キセキノヒト

淺羽一

〈短編小説〉キセキノヒト

 お前ほんまけったいな喋り方やな。いきなり言われて戸惑った。

 だって、単語の意味こそ分からなかったものの、おそらく褒め言葉で無さそうだとは感じられたからだ。ましてや、さらに続けて「いっつもじーっとしとるから、ちっこい案山子かと思ってたわ」

 そりゃ確かにあの頃の私は少しばかり肌の色の黄味が濃くて、体だって背の低い藁みたいにひょろっとしていたけれど、初対面の相手に対するあだ名にしてはえらく酷い言いようだと、やっと友人になれそうな相手に出会えたと弾んでいた内心は呆気なく折れて頭を泥水に浸した。それでもう、私はあっさりと新しい世界へ出て行くことが出来なくなる。

「……僕、やっぱり帰るよ」

 だが、決して嫌味にならないように気を遣って告げたつもりだったのに、愉快そうに眼前で笑っていた顔は途端に変化した。唇の幅と眉間の距離が半分になり、「何でや」と少年らしい声に苛立ちが重ねられる。

「お前、さっき行くってゆうたやんけ」

 約束を反故にすることがあたかも犯罪であるかのごとく詰め寄ってくるヨシヤは恐ろしかった。一足先に中学生に間違えられそうな体格から発せられる声は大きく、しかも標準語圏からやって来た我が身にとって関西弁は乱暴な口調にしか聞こえず。二月生まれの小学五年生にとってそれは最早お化けや怪獣よりも遙かに現実的な脅威だった。

「だって」と言い訳しようとした勇気は、「何やねん」と被せられてあっという間にしゅんとなった。

「言いたいことあんねやったら言えや」

 今にも噛みつかれそうなくらい顔を近付けられているのに、言いたいことなんて口に出せるはずもなかった。でも、彼は尚もしつこく「ほら、言えよ。はよ言えや」

 この時になってようやく私はヨシヤに声を掛けられてすぐに逃げ出さなかった己の愚を後悔すると共に、何故、近所の子供たちが彼を「スッポン」と揶揄するのか理解した気になった。それは元々、在日韓国人三世である彼の本名の「スンホン」をもじっていたのであったが、それ以上に、周囲からどれだけ嫌われようとも硬く耐え、それでいて反撃の機会を窺い、一度噛みついたら離さない、そんな性格にまさしくぴったりのあだ名だった。他の同級生らが彼を――いや、実際には近隣住民のほとんどが彼ら一家そのものを疎ましく思っていた――排斥したいと考えながらも、決して力ずくでどうこうしようとせず、無視するか、はたまた遠巻きに「スッポンは鍋にして食うてまうぞ」なんて悪口を叫ぶくらいにとどまっていたのは、きっとヨシヤの体格だけでなくそんな気性も理由にあったのだろう。

 とは言え、私がそこら辺の事情をちゃんと理解したのは、いつしか標準語よりも関西弁の方が自然に出てくるようになった頃で。ましてや母一人子一人で逃げるように大阪の外れに引っ越してきた者にとって、良くも悪くも集団から弾かれた彼の存在は特別だった。

 要するに、私は敢えて一歳上の「ヨシヤ」を初めての友人にしたいと考えたのでなく、ただ単に、「スッポン」くらいしか私に接しようとしてくれる相手がいなかったのだ。第一、そもそも私は彼が本来「スンホン」と言う名前であることさえ知らなかった。私もまた彼同様、近隣の子供たちから距離を置かれていて、一方で、彼とは異なりことさらからかわれたりなどといったこともなかった。

 今にして当時を振り返れば、八十年代初頭、やはり両親が離婚している子供というのは珍しく、ましてやそれが父親による暴力が原因であったとなれば少なからず周囲からの同情も集められていたのだろう。だが、反面、やはり水商売に対する偏見も根強く、しかも母親が若くして私を生んだと言うこともあり、結論として近隣住民らは皆どのように私たち親子を扱えばいいのか決めかねていた。そしてそれはまた、結婚に反対する両親を捨ててまで父を選んだ母が、結局は飲み屋を営む昔の友人だけを頼りに生まれ育った地を離れ、その店の近場でアパートの賃料の安さのみを基準に住処を決めざるを得なかったことも関係あったはずだ。もっと都会であったならまだしも、二階建てアパートの屋根より高い建物なんて商業施設を除けばろくに無く、ひとたび火事が起こっても消防車がその軒先まで入ってこられない時もたびたびある地域で、そんないっそ定番ドラマじみた設定は、しかしながらまるで非常識なものとしてしか映っていなかったのだと思う。

