龍神のように天駆けて、雄として愛されて
神代零児
第一話 萌葱(もえぎ)は天高く夢見る乙女・1
「はぁはぁ……私とした事が、とんだお寝坊さん!」
彼女が着る茶色の上衣は足首まで掛かる丈長ではあるが体のラインにぴたりと沿った薄手の作りで、またサイドに腰部までのスリットが入っている為にこうして全力で走るのにも不具合は無い。その下は多少ゆとりのある直線的な作りの薄茶色をしたズボンを履いているから、例え上衣が翻っても肌の露出を気にする必要も無い。まあ時折、腰まで開いたスリットからお腹がちらりと露出する程度だ。
だがそんなゆとりのあるズボンを履いていても、やはりか細い脚をしている事は傍目に見て取れる。
脚が少しもつれた。
「はぁはぁ……負けないんだからっ」
しかし気合い充填持ち直して、またひた走る。ぱちりと開いた眼は彼女の決して多くは無いチャームポイントだったが、しかし他の若い女に決して負けないチャームポイントでもあった。
寝起きの所為でぼさぼさになった濃く黒い長髪を風になびかせながら、途中道の前に居た少年少女にその姿を茶化されても負けないめげない。
「うわ、姉ちゃんすげえ寝癖」
「萌葱姉、女捨て過ぎでしょ」
「うるさい、大人は色々大変なのっ」
そう言って本気で怒る萌葱は十七歳。十六で成人するといってもまだまだ心の半分は子供の域だから、子供相手にもそうやってムキになる。
「子供だけで外に居るのはよしなさいよ、最近はなんか物騒なんだから!」
追い越しざまにわざわざ振り返って、しっかりと二人を窘めてみせたのは残り半分の大人さの発揮だ。
「妖鬼の事? まだ昼間だし大丈夫だって」
「萌葱姉こそ帰り遅くならないよう気を付けなよ」
折角の忠告を理解しているのかいないのか分からない返事を寄こし、更には逆に萌葱に言い返してくる始末の子供達。
――まったく、近頃の子ときたら――などと萌葱は思う。彼女はそのお堅い感じ故に、このように子供にからかわれる事もしばしばだった。子供から愛されているのだ、とも言い換えられるが。
そんなこんなで、ばっちゃまの家に着いた萌葱は急いで戸を開けた。
「萌葱です、遅れてすいません!」
正座して、お茶を啜っていたばっちゃまがゆっくりとした動作で湯呑を置く。
「阿呆め、遅刻とは気が抜けておるのではないか?」
しわがれていながらも良く通るそのお小言に、萌葱は息を飲む。
「い、いえ決してそのような事は! 昨日の晩も符札の製作に取り組んでいたから、その、つい寝坊を……」
せめて気の利いた言い訳をしようとするも、とどのつまりは寝坊なのだと自ら気が付いて言葉の勢いが途切れてしまった。
「ふん、遊び呆けていた訳ではないと言うか」
ばっちゃまの方から寄こしてくれた助け船に――
「そうなんです! 私、一人せっせと真面目にしていたんです!」
なんとか乗っかってようやく自分の主張を通せたという有様である。
ばっちゃまは萌葱の真剣な表情を横目で見遣った。
「まあ確かに、お前が他の若いのと一緒に遊んで過ごせるとは到底思えんわな」
そう言って嫌味っぽい笑みを浮かべる。
萌葱もこれには流石に師事する立場である事も端に置き、憤慨した様子を見せていく。
「むっ。ばっちゃま、それを言ってしまってはお終いです!」
への字口になって胸の前で両の手を握るポーズを取る萌葱。
「相変わらず、痩せ細った身なりの癖に威勢は立派なもんだよ。しかしそんな威勢だけじゃ世間様はどうにもなりゃしない」
「どういう事ですかっ」
「お前さぁ。今日ここに来るのに村中を今みたいな険しい顔して、しかもその乱れ切った髪で走ってきたんだろ」
「あっ……」
萌葱はばっちゃまの言わんとする事を先に理解出来てしまった。
「今頃村でどんな噂立てられてるかねぇ。特に若い連中にさ」
「うぐっ」
萌葱はまるで弱みを突かれたように消沈してしまい、思わず俯く。
「こないだ年頃のお嬢さん達が言ってたよ。『萌葱とは小さい時から村で一緒だけど、方術を学ぶようになってからどんどん変わっていってる』……ってね」
萌葱は恐る恐る顔を上げた。
「か、変わっていってるっていうのは、一体ぃ、どういう風になんでしょうね?」
逆におどけた感じを装っている彼女の姿には、ある種のいじらしさが発せられていたが……
「平たく言えば、女を捨ててるって事さね」
ばっちゃまの無情なる答えに、萌葱は左胸に手を当てて大きく仰け反ってしまうのであった。
「ふぐあぁっ!」
乱れ切った黒髪が、それでもいじらしく微かな艶めきを放たなくも無かった。
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