第1話 “家畜少女”がやって来た
「は、はじめまして! “
黒板の前に立つ転校生は、ひどく緊張した様子でぺこりとお辞儀をした。
「一ヵ月間、お世話になりますっ! よよ、よろしくお願いしますっ!」
もう一回、勢いよくお辞儀をした彼女を、ぼくら五年二組は拍手で迎える。
「よし、ちゃんと挨拶できたな。えらいぞー。えー、優生さんの席は、当真くんの隣な」
転校生は立花先生の指示で、ぼくの隣の席に座った。
今日、“家畜少女”が来ることは、クラス全員が知っていた。もちろん、ぼくも。
だからどんな“家畜少女”が来るのか、こっそり予想していたのだけれど……。予想より、はるかにフツウの子って感じだ。
ぼくと同じくらいの身長。ぼくと同じくらい細い体つき。二つ結びの、ぼくと同じ真っ黒の髪……。
フツウじゃないところは、おでこのマークくらい――、
「あ」
「ふぇっ」
……目が合っちゃった。無視は気まずいな。なにか喋らないと。
「あーと、よろしくね、優生さん」
「う、うん! ……えっと……」
「あ、
いや、これだと自己紹介、足りないかも。
「ぼくの名前は、
「うん、当真くん! よろしく!」
満面の笑みになった優生さんは、そのまま反対側の隣の席の子にも『よろしく』の挨拶をした。
やっぱりかなり緊張しているみたいだけど、まあ仕方ないと思う。これから毎日小学校に通えば、自然と雰囲気に慣れてくるだろう。一ヶ月後には、ぼくらもちょっぴり寂しくなっているかもしれない。
そう。一ヶ月後には、ぼくらは彼女とさよならをする。
“家畜少女”である優生あいさんが五年二組の所有物であるのは、一ヵ月間限りだ。
はじめから、そういう決まりになっている。
*
一時間目の授業が終わって、本日最初の休み時間。
「なーなー優生! サッカーやろうぜっ!」
優生さんを早速遊びに誘ったのは、
彼は優生さんを運動場へと連れ出していく。大勢のクラスメイトも、鈴谷くんに従って賑やかに教室を出ていった。
静かになった教室で、ぼくは小説本を取り出した。栞を挟んでいた箇所から読み始める。
小説の中では、ちょうど人間が一人死んでいた。仕方ない。ミステリー小説だからね。
「君はサッカー、やらないのかい?」
顔を上げる。ぼくに話しかけてきたのは、学級委員長の
「やらないよ。というか、ぼくはいつもやらないでしょ。運動、苦手だもの」
「そうか」
内藤くんは特に気を悪くした様子もなく、教室の扉へと向かう。
「珍しいね。内藤くんもサッカーするの?」
背中へ問うと、彼は振り返り真剣な眼差しで、
「転校生を見守るのも、学級委員長の仕事だ」
「真面目だね……」
「特に、彼女は“家畜少女”だからな。責任重大だろう?」
「そうかもしれないけどさあ」
ぼくの呆れを気にもせず、内藤くんも教室を出て行った。
……正直、彼は真面目すぎて、逆に心配になってくるくらいだな。
*
「ただいま、兄さん」
「おかえり、命」
モニターの青白い光に照らされながら、ぼくは『ただいま』の挨拶をした。
東條小学校から帰ったら、まず兄さんの部屋に向かうのが、ぼくの日課になっている。
「学校でなにか変わったこと、あったか?」
「うーん、どうだろ。特になにもなかったような」
「嘘つけ。命の学年、今日家畜少女入ったんだろ?」
あ、そうだった。それは十分『変わったこと』だ。
……って、なんで兄さんがそれを知ってるんだろう。
「『なんで知ってるんだ』って顔してるな。命が前に言ってたじゃないか」
「そうだったっけ」
「そうだったんだよ、まったく。……で、どんな奴?」
「えーと」
ぼくは今日一日の優生さんを思い出す。
彼女は休み時間になるたび、みんなから引っ張りだこで遊びに誘われていた。
“家畜少女”だからみんなに構われるのはまあ当然で、それ以外はというと……。
「なんか、フツウって感じ」
「ええー」
兄さんは期待外れみたいな声を出した。
「“家畜少女”だろ。普通なわけないじゃん」
「そう言われてもなあ。フツウに見えたんだよなあ」
「観察不足じゃないか? 命、おまえ家畜少女と仲良くなってみろよ」
「簡単に言うけどねえ。優生さんはすっかりクラスの人気者だから」
「だから?」
「そう簡単には近づけない」
「いや、近づけばいいだろ」
「ぼくが小心者って知ってるでしょ。クラスの中心人物に、意味もなく話しかけるのはちょっと恐い」
「ははっ」
「笑わないでよ」
「小さい男だなあ」
「事実まだ小さいからね。小学生だからね」
「――命、もうすぐごはんにするから、降りてきなさい」
下の階から母さんの声がした。兄さんとの会話は、いつまでも続けてしまえそうなほど気楽で心地よいけれど、毎回母さんの声によって中断されてしまう。
「行っておいで、命」
「……うん」
ぼくは、青白い光まみれの部屋から出て、一階のリビングへ向かった。
食卓では、父さんと母さんに家畜少女の話をした。二人とも懐かしそうに笑っていた。
「父さんたちが子供のころも、同じ行事があったんだぞ」
父さんが自慢するように言った。
三人分のパスタがのった大皿はみるみるうちに空になった。ぼくらはごちそうさまをした。
*
五年二組の生徒が“家畜少女“と過ごし始めてから、一週間が経った。
「おはよう、当真くん!」
優生さんの挨拶は、朝早くでも元気いっぱいだ。
「おはよう、優生さん」
「うんっ」
優生さんはにこりと笑い、それで満足したのか、別の子へ『おはよう』の挨拶に行った。
優生さんの周りには、彼女がこの一週間で作った友達で溢れていた。
『“家畜少女”だろ。普通なわけないじゃん』
……兄さんはそう言ってたけれど。日々をのびのびと過ごす優生さんは、やっぱり、フツウの子だ。
ただまあはっきりと、普通の子との違いがあった。
違い。それは、彼女の額に描かれたピンク色でニコニコ笑顔のハートマークだ。
以前、クラスメイトがそれは何だと聞いて、“家畜少女”である印だと優生さんは照れながら、誇らしげに答えていた。
そのマークを目立たせるようにか、優生さんはピンクの髪留めで前髪を両端に留めている。
それ以外は、どこまでもフツウの子だと、思う。
優生さんは基本的によく笑う。いつも笑顔でいることが多い。困った顔や悲しそうな顔は、見かけたことがない。
そして、みんな優生さんに親切だ。担任の立花先生や、学級委員長の内藤くんはともかく、強気で勝気な鈴谷くんまで、優生さんには優しかった。
……優生さんは、一ヶ月間は五年二組にいるけれど。
ぼくが深く関わることは、ないだろう。
みんなに引っ張りだこな優生さんが、ぼくにわざわざ構う理由、ないもんな。
ぼくは一通り優生さんの観察を終えてから、小説本を広げた。
小説の中では第二の殺人事件の存在が発覚していた。まったく、人殺しなんて恐ろしい人間は、さっさとこの世からいなくなってほしいものだ。ミステリー小説だから、仕方がないとはいえ。
五年二組の家畜少女 日隈一角 @higuma111
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