 祖父が犯罪者で在日村――私の住んでいた辺りでは朝鮮系の住民が多く暮らす地域をそう呼んでいた――を追い出されてきたのだとか。闇金から借金をした挙げ句に夜逃げしてきたのだとか。悪意に満ちているとしか思えない枕詞を噂されつつも決して声を荒げたり反論したりすることなく、住宅の隅っこの小さな平屋で祖母と両親とヨシヤの四人で暮らしていた在日一家と、日を追うにつれ顔の化粧は濃くなり頭髪の色が明るくなっていく母とひ弱な鍵っ子の親子は、直接的な面識こそほとんど無かったものの、ある意味でよく似ていたのだろう。前述した通り、私が敢えて彼を選んだわけでなかったのなら、彼もまたおそらく、特別に私とのみ仲良くなりたかったわけでもなかったのだ。だからこそ、アパートのそばにある小さな公園で暇そうにブランコをこいでいた私が(あの頃の私の家にテレビやゲームなど無かった)、きっと彼にとっても思いがけず遊びの誘いに頷いたから、ヨシヤだってあんなにもしつこく言ってきたのだ。背丈の大きさや、年齢や、出自に関係なく、寂しかったのは一緒だったのだろう。

 果たして、私は一向に諦める気配のないヨシヤに、「分かったよ。行くってば」と応えた。ただし、彼の言う「面白い所」への興味は最初に比べてずいぶんと減少していたが。

 ヨシヤは途端に機嫌を回復させ、「ならええけどな」と満足そうに頷いていた。

「ほな、行くぞ」

 そう言ってヨシヤはさっさと公園を出ると、入り口近くの柵に立てかけてあった前かごの潰れた薄緑のママチャリを起こして「お前もはよせぇや」

「……あの、僕、自転車持ってない」 私の内心は、妬ましさや悔しさよりも恥ずかしさで一杯だった。きょとんとした彼の表情を、まともに見ていられなかった。

「その、前の家にいた時は、変速機の付いたやつがあったんだけど」

 気付けば、私の舌は勝手に言い訳を始めていた。「お母さんが引っ越してくるのに邪魔だからって無理矢理捨てちゃって、代わりに新しいのを買ってくれる約束なんだけど――」

「もうええわ」

 ばっさりとこちらの言葉を切り捨てるように、ヨシヤが言った。ろくに動かせなかった視界で、黄ばんだスニーカーが持ち上げられ、彼が自転車にまたがったことを悟った。

「ほら、はよせぇよ」

 直後に聞こえてきた言葉の意味を、即座に理解出来なかった。ようやくそちらを見れば、彼は自転車を股の間に挟んで立ったまま、視線で背後を示していた。うっすらとさびの浮いた荷台が、僅かに角度を付けられてこちらを向いていた。

「変速機か何か知らんけどな。俺が本気でこいだら、その辺の車より速いんや」

 だから早く乗れ、と彼は言った。

 思わず泣きそうになった。同時に、先ほどよりも遙かに激しい恥ずかしさを覚えた。

 かつて見たテレビドラマを真似て足を開いて座った感触は、硬くて痛くて、それ以上に何だか変な感じだった。両方のつま先が地面に軽く触れていた。

「しっか掴まっとけや」

 言うやいなや、ヨシヤはこちらの返事も待たずに地面を蹴った。出発する瞬間、ぐらぐらと自転車が揺れて、慌てて彼の腰に手を回した。直後に文句を言われるかなと思ったが、彼は何も言ってこなかった。

 私は、あの時、肩越しに窺った彼の真剣な表情を今でも忘れていない。本気になれば車を抜けるほどに力強くペダルをこげる彼にとっても、多分、二人乗りは初めてだったのだ。

 広い通りの濃いアスファルトと違って、くたびれた感じのする灰色の路地を、やがて慣れたらしいヨシヤの自転車がぐんぐん進んでいく。私にも徐々に余裕が出てきて、そっと彼の体から自身を離し、代わりにサドルの後ろの辺りをしっかりと握り、軽く足を開いてみたりなんかする。全身を左右に揺らすようにペダルを踏むヨシヤの後ろ姿は大きくて、短く刈り上げられたうなじにぽつぽつと汗の珠が浮かんでいた。

