とある戦場での話

淺羽一

〈掌編小説〉戦場での話

 ある時、大きな戦場を雲の上から眺めながら、神が盃を片手にこんなことを決めた。

『飽きもせず殺し合う人間達の姿を見るのにも、飽きてきた。そろそろ、この戦争も終わらせよう』

 しかし悠久に続く存在そのものに退屈さを感じていた神は、ただ静かに平和を与えるのでは面白くないと思った。

 そして神は、血のように赤い酒で盃を満たし、それを一気にあおってから、こんなことを思い付いた。

『そうだ。この戦場で、最も大きな夢を描いた人間だけを、助けることにしよう。それならば、またしばらくは、その夢を眺めて暇をつぶせるだろうから』

 やがて神はまたしても酒を盃に注ぎ、たった一人で世界を見下ろしながら鼻を鳴らす。酔った勢いで決められた運命が、どんな未来を連れてくるのか、あえて先に知ろうとはせぬままに――





 ある晩、小さな居酒屋に集まって、若い兵士達がグラスを片手に夢を語り合っていた。

「長いこと続いてきたこの戦争も、何とかもうじき終わりそうだ」

「そうだな。ようやく、俺たちも帰ることが出来そうだ」

「みんな。この戦争が終わったら、これからどうするか、考えてるのか」

 毎晩、毎晩、同じ話を繰り返しながら、彼らは酒を酌み交わしていた。一人、また一人と仲間が減っていく中で、それでも彼らは、まるでそうしていればそれが現実のものになるのだと信じているみたいに、いや、そう切望していたからなのか、何度も何度も同じ話を繰り返していた。一人、また一人と敵を減らしていく中で、そうやって彼らは、終わりの見えない非日常的な日常に、狂うことも忘れて麻痺しそうになる感覚を辛うじて繋ぎ止め、自分自身を保っていた。

 そしてまた今も、今日の戦闘で失い、奪い、消えていった多くのものを意識せぬ為に、彼らは自分達が願う夢を語り出していく。

 一人の兵士が、こう言った。「俺は、この戦争が終わったら、平和な場所で、可愛い嫁さんを見つけて、ずっと、そいつと幸せに、笑顔だけを浮かべて暮らしたいな」

 その兵士は、最初に敵に体を撃ち抜かれ、誰よりも先に戦いの場から姿を消していった。

 別の兵士が、こう言った。「俺は、この戦争が終わったら、この戦場の真実を本にまとめて世界中で出版するんだ。そうして、その年で一番売れた作家になる。金も儲けて、さらに真実の記録者として世界中で認められるんだ」

 その兵士は、敵が仕掛けた地雷を踏んで、大切に持っていた一冊のノートごと木っ端微塵に吹き飛んだ。

 また別の兵士が、こう言った。「俺は、この戦争が終わったら、また別の戦場に行って、そこで最も優秀な働きをして、どんどん軍で出世するんだ。そうしていつか、自分が、俺たちみたいな兵隊を指揮する立場になってやる」

 その兵士は、眼前の敵へと向けて銃の引き金を引いた瞬間、自らの銃が暴発し、呆気なく腕と頭を吹き飛ばされた。

 また別の兵士が、こう言った。「俺は、この戦争が終わったら、国に帰って起業して、その会社を世界で一番大きな会社にしてやる。そうして俺は、世界一の会社の社長で、世界一の金持ちになって、面白可笑しく暮らすんだ」

 その兵士は、激しい銃撃戦の末に、味方の誤射によって何も理解せぬまま死んでいった。

 また別の兵士が、こう言った。「俺は、この戦争が終わったら、政治の世界に立つつもりだ。そして、経験を積んで、国民の人気を得て、いつの日か大統領になって国そのものを変えてやろう。そうすれば俺は、最も偉大な男の一人として、歴史に名を刻まれるはずだから」

 その兵士は、敵の戦闘機が落としていった爆弾により、周囲の仲間もろとも跡形もなく消し飛んでいった。

 そうやって、絶えることなく、兵士達は息絶えていき。そうやって、叶うことなく、幾つもの夢が散っていった。しかし、だからこそ、確実に、着実に、戦争は終わりへと近付いていた。

 やがて遂に、敵同士である二人の兵士が戦場に残され。

 凄絶な殺し合いの果てに、一人の兵士が生き残った。

 だが、ただ一人、最後まで戦場に立っていたその兵士は、数え切れないほどの屍に埋め尽くされたそこに誰よりも長く居たせいで、とうの昔に気が触れていて、最後の殺し合いに勝利した途端、殺すべき相手がいないことに絶望して、泡を吹いて死んでいった。

 結局、全ての戦いが終わった時、立っている者は皆無だった。

 しかし、その時だ。

「……ここは?」

 とある貧しい村の中で、一人の傷ついた男が目を覚ました。そこは、凄惨な戦場の外れにあった村で、彼にとっては最初に占領した、討つべき敵国の村だった。

「良かった、目を覚ましたんですね」

 戸惑う男の耳に、不意に優しい声が届いてきた。そこには、銃弾に撃たれ、ずっと生死の境にあった彼を看病していた、彼にとっては敵国の人間であるはずの一人の女が立っていた。

「……どうして」

 男は、酷く痛む体に生きているという事を実感し、だからこそ彼女が憎むべき敵である己を生かしたという事実に困惑し、とても短くそう尋ねた。

 彼女の答は簡潔だった。「あなたがまだ、生きていたから」

 男には最早、何も問うことが出来なかった。彼に出来たことと言えば、ただただ自分でも驚くほどに止めどなく溢れ出る涙に、まるで溺れるようにむせび泣きながら、たった一言「ありがとう」という言葉を吐き出すことだけだった。女は、そんな男に向かって、少しだけ呆れた風な、しかし嬉しそうな笑みを返していた。

 こうして唯一、戦場から生き延びられたその男こそ、最初に敵に撃たれたはずの兵士だった。





 雲の切れ間から、助かった兵士と、兵士を助けた女の暮らしを覗きつつ、神は一人でほくそ笑んでいた。

『さてさて、こいつは何も分かっていないんだろう。自身が口にした夢が、果たしてどれほどまでに大きく、何よりも困難であると言うことを』

 言葉にすれば平凡な夢だ。平穏な日常で、心から愛した相手と、ずっと幸せに笑い合って生きていく。

 だが、それ故に何よりも難しい。日常が平穏で在り続けられるのか。ずっと相手を愛し続けられるのか。幸福な時を過ごし続けられるのか。笑顔だけを浮かべ続けられるのか。何かを得て、何処かに到達して、それで終わることなど無い。何が起ころうと、何処に行こうと、そんなことに関係なく。いつまでも、いつまでも、ただひたすらに、ずっと変わらぬまま――

『それでは、ゆっくりと見せて貰おうか。この人間の、果てのない夢の行く末を。その為に必死に足掻いていく様を』

 そうして神は新しい酒瓶を傾けながら、ぼんやりと考えていく。まずは、どんな災難をこの男へと降りかけてやろうかと。

『さて、最初は小さいものが良いか、それともいきなり大きいものが良いか』

 これでまたしばらくは、退屈な時間を誤魔化せそうだった。



〈了〉


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