サテモ散ル散ル花ノ先

若生竜夜

梅乃と雛芥子

 はらりはらりと残り花。あわき花片はなびら舞い落ちて、くたりと地面に横たわる。散り敷いたうす紅が、泥にまじってまだら模様。

 雨がはけずに残る道、梅乃はついと見下ろして、いまいましげにため息落とす、今日いく度目であることか。

 舶来あつかう商人の器量評判娘姉妹。姉は十八番茶も出ばな、妹も十七花ざかり。菊乃に梅乃とそれぞれに、うつくしき名のつけられた、気立ては姉が、かんばせは、妹の梅乃がまさるとは、おしゃべり口の町すずめ。

 お乳母日傘に育てられ、蝶よ花よの身の上の、その梅乃嬢がなにゆえに、人けもすくなき川べりの林の中へひとりきり、踏み入る用などないはずを。

 くちゃり足もとぬかる道、天色あまいろの地に三色さんしきの揚羽蝶飛ぶ友禅の縮緬裾に泥はねて汚しやせぬかとひやひやと、気にし気にし歩み行く。

「もうっ、本当にいまいましい」

 舌打ちこそはいたさねど、思わずついて出た口を、アラはしたないと白魚の指が押さえて、あたりを見回し。

「わたくしとしたことが」

 通う人もないさまに、だれにも聞かれず済んだわと、ホッと今度は安堵の吐息。

 そろりそろりと歩きだす、ぞうりがうす紅まだらを踏んで林の奥へまたさらに。したが数歩と進まぬうちに、花の陰から呼ばう声。

「田岡さま」

 小夜鳴鳥ナイチンゲールの鳴き声に声作る主もまた若く、年のころも同じほど。灰紫のたて縞の銘仙めいせん引き立つ帯色に桜の紅を合わせ来て着こなす姿もあでやかな。

 されど隠せぬ面やつれ、化粧の下に透けて見え。燠火のごとき暗い火を、目に燈したるこの娘、カッフェに勤める娼妓まがい、雛芥子と名乗る女給なり。

「あなた、どういうつもりなの」

 尋ねる声はかん性に、かんばせだけはとりすまし、毛を逆立てた針鼠、梅乃は雛芥子問いただす。

「こんなところへ呼び出して、話というなら早くおっしゃい」

 雨も上がるや朝早く、そこらの子どもに駄賃してふみ寄越したのはなにゆえか。

『かねてよりのご相談、伊祖いそがみさまのお事柄、至急お話しいたしたく。川べりの林にて、雛芥子お待ちいたします』

 走り書いたる墨蹟すみあとでしたためられた文を読み、眉しかめながら抜け出してやってきたのがこの林。

 そも伊祖上とは何者か。

 ことのはじめはこの正月、明けてとんどに松飾りくべて作りしありがたの灰持ち帰り宅周り囲うように撒き終えて、茶果の支度を申しつけ、ひと息ついたあとのこと。

 父の懇意の取引が、将来さき楽しみとの触れ込みで連れて挨拶来た青年。眉目すずしく背は高く、洋装似合うその姿。たった一目でぼぅとなり、梅乃が頬を染めたのは、色に出にけり歌に詠む古からの変わらずの、たまのあくがれかねぬ理由わけ

 それが伊祖上、名は庸亮ようすけ。八つばかりも梅乃より年かさなれど駆け出しの洋行帰りの商売人。折り目正しく学もあり、弁も立ちたる青年と、梅乃の父親田岡氏も覚えめでたく目をかけて、奥へも出入りを許すなり。

 さてこの伊祖上青年は、娘ごころに気付いたか、まんざらでもない様子にて、以後用ありて寄るたびに、なにやらかやらと梅乃へと、女子おなご好みの手土産を持ちて機嫌をうかがいにこまごま顔を見せに来る。

 髪結いあげる毛斯モスリンの染め柄かわいい飾り紐、牡丹百合チューリップの帯留めに、ボンボン詰めてキラキラとまばゆく輝く陶器箱。不自由なき身は見慣れおり、珍しくなどなけれども、いっとう大事に愛でおれば、いかがなものかと様子見る親の心もだんだんにほどかれなびくも道理にて。