「もっと早く、もっと早く」

「おう、任せとけや」

 いつしか私は自分でも驚くくらい大きな声援を送っていて、こちらを振り返らずに応えてきた彼の声も大きくて。時折、買い物帰りらしい近所のおばさんたちが歩いていて私たちに迷惑そうな、或いは気味悪そうな視線を向けてきていたけれど、まるで気にならなかった。遂に立ちこぎを始められた自転車はいよいよ加速して、私は彼の体の脇から首を覗かせながら幼稚園の頃に一度だけ父と母に連れられて行った遊園地のゴーカートを思い出していた。あの時は母が朝からお弁当を作ってくれて、父も私も刻んだネギと少量のゴマ油を混ぜられた醤油風味の卵焼きが大好きで、最後に一つだけ残ったそれを賭けて父と私がじゃんけんをした。結果はグーを出した私が、いや、あの頃は決まって私が勝利した。

 母はしばしば言っていた。お父さんが悪い訳じゃない、と。きっと、私さえいなければ母は最後まで父を捨てようとしなかっただろう。或いは、父だって私がいなければずっと母を愛し続けていたのかも知れない。だとすれば、悪かったのは私であったのか。

 勿論、それは子供にとってみれば全くもって理不尽な話で、実際はもっと複雑だったのだろうが、あの頃の私の心にそんな考えが僅かながらあったのも確かだ。昼過ぎには出掛けて、深夜どころか明け方頃にようやく帰ってくる母は、それなのにいつも私の朝食を用意してくれていて、夕食の支度だってしてくれていた。そんな母に、どうして私が友達が出来なくて寂しいだなんて言えただろう。誰もいない部屋で過ごしたくない理由が、部屋に玩具が無いからでも、外で遊んでいるからでもなくて、いつしかそこに染みついてしまった香りに安心出来なかったからだなんて、どうして素直に告げられただろう。化粧を落とし、風呂へ入った後であっても、香水はもう母の血液にまで溶けているようだった。

「もうじき、着くで」

 いい加減に疲れてきたのか、住宅地を離れ、林に囲まれた坂を上り始めてしばらくすると、ヨシヤの声も徐々に苦しげになっていた。相変わらず彼は立ちこぎを続けていたものの、左右に揺れる自転車の傾きは大きくなっていて、それは今にも倒れそうだった。

「あの、僕、降りようか」

 好意から発した申し出は、しかし即座に「黙っとれ」と一蹴された。しかも直後、速度がかすかに上がりさえした。

「もうじきやって言うたやろ」

「うん……」

「せやったら黙って乗っとけ。チビのくせに変な気ぃ遣うな」

 それは言ってしまえば、口の悪い彼なりの強がりで、同時にそれこそ気遣いであったのだろう。でも、当時の私にとって、それはむしろいたく心に突き刺さる言葉だった。

 何も言えなくなった私を乗せて、早歩きから小走りくらいの速度になった自転車は、歩道も信号機も備えられていない一車線の道路の真ん中を進んでいった。

 やがて辿り着いた先は、アルミ板に色を塗ってブロック塀に張り付けただけのような看板を掲げられた自然公園らしき場所の入り口だった。〈××メモリアルパーク〉 看板には水色のゴシック体でそう書かれていた。道を挟んで対面にある駐車場には一台の車も停まっていなかった。

「この中に、おるらしいで」

「……その人って、本当に何でも願い事を叶えてくれるの?」 肩で息をしながらも自信満々に語るヨシヤへそう問うと、彼は「当たり前やろ。奇蹟の人っちゅうくらいやねんから、そら何でもや」

 実を言うと、私は完全に彼の発言を信じているわけではなかった。むしろ、どちらかと言えば超能力とか大予言なんてオカルトよりもロボットや宇宙旅行などSF系の内容の方が好きだった。大人にとってみればどちらも似たり寄ったりの話だとしても、当時の私たちにとっては重要な違いだった。

 しかしながら、その場でそんなことを馬鹿正直に告げたって誰も得しないどころか、いっそヨシヤの頑張りを台無しにしてしまいそうで。結局、私はそれ以上の否定や疑問を口にしなかった。それに、科学を信じていたとしても、だからってオカルトを嫌いだと言うわけではなかったし。

