花の先

 早くと梅乃になじられて、しかし変わらず雛芥子は、やつれた顔でころころと鈴を転がす笑い声。

「まあ、なんてごせっかち。ご挨拶も済まないうちに。ですけども、田岡さまは見るところ、お健やかなご様子で実によろしゅうございます」

 嫌味と取れる挨拶に、キッと睨んで梅乃嬢、

「ええ、そうよ。見ての通りよ、お世話さま。あなたはすこし見ないうち、ずいぶんおやつれになったよう」

 お返しとばかりチクリ刺し、あからさまに顔そむけたる。

「あら、まあ、あら、まあ、ご挨拶。それじゃどうやらあのことは、ちっともご存じありゃしませんのね」

 意味も深げに言葉切り、雛芥子ほほ笑み湛えておれば、むくり梅乃の胸中に、いら立ち雲に不安雲、共に湧き立ち垂れ込める。

「腹立たしいわね、さっきから、ちろちろと人を弄る真似をして。あのことなんてもったいぶらずに、言いたいことをさっさとおっしゃい」

「さようですか。では、すっぱり、お呼び立てしたお話に入らせていただくといたしましょう」

 笑み残したまま、じんわりと粘り気増した声音にて、女給雛芥子、梅乃を見据え、

「ねえ、このごろは、田岡さま、伊祖上さまとはいかがです。お会いになっていらっしゃる?」

「なによそれ」

「お忙しいと繰り返しお断りになるばかり。お顔をお出しにならないと、ご不満なんじゃございませんか?」

 畳みかける雛芥子のそれは全く図星にて。

 ここ半月の間中、顔を見せぬとやきもきと梅乃は悋気りんきの虫騒ぎ。けれどカッフェの噂聞き耳打ちをした世話焼きの女中もいつやら消えており、不思議に家中だれ一人伊祖上の「伊」も口にせず。父母姉は腫れものをあつかうような気配して。ぐらりぐらりと足元が危ういように思いつつ梅乃は表を繕って、日々を過ごしていたものを。

 顔色変わる梅乃見て、相も変わらずほほ笑みの雛芥子するする続けゆく。

「ああいいええ、余計なお世話は百も承知、喧嘩を売ろうなんてこと、あたしは思っちゃおりません。本当、これっぽっちもです。ねえ田岡……梅乃さま、あたしはあなたにご同情、いえ、同病相憐れもうと、思ってお文を書いたので――、ね」

 不意に言葉を詰まらせて押し黙ったあと雛芥子は、はらはら涙をこぼしたる。

 あっけにとられ棒立ちで眺める梅乃を前にして、雛芥子口よりこぼしたる嗚咽まじりの嘆き言。

「お相手が、ご華族さまのおひいさまじゃあ、いくら手管を尽くしても、お引き留め、かないませんでした、もの……」

 娼妓まがいの婀娜も消え、年相応の娘が一人、涙にぬれてあらわれる。

 思えば腹立たしくもある恋の敵の女給だが、鬼や悪魔でない梅乃、はじめは呆れていたものの、むせび泣かれておるうちに、かわいそうにも思われて、取りいだしたるハンケチを手中へぐいと押し付ける。

「あなた、ねぇ……お辛いのねと申せばよいの? 泣いてちゃなんだかわかりやしないわ。落ち着いて、きっかりわたしにお話しなさいよ。少しは気持ちも晴れるでしょうよ」

「ふ、ふ……」

 雛芥子泣き笑い、

「梅乃さま、お人好し……」

「ちょっと」

「ほんにお優しく、もったいなくて……」

「わたくし怒りますわよ」

「いいえ、心底。弄るのでなく。ねえ、梅乃さま、あの人は、まことに伊祖上庸亮は、惨い男であるのです」

 お伝えするのはしのびなく、そう思えども口つぐみ知らせず終わるは罪深く。

 前置きしながら雛芥子が梅乃嬢へと語ること。

 娼妓まがいとちまたでは悪評判の雛芥子は、実のところは伊祖上に惚れて願うる比翼鳥。

 件の青年伊祖上は、聚楽館しゅうらっかんばたカッフェへと通うことこそ止めれども、雛芥子を外へ呼び出して、人目を避けての逢引につき合わせること繰り返し。

 妻に据えるは無理なれど、妾となれば尉と姥、形ばかりの妻である梅乃のもたらす財貨にて何不自由なく暮らしつつ、名よりは実の高砂の相生の松となればよい。情につけ込み吹き込んで、雛芥子好きに玩び、あげくこのほど手切れ金拾圓じゅうえんばかりを送りつけ。

