終章

終章

尼寺

本堂の扉をたたく杉三。

杉三「庵主さま。ちょっとお願いがあるんですが。って、あれ、いないのか。」

水穂「葬儀にでもいってるのかな。」

杉三「じゃあ、ここでまとう!」

水穂「そういうことか。」

と、本堂の裏にあった庫裏のドアが開く。

庵主様「二人とも、用があるなら、こちらのドアをたたいていただかないと。」

杉三「あ、庵主様!今日は。実はお願いがあってきました。」

庵主様「どうしたんですか?」

杉三「実はですね、僕の大事な親友が、えーとなんていったっけ、あの、超何とかというとてもとても小さい赤ちゃんを産んでしまって、、、。」

水穂「超未熟児だよ、杉ちゃん。」

杉三「そうそう、それそれ。で、その超未熟児の赤ちゃんは、亡くなったわけじゃありません。ちゃんと生きてます。でも、お母さんのほうは、もう彼が亡くなったかのようにしゃべるんです。それではいけない。彼女を何とかして立ち直らせてあげたいのです。それが解決しなければ永久にお母さんにはなれない。それを解決させてくれるのは、僕ら男性ではできないし、お医者さんも看護師さんもできないでしょう。それを解決させてくれるのは、経験者しかいない。いや、失敗者といったほうがいいのかもしれないですね。つまりここに来たのは、納骨堂があるでしょう。その中に、生後すぐに亡くなった赤ちゃんの遺骨もあるんじゃないかと思って。その赤ちゃんのお母さんと彼女と話をさせてあげて、赤ちゃんはまだ生きていると確信してもらいたいんですよ。ああ、うまく言えないや、、、。」

水穂「つまり、杉ちゃんの言葉を翻訳すれば、母親が、超未熟児を生んでしまって、それを受け入れられないでいるので、そうではなくて前向きに進んでほしいと言ってくれる方を探しているんだと思います。それができるのは、同じような経験をした人か、死産してしまった人しかいないと杉ちゃん言いたいんだと思います。」

杉三「その通り!」

水穂「そういうことです。」

庵主様「お話は分かりました。確かに、新生児の安楽死というのは本当に大きな問題なのよ。そういう環境で生まれて、育てる自信がなくて、そのまま安楽死させてしまう親のほうが多いのよ。葬儀だけはちゃんと上げるのにね。」

杉三「へえ、それはどういうことですか?」

水穂「まあ、育てるのに自信がないんじゃない?中には、手も足も全く動かせなかったり、ひどく知能に遅れが出て、大人になっても何もできない人が出てくる可能性だってあるからね、ああいうところは。そうなると子供のほうが不幸になるっていう口実で、子供を安楽死させるケースが多いと聞いたことはあるよ。」

杉三「エスキモーの間引きじゃあるまいし、全く人間は平気でひどいことをするもんだな。」

庵主様「そういうわけだから、私もそういう赤ちゃんの葬儀をやったことがあるの。もしかしたら協力してくれる人もいるかもしれないわね。」

杉三「ほんとう?」

庵主様「これから、高齢出産が増えてくる以上、そういうことは切っても断ち切れないんじゃない。私がやっている、観音講で、そういう人がいるかもしれないわね。ちょっと調べてみようか。二人とも、庫裏に入って。」