「ほな、行くで」

「あれ、自転車は?」

自転車を入り口の脇に置いて歩き出したヨシヤについて行きつつ、尋ねた。てっきり、彼の性格であれば車道だろうが芝生だろうが平気で乗り入れそうだと思っていたからだ。ましてや、左右を木々に挟まれたそこはまだアスファルトで覆われていた。

 この先に階段でもあるのかな、そんなことを考えながら答を待っていると、やがて返ってきたのは思いがけない言葉だった。

「墓場にチャリはあかんやろ」

「え」と反射的に足が止まっていた。「……ここ、公園でしょ?」

 恐る恐る問うた私に、彼はあっけらかんと「いや、墓場やで」

「え、だって、あそこには〈パーク〉って書いてたのに。パークって公園でしょ」

「英語なんか知らんわ」

 振り返った彼の顔はいっそ清々しいほどで、だからこそ余計に厄介だった。

「ちょっと待ってよ。そんなの、聞いてないよ」

「ちゃんと言うたやろ」

「言ってないって。ヨシヤくんが言ってたのは、何でも願い事を叶えてくれる奇蹟の人がいる所に連れてってやるってことだけでしょ」

「嘘は言うてへんぞ。それがここや。ばあちゃんがそう言うてたからな。『あそにはがおるんや』って。もうええやろ、はよ行くで」

「あ、ちょっと待ってよ」

「大丈夫やって。こんな明るい内からお化けなんか出るかいな。出たら俺が追っ払ったる」

 そんなの無理に決まってるじゃないか、と言ったら先に自分の方が殴られそうで、私は束の間その場で悩んだ末に、結局はさっさと先に行く彼を慌てて追いかけた。納得したのでなく、単にこんな中途半端な場所で一人置き去りにされる方が恐ろしかったのだ。

 しれっと歩く彼の後ろ姿を見つめながら、何てとこに連れてきてくれたんだと思った。住宅地から離れた静けさが余計に厄介だった。森を割るように伸びているアスファルトは、あたかもあの世へ続く道めいていた。

 やがて、遂にそれが見えてきた。木々の間を抜けると、一転して山頂を切り開いたかのように広い芝生が現れた。日光を遮るものもなく、緩やかな斜面になっているそこは陽を浴びて鮮やかな緑に光っていた。

 端的に言って、良い場所だった。彼方には幾つもの民家の屋根が見えて、頭上を仰げば空がずいぶんと近かった。これで、びっしりと並ぶ墓石さえなければ本当に晴れた休日にでもお弁当を携えてピクニックに来たくなっただろう。だけど残念ながら、あの時の私にはどうしてもそこで母の卵焼きを食べたいとは思えなかった。

「え~と、あ、あれか」

 と、その声に振り向けば、ヨシヤが何かを探す風に芝生の上できょろきょろとしていた。

「何を探してるの?」

 見事な眺望も不気味な墓石もまるで目に入っていない様子の彼に尋ねると、彼はちらりとこちらを見て、「あれや」と遠くを指さしてきた。

 彼の人差し指の先を追って視線を移すと、芝生広場の隅っこの方、一本だけ背の高い木が生えている場所があった。そして青々と茂る葉の下では、何やら背の低い石が集まっているようだった。

「木?」

「あぁ、木ぃや」

「あそこに、奇跡の人がいるの?」

「さぁな」

「さぁなって……」

「一本だけ木が生えてるとこにって言うもんがあって、そこにおるってばあちゃんは言うとった。まぁ、他にそれらしい木もないし、ムエンヅカってのは何や分からんけど、とにかくそれも行ってみたら分かるやろ」

 何とも適当な話だったが、逆らえるはずもなく、私はそれまでよりもさらに彼との距離を縮めて後に続いていった。もうすでに、奇跡なんて起こらなくて良いから無事に帰れますように、と心の中で祈っていた。

 本当に可愛らしいというか、情けないというか、全くもって子供らしい発想だった。

 国語の得意な人間であればとっくに気付いていたのかも知れないが、要するに、彼の話は全て子供らしいだった。

 これは私の推測であるが、おそらく、彼の祖母は、冒険と称してあちらこちらへ一人で行ってしまう孫を心配していたのだ。そして、そうであったからこそ、むしろ彼をそこから遠ざける為にそんな話を聞かせたのだろう。まさか、それが逆に彼の好奇心……いや、或いはもっと切実な気持ちを煽ってしまうなんて考えもせずに。「奇跡の人」なんていかにも子供じみているじゃないか。それも、何かどうしても叶えたい願いを持っている子供だ。

