最終話 黄金の甘露

 疲れた体と心を奮い立たせ、僕はキッチンに向かい豚汁に火をかけた。その間に朝の千切りキャベツをフライパンで手早く炒め、ソーセージと厚切りのベーコンを投入。スープストック、白ワイン、ワインビネガーを入れて軽く水気が無くなるまで煮込むこと、しばし。

 シュークルート風煮込みの完成です。マスタードを添えてどうぞ。

 豚汁の鍋を抱えてロビーに戻った僕は、思わず鍋を落としそうになった。

 戦闘で滅茶苦茶に破壊されたロビーやフロントが、元に戻っている。

「迷惑をかけましたね。とりあえず、復元はしてみました」

 イチオさんとヤチさんがロビーの椅子に座って微笑んでいた。

「ありがとうございます。お疲れなのに、ここまでしてもらって」

「いいえ。あなたこそ、疲れているのに料理まで。こちらこそ申し訳ありません」

 イチオさんが静かに頭を下げた。

「し、仕事ですから!気にしないで!ほら、ご飯を食べましょう。みなさん、こっちの机に集まって!」

 みんなに料理を配りながら、自然と、仕事という言葉が出てきたことに僕は気が付いていた。

 

 その後、ヤチさんと一緒に三階にある大浴場に行き、変換術で温泉の源泉を直してもらった。清掃は日課にしていたので、すぐに使える状態だ。こんこんと流れだす温泉を見ているだけで、疲れが吹き飛んだ。

 やがて、温泉から出てきたみんなをそれぞれ寝室に案内する。旧式のホテルなのでオートロックもカードキーもない。だが、別世界からやってきた人たちにはちょうどいいアナログ具合だと思う。

 全ての手配が終わったのが午後十時。

 僕は食器の片づけをしながら、イチオさんへの言葉を何度も思い返していた。

 これが、仕事か。

 自分から、気持ちも体も自然に動いていくこと。

 何かをしたい、誰かのためになりたい。

 そのために働くことの充実感。

 今まで感じたことのない感慨を覚えながら、僕は宿直室に向かう。

 そして、布団には入らず、枕の傍らにあった懐中電灯と石油ヒーターを手にしてロビーへと戻った。エレベーターの前にそのまま座り、ヒーターを付ける。

 底冷えするロビーの中、僕はチキトウ隊長を待ち続けた。

 昨晩の夜食の時にチキトウ隊長が言っていた。

 冒険者や隊長になったのは成行き上で、本当は他のホビットみたいにご飯と昼寝とおしゃべりだけしていたかった、と。

 だけど、隊長になってみたらなかなか具合がいいから続けてる、と。

「人生なんて所詮成行きやが。元々の理由なんてどうでもいいとよ。今、自分が何をしているか。これから、何ができるのか。それが大事やがね」

 チキトウ隊長の言葉に、僕は自分の人生をいつの間にか重ねていた。

 そして、その言葉と笑顔に救われていたことに、気が付いていた。


 そのまま眠っているのか起きているのかわからない状態で待ち続けた僕の目に、朝焼けの薄い光が入ってきた。目をこすりながら、辺りを見ると、何時の間に集まっていたのだろうか、既に装備を整えたチキトウ大隊の皆が僕と同じように床に座って隊長を待っていた。

 時計を確認する。

 午前五時。

 チキトウ隊長の命令をとうに超えた時間だ。

 イチオさんが腰を上げた。

「チキトウ大隊。隊長命令により帰投します」

 静かにイチオさんの声が響き渡る。ヤチさんの啜り泣きがその響きの中に交じって、溶けていった。


 出発の時が来た。

 テンさん、ロクロさん、ナガヨさんと固く握手を交わし、エレベーターを見送る。

 傍らに立っていたホジスンさんが、僕の耳の方に体を曲げた。

「ありがとう」

 小川の流れのような、清々しい響きの声だった。

 ホジスンさんが降りた後、イチオさんとヤチさんがエレベーターに乗り込んだ。

「何時でも、そして、できるだけ早めに来てくださいね。チキトウ隊長、きっと帰ってきますから」

 深々と、無言で二人は頭を下げた。

 エレベーターの扉が彼女たちの姿を隠し去り、地下へと降りて行った。

 じっと、B1のランプを見守る。

 やがて、B1の点滅が止まり。

 灯りが、消えた。


 深い溜息をひとつだけ吐くと。

 僕は宿直室に戻った。

 眠るためではない。

 冷蔵庫から最後に残っていた瓶ビールを持ち出すと、コップを二つ手にしてエレベーターに戻る。

 再び床に座ると、僕は並べたコップにビールを注いだ。

 一つを手に取り、床に置かれたコップにカチンと合わせる。

 

 乾杯。チキトウ隊長。


 涙を一度だけぬぐい、僕はビールを唇に近づけた。

 コップは、僕の口の直前で静止した。

 

 B1のランプが、点いている。

 七度点滅し、エレベーターが一階に上がってきた。

 完全に硬直した僕の眼前で、扉がゆっくりと開く。

 

「おおう!この香り!黄金の甘露の香りがするわ!」


 小さな少女が、エレベーターの中から笑いながら出てきた。

 泣きそうになるのを必死にこらえて、僕は笑顔を返しながらビールを手渡す。

「みんなには置いていかれたか。ま、そのうち迎えに来てくれるじゃろ!まずは最初の朝飯やね!そんじゃあ!」


 乾杯!!!チキトウ隊長!!!


 眩しい朝の光の中で、グラスが軽やかに喜びの音を奏でた。

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宿泊客は冒険者!? ~僕のホテルのお客様は地下迷宮からやって来ます~ 神田 るふ @nekonoturugi

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