「ご縁談が決まった、と。婿にと望まれお入りになると」

 田岡の家ではないという。

 聞くうち顔色変わりたる、梅乃すらをも袖にしてかまわぬ良縁相手とは。

「長尾伯爵家のおひいさまと、皐月初めの吉日に」

 須磨の高台西尾邸夜会に向かう車から、令嬢たまたまお目にされ、あろうことかの一目惚れ。恋わずらいに露となり消え落ちかねぬ憔悴に、探し出したる伊祖上へ、身分違いの恋なれど娘の命にかえられぬ、そう伯爵はのたまって、あれよあれよという内に、華燭の日取りも取り決めて。

「他の女とは手を切れと、伯爵さまのお言いつけ。そうお笑いになりました」

 両てんびんにかけたうえ、あげく華族のひいさまにうれしうれしと尾っぽ振り、将来さきを誓った梅乃すら捨てて平気のへいぶり。不実きわまる男だともしや家中知っていて、わが身ひとつが蚊帳の外。そう考えれば父母や姉の様子もつじつまの合うことばかりと思われる。

 陰で笑われ憐れまれ、噂されるに気が付かず、半月過ごしていたのかと、信じられぬとつぶやいて、梅乃がくりと崩れ落つ。

「お気を確かに、梅乃さま」

 まだらに染まったぬかるみに膝つく前に、雛芥子が、梅乃抱えて支えたる。

「ごしっかり」

 雛芥子になんと答えたか、ゆめもうつつもわからずに、あまりのことに底なしの穴へと落ちる心地して。梅乃おののき宙を見て、やがてぽつりと。

「死ねばいのにあの男」

 一度ならずに二度までも、踏みにじられたる恋心、約束などはなきものと粗末にされて、寸断寸断ずたずたの娘の矜持は血を流し、

「あんな男、死ねばいのだわ」

 じゃに化け僧を焼き殺す、清姫きよひめかくやの壮絶な笑みを浮かべて雛芥子を見る梅乃嬢のその様子、もはや正気と思われず。

「そう思いますわよねぇ雛芥子さん?」

 粘り気帯びた声色で梅乃は女給の手を取って、逃がしはせぬというように、しっかり両手で包みこむ。黒目を大きく見開いて口元だけが笑んだまま、噛みふくめるよう、こう言った。

 鬼にもじゃにもなりましょう。泣き寝入りなどするものか。不実まみれの庸亮は、うんと苦しみ思い知り、悔いに悔いて死ぬがいい。

「ねえ、あなたも手伝ってくださいますわよ、ねぇぇ」


 わずかに西へと傾いた望月もちづきが雲隠れ、鵺鳥ぬえどりの鳴く夜の道、鬼が連れ立ち歩き行く。

 二人の鬼はざんばらの髪を乱した白装束、花のかんばせ白く塗り、頭に被りし鉄輪では、ゆらり蝋燭火が燃えて。夜明けの晩の境内のしんと静まる森の中、いっとう太き御神木、黒々と立つその幹へ、『姓は伊祖上名は庸亮、きのえうまの生まれにて、当年とってじゅう』と書きつけた紙とハンケチを芯に作りし藁人形、押し付けカンと釘を打つ。

 ――恨み骨髄思い知れ。

 ――女子おなごの苦しみ思い知れ。

 ぶつりぶつりと呻く毒、七日の間夜ごとに、しじまに釘音響かせて、鬼となり果て呪い打つ……。


 ついに成就の七日明け、華燭の宴で頓死した伊祖上庸亮死にざまは、ちまたの人を恐ろしと震えあがらすほどのもの。胸かきむしりのたうって泡を吹いて倒れ伏し、奇怪なことに躰中みるみるうちに吹き出物。血膿にまみれたその姿、さながら釘を千本も打たれたように見えたとか。

 皐月の空は青く清み、若葉の林に影二つ。溜飲下がりうつくしの娘二人が晴れ晴れと笑いあう声鈴の音。

 されど二人の首筋に、ぽつり生まれる吹き出物、当人たちすらまだなにも気づいておらぬは――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

サテモ散ル散ル花ノ先 若生竜夜 @kusfune

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