第一話 萌葱(もえぎ)は天高く夢見る乙女・2
「自分でも心当たりは有るんだね」
「……ふぁい」
萌葱はあまりのショックから、なんとも気の抜けた返事をした。
「前はそんな事無かったのに、最近は他の若人の集いに誘って貰えなくなったんです。きっと私が居たら、男女間に漂う良い雰囲気を壊してしまうから……」
「そりゃあそんなぼっさぼさな髪してたらね、例え一瞬妖鬼に見間違われたとしても
「ばっちゃまぁ……!」
「ああ悪い、流石に言い過ぎちまった」
「この前友達に間違われましたぁ……」
「本当にあったんかい!……ったく、こっちが気ぃ使っちまうよ」
完全に気落ちしている萌葱はもう黙ってしまっている。
ばっちゃまは溜息を吐いてから切り出す。
「いい加減、方術を極めるなんてやめちまったらどうだい?」
しかし萌葱は――
「ばっちゃまともあろうお方が、なんて事を仰られるんですか!」
いきなり真っ赤な顔でそう怒鳴り散らしたのだ。
「うぉっと……」
「他の者がなりたがらない今の時代、私がならなければこの里の方術士を継ぐ者が居なくなってしまいます! そもそもこの里は、龍神・
「ああ分かった分かった! お前の本気を無下にしようとしたあたしが阿呆だったよ」
「本当に分かっていらっしゃるんですか!」
「分かったと言うとるじゃろ!」
萌葱の収まらない怒りに、いい加減逆に切れたばっちゃまは立ち上がって萌葱に近付く。
座っていると分からないが、老いてもぴしゃりと背筋を伸ばして立つばっちゃまは堂々たる佇まいをしていた。
「ほれ、作った符札を見せてみぃ」
「!――はい、今すぐ」
符札の話になると萌葱は途端に機嫌を直し、衣服の袖から自作の符札を取り出して渡した。
「ほう、まあまあの出来だね。これ一つ作るのにどれ位掛けた?」
「確か四時間でした」
「掛け過ぎだねぇ。このレベルの術を封じた符札なら三十分有れば作れる筈だよ」
「今回は符札自体を作る所から始めたので」
「なんだって?」
ばっちゃまの驚く顔は、萌葱の愉悦を誘った。
「今ばっちゃまが持っているそれ、完全なる私のお手製なんですよ」
「ほう」
ばっちゃまは改めて萌葱の符札を見つめる。
「それが本当なら、お前がそれだけ時間を掛けたというのも確かだろうね」
「私、頑張りましたっ。途中二度、体力の限界で倒れながらも!」
萌葱は自分で満足そうにうんうん頷いている。二度という言葉には否応無しに、聞く側に現実味を感じさせる力が宿っていた。
その萌葱にばっちゃまは呆れた顔になってしまった。しかし――
「まったく、お前の情熱には恐れ入るよ。ただね、自分の体も大事におしよ」
萌葱の全身をまじまじと見ながら、呆れたと同時に見直したという思いでばっちゃまは言う。
「その痩せた体にも、時にはちゃんと精を入れてやりな。途中でヘばっちまったら元も子もないからね」
「もっと上手に符札を作れるように修練してから、そうします」
「お前……」
――そんなままだと人生寂しくなるよ――ばっちゃまはそう言い掛けたのだが……
「大丈夫ですよ」
こちらの思考を読んだような萌葱の答えに、ばっちゃまは呆気に取られた顔をする。
「何がじゃ?」
「これだけしっかりと自分の道に邁進している私には、いつかきっと素敵な殿方が迎えに現れて下さいますから!」
萌葱は目を輝かせながら、はっきりとそう言った。
「何を言うとるんじゃ、お前は!?」
ばっちゃまの頭の中で、突っ込みを入れる以外の思考が消え失せてしまっていた。それ程萌葱の顔は唐突に、しかし純真な乙女のそれであったのだ。
「だから良いんです、里の男連中に距離を置かれたとしても。寧ろその方が、私だけの殿方が私を見付け易くなるというものじゃないですかっ」
ぼさぼさの長髪に、抱き心地も決して良くなさそうな痩せた体。しかし萌葱はそれでも、自分が恋に恋する乙女なのだと主張する。その心真っ直ぐに。
「天高く、力強く駆ける龍神・
萌葱が両手を広げて眼を輝かせながら天を仰ぐ。当然ここは家の中だから見えるのは天井だけだった。
しかし、それでもばっちゃまには何故か、萌葱のぱちりとした眼にだけは本当に敢然と澄んだ空が映っているのではないかと、そう思われて仕方が無かったのである。
「……やれやれじゃ。聞いてて、こっちが恥ずかしくなっちまうよ」
「ばっちゃま、何が恥ずかしいのですか?」
「良いんだよ、気にしなくて。お前はなんにも気にしなくて良いからね」
「うーん。ばっちゃまって、たまに突拍子も無く変な事を言い出しますよね」
言いたい事を言った後はもう素知らぬ素振りで、人差し指を唇の端に当てながらきょとんとした顔でそんな風に宣う萌葱。
――突拍子も無いのはお前じゃお前!――萌葱の能天気さはばっちゃまをイラつかせるのに十分過ぎたが、それでもばっちゃまは堪えてみせた。
「ああ、良いんだ、良いんだよ……。さあて、今日の修練を始めようか。理由はどうあれ遅れてきた分は厳しめに行くよ」
「はいっ、望む所です!」
萌葱は気合いの入った返事をした。
ばっちゃまはそんな萌葱を見てイラつきつつも、同時にクスリと笑いもするのだ。
――でももし本当に、こんな純朴な天然阿呆っ子を幸せにしてくれるような男が居たのならば……そりゃあ世も捨てたもんじゃないって思えるけどねぇ――
「途中で倒れても無理やり起こすからね。それでもきちんとやり通すんだよ」
自分がこの愛弟子にしてやれるのは、そんな奇跡のような男が現実に現れた時、せめて相手に誇れる特技の一つとして、方術をしっかりと身に付けさせてやる事に違いないとばっちゃまは思った。
それはこの里に現状残った最後の方術士であるばっちゃまの、自分に真剣に師事して来てくれるこの乙女へ向けた返礼とする思い。またはささやかな老婆心であったのかもしれない。
龍神のように天駆けて、雄として愛されて 神代零児 @reizi735
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