第5話 血戦、チキトウ大隊

「各員戦闘態勢!!!第一配備!!!」


 ホテルが吹きとんでしまうかと思うようなチキトウ隊長の凄まじい怒声が爆発するのと同時に、エレベーターのドアが開く。

 巨大な黒い塊が、ずるりと這い出てきた。

 のっぺりとした顔には巨大な目が一つ。顔の下半分には口顎と思しきものが見える。

 筋肉質の異常に長い手足を引きずるように動かしながら、一つ目の怪物がこちらに向かってきた。しかも、一体ではない。二体、三体と後ろから続いて怪物たちがやってくる。

「備えろおおおおおお!!!ナガヨおおおおおおお!!!」

 獅子のように吼えながら、チキトウ隊長が両手に小剣を構えて突撃する。

 ナガヨさんは僕の眼前に立ったかと思うと、腰に下げていた短めの杖を床に突き立てた。

 僕たちの周りに白光に輝く光の渦が壁のように巻き起こっていく。

「フィールドちゅう魔力の壁みたいなもんじゃ!ここから出るなよ!若造!!!」

「チ、チキトウさんが!!!」

 思わず駈け出そうとした僕の傍らに二つの影が立った。

「隊長の心配するよりてめーの心配しろ、ニンゲン!」

「隊長は不死身だ!ロクロ、サポートしろ!あたしも出る!」

 ロクロさんとテンさんだ。

 ロクロさんは流れるような動作で背中に担いでいた弓をつがえ、テンさんは腰に下げていた手斧を両手に握りしめてチキトウ隊長の後に続いた。

 入れ替わりに光の渦の中にイチオさんとヤチさんが飛び込んでくる。

 その向こうで、巨大な青い暴風が黒い怪物を数体吹き飛ばした。

 ホジスンさんだ。

 自分の身長ほどもある巨大な大剣を振るいながら怪物たちと対峙している。

 その間を小さな旋風が駆け抜けていった。

 チキトウ隊長だ。

 ホテルの床を軽く蹴ったかと思うと、ホジスンさんの攻撃を受けてよろめいた怪物のうちの一体の目に剣を突き立てた。

 百台のチェロで奏でたような強烈な不協和音を発して、怪物が崩れおちる。

 床に伏すや怪物はぼろぼろと灰のように空気中に消滅していった。

 どうやら、目が弱点らしい。

 残りは二体。

 そのうちの一体にテンさんが躍り掛かり、手斧で怪物の両足を割いてバランスを崩す。

 その隙を見逃さず、ロクロさんの放った弓矢が怪物の目を射抜く。

 その向こうで、ホジスンさんの大刀が怪物の目を顔上半分ごと吹き飛ばしていた。

 もれなく、二体の怪物たちが灰へと変わる。

 強い。

 大隊という名前はだてではない。

 だが。


 りーん。


 ベルの音ととも、エレベーターからまた怪物たちが現れた。

 先程の連中よりも体が二回りほど小さい。

 だが、その分、数が多い。

 合わせて、六体。一斉に、チキトウ隊長たちに襲いかかってきた。

 その中の二体がチキトウ隊長たちの間を抜けてこちらに向かってくる。

 伸ばされた黒い腕に思わず身がすくんだが、漆黒の枝葉は白い光の渦に凄まじい勢いで弾き返された。

 怯んだ隙にロクロさんが二体の目を瞬く間に射抜く。

 その間にも、再び上がってきエレベーターからあの怪物たちが続々と出てきている。

「私たちも援護します。ヤチ!」

「はい、姉さん!」

 イチオさんの言葉を受けたヤチさんが背嚢から何やらごそごそと取り出した、

 鉄くずだ。

 呆気にとられる僕の目の前で、ヤチさんがイチオさんに向けて鉄くずを放った。

 それをまるで野球のバッターのように、イチオさんが杖で怪物めがけて打ちかえす。

イチオさんに打たれた鉄の塊は眩しく蒼い雷光を放ったかと思うと、次の瞬間、巨大なスピアへと変わっていた。

 変換師の術だ。

 スピアは怪物の一体をそのまま壁に串刺しにし、身動きが取れなくなった怪物の目をチキトウ隊長の小剣が切裂いた。

「テン姉!そろそろ矢の残量がやばい!」

「七本回収しといた!そら!」

 矢を受け取ったロクロさんがそのうちの二本を同時に放ち、二体の怪物の目を見事に射抜く。

 それぞれの連係プレーは神業のような美しい。

 凄惨な戦いの場であるはずなのに、僕は瞬きすら忘れてしまっていた。

 しかし。

「キリがねーわ、これ!!!」

 チキトウ隊長の絶叫がロビーに木霊する。

 そう。

