さよなら木霊

二〇一四年十月三十日 東京

第18話 大和と斉藤の嘘

「あの話、嘘ですよね?」

「あ……どの話?」

「結婚式の余興に、リコーダーを吹いたっていう」

 そう彼女が言い出した途端、はやぶさ25号新青森行きはなめらかに走り出した。僕は窓をチラと伺う。晴れた景色の中に、彼女の姿がうっすらと反射して映っている。背筋をまっすぐに伸ばし、正面を見据えている。僕と会話していても、僕のほうは見てこない。

「提督にそんなご友人、いらっしゃらないでしょう?」

「その呼び方はやめて。作戦行動じゃないし」

「では、何と」

「そうだな……斉藤、と呼んでくれ」

「なんですかそれ」

「笑うなよ?」

「はあ」

「俳号だ、僕の」

 職務上、僕の名前は公になってはならない。どこから何が漏れるかわからない。それで本名とは似ても似つかぬ俳号を使って投句するのがささやかな楽しみだった。

「はいごう」

「俳句を作る時のペンネームだ」

 ああ、俳句って艦内新聞や機関誌に載ってる……と彼女は小さくつぶやく。

「提督って」

「斉藤と」

「斉藤、さん、って、俳句を作られるんですね?」

「あっ、ほかの連中には言うなよ、死ぬほど笑うだろうから」

「はい、承りました」

 彼女はこの時はじめて、僕のほうを向いてうなずいた。立派な上背を持つ彼女は、僕の方を見下ろしてくる。しゃくに障るけど、彼女のほうが僕よりうんと背が高い。今日はいつもの制服姿ではなくて、黒のタートルネックに臙脂色のスカート。落ち着いた装いだ。スタイルがよく、目鼻立ちの整った彼女はいかに地味な格好をしていても目立つ。

 はやぶさがぐんぐん加速していく。窓の外の景色が流れていく。

「速いものですね……何ノットくらいあるのでしょうか」

「ええとね、最高時速三百二十キロだから……ええと、約百七十ノット」

「船には考えられない速度です」

「そうだね、どっちかっていうと飛行機の領分だ」

「飛ぶって、どんな気分なんでしょうね」

「さあ、ねえ」

 彼女のポニーテールがはやぶさの揺れに合わせて、静かに揺れる。

「それで、斉藤さん、五年前はなんのために練習してたんですか?」

「え?」

「だから、リコーダー」

「ああ……」

 彼女に本当のことを言ったものかどうか。しかし、僕はこう答えることにした。

「ライブにくればわかるよ、大和」

 彼女の名は大和、僕は斉藤。

 僕の目的は、これから何日かに渡って続くライブツアーを追いかけること。

 彼女の目的は何だろうか。

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さよなら木霊 斉藤ハゼ @HazeinHeart

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