 いずれめでたの約束を進めてみるかと父上が、声かけるまでそれほどの時はかからず、如月の半ばも過ぎたとある日に、二人並べて内々うちうちに意向を尋ねる話し合い。伊祖上断るはずもなく、まして梅乃の喜びよう、雲を踏んで空に浮く。後にからかい受けるほど。

 されどものごと順序あり。姉の菊乃がまず先よ。菊乃の嫁ぎが決まらねば、梅乃が先に許婚持つは世間の笑いぐさ。そう母上が割り入って、娘可愛い父上もそれが道理と肯きて、仲を認めはするがとて、口約束にとどめおく。

 さて、内々とはいうものの、許しが出たには変わりなく。みなの川ではなけれども恋ぞつもりて淵となり、やがてあふれる恋情に、表ですらもわがままを梅乃隠さず見せはじめ、ついには人の口の端に、田岡の下の娘がと、なにかと上るになったれば、噂されるを厭うたか、あれほど顔を見せていた伊祖上の足が遠くなる。

 一日千秋いら立ちて梅乃気鬱に過ごすうち、親切めかして奉公の女中の一人が伊祖上の所在行状聞きこんで、ひそりと梅乃に耳打ちし、梅乃の血相変わりたる。

聚楽館しゅうらっかんはたにあるカッフェの女給に入れあげて、日がな一日通いづめ。雛芥子という評判の若い女給が相手だと、耳にいたしてございます」

 まさかそんなとはねつけて、から笑いなどしてみれど、嘘ばかりとも思われず。胸も潰れん心地して、梅乃走りて行く先は、いささかサービス過剰かと、近ごろちまたに評判の聚楽館しゅうらっかんばたカッフェなり。

 カフェ・ライオンやタイガーに比べるものにはなけれども、青みがかった雪白ゆきしろの石を化粧張りにした美々しい欧風スタイルの二階建なる建物の、いろどりうるわし赤青のステンドグラスの窓越しに、漏れ聞こえくるレコオドと女給と思しき嬌声に、店の前で足すくみ、うろたえ立ちておるうちに、ついにガチャリと戸が開く。

「梅乃さん」

 良きか悪きか現れる、件の伊祖上庸亮のわずかに赤き顔色は、なかに飲みしアルコオル、それとも腕にからまった不実を見られたゆえにてか。

 腕にからまるじつは、なるほど評判顔かたち、梅乃ほどではなけれども、愛嬌ありげな美人なり。矢がすり着物に白エプロンお仕着せまとう躰つき、婀娜婀娜あだあだしさまが匂い立ち、しなりと添うた立ち姿、ただならぬ仲もあからさま。

 なれど太きは伊祖上のきものありよう、厚顔よ。雛芥子にひとつ耳打ちし、組みたる腕をほどくなり、はだかるように大股に梅乃の前へ歩み寄る。

「どうしていらっしたのです。ここはあなたのようなお嬢さんの来る店ではありません」

 そら行きましょうと口にして、梅乃の細き肩を押し。くるり、店から離れる道を向かせてそのまま歩もうと、足踏み出したが、それしきで女子おなごはごまかしきれぬもの。

「嫌っ、参りません」

 腕振りほどき向き直り、キッと見上げた梅乃嬢。両目にたたえたるものは、いずれ真珠か水晶か、こぼれんばかりに大粒の清らかなるかな涙なり。

「あんまりですわ、庸亮さま。お顔をお見せにいらっしゃらないと思っておりましたら、このような、っ……、このような……っ」

 いかがわしい場所へなどと、と伊祖上の胸にすがりてほろほろと涙流してなじりたる。

 伊祖上ようやくここにきて、きまり悪げな様子にて、

「いや、まいりました……。梅乃さん、そう泣きじゃくらないで。ぼくが浅はかでありました」

「それじゃもう、もう、こんな場所へはいらっしゃらずに」

「ええ、わかりましたとも。お約束します。ここへはもう、金輪際、誓って参りやしませんから。さあこれで涙を拭いて、いつもの笑顔を見せてください」

 ハンケチイフを手渡され、涙ぬぐいてにっこりと梅乃笑いてことは済み、これぞめでたし大団円。

 そう思うたのは儚き幻……。

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