 怪物たちのエレベーターからの波状攻撃はとどまることがない。

 大中小、様々な大きさの単眼の怪物たちがいつ果てることも無くエレベーターから現れてくる。

 ナガヨさんの張ったフィールドという光の渦に怪物の手が届く回数も多くなってきた。

 光の渦は怪物の攻撃を受けてもビクともしない。

 だが、その代わりにナガヨさんの体に一筋、二筋と血が流れていく。

 この壁はナガヨさんの肉体とリンクしているらしい。

 つまり、ナガヨさんがダメージを受けすぎて倒れてしまえば、渦は無くなってしまう。

 僕の背中に冷たいものが走った。

「心配すんなや、小僧。何時ものことじゃ。この術はワシら頑丈なドワーフ族にはうってつけ。ワシのタフさを信じろ」

 にんまりと笑いながらナガヨさんは振り返ったが、正直、その顔は疲労の色が濃い。

 イチオさんもヤチさんも肩で大きく息をついている。

 光の渦の向こうのチキトウ隊長たちの背中も、次第にはっきり映るようになってきた。

 つまり、こちら側が押されているということだ。

 青くなった僕の目の前に、小さな影が飛び込んできた。

 チキトウ隊長だ。

 さぞ疲労困憊、いや、絶望的な表情をしているかと思ったのだが……。

「いやー!いかんねこれ!てんげすごくやべーわ!!!」

 チキトウ隊長はグハハハハと大声で笑い始めた。

「ずいぶんご機嫌っすね。龍の血を浴びたチキトウ隊長は不死身ですけど、あたしらはヤバいっすよ」

 苦笑しながらロクロさんが弓を数本放つ。

「何を言うちょるか。まだ一度も死んぢょらんわ!不死身のチキトウは死なずして不死身!そして、チキトウ大隊はただ一人も死なずして不死身の大隊!そうじゃろうが!!!」

 ガハハハハとロビーが傾くような大音量でチキトウ隊長は笑い続ける。

「そうは言っても、このままだ全滅じゃぞ。どうするんじゃ」

 ナガヨさんの言うとおりだ。

 現に、このままだと数の力に圧倒されて僕たちは皆殺しにされる。

 僕は、死ぬのか?

 このホテルで?

「うんにゃ。死にはせんよ。不死身のチキトウある限り、この大隊には一人の戦死者もださせん」

 そう言いながら、何故かチキトウさんは鎧を外しはじめた。

「た、隊長?どういうおつもりです」

 あのイチオさんですら、驚きのあまり言葉が詰まっている。

「知れたこと。オレがあの変な動く扉に入り、結界の向こうにある転送術式を破壊する。そうすれば連中の進撃を寸断できる。その後、オレは昨晩こっちに来た転送箇所、第二停泊地まで退避する。素早く動くには鎧は邪魔やがね。これでいい」

「で、でも!!!」

 ヤチさんが涙交じりに絶叫した。

「死んじゃいますよお!隊長!ごめんなさい!私のせいで!」

こんキカンタレがこのばかものが!勝手に人を殺すな!」

 チキトウ隊長が軽くジャンプしてヤチさんの頭を軽く小突く。

「お前のせいじゃない。隊長のオレの管理不足やが。だから、オレが行くとよ。オレ、隊長やし」

そう言って、チキトウ隊長はにっこりと笑った。

「隊長。私もお供します」

 進み出たイチオさんにチキトウ隊長はひらひらと手を振った。

「いらん。オレ一人で行く。転送コードは昨晩ヤチから掌にコピーしてもらったから、オレ一人でも帰還できる」

「ですが!御一人では危険です!」

 イチオさんが、叫んだ。

 ヤチさんもロクロさんも目を見張っているから、二人とも初めて見たのかもしれない。

 だが、チキトウ隊長だけは平然としていた。

「イチオ主席、五時間待って私が帰投しなかったら、各員を連れて師団司令部に帰隊しなさい。帰投後、ニワ侯爵にRⅡ地区は敵大多数により危険と報告すること。これは命令です。いいですね?」

 凛とした表情と口調でチキトウ隊長はそう静かに告げた。言葉づかいが変わっただけで、雰囲気がガラリと変わる人だ。

 チキトウさんの言葉に、イチオさんは静かに頷いた。目の端に光るものがあったのを、僕は見逃さなかった。

 イチオさんの無言の返答に満足したのか、チキトウさんの顔に何時もの笑顔が戻る。

そげんそんなに心配せんでもいいがね。オレは龍殺しのホビット。龍の血を浴びた不死身のチキトウじゃぞ?まあ、実際はチームで戦って、とどめ刺したのが自分なだけやっちゃけどね」

