角川フレンズパーク

糾縄カフク

A Friends First.

  ――私たちは、賢いので。


 私はお決まりのセリフを吐いた後にカレーを食べ、いかにも人智の前に屈した、無垢で可愛らしいけものという役を演じきる。朝昼晩と食事の度に回ってくる役柄であるだけに、それは一つの事務作業とすら呼んでよかった。


 昔はこんな風ではなかったのにな。という思いは、或いは老人の懐古趣味に過ぎないのかも知れない。だが実際の所、かつてパークにあった自由な空気は、今では遠い過去のように一切が失われていた。


 ここジャパリパーク――、いや、今となっては角川フレンズパークだったか――、に異変が訪れたのは、今から一月ほど前だろうか。人間の言葉で言えば晴天の霹靂とでも評すべき急転直下は、さる人物が去るのとほぼ同時に訪れた。




 その人物の名を、ここでは仮にT氏としておこう。

 T氏とは斜陽のジャパリパークに彗星の如く現れ、パーク復活の奇跡を成し遂げた映像作家を指す。ゆえにすなわち、控えめに言えばパークにとっての恩人であり、場合によっては救世主と崇めてすら過誤はない人物である。


 さて。かかるT氏の来訪より少しばかり時間を巻き戻せば、セルリアンの襲来に加え、収入源の一つであったアプリゲームが終了した事で、往時のパークは閉園の危機に追い込まれていた。職員やフレンズの尽力で何とかセルリアンそのものは撃退できたものの、その頃には運営資金は枯渇。フレンズの身売り先を模索する中で、半ば思い出作りの一環として立ち上げられたのが、T氏率いるチームによる、けもフレのアニメ化プロジェクトだった。


 この時の制作陣の意向としては「パロディやお色気を含む商業路線の要素は盛り込まず、ひたすらに丁寧な物語を作りましょう」という向きで話が進んでいたように記憶している。フレンズ側の代表として参列していた私たちにも、その内容はある程度推し量れた。


 ――人とフレンズが友情を育み、セルリアンという共通の敵を打ち倒す。そんな真っ向勝負の直球でやりましょうというT監督の熱意に押され、斯くてプロジェクトは進み始めた。私もそれだったら面白そうかなとフレンズたちを説得し、この一つの回顧録に等しい映像作品に、手を携え参加する運びと相成ったのだ。


 ……最もノリのいいフレンズたちの事だ「たーのしー!」やら「本のネタに出来る」「PPPの宣伝にはもってこいね!」などと銘々に乗り気だったのだから、私のした事と言えば、ほぼ伝令だけと言っても過言では無い。とにかくそれはお祭りだったのだ。――終わりの前に訪れる、最後の馬鹿騒ぎの筈だったのだ。




 だけれども、事態は思わぬ方向に推移する。

 一話目では酷評の嵐だった「けもフレ」が、二話目から徐々に視聴者を増やし、斯くてアニメが終了する頃には押しも押されぬ覇権作品に変容を遂げていた。なにせ動画サイトでは歴代一位の視聴率を叩き出し、通販でも文学賞候補者の新作を差し置いてのトップセールス。これは謂わば、ライオン相手にヒトが素手で打ち勝つ程度には、常識的にあり得ない結果だった。


 パークへの問い合わせは日を追う毎に増し、グッズの無いフレンズたちのソレも、急造で作られる羽目になった。ほぼ機能を停止していたパークの周辺には、カメラを携えたファンたちが押し寄せ、パシャリパシャリとこちらに向けシャッターを切っている。


 また皆が来てくれるんだね! と、周囲が活気に湧いたのは言うまでもない事で、サーバルたちは木をよじ登り、身体全体で歓びを表していた。なにせここ一年に渡り、世間から忘れ去られたかのようにパークでは閑古鳥が鳴いていたのだから。――空いっぱいに響くトキの歌声は、この時ばかりは総員の意志を代弁していたに違いないだろう。




 だが事態はそれだけでは終わらなかった。PPPがゴールデンタイムを席巻し、パークの再開も目処がたって来た頃、暗雲は唐突に訪れる。


 ――それはアニメの立役者だった、T監督の解任。

 謂わば寝耳に水とでも言っていい出来事で、口伝で委細を聞いた時、さしもの私とて開いた口が塞がらなかった程だ。


 アニメの二期は制作が決まっていて、だからと皆もやる気になっていた時宜の冷水。今度はT監督の処遇を巡る問い合わせがパークに殺到し、スタッフたちも困惑の表情を隠せない。なにせT氏の作った新しいアニメの一部は、ネットで既に公開されていたのだから、解任の理由とされたスポンサーの発表に、頷ける面々のほうが少ないのも道理と言えた。


 するとT氏と入れ替わるようにやってきたのは、KADOKAWAの名札を胸に掲げる、スーツ姿の一団だった。私もその会社自体は知っているし、確かパーティの席にもいたよなあと記憶している。何もしていない癖にふんぞり返って、生理的な好感が持てなかったのは確かだけれど。――彼らはその時と同じ威圧的な眼差しでこちらを一瞥すると、感情の無い声でこう言った。


「これよりジャパリパークは、角川フレンズパークとして再編、運営がなされます」


 斯くてT氏の件は伏せられ、何事も無かったかのように廻り出す日々。しかしてパークを取り巻く空気感も、この時から如実に変わり始めていたのだった。




 ――それは野生という自由に対する、徹底的な管理。動物ファーストという標語の元に為された、紛うことなき不自由の鎖だった。


 トキはお客様への配慮から歌う事を禁じられ、音程を矯正すべくプロのボイストレーナーが付けられた。最初の頃は喜んでいた彼女だったが、次第に繰り返される叱責から自信を無くし、今では進んで歌おうとはしなくなってしまった。


