新釈 裸の王様

淺羽一

新釈 裸の王様

 それは海を隔てた遠い異国での事、そこにはとてもとても困った王様がおりました。

 そもそも王様と言うものは国で一番に偉くて、一番のお金持ちで、そして一番忙しい人であるはずなのでしたが、この国の王様はほとんど働かず、ただ毎日自分の好きなものの事ばかり考えていました。

 王様は近隣の国にも知られるほどの着道楽で、とりわけ色鮮やかで煌びやかな服が大好きでした。その上、何か嬉しい事や驚く事、悲しい事や腹立たしい事が起こるたびに、まるで表情を変えるように新しい服へと着替えるので、一日に下ろし、また捨てられる服の数は少ない時でも十着を超えて、お城のお金のほとんどは王様の服を買う為に使われてしまっていました。勿論、中には王様にもう少しだけ真面目に働いて貰おうと、節約を勧める家来も居ましたが、そんな人は皆、それが大臣であれ学者であれ等しく処刑されてしまいました。そうしてその辺りで最も裕福だった国は、徐々に最も貧乏な国へと変わっていきました。

 そんなある日、いつも通り王様が謁見の間で次に着る服の事を考えていると、そこへ旅の行商と名乗る二人組の男がやって来ました。

 ひょろりと背の高い男と、ずんぐりとした眼鏡の男は自らを「世界各地を旅しながら、究極の衣服を仕立てて売り歩いている者です」と言いました。

 「何、究極の服とな」。王様は興味をそそられました。それから「ちょっと待っておれ。服を着替えてくる」と告げて玉座を降りると、やがて宝石を所々にあしらわれた新しい服に着替えて戻ってきました。

 王様は子供みたいに瞳を輝かせて尋ねました。「それは一体、どんな服なのだ」。

 背の高い男が恭しく答えます。「はい、王様。それはそれは素晴らしい、世界中でも真に特別な方しか着る事を許されない、幻の衣服にございます」。

 ますます興奮した王様がまた別の服に着替えてくると、今度は眼鏡の男が「私が東洋の魔法によって作り出した糸は、まさしく微風さながらの柔らかさで御身を包み込み、出来上がった服は他のどんなものよりも遙かに着心地の良いものでございます」。

 いよいよ待ちきれなくなった王様は、もう新しい服へ着替える事も忘れて命じました。「早く、早くその服を見せてみよ」。

 すると二人の男は「かしこまりました」と頷き、それから傍らに置いていたカバンの中から一抱えほどの包みを取り出しました。

 眼鏡の男が両手で包みを掲げ、背の高い男が丁寧な手付きでそれをほどいていきます。王様はいつしか立ち上がって身を乗り出していました。

 だけど、やがて王様の目の前に現れたのは、ただの広げられた布だけで、そこには何もありませんでした。

 王様は思わず大声で怒鳴ろうとしました。けれど、その寸前、背の高い男が誇らしげに言いました。「いかがでしょう、王様。これ程の服、他の者ではご用意させて頂けないと自負しております」。

 王様は戸惑いました。服なんか何処にもないはずなのに、行商の男は二人とも確かにそこに品物がある風な口ぶりです。

 背の高い男は続けます。「これは魔法の糸により、王様のように真に優れた御方の為だけに仕立てられた、究極の服でございます。そして、そうだからこそ、これは普通の服とは異なるとても不思議な性質を持っております」。

 「不思議な性質だと?」。尋ねる王様に、両手に包みを載せたままで眼鏡の男が答えます。「はい、王様。この服は不埒な人間に盗まれたりする事の無きように、愚か者の目には決して映らないのでございます」。

 王様は感心しました、なるほどそれならば確かに愚かな罪人に盗まれる心配はないだろうと。だけど同時に焦りました、それでは一体どうして自分には見えないのかと。

「いかがでしょう、王様。この服はお気に召して頂けたでしょうか」

 自信に満ちた笑顔で問うてくる背の高い男に、王様はどっしりと玉座に腰掛けてから「うむ、素晴らしい出来だ」と応えました。

 王様は考えました。もしもこの服が見えていないと知られれば、それはつまり皆から王様は愚か者だと思われてしまう事になります。まさか、そんなわけにはいきません。行商が言った通り、王様は最も特別で、優れた人間なのです。だからこそ、王様は国で一番偉い人物として玉座に腰掛けているのです。

 王様は目を凝らしました。しかし、どれだけ頑張ってみても服どころかボタンの一つ、糸の一本さえ見えません。「見れば見るほど素晴らしい。どれ、もっと近くで見せてみよ」。そう言って服を持っている眼鏡の男を手招き、顔を寄せてみても、やっぱり何もありません。

 そこで王様はふと思い付き、傍らに控えている大臣の一人を呼びました。「おい、大臣。お前はこの服をどう思う」。

 大臣は静かに跪くと、「とても素晴らしい品物だと存じます」。

 大臣は考えていました。もしも服が見えないだなんて言えば、この王様の事です、大臣は服を馬鹿にした愚か者として処刑されてしまうかも知れません。大臣はとにかく王様のご機嫌を取ろうと、とにかく眼鏡の男の手に載っているだろう何かを褒めちぎりました。

