描かれなかった肖像画

かみたか さち

描かれなかった肖像画

「描けぬ、だと?」


 領主の低い声が、石造りの広間に重く響いた。

 恐ろしさにヌホは首をすくめた。横目で隣のサジェを伺い、別の意味でぞっとする。何故そんなに冷静なのかと。

「我が姪を描けぬとは、いかなる理由か。申せ」

 サジェに向けて『真実の杖』が振り下ろされた。


杖の先に彫られたあどけない幼児の像が身じろぎをする。ゆっくりと顔をサジェへ向け、赤く光る目で彼を見透かす。今から語られる言葉が真実か否か、見極めようというのだ。答え次第では即座に処刑される。ヌホ達の背後では、守衛が槍を持ち直す気配がした。


 サジェが、かすかに頭を持ちあげた。顔は磨かれた床に映したまま、口を開く。場にそぐわない、ひどく落ち着いた口調だった。


「スン様が、私の懐かしい人に似ておられ、筆を進めようとするたびに、胸がひどく切なく。幾度も挑んだのですが、申し訳ありません。描けなかったのです」


 杖の先の幼児が眉をひそめ、切なく身悶えするのを認め、領主は息を吐きながら革張りの椅子へ腰をうずめた。安堵とも取れる難しい顔を、筋張った手で何度もなでおろした後、再び深い息をついた。


「無罪には出来ぬ。絵師サジェと付き人に、私が領主の間我が領地へ立ち入ることを禁じる。今日の夕刻には領地から去れ。追放の間、サジェ画法によって描くことを禁じる」

 側に控えた書記が羊皮紙にペンを走らせ、領主が署名をした。


 部屋に戻ってもサジェは無言だった。

 お抱え絵師に指名されたとき賜った部屋にあるのは、必要最低限の生活用品と僅かな画材がすべてだった。

 サジェはもとから、無口な青年だった。いつもなら一方的に喋るヌホも、黙ってイーゼルを畳み、キャンバスを重ねていった。


 ふとヌホは手を止めた。

 構図を決めるための細い線が幾本も引かれた、白いままのキャンバス。この度のお咎めを受けたものだ。

 領主の前ではああ言ったものの、サジェはスン様に恋していたのではないだろうか。

 今まで領主一家をモデルに、何枚もの絵を描いてきた。彼の名が冠せられた画法で。

 輪郭をはっきり線でひき、平面的に色を重ねながらも色のつけ方で不思議な立体感と奥行きを作り出す描き方は、他の絵師には思いつけない独特の手法だった。それがここの領主の目に留まってお抱え絵師となったのだが、妙齢の女性の肖像画となれば、裏でどこぞのご子息と結婚話が出ているに違いない。それ故に、サジェは恋破れて彼女の絵が描けなくなったのだろう、と。


「それ、縛るよ」


 サジェに声をかけられ、ヌホはぎこちなく場所を譲った。

 斬新な画法を始める少し前に、サジェは構図を求めて登った木から落ち、生死をさまよった。意識を取り戻して以来、ヌホに対する態度が変わった。それまでは、払ってもうるさくまとわりつく虫のように見下していたのが、遠慮がちな友人扱いに変わった。


 あれから数年経つのに、いまいち慣れない。


 ヌホが大雑把にまとめたキャンバスを、サジェが紐で縛っていく。

 俺だって、と握り締める拳も、ヌホには無い。幼いとき奪われた両方の手首から先があれば、描けないサジェの代わりに肖像画を仕上げることだってできたのに。


 窓から差し込む光が、部屋の奥に届き始めた。

 各々荷物を背負い屋敷の外に出ると、門前からは、領地が一望できた。ヌホは敢えて眼下に目を向けず、空の一点を見上げた。領主が手配してくれたのだろう、移動用のフージェが羽をすぼめて降下してくるところだった。