 とは言え、幼く、また色々な意味で無知だった私にそれを悟ることなど出来なかった。だからこそ私は良くも悪くもいつしか本気で信じてしまっていた。それに、私だって言ってみれば、彼と同類であったのだ。

 綺麗な墓石からずいぶんと離れた所に、その木はぽつんと生えていた。またその足下には、子供の一抱えくらいの大きさを持つ石が決められた枠に押し込められるかのように、木陰にびっしりと並べられていた。

 つるっとした表面に丁寧な文字を掘られている日なたの御影石と違い、ざらついた石の色はばらばらで、はたまたまだらに汚れていて、周囲の芝こそ短く刈られているものの供えられている花はなく。それらはいっそ石切場に転がっている余りをそのまま持ってこられた風に見えた。無縁塚という言葉の意味どころか、その存在さえも知らなかったのに、漠然とながらも伝わってくるものが確かにあった。

 私は帰った方が良いと言おうとした。実際、いつでも走り去れるよう足も準備していた。

 それを許さなかったのはヨシヤだ。いや、直接に言葉で命じられたわけじゃない。むしろ、彼は一言も発しなかった。彼はただ眉間に皺が寄るほどに目を閉じて、指先が小刻みに揺れるくらいに手を合わせ、そこに鼻が潰れるまで顔を押しつけて何かを祈っていた。

 あまりと言えば切実な姿に、私は未だに現れないゾンビやお化けよりも、その彼の邪魔をする方が恐ろしいことのように感じられた。

 わざわざあんな場所で、隣りにはちゃんと知り合ってからまだほんの少ししか経っていない相手がいるにも関わらず、彼は疑いようもなく真剣に奇蹟を求めていた。それは私にとって、ともすれば初めて目の当たりにする他人の弱味であったのかも知れないが、何故だか同時に強さにも思えた。

 一人で取り残された私は、改めて名も無き墓標を見た。果たして、本当にその下に無数の骨が埋められていたのか、当時の私に確かめる勇気など無かったし、今となっても定かでない。

 ただ、もしも仮にそこに眠っている人間がいるのであれば、それはあまりにも寂しいのではないだろうかと思った。するとその途端、ちょっとでも気を抜けばまばたきの間を縫って得体の知れない何かが近付いてくるかもなんて恐怖はしぼんでしまい、あれほど不気味に映っていた眼前の光景が、不意に何だかとてももの悲しいものに変わった。石を覆うように薄く敷かれた影が、明るく映える芝生の中でやけに印象的だった。

 私は自然と手を合わせていた。

 いわゆる神頼みなんて、いつしか完全にしなくなっていた。と言うよりも、私は十歳になるよりも早く、そんなものは所詮、やり場のない葛藤や苦悩を慰める為の気休めに過ぎないのだと、虚しくも確かな真実を悟ってしまっていた。神様なんて存在しないと子供ながらにオカルトを全否定していたわけじゃない。詰まる所、余所がどうであれ、それは自分を救ってくれる存在ではないと知っていたのだ。だって、それまでに幾たび寝る前に祈っても、叶えられた試しなんてなかったから。

 日ごとに増えていく酒量に比例して激しくなる暴力に体をすくめるしか術のなかった頃から、その時になるまでずっと変わらず私にとっての救いとなっていたのは、どんなありがたいお言葉よりも、どんな高価なお守りよりも、ただ母の手の感触だった。たとえ真夏の盛りの夜であっても、綺麗に塗られたマニキュアとひび割れの共存する手が差し伸べられた時、私はいつでも必ずそれに肌を重ねた。自身の手を合わせたって、特別に温かいと感じられはしなかったのに、そんな時は決まって母が「温かいね」と言ってくれたから、気付けば私は、どんなに寒い時期でも絶対に手袋をせず、代わりに暇があれば両手をポケットに入れたりこすり合わせたり息を吐きかけたりする癖を持つようになっていた。

 マザコンだと言われれば、そうだっただろう。だが、同時に私は一丁前に自分が母を救ってやりたいとも真剣に考えていた。だからこそ、やがて目を閉じた私の中に浮かんできた「願い」は一つしかなかった。

 もっと強くなりたい。

 それは例えば、今この隣にいるヨシヤよりも、ひとたび理性を失えば相手が誰であろうと関係なく向かっていった父よりも、いっそテレビに出てくるヒーローよりも。

 どれだけ強く、大きくなれば足りるのか、未熟な子供には分からなかったから、それならこの世で一番強くなりたいと願った。喩え相撲をしたら同級生の女子にだって負けてしまいそうなくらい小さい体でも、いつかきっと、いや、本当に叶うなら今すぐにでも――