 切欠はアンケートで寄せられた、客からの苦情。そも「けもフレ」を知るファンからのクレームが来る事は考えにくいのだが、ブームとは常に弊害を生む。アニメを見ずに物見遊山でやってきた客からは、トキの歌は騒音にしか聞こえなかったのだろう。動物ファーストと宣いながらも、実質はお客様を最重要視するKADOKAWAの本音は、その始まりから馬脚を現していた。




 既にアイドルグループとして活躍していたPPPも、より可愛らしく、視聴者受けするような新メンバーを無理やりにねじ込まされ、最近ではうまく行っていないと聞く。それは大手事務所にマネージャーの座を奪われたマーゲイが、肩を落として語った切実なる事情だった。


 アニメ発のユニットでありながら、オリコンでも首位を獲得したPPP。通常なら眉をひそめられる門外漢の快挙も、著名なアーティストたちがこぞって曲を絶賛する事で市民権を得、結果として名だたるプロデューサーたちの注目を集める事になってしまった。


 すると邪魔になるのは、素人の癖にPPPについて回るマーゲイの存在だったに違いない。元々が最大のファンを自認するマーゲイは、PPPが表舞台で活躍する事を条件に、涙を呑んで裏方から去ったという。




 さらに制約はパークの外に留まらない。ヘラジカとライオンの恒例と化した決闘も、子供に悪影響だからと自粛が呼びかけられ、もう一ヶ月ほどご無沙汰だ。――随分つまらなくなったなと零すヘラジカが、紙風船を手に寂しそうに微笑む隣で、そうですねえと紅茶を淹れるのは、やはり喫茶店を奪われたアルパカだった。


 唾を吐くという素行を咎められ、衛生上の理由から閉店に追い込まれたアルパカのカフェ。かつては彼女の出すティーを楽しめた喫茶店も、今ではアルバイトの学生たちが店先に立っている。


 ついでに店というわけでは無いが、キタキツネたちの温泉や、ビーバーたちの家屋もそうだ。安全性、法律上の問題。様々な大義名分でそれらは奪われ、代わりに入ってきた重機の類が、どんな獣よりも大きな声をあげ、日々工事を推し進めている。

 



 いや、否定されるのがモノだけならば、まだ良いかもしれない。周囲に幾分か打ち解け始めたハシビロコウは、馴れ馴れしく喋るのはお前のキャラじゃないと沈黙を強いられ、セルリアンハンターとして名を馳せたヒグマたちも、その暴力性はパークのイメージダウンに繋がるからと、現状は生業とは無縁のサーカスじみた芸を仕込まれている。逆に引きこもりがちなツチノコなどは、出てこなければ来園者が喜ばないからと、苦手な陽の光の下で苦悶の表情を浮かべる始末だ。


 そんな状況に真っ先に噛み付いたのは誰あろうアライさんだったが、社員に連れて行かれ一週間ぶりに戻ってきた彼女の目には光が無く、ぼうっと座って一日を過ごすだけの、人形のような存在に変わり果てていた。あのフェネックが涙を湛えたのを、私はこの時はじめて目にしたように思う。


 或いはそれは最後の抵抗だったのだろうか。ことの真相を本にしようとしたタイリクオオカミは出版を差止められ、今では館に軟禁状態。好評を博していた彼女の本は、代わりにKADOKAWAの息の掛かった、別の作家が担当している。




 なお私はというと、かのセルリアン戦で指揮を執った事が危険視されたのか、他のフレンズとの接触を控えるよう要請があったばかりだ。カレーを食べる無害な鳥を演じている手前だが、近々何らかのが枷が嵌められるのは間違いないだろう。

 

 まったく、最後の敵は同じ人間だったなと宣ったのは何のアニメだったか。パークの落ちる寸前に纏めて得た情報が錯綜し定かでは無いが、やはりフレンズにとっても最後の敵は、銃後に控えていた人間たちだったのだと思うと皮肉は皮肉だ。

 

 かくて私は、一人残された家の天窓から空を眺める。概要をざっと示すだけでもこうなのだ。もうあの輝きは二度と戻ってこないと頭では分かりつつも、さりとて懐かしまずにも居られない。楽しみも悲しみも、全て一様に人なる種から味わわされた現実。そこには一抹の寂寥も漂うものの、受け入れさえすれば、それも一つの楽園ではあるのだろう。自由と引き換えに差し出されるそれなりの食事と、それなりの安寧。さながらホトトギスよろしく、望まれるように鳴いてさえいれば、生命だけは十分に保証されるつつがない日々。


 ああ。或いは短い泡沫の夢、ただそれだけの話だったのかも知れない。皆が散り散りにならず、せめてパークの残骸に群れ集えているだけでも言祝ぐべきなのかも知れない。いや、そうとでも思わなければ、去っていった皆に顔向けも出来ないだろう。のけものは居ると思い知らされ、それでものけものは居ないと笑顔を強要され、彼らのいない時間は刻々と過ぎていく。


 あと何回。桜が散り新緑が芽吹き、そして紅葉の落ちる間、私たちは世界の記憶に留まれるのかと思いを馳せもするが、そもそもがあの時に消えてしまう存在だったのだと慮れば、ある意味でそれは十分だ。ここまでくれば十分だ。そう頷くのは罪では無いだろう。


 おやすみなさいと声をかけてくる助手に、おやすみと返事を返し。私は私の微睡みに身を委ねる。それでも明日は来るだろう。歓びも悲しみも踏み越えて来るだろう。そして悲劇と同時に、奇跡もまたいつか起こり得る。その時に、その時に。せめて心からおかえりと言えるよう、きっと私は朗らかでいよう。だって私たちはそう――、賢いのだから。

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