 グハハハハハハとひとしきり笑うと。

 チキトウ隊長はリボンを解いて髪の毛をきつく結びなおした。

「そんじゃ!行って来っかいね!!!」

 チキトウ隊長が両手に小剣を握る。おりしも、エレベーターが上がってきた。


「チキトウ大隊!!!オレの血路を開け!!!突ッッッ貫ンンンンン!!!」


 ホテルの天井が抜けそうな、文字通り、怒髪天な大声を上げ、チキトウ隊長が疾風のように突撃する。

「ヤチ。あなたはここにいなさい。私は隊長を援護します」

「そんな、姉さん!」

 イチオさんが杖を床に突いた。

 眩しく光った杖が刀に変わり、イチオさんがフィールドの外に飛び出していく。

 チキトウ隊長の猛進の道を開けるため、ホジスンさんとテンさんが最後の力を振り絞り、エレベーター前に群がる単眼の怪物たちに立ち向かっていく。

 ロクロさんの放つ矢が一体、そしてまた一体と化け物を撃ち倒していく。

 刀を必死に振るい、チキトウ隊長の背後を守るイチオさん。

 僕を守るため、怪物たちの攻撃に必死に耐えるナガヨさん。

 フロントからエレベーターまでは五十メートルもない。すぐそこだ。

 だが、たむろする黒い壁がその間を阻む。その距離を遠くする。

 チキトウ隊長たちはまだエレベーターに行きつけていない。

 エレベーターの1Fのランプが点滅しはじめた。

 もうすぐ、エレベーターが降りる。

 僕は。

 僕にできることは。

 僕はフロントに置きっぱなしになっていたバッグをまさぐる。

 あった。

 今日、山菜採りのついでに採ってきたこの草実。

「ヤチさん!空気を変換できますか!?あの化け物たちの前に風を送れますか!?」

「や、やったことないです!でも、やってみます!」

「僕がこれを撒いたら風で運んでください!いきますよ!?」

 手につかんだありったけの“それ”を僕は宙に放った。

 ヤチさんの杖が光り、光の流れが風になって、葉と実を怪物たちの目に届けていく。

 怪物たちの攻撃が止んだ。

 黒い塊たちが顔の中央にある目を押さえて、うずくまっていく。

 僕が採ってきたもの。放ったもの。

 それは、山に自生していた山椒だ。

 照焼きの薬味にでも使おうと思って採ってきたけど、「山椒を取りすぎると目を悪くする」という地元の言い伝えをふと思い出して使ってみた。

 実際、香辛料だから目に入るとすごく痛い……という効能を期待したが、思いの外うまくいったようだ。

「チキトウさん!今です!走って!」

 僕の絶叫を背中で受けて、怪物たちの間をチキトウ隊長が疾駆していく。

 小さな身体が、閉まりかけたエレベーターの扉のわずかな隙間に入り込んだ。

 その瞬間。

 チキトウ隊長がこちらを振り返った。

 隊長は。

 不死身のホビット、チキトウ・メモンは。

 エレベーターの中で、にっかりと、笑っていた。

 強い笑いだ。

 本当に、強い人にしかつくれない笑顔だ。

 刹那の直後、エレベーターの扉が完全に閉まった。

 ホジスンさんたちがロビーに残った異形の怪物たちに次々ととどめを刺していく。

 最後の一体の巨眼をイチオさんの刀が薙ぎ払い、戦いは、終わった。


 とりあえずは、だ。


 静けさが戻ったロビーにみんなの荒い息が木霊し続けている。

 フロア全員の視線はある一点に集まっていた。

 もちろん、エレベーターのランプだ。

 やがて、視線の先にある鈍く輝くオレンジの光が。

 B1の灯りが。

 ふ、と。

 消えた。

 全員の苦悶の息が、安堵の息に変わる。

 ロビーに立っていた全員が脱力し、床に腰を下ろした。

 フィールドの光の渦が雲散霧消し、ナガヨさんが大の字に倒れこむ。

 僕もフロントを背にして、どっかりと座りこんでしまった。

 でも、これで終わりではない。

「隊長、帰ってきますよね」

 ヤチさんの涙ぐんだ声が、小さく、小さく響いた。

 残されたチキトウ大隊と僕には、まだ仕事が残っている。

 大隊のみんなは隊長の帰りを待つという仕事が。

 そして、僕にはホテルマンとしての仕事が。

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