 王様は次に別の家来を呼びました。その男は国で一番に賢い学者で、何でも知っていると評判でした。だから王様は、この学者なら東洋の魔法についても詳しいはずだと思ったのです。

 学者は言いました、「これは東洋の魔法を使った、とても不思議で価値のある服でございます」。

 学者にも服なんて何処にも見えていませんでした。その上、遠い海の向こうで使われている東洋の魔法の事もほとんど知りませんでした。だけど、そんな事を正直に告白すれば、何でも知っているはずの自分の立場が悪くなると思い、学者は知りうる限りの言葉を使って服を称賛しました。

 王様は、こんなに優秀な家来達が言うなら間違いないと、いよいよ服が本物だと思いました。すると、その途端、元来の着道楽としての好奇心が急に強くなってきて、そんな服なら早く来てみたいと思い始めました。

 そこで王様は背の高い男に言いました。「それでは、さっそく余にその服を着せてみよ」。

 しかし、あろう事か背の高い男は首を横に振りました。「申し訳ございません、王様。この服では王様のお体には少しばかり小さすぎます」。

 「なるほど、確かにその服では余には小さそうだ」と頷きながらも、王様はがっかりしました。けれど、諦める事なんて出来ませんので、王様は続けて「ならば、余に合う服を急いで作ってくるのじゃ。金なら幾ら掛かっても構わん」と言いました。

 背の高い男と眼鏡の男は揃って「かしこまりました」とお辞儀しました。

 それから二人は城の一室をあてがわれ、王様の為の服作りに取りかかりました。眼鏡の男が魔法の糸の生成には複雑な儀式が必要で、高価な宝石を沢山用意しなければならないと言えば、王様はそれらを与え、背の高い男が魔法の糸の縫製には金と銀の針が必要だと言えば、王様は大量の金や銀を与えました。

 ですが、なかなか服は完成しませんでした。二人の男は、魔法の服は特別なので、完成させる為にも特別に長い時間が掛かるのですと応えました。

 王様は変に急かして出来の悪い服が出来上がってはいけないと思いながらも、待ちきれなくなって、とりあえず途中までの仕上がり具合だけでも確かめたくなりました。

 でも、男達が作業している部屋の扉の前にやって来た時、王様はふと考えました。服を見られない自分では、服が何処まで出来上がっているのか分からないのではないだろうかと。そしてそんな状態で作りかけの服の感想を聞かれたら、もしかしたらまるで見当外れな返事をしてしまって、服が見えていない事を知られてしまうかも知れないと。

 それはまずいと考えた王様は、再び玉座に戻り、家来の一人を呼んで言いました。「服がどれくらい出来ているのか見てくるのだ」。

 家来はさっそく部屋に行き、扉を叩きました。「王様の命令で、服の様子を見に来た」。

 「これは良くいらして下さいました」。中から顔を見せた背の高い男は、にこにこと家来を部屋の中に招き入れました。「どうぞご覧下さい。とても順調に作業は進んでおります」。

 果たして、そこでは眼鏡の男が糸車をカラカラと鳴らして、黙々と仕事をしていました。ただ、家来はやはりそこに細い糸の繊維さえ見つけられませんでした。

「どうでございますか。何とも美しい糸でございましょう?」

 背の高い男に問われて、家来はすぐさま「あぁ、確かに美しい糸だ」と応えました。

 それから謁見の間へ戻った家来は、待ち遠しそうな顔をしていた王様に向かって、「とても美しい糸でした」と告げました。

「それは本当か」

「はい、本当でございます」

 家来は本当の事を言ってしまえば、機嫌を損ねた王様に処刑されてしまうかも知れないと不安だったので、ことさら大げさに糸の美しさを強調しました。「まさしく、光を紡いだかのようでありました」。

 王様はそれは満足そうに頷くと、「あぁ、早く見たいものだ」と言いました。

 それから王様は、待ちきれなくなるたびに、また別の家来を呼んでは見に行かせ、その度に、家来達は二人組の部屋から戻るやいなや、口々に目に見えぬはずの糸や服の感想を述べました。

 そうして遂に、服が完成する日がやってきました。

 王様は朝からすでに十回も服を着替えていて、それでも飽きたらずに十一着目の服を選ぼうとしていました。しかし、そんな王様の下へ、二人の行商が真新しい包みを携えて現れました。

 王様は手に持っていた服を全て放り投げ、彼らに詰め寄りました。

 背の高い男は勿体ぶる風に「どうぞ、大きな鏡をご用意下さい」と言ってから、眼鏡の男が両手に載せた包みを丁寧に開いていきました。

 果たして、そこには何もありませんでした。けれど、王様は感動に震える声で言いました、「何と素晴らしい服だ」と。周囲にいた家来も皆、異口同音に「素晴らしい出来映えです」。