 手の平が潰れるんじゃないかと思うくらい両手を押し当てて、本当に、本当に、本当にお願いしますと、奇跡の人でも神様でもお化けでもゾンビでも何でも良いから叶えてくださいと心の中で繰り返した。これから先、一生、他のお願いは単なる気休めで構わないから。だからせめてたった一度くらい、僕のお願いを叶えてくださいと。

 今にして考えれば、もっと単純に「母が幸せになれるように」と願っていれば良かったのだろうに、そうでなくあくまでも「自分が母を―」と考えた辺り、なるほど父の血を受け継いでいたのかも知れない。あんな奴さっさと死ねば良いのにと、もう二度と自分たちの前に現れるなと、誰もいない部屋で実行する勇気も根性も無謀さも持っていないくせに何度も何度も包丁を握りしめるほど憎んでいた父であったのに。それがいなければ自身もまたこの世に生を受けていなかった現実は、最低で最大の皮肉だ。

「おい」

 と言われてはっとした私の肩を掴んでいたヨシヤは、不安半分心配半分という風な表情を浮かべていた。「お前、何ぶっそうなことぶつぶつ言っとんねん」

 そこで初めて、我知らず内心の感情が口からこぼれていたらしいと自覚した。途端に、全身の血が沸騰してしまったんじゃないかと錯覚した。

「お前、意外と激しい奴やってんなぁ」

「……あの、僕、何て言ってたの」

「なんやお前、覚えてないんか」

 ヨシヤの瞳が丸くなり、次いで線みたいになった。大笑いされた。

「まぁ、そない大したこっちゃあらへん。俺もしょっちゅう言うてるしな」

 結局、ヨシヤはこの時の私が何を口走っていたのか、最後まで教えてくれなかった。でも、それは意地悪でなく、むしろ彼なりの気遣いであったのだろうと、今なら分かる。

「よっしゃ。ほな、帰るか」

 そう言ったヨシヤはやけにすっきりした感じで、私はそれにどんな顔を向けていたのだろう。続けて彼に「まぁ、奇跡の人は見れんかったけど、それはしゃあないやんけ」と言われたことを考慮に入れれば、もしかすると釈然としていなかったのかも知れない。

 しかしながら、その一方で、私も少なからず晴れ晴れしい気分になっていたのも事実だったのだ。その証拠に、私はすぐに「そうだね」と軽く頷いたはずだと記憶している。

「帰りはお前がこいでいけよな」

「あの自転車じゃ足が付かないよ」

「そんなもん平気や。俺が後ろで踏ん張ったるわ」

「でも」

「ええから。お前は一個下やねんから、俺の言うことを聞いとったらええんや」

 それは、言葉だけ聞けば乱暴なのだけれど、どうしてか嫌いになれない荒々しさで。

「……転んでも怒らない?」

「せやから言うたやろ。こけそうになったら、俺が足で支えたる」

 何とも素っ気ない保証は、しかしやたらと自信満々で、それはもう可笑しさを通り越して格好良くて、もしも兄がいればこんな感じなんだろうかと思った。毎日であれば間違いなく暑苦しくて鬱陶しかっただろうけれど、たまに接するくらいなら最高の兄貴だった。

 その後、私は「東京もんのくせに、スッポンと二人乗りしていたらしい」と言う武勇伝なのか何なのか今ひとつ判然としない噂をきっかけに(そもそも私は東京生まれでないのだが)、少しずつであったものの学校や地域の子供らに馴染みはじめ、夏休みに定番だった毎朝のラジオ体操へ休まず出席した甲斐もあったのだろうか、運動会が始まる頃には同級生らと休日に遊ぶようにもなっていた。

 ただ、その反面、私がヨシヤと二人きりで遊ぶことは、あの日を合わせても多分、十回もなかったはずだ。敢えて私から彼を避けたつもりはなかったものの、私が他の誰かといる時は決して近づいてこようとしなかった彼に、私もまた皆との時間を中断してまで話しかけに行くこともしなかった。あの瞬間は兄だとまで思っていたくせに、我ながら全くもって薄情な話だと呆れてしまうが、当時の私は友達が増えていく喜びの余り、そんな行為を一切の悪気無くしてしまっていた。