「ごめんね」


 小さなサジェの謝罪に、ヌホは驚いて顔を上げた。両手両肩に荷物を持ったサジェが、まっすぐにヌホを見ていた。


「ここ、ヌホの故郷だったんだよね」


 ヌホの胸で熱いものが膨らんだ。覚えていてくれた。領主に呼ばれてこの地に来るとき何気なく呟いたことを、彼が覚えていてくれた。


「いいよ。ろくな思い出は無いんだし」


 ふいと顔をそむけ、フージェに取り付けられた鞍によじ登った。荷物を荷台へ縛ったサジェも続く。目に滲んでくるものを隠しながら、ヌホは明るく言った。

「今度は南の方に行こう。知り合いがいるんだ。きっと、サジェの描く絵はそこでも売れる」


 それに、領主の元を出入りする者たちから、ヌホの両手と家族を奪った仇も南にいると情報を得た。流れの絵描きと付き人には、各地の関所も対応がゆるい。目的を果たすまでサジェを利用させてもらう、それだけの関係でいればいい。


 つきん、と胸が痛んだ。


 御者が出発を告げる。フージェが羽を広げた。風が巻き起こり、ふわりと体が浮き上がる。

 腰紐で鞍とつながっていても、手先のないヌホは掴める物が無く均衡を崩しそうになる。隣から手が伸びて、ヌホの背中を支えた。

 吹き飛ばされないようにするのが精一杯のヌホには、その手を振り払うことが出来なかった。


*******



 何度見てもこのフージェというのは翼のある巨大なウサギだ。


 サジェは思いながら、鞍の前面につけられた持ち手を片手で握った。

 ウサギの首の辺りに御者がいて、耳の付け根から伸びる手綱をあやつる。肩から伸びる翼もごわついた毛で覆われ、背から尾にかけて取り付けられた荷台の前方に人が乗るための鞍があった。


 変なイキモノ。空に浮かぶ陸地。


 この世界で数年過ごした今でも見慣れない。


 部活帰り、友人とふざけていてガードレールの切れ目から崖下に落ちた。気がついたら、サジェと呼ばれる絵師になっていた。

 同じくらいの年頃で同性のヌホが、家族でもないのに身の回りの世話をしてくれていた。


 美術の成績も悪く、犬を描いても亀と言われる有様だったのに、ヌホに言われて恐る恐る絵筆を動かしてみたら、すごい絵が描けて驚いた。

 この世界で絵といえば写真的なものばかりだったから、冗談半分でアニメ絵を描いてみたら、これがウケた。ヌホがうまく売り込み一躍有名になって、お偉いさん専属絵師に抜擢された。


 何度目が覚めてもサジェのまま。この世界で生きるために、何枚もの絵を描いた。


 だけど、スンという女性の絵を描くように言われて、正装だというドレスを着たその人を見たとき、誰かに似ていると思った。元の自分だったとき、玄関の靴箱の上に飾ってあった写真。

 ああ、母親の花嫁姿とそっくりだと気付いた瞬間、手が凍りついた。


 押し込めていたものが、一気にあふれ出した。


 朝目覚めれば、父はすでに出勤した後で、夜勤明けの母は眠っていた。食卓に洗い終わった食器と朝食が置いてあり、なんとなく学生生活を終えて帰れば、ぬるい夕食を父のいびきを聞きながら食べる。退屈でつまらない毎日。ともすれば埃が積もりがちな下駄箱の上にありながら、両親の結婚写真だけはいつも磨かれていた。


 帰りたいなんて、あの世界では思うことがなかったのに。


 怒涛のような感情を押さえ込むことができず、キャンバスにはアタリの線が増えるばかりで形にならない。期日までに仕上げられなかったら命もないとヌホに急かされても、腕は一向に動かなかった。


 サジェの目で、そっと隣のヌホを見た。

 赤くなった鼻をすすっている。ここの領主に抱えられたとき、土地について仔細に喋るから感心していたら、故郷だと言っていた。なのに、ヌホを帰れなくさせてしまった。


 フージェは空高く飛んでいる。飛び降りたら、元に戻れるだろうか。ぼんやり考えていると、ヌホが声をあげた。

「サジェ、あれが次の活躍の場だよ」

 後にした空の浮島に比べやや小さな島が浮かんでいる。頭上には星が瞬き始めた。


「大丈夫、サジェなら従来の画法でもきっとうまくいく」


 サジェの絵に惚れ込んでいるというヌホの期待を裏切れない。描き続けなくてはと思いながらも、くすぶる罪悪感は消えない。


 ごめん、本当のサジェじゃないんだよ。


 呟いた言葉は、フージェの羽音に巻き込まれ、空の彼方に流れていった。



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