを走らせながらじっくりと読み込んだ。最近は遺品整理という仕事の認知度も上がってきており、他業者のホームページには作業内容がわかるようなブログなども充実している。

 細く切った裏紙を付箋代わりに挟んだ資料とにらめっこして、キーボードを叩く。

「おい何サボってるんだ」

 遅めの昼休憩に出ていた鹿骨が戻ってきて早々に背もたれにに掛けていた作業着を羽織った。

「サボってません、資料作ってるんです。他の業者もこんなに色々取り組んでいるんです。ウチも、何か仕掛けて行かないと仕事取られちゃいますよ」

 ブログの記事を流し読みした鹿骨は出雲に資料を付き返す。

「お前が好きで作ってんだろ、時間外にやれ。現場行くぞ」

「今日何処かありましたっけ?」

 ホワイトボードを確認しても、夕凪の現場と帝塚山の見積もりの予定が書かれているだけで今からの仕事は入っていない。

「緊急で入った。北区だからすぐそこだけど、女の部屋だし物が多そうだ。もう居ないだろうし断ろうと思ったが、今月売り上げが悪いから受けることにした」

「じゃぁ僕が行きますよ」

 丁度見積もりから帰ってきた帝塚山が手を上げる。

「杵築さんは電話番と報告書作成お願い。残りの時間は作成に当てていいから」

 とデジタルカメラのSDカードを渡す。中には警察から依頼が来た自殺現場の見積もり写真が収められている。

「お前は甘すぎる」という鹿骨に「まぁまぁ」となだめる声が続く。

「じゃぁ行ってきます」と上司の背中を押しながら出て行った帝塚山に頭を下げ、出雲はもう一度パソコンに向かい合った。


 珍しく電話も少なく、仕事がはかどった日だった。

 帝塚山から渡されたを終わらせ、後はせっせと資料作りに励んだ。

 初めの頃感じたこの仕事への落胆はもう感じない。出雲は観念して認める。仕事が少しずつ楽しくなってきている。知らない事を学び、1日前に出来なかったことが出来る様になるのは楽しかった。

 充実感が酸素になり、脳と身体を軽くしている。


 その時、机に伏せていたスマートフォンが小さく震えた。時間は定時10分前。随分と集中していた様だ。

 幸いな事に御厨は眠りの世界へ旅立っているし、他のメンバーも外に出たままだ。こっそりとメッセージアプリを開くと、待ち合わせ場所についたという報告が入っていた。

 1週間前に大学時代からの友人から連絡が入った。卒業して以来ご無沙汰だから久々に飲まないかというお誘いだった。

 実際の所まだ卒業して3ヶ月も経っていないのだが、毎日顔を合わせていた頃と比べれば随分と間が空いてしまっている。

 二つ返事を返した出雲が指定されたのが今日のは6時半に梅田のビックマン前に集合ということだった。木曜日だが、土日が休みの人間ばかりでは無いため皆の都合が良い日が今日だったのだ。


 キリの良い所でファイルを閉じる。書きたい事は書いた。後はもう少し簡潔にするだけだ。

 受話器を取り、鹿骨に帰社の連絡を入れる。

『わかった。俺たちも現場が長引くから直帰する。何か申し送りあるか?』

「いえ、特に」

『じゃぁ御厨に代わってくれ』

 壁掛け時計を確認すると時計は6時半。もともと少し遅れるとは言っていたが、集合時間になってしまった。焦った様子で電話を切りバタバタと資料を片付けだした出雲の前で、受話器を耳に当てた御厨が「ええ~!」と不満そうな声を上げた。

 現場が思ったよりも手こずっているらしく、御厨が呼び出された。


「これからどっか行くの?」

「はい、今日は久々に大学時代の友達と飲みに行くんです」

 身支度を整え休憩室から出てきた出雲を見て御厨が言った。

 確かに久々に服を買い、髪の毛も巻いたけれどそんなに浮かれてしまっているのかと反省する。

「ふ~ん、いいね。俺はこれから現場。行ってらっしゃい」

「はい、行ってきます」

 会社から出て数歩歩いてはたと気づく。御厨が働いている。それは「失敗」の時を指すと言っていた。

 今、現場で何か起きたのだろうか。

 確かめようと振り返ると御厨の車が青信号に変わり走り去る所だった。

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横道から差し出される手 碧 ふみか @ao-humika

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