杉三「ありがとう!」

水穂「失礼します。」

二人、庫裏の土間に入る。

庵主様は、観音講の受講生名簿を出す。

庵主様「ええと、今観音講に来ている方はこれだけいるんだけど。」

杉三「いわゆる、仏教の教えを学ぶ会だね。」

庵主様「そうそう。結構大変な人たちが来てるのよ。私が感心するくらい。ちょっとまってて。ああ、この方がそうかな。」

杉三「いた?」

庵主様「彼女、持田涼子さんはどうかな。去年の夏から来てるけど、やはり生まれたばかりの赤ちゃんをなくしてるの。」

杉三「その人も、超未熟児を生んだんですか?」

庵主様「理由は私も知らないけど、初めて観音講にきて、そう自己紹介していたわよ。」

杉三「どこに住んでいるんですか?」

庵主様「このお寺から歩いて五分もかからないかな。」

杉三「よし、わかった!すぐに頼みに行こう!善は急げ。そのくらい近い距離にいるのなら。道なら、水穂さんのスマートフォンですぐに見つけられます。」

庵主様「そうね。彼女の住所は富士市、、、。」

水穂は、言われたとおりに住所をスマートフォンに打ち込み、庫裏のドアを開けて周りを確認する。

水穂「このお寺の北のほうだね。」

杉三「いこう!」

二人、外へ出る。太陽は西に傾き始めている。

水穂「この道をまっすぐだな。」

と、通りを歩き始める。杉三も、庵主様もそれについていく。五分ほど歩いて、ものすごいお屋敷の前で止まる。

杉三「こ、ここ?」

水穂「そうらしい。」

杉三「だ、大丈夫かなあ、、、。」

庵主様「このお宅よ。このお宅の奥さんよ。」

杉三「わかった。ぐずぐずしてはいられない!」

と、門に近づいて呼び鈴を鳴らす。

声「はい、どなたでしょうか?」

杉三「すみません。僕は影山杉三という者なんですが。尼寺の庵主様の知り合いのものです。奥さんいらっしゃいませんか。」

声「はい、私です。」

杉三「実は、あるお願いがあってまいりました。ちょっと、お手伝いしてほしい方がいて。」

声「お手伝いですか?」

杉三「はい。とても重大な問題なんです。男である僕らは解決させてあげることはまずできないでしょう。女性の神聖な作業だから。だから、それを何とかしてもらいたいんですよ。」

声「お待ちください。」

と、ドアが、ガチャンと開いて、一人の女性が出てくる。すでに35を超えているとみられる。身に着けているものこそ派手であったが、どこか愁いを持った顔をしている。

杉三「持田涼子さんですか?」

涼子「ええ、そうです。」

杉三「初めまして。僕は影山杉三です。こっちは、磯野水穂です。」

水穂は軽く敬礼する。

杉三「失礼ですけど、生まれたばかりの赤ちゃんをなくされたとか。」

涼子「ええ、、、。あの時のことは今でも悲しくてなりません。本当にあっという間に娘は逝ってしまいました。でも、それが何か?」

杉三「じゃあですね、今の気持ちを語ってやってくれませんか。僕の親友に。」

涼子「このことをですか?」

杉三「はい。実は僕の親友は、超未熟児を生んでしまって、非常に悲しんでいるのです。それではいけないです。何とか前向きになってもらわないと。でも、いつまでもそれをできないから、同じ経験をした人でなければ、彼女を助けることはできないと確信しました。ですから、今から病院に行ってもらって、彼女を励ましてやってくれませんか。」

涼子「一体、何をするつもりなんです?私の赤ちゃんはとうに逝ってしまいました。でも、その子が生きているのなら、私が励ます必要はないのではないでしょうか。」

杉三「そう、そこなんですよ!」

涼子「そこって、」

杉三「失礼ですけど、どうして赤ちゃんは逝ってしまったのですか?」

涼子「胎盤早期剥離です。ある時とつぜんという感じでした。私、軽い妊娠中毒症といわれていましたが、そうなるとは思っていませんでした。」

杉三「なるほど!ヘルプ症候群と似たようなものか。」

涼子「さらにひどかったのですか。」

杉三「まあ、そんなことどうでもいいや。とにかくね、赤ちゃんを育てたかったけどできなかったとうんと言ってあげてください。そして、赤ちゃんは生きていると伝えてあげてくれますか。とにかく僕は、赤ちゃんのお母さんは、あなたしかいないと伝えたいのですが、それをどうしても聞いてくれないので、困っているんです。この、水穂さんが説得してもどうしてもだめでした。」