「ご満足頂けたでしょうか」

 背の高い男が尋ねると、王様は「早く、早く着させてくれ」と言いました。

 そこで背の高い男は王様の着ていた服を脱がせると、眼鏡の男と一緒に魔法の服を王様に着せていきました。袖の場所もボタンの位置も分からない王様では、一人でその服を着る事が出来なかったのです。だけど、王様が召使いに着替えを手伝わせる事は当たり前だったので、誰もが皆おかしな顔一つせず、パンツ一丁の格好になった王様の姿を見守っていました。

 やがて王様の着替えが終わりました。

 「うむ、素晴らしい。いかにも空気を纏っているような着心地。これはまさしく余に相応しい服じゃ」。王様は裸同然の姿で鏡の前に立ち、しきりにそんな感想を口にしました。勿論、家来達も全員、「本当にお似合いでございます」と言いました。

 すると次第に王様は良い気分になってきて、終いには、こんな素晴らしい格好なのだから国中の人間にも見せびらかしてやりたいと思いました。

 王様は大声で言いました。「今からこの服の完成を祝ってパレードを行う。すぐに準備をしろ」。

 パレードの準備はすぐさま行われ、城下町では兵士によって国民が道の上に整列させられました。

 そしていよいよ屋根を持たない豪勢な馬車に乗って、王様が城から出てきました。王様は、王冠を被ってマントを羽織り、後はパンツを穿いているだけでしたが、とても堂々とした態度でした。

 人々は思いました、王様は裸じゃないかと。けれど同時に、着道楽の王様にそんな事を言ったら酷い目に遭うかも知れないとも考えました。だから結局、彼らは見えもしない服へとひたすら賛辞を送りました。一つの褒め言葉は、また別の褒め言葉を生み、それはまた別の褒め言葉を生み…と、いつしか街は王様の服を称える民で大騒ぎになっていました。

 王様はとても満足していました。こんなにも気持ちが良かったのは初めてでした。

 だけど、その時でした。

「あれ~。どうして王様は服を着ていないんだろう」

 突然、人込みの中からそんな子供の声が発せられました。

 誰もが驚いて口を閉ざしました。王様の乗る馬車を引いていた馬も足を止めました。

 子供は楽しそうに続けます、「あはは、王様は裸だよ。僕でもちゃんと服を着ているのに、王様は一人で服も着られないのかなぁ」。

 もう辺りは静まりかえっていました。聞こえているのはただ子供の笑い声だけです。誰一人として、王様と目を合わせようとしませんでした。

 ようやく王様も自らの置かれている状況を理解していました。そして、激怒しました。

 王様は大急ぎで城へ戻ると、今まさに出発しようとしていた二人の男を捕らえさせました。

 二人の男は必死に弁解をしようとしましたが、服を着る事も忘れるほどに怒っていた王様は、問答無用で告げました。

「あんな幼い子供が嘘を吐くはずがない。嘘を吐いていた愚か者はお前達の方だ。この罪人め、処刑してくれるわ」

 やがて王様は泣いて懇願する二人組を処刑し、それからとても深く反省しました。

「あぁ、余は何と馬鹿な事をしていたのだろう。これからは、きちんと自分の目で見て、自分で判断しなければならないな」

 そうして王様は自ら服を選び、それを纏ってから苛立たしそうに家来へ言いました。「早く新しい仕立屋を呼んで来るのじゃ。今度こそ、きちんとした服を用意させなければならんからな」。

 当然ながら、不機嫌な王様に家来が逆らえるはずもなく、彼は急いで新しい仕立屋へと王様の言葉を伝えました。

 仕立屋は急な命令にも困った顔一つせず、「すぐにご用意してお城へ参ります」と応えました。

 そして仕立屋はすぐさま店にある服の中でも特に高価なものを数着選び、お城へ出掛ける準備を始めました。

 そんな仕立屋の背後では、まだ幼い彼の息子が嬉しそうな様子で父親の姿を見つめていました。その息子とは、パレードで王様の事を裸だと指摘した子供でした。

 ややあって支度を整えた仕立屋が息子に言いました。「じゃあ、行ってくる。しっかりと留守番をしているんだぞ」。

 すると息子は素直に頷いてから、「良かったね、父ちゃん。これでまた王様に服を売れるね」。

「あぁ、あの王様は愚か者だからな。これでまた、幾らでも服を買ってくれるさ」

「だけど、あの服、本当はとっても綺麗だったよ?」

 「そうか。お前にはちゃんと見えていたんだな。我が息子ながら、本当に賢い子供だ」と、仕立屋は息子の言葉に誇らしげな顔をして、その頭をしっかり撫でてやりながら、さらにこう言いました。

「だけどな、その価値の分からない人間には、どんな逸品もぼろ切れと同じなんだよ」

 そして仕立屋は「ふ~ん」と分かった風な分からない風な顔をする息子に微笑むと、城へと出掛けていきました。

 息子はそんな仕事人である父親の背中を見送りながら、いつか自分も立派な仕立屋になりたいと思いました。

〈了〉


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新釈 裸の王様 淺羽一 @Kotoba-Asobi_Com

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