 私が最後に彼と二人で会ったのは、彼が小学校を卒業する一週間前だった。

 その日の夕方、急に私の家を訪ねてきた彼は、微妙な気まずさに戸惑っているこちらに対して、やっぱり平然と彼らしい態度で「ほんまは内緒やねんけど。俺ん家、明日、引っ越しすんねん」

 率直に言って、驚いた。だけど、寂しいとは思わなかった。それはもう他の友人が出来ていたから、と言う理由からじゃなくて、何と言えばきちんと表せるのか自信が無いのだが、何となく予感じみたものがあったせいだと思うのだ。私には、彼がこのまますんなり中学生になって、学ランを着て自転車で通学をする姿なんてちっとも想像出来なかった。私の中で、彼はいつまでも一つ上のガキ大将で、それはつまりある意味で非現実的な存在だった。

「それでな、お前にやるもんがあって来たんや」

 唐突にそんなことを言い出した彼は、こちらの返事も待たずに「こっちや」とアパートの駐輪場へ歩き出した。

 私は何と返すべきなのか分からず、黙って彼の後に続いた。しばらくぶりにじっくりと眺める背中は、初めて出会った頃よりもさらに一回りほど大きくなっている気がして、何故だか不意に泣きそうになった。

「これや」

 と、急に振り返られて慌てて視線を逸らすと、代わりに視界へ一台の自転車が飛び込んできた。潰れた前籠に、所々の塗装がはげた薄緑の車体は、間違えようもない、ヨシヤの自転車だった。

「引っ越しすんのに邪魔やからな。捨てんのも勿体ないし、良かったら使ってくれ」

 ぶっきらぼうな口調で、いつか何処かで聞いたようなことを彼は言った。だけど、明後日の方を向いた横顔は、ほんの少しだけ照れ臭そうで、また誇らしそうにも見えた。

「え、でも……」 それなのに、私は、即座に応えることが出来なかった。

 迷惑だと感じたわけじゃない、それは本当だ。ただ、少なからず驚いたのだ。困ってしまったと言う部分もあった。

 でも、それは詮無いことだろうとも思う。何の前触れもなく別れを告げられ、その餞別としていきなり古びた自転車を差し出され、ましてや相手は久しく話してもいなかったあのヨシヤで――

「……何や、迷惑やったか」

 反射的に顔を上げれば、そこには見たこともない表情を浮かべた彼がいた。怒るでもなく、拗ねるでもなく、むしろかすかに恥ずかしそうに微笑んでいる風にも見えるそれは、もしかしたら初めて接した彼の子供の部分だったのかも知れない。

 だとすれば、私は既に知っているはずだった。彼が、本当はどんな想いを抱えている子供であったのかと言うことを。彼の全てを知っていたわけでなくとも、それだけは確かに知っていた。

「あ、それか、もうお母んに買って貰ったんか。何や、それやったら早よ言えや。こんなんわざわざ持ってきて、俺がアホみたいやんけ」

 早口に言葉を並べ立てながら張り付けられていた照れ笑いは、とても釣られて微笑むことの出来るものじゃなかった。

「ありがと」

 だから思わず告げたそれは、本音を言えば、言葉通りの意味でなく、ただただ焦燥感に駆られて発しただけのものだった。後ほんの僅かでも遅ければ、私は今度こそ本当に泣いてしまっていただろう。

「……邪魔、ちゃうんか」

「全然。自転車、まだ持ってなかったし」

 六年生になったら買ってくれると約束していた母に何と言い訳しようかと考えつつも、いざ声に出してみると数分前まで感じていた戸惑いや気まずさは綺麗さっぱり消えていた。

「だから、ありがとう」

 改めて彼に向き合った時、私はようやく本心からそう言えた。

「そうか。ほんなら、まぁ、せやな」

 表情そのものはほとんど変わっていなかったものの、応える声は明らかに嬉しそうで。「触っても良いかな」 「もうお前のやんけ」なんてやりとりを経て受け取った自転車のサドルはまだほんのりと温かかった。フレームに貼られた名札シールにはうっすらと記号めいた文字が書かれていて、その上から黒のマジックで〈金本好哉〉と大きく書かれていた。