庵主様「涼子さん、協力してあげてくれませんか?あなたが、赤ちゃんをなくした経験が、誰かの役に立ったのだと思って。」

涼子「でも私は、もう忘れたいのです、こんなつらい経験。それを人に語って聞かせるなんて。」

水穂「でも、口からすぐ出るのは、誰かに聞いてほしいと内心思っているのではないかと思いますけど。」

涼子「そう、ですか?」

水穂「ええ、僕はそう思いますね。」

庵主様「涼子さん、どうかお願いします。」

涼子「わかりました。私もまだ、立ち直れていないので、役に立てるかどうかわかりませんが。」

と、門を開いて外へ出る。

杉三「やった!すぐ病院に戻ろう!」

涼子「私、車を出しますから、皆さん乗っていってください。ワゴン車を持っていますので。このワゴン車も、無意味になってしまいましたけれども。」

杉三「なるほどね。そのためにワゴン車を買ったんですか。」

涼子「そうなんです。この家にしたのも、生まれてくる子供の部屋を作るためで。まさか今でも主人と二人暮らしが続くなんて、信じられませんでした。」

杉三「よし、そこらへんも聞かせてあげようね!」

涼子「じゃあ、車持ってきます。」


病院。すでに夜になってしまっている。正面玄関の前でワゴン車が止まる。

翩翩の病室。相変わらず涙を流して泣く翩翩。

何を思ったのか、彼女はベッドのシーツを引き裂く。それをひも状にし、カーテンレールに巻き付けようとする。

突然、ドアをノックする音。

杉三「入るよ!とても役に立つ人を連れてきたよ!」

返事をするより早く、ドアが開いてしまう。

杉三「返事位してよ!」

と、カーテンがさっとめくられる。そこで翩翩が何をしていたのか、皆わかってしまう。

杉三「何をやってるんだよ!」

翩翩「杉ちゃんわたし、、、。」

杉三「馬鹿なことすんじゃないよ!」

水穂「杉ちゃん、手を挙げるのはよせ!」

涼子「やめてください!」

と、翩翩の肩に手をかける。もう我慢できなくなったのか、まるで赤ちゃんのように泣く翩翩。

涼子「あらましは、この方々から聞きました。確かに自殺をしたくなるほど、自分を責めてしまう気持ちはよくわかります。でも、あなたは生きなければ、、、。」

水穂「今は、泣きたいだけ泣かせてあげよう。きっと、泣くきっかけがほしかったんだよ。」

涼子が竹田の子守唄を口ずさむ。泣き声がだんだんに静かになっていく翩翩。

涼子「大変だったのね。確かに、大変な赤ちゃんを産んでしまって、自分を責めてしまうのはよくわかる。私もそうだった。うちは、夫が大会社を経営してたから、その跡取りがやっとできたと、皆期待してたから、それが、一瞬のうちに星になってしまったの。その時、私も、死のうと思った。だって、家を改築して部屋を作り、高級なワゴン車まで買ったから、お金だって、無駄にしたんじゃないかって思って。娘の部屋は、今はがらんどうよ、何か、ものを入れる気になれなくて、、、。」

翩翩「わたし、私は、、、。」

涼子「でも、あなたの赤ちゃんは、まだ生きてるのでしょう?」

はっと気が付く翩翩。

涼子「気が付いた?違いをよく見てね。私の娘は二度と帰ってこないのよ。でも、あなたの赤ちゃんはまだそばにいてくれる。その違い。今は泣きたいだけ泣いていいし、叫んでもわめいてくれてもいいから。私は、何でも受け止める。だけどあなたは、立派なお母さんなんだから。それを忘れないで、、、。」

翩翩「ごめんなさい、、、。」

涼子「ごめんなさいじゃないわよ。そうじゃなくて、これからどうしようかを考えていかなくちゃ。」

翩翩「私、、、。」

涼子「大丈夫。どんなに重い障害があったって、すでにここにいない子供とはわけが違うのよ。私も、もう少しで生まれるというときに、坂を転げるように娘は逝ってしまった。私が、倒れて救急車で運ばれるのが、一時間早かったら、まだ助かったって先生言ってた。」

翩翩「、、、。」

涼子「でも、辛いのはここから先だった。もう娘は死んでいるのに、自然分娩で外に出すことになったの。もう産声も上げることのない子を、いきんで出すほど、辛いことはないわよ。だって、もう、どうなってるか、はっきりわかってるんだもの。娘の、声を聞くことは二度とないって、本当にわかってるんだもの、、、。これほど、辛かったことはないわよ。確かに会社経営の仕事も大変だったけどね。それ以上につらいことが本当にあるなんて信じられなかった。」