「ほな、帰るわ」

「え、もう?」

「色々と忙しいんや」

「なら、送ってくよ」

 無意識に声に出してから、自分の発した言葉の意味を知った。だからもう一度、今度はちゃんと素直に言った、

「後ろに乗っても良いよ」

 果たして、彼は束の間きょとんとした後で、「何やお前、偉そうに」

「嫌なら良いけど」

「誰も嫌や言うてないやろ」

「だったら、はい」

「……お前、足付くやんけ」

「まだ爪先だけだけどね」

 ハンドルを握り、両足をぴんと伸ばして自転車を支えた。気を抜けばすぐにでもぐらついてしまいそうだったけれど、せめてこの時ばかりは強がりたかった。

「まぁ、またこけそうになったら踏ん張ったるわ」

 直後、ハンドルにずしりと彼の重みを感じた。

「大丈夫」 言いながらペダルに片足をかけ、サドルから腰を浮かして、全体重をそこに載せた。同時に、まるで誰かが背中を押してくれているような力が後ろの地面から伝わってきた。

 危なっかしいバランスで走り出した自転車は、やがて安定してきたと思ったら、油が切れているのかキーコ、キーコと盛大に鳴り始めた。正直、かなり恥ずかしかった。彼はちっとも気にしていなかったけれど。

「ええ感じやんけ」

「もっとスピード上げようか」

「……いや、ゆっくりでええわ。それよりも、お前、喋り方ちょっと変わったな」

「え、そうかな」

「まぁ、ええんちゃうか。郷に入っては郷に従えっちゅうしな。世の中、そうせなあかん時もあるわ」

 そう言った際の彼は、一体どんな顔をしていたのか。あの時、後ろを振り返ろうとしたこちらを「前、前」と制したヨシヤの声がかすかに震えているように聞こえた訳を、結局、私は最後まで知ることがなかった。覚えているのは、彼の家の前で別れた時の笑顔だけだ。キーコ、キーコと鳴らしながら何度振り返っても、彼は最後まで私を見送ってくれていた。

 あれ以来、私がヨシヤと会う機会は無く、そもそも彼ら一家が夜逃げ同然に何処へ引っ越していったのか、知っている者は誰もいなかった。その代わり、小学六年生の夏、ぼろぼろと涙を流す母から父が死んだらしいという話を聞かされた。あの無縁塚でのお祈りが届いたのかどうか、確かめようもなかったが、あまりにも悲しそうに泣きじゃくる母の姿は、きっと両親には両親なりの想いがあったのだろうと否応なしに複雑な気分にさせてくれた。何も知らない子供の身では、馬鹿みたいに手を握り続けるくらいしか出来なかった。

 数年後、例の墓地は改装され、あの無縁塚も立派な供養塔と綺麗な白い墓石に取って代わられることになった。とは言え、既に中学生も半ばを過ぎ、とっくにロックやハリウッド映画に興味を移していた私にとって、それは最早、過去の一部となっており、またあの自転車も小学校を卒業すると同時に寿命を迎えてしまっていた。新しく買って貰った自転車は変速機こそ付いていなかったものの、黒いフレームに銀のハンドルがぴかぴかと光っているものだった。勿論、油の切れた音なんて鳴らなかった。さらに四年後には、中古のスクーターに代わっていた。

「降りるのって、次だよね」

 と、それまで黙っていた彼女が急に話し掛けてきた。どうやら車掌のアナウンスを聞いて、いよいよだと決意を新たにしたらしい。隣りに座る横顔は、いかにも緊張している風で、だけどそれ以上に楽しそうだった。

 あれからもう二十年近く。当然と言うべきか、あのアパートはとっくに引き払い、その隣町にある現在の実家には母と、それから私が高校を卒業する前に再婚した義父が暮らしている。店の常連客だったらしいその人は、おっとりとしながらも冗談好きな人で、母はいつも笑っていた。

「ねぇ、お義母さんとお義父さんって、どんな人」

 それはもう何度目になるかも分からない質問で、おそらく、その問答自体が一つの言葉遊びになっていて、だからこそ私の回答も決まっていて。

「せやから、二人ともけったいな関西人やって」

「ふ~ん」と頷く彼女を見つめたまま、ふと、こいつもいつか関西弁を喋るようになるのだろうかと考えた。それとも、私の方が彼女に釣られてしまうのだろうか。だとすれば、それはそれで愉快かも知れない。

 周囲では早くもせっかちな乗客が数人ほど扉の前で列を成している。

 懐かしく響く私鉄のアナウンスは、電車の到着を告げていた。

〈了〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

キセキノヒト 淺羽一 @Kotoba-Asobi_Com

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