翩翩「、、、。」

涼子「だから、あなたには、赤ちゃんと一緒に、生き抜いてほしいな。お願い。」

水穂「階級に関わらず、赤ちゃんが生まれることは、本当にすごいことなんですね。僕らは、もう一度生きていることを見直さなければいけないかもしれません。」

翩翩「、、、ありがとうございました、、、。」

涼子「もう大丈夫?」

翩翩「、、、はい。」

涼子「じゃあ、頑張って。これからも。いいお母さんになって!」

と、彼女の肩をたたく。

翩翩「はい!」

杉三「よかった。やっぱり、経験者に勝るものはないよ。」

庵主様「そうよ。何もかも、必ず何か役にたつものよ。だから、忘れられないほうがかえっていいのよ。こうして、同じことで苦しむ人を、本気で心配できるでしょ。」

杉三「ほんとですね。庵主様。人生、無駄なことは何もないってわけか。」


翌日。翩翩の病室。

看護師の乳房マッサージを真剣に受ける翩翩。質問にもきちんと答え、食事もしっかりと食べる。

彼女の変わりぶりに、看護師は驚きを隠せないようだ。


一月後。病院の玄関。

医師「もう抜糸もすんだし、大丈夫だと思うけど、血圧のこととか、また不安なことがでたら、すぐに来てくださいよ。」

翩翩「わかりました。気を付けます。」

看護師「赤ちゃんと、幸せになってください。」

翩翩「ええ、ありがとうございます。」

看護師「いつまでも、元気で!」

翩翩「わかりました。お世話になりました!」

と、最敬礼し、玄関に向かっていく翩翩。

病院の外には、杉三と水穂がタクシーの前で待機している。

水穂「挨拶してきましたか?」

翩翩「ええ。」

杉三「じゃあ、運転手さん、乗せてください。」

運転手「あいよ。」

と、杉三を先に乗せる。水穂に促され翩翩はタクシーに乗り込む。

水穂「じゃあ、子供病院までお願い。」

運転手「あいよ。」

走り出すタクシー。

運転手「子供病院って、誰か病気の子供さんでもいるの?」

翩翩「ええ、まだ生まれたばかりなんですけどね。生まれた時に本当に小さかったので、子供病院の新生児科にいるんです。」

運転手「へえ、いわゆる未熟児ってやつか。」

翩翩「ええ、そうです。それどころか、超未熟児でしたけど。」

運転手「超?それはそれは、大変だな。」

杉三「あまり聞かないでやってくれますか。彼女がつらい思いをするから。」

翩翩「大丈夫です。私は、もう泣きません。だって、彼の母親ですから。」

水穂「強くなったね。」

翩翩「ええ!」

運転手「なるほどねえ。やっぱり女は赤ちゃん産むと変わるんだねえ。やっぱり、強いなあ。」

翩翩「強くなければやっていけませんから!」

運転手「そうかそうか。ごめんごめん。さあ、もうすぐ、子供病院だよ。」

翩翩「ありがとうございます。」

水穂「面会入り口はどこでしたっけ?」

運転手「そこでおろしてあげるね。」

杉三「ありがとう。」

タクシーは、面会者入り口と書かれている看板の前で止まる。水穂がいち早く降りて、守衛に新生児集中治療室の場所を聞く。

杉三「どこだって?」

水穂「誤解の一番奥の部屋だって。行けばすぐにわかるらしい。」

杉三「よし、すぐに行ってみよう。」

翩翩もタクシーを降りる。


エレベーターが開いて、三人は外に出る。目の前に新生児科と書かれた看板。

翩翩「ここ、、、。」

杉三「そうだよ。早くいこう。」

水穂「えーと、この廊下をまっすぐ行って、突き当りらしい。」

三人、正面の廊下を歩き始める。

水穂「あった、あれだ。」

と、新生児集中治療室と書かれた看板ある部屋を指さす。

翩翩「いよいよね。」

杉三「緊張してどうするんだ。これから、初めて対面するんだから、喜んであげなくちゃ。」

水穂「開けるよ。」

と、ドアを開ける。

水穂「もう自発呼吸がちゃんとできているそうですよ。成長が速いので、お医者さんもびっくりしているそうです。」

翩翩「そう、、、。」

恐る恐る中に入る三人。

水穂「一番奥だ。」

中には、小さな赤ちゃんたちが小さなガラスの箱のようなものの中に入って寝ている。

杉三「きっと、かわいい赤ちゃんだよ。大丈夫。」

水穂「彼だよ。」

と、一番奥にある保育器を指さす。驚きを隠せない翩翩。その子は、想像していた赤ちゃんとはまるで違う。泣き声も立てず、体を動かすこともせず、ただ天井だけをみつめているのだ。きっと、重い障害が残ってしまったのだろうと、杉三たちにもわかった。

翩翩「わたし、、、。」

また涙があふれだした。

杉三「大丈夫かな。」

水穂「彼女を信じよう。」

ガラスの箱に顔を付けて、戸惑ったような顔をする翩翩。

翩翩「私の息子、、、。」

しばらく沈黙。

翩翩「いいえ、かわいい!かわいいわ!」

と、腕で涙を拭く。

翩翩「そう、かわいいのよ、かわいい!かわいい!」

まるで、甲子園で宣誓する高校生のように彼女は言った。

水穂「大丈夫みたいだね。」

杉三「そうだね。」

翩翩「名前だって決めてあるのよ。看護師さんに代理で出してもらったの。出生届。」

杉三「どんな名前?」

翩翩「みすぎ。水に杉と書いて。二人には本当に助けてもらったから、この子にもそうなってもらいたいという願いを込めて、、、。」

杉三「わからないな。読み書きできないから、想像できないけど。きっと素晴らしい漢字だろうなあ。まあ、響きだけでもよい名前だと思うよ。」

水穂「まあ、僕たちはお手伝いをしただけで、あとは、お母さんが主役なんですから、あんまり美化しないでくださいよ。」

母親「ええ、わかってるわ!」

母親はひどく赤面して、笑顔で杉三たちのほうを見た。













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杉三中編 母の音 増田朋美 @masubuchi4996

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