keep on
hiyu
keep on
『りんご』
それは戯れで始めたくだらない落書き。
退屈な授業に眠気を誘われ、初めはノートに似てもいない担任の似顔絵や、クラスメイトの髪型をデフォルメして落書きしていた。
午後の授業はうとうとと、俺の意識を遠くへ運ぶ、
何か考えていないと完全に落ちる。だから頭の中で一人、しりとりを始めた。
りんご。ごりら。らっぱ。ぱいなっぷる。るびー。
い?
そもそも、どうしてしりとりの始まりはいつでもりんごからなのか。そして次にゴリラがやってくるのか。
半分寝とぼけた頭では、何度やっても同じ言葉ばかりが繰り返される。
りんご、りんご、りんご。
りで始まる言葉なんていくらでもあるはずなのに、まるで公式を当てはめるように言葉が続く。
りんご。ごりら。らっぱ。ぱいなっぷる。るびー。
机の隅に、小さな文字でりんご、と書いた。
結局、この言葉に囚われている。
机の左上、隅っこに小さく書かれたりんごの文字。俺はそれをぼんやりと見つめながら、いつの間にか完全に眠りに落ちた。
昨日、俺の眠りを覚ましたのは退屈な授業を強行していた教師の鉄拳だった。教科書の角でがつんと一発。俺は文字通り飛び起きた。痛む頭を押さえてうなっていると、ご丁寧に放課後の呼び出しまで申し渡され、しっかりと説教をくらってしまった。
もう寝るまい。
退屈な授業をしていた方にも問題があるんじゃないかと思いつつ、俺は素直に反省した。
しかし、眠い。
俺の席は窓際で、しかも南向きの好立地である。午前中はなんとか持ち応えられても、昼飯を食って腹の満たされた状態での午後の授業は地獄──いや、ある意味天国である。暖かい日差しに誘われて、俺は今日もうとうとと授業からの離脱を決行しそうになっていた。
眠い。
頭を働かせるために、俺は一人脳内しりとりを始めた。
りんご。ごりら。らっぱ──
そこまで考えて、俺はふと、自分の視線の向いた場所に、見慣れない文字を見つけた。
『りんご』
その次に書かれていた、小さな文字。
『ごま』
ごま?
しばらく考えて、突然、俺は危なく吹き出してしまうところだった。
ごま。
それはりんごに続く、しりとりの単語。
午前中までは一切この落書きのことを忘れていた。だから、それに続く文字があることすら、まったく気付いていなかった。
それは気をつけないと見落としてしまいそうなくらい小さな文字で、俺の少し乱雑な文字よりもずっと丁寧できれいな文字だった。
誰かがこの言葉を書いたのだ、と思ったら、俺はなんだかおかしくなった。たった一言、意味不明なりんごという言葉だけで、それがしりとりの始まりだと気付き、しかもそれを続けようとする酔狂なやつが、少なくとも一人はいたのだ。
俺はさっきまで全身を支配していた気だるさも忘れて、その続きを考えることにした。
ま、ま、ま。みると、俺のように眠気に支配された頭で書いたのではなさそうだ。だから俺も考える。
退屈な眠いだけの授業を、俺はまに続く言葉を考えることでやり過ごすことができた。
明日は土曜日。学校は休みで、多分、もしこのしりとりが続くのなら、次にそれを確認できるのは週明けだった。
『マタタビ』
そう書き残して、俺は帰宅した。
月曜日、教室に入った俺が一番最初にしたことは、机の文字を確認することだった。
『ビニール傘』
そこにはそう書かれていた。
しりとりは続いていた。誰かがこの机の小さな文字を見つけて、それに返事をしてくれている。
俺は今日一日、これに続く言葉を考えることで乗り切ることにした。
しりとりは、なるべく次の言葉に困るように、末尾があまり使わない文字になるように考える。
難しい言葉というものは、なかなか思いつかないものだ。
ら行や濁点が末尾についた言葉は、比較的難しい部類だろう。
俺が選んだ言葉は、
『さそり』
だった。
次の日も、言葉は続いていた。
『リチウム』
容易く返された言葉に、俺は苦笑する。
そんな俺を見て、友人たちが声をかけてきた。
「何笑ってんだ」
「いや、これ」
俺が机を指差すと、友人の一人が呆れたような顔をする。
「何だ、これ」
「しりとり」
「そりゃわかる」
「誰かがさ、俺の遊びに付き合ってくれてんだよ。──一体、誰だろうな、こんなのにのってくれる物好きなやつ」
俺は教室を見回す。俺の机を見られる人間は限られている。多分、クラスメイト。もしくは教師?
俺の考えを読んだかのように、友人が付け加える。
「あとは、定時制のやつとか」
「定時制──」
俺の通う学校は定時制のクラスがあった。そういえば、この教室は定時制の教室として使われていると聞いたことがある。
「もしかしたら、お前の机で授業受けてるやつなんじゃないか?」
「そっか、定時制の」
俺は納得する。確かにそうだ。この机を使わない限り、こんな小さな落書きになど気付くはずがない。
「定時制のやつらって、年上とかもいるんだろ?」
「ああ、聞いたことある」
友人たちがそんな話をしているのを、俺はぼんやりと聞いていた。
昼間の教室は明るく、午後の授業は日差しの力も相まって、とても穏やかで眠くなる。けれど、俺の座るこの席で同じように授業を受ける誰かは、その日差しの暖かさによって生じるまどろみの威力を知らないのだ。
夜に授業を受けるって、どんな感じなんだろう。
そう思った。
俺の机は、誰か別の生徒の机でもあったのだ。
俺はその日、新しい文字を書いた。
『虫歯』
濁点で攻撃してやろうと、一日かけて考えた言葉だった。
俺たちが帰ってから、この教室にやってくるその誰かは、今日も新しい文字を連ねてくれるのか、急に楽しみになっていた。
次の言葉は想像を超えていた。
『バミューダトライアングル』
俺は意外な思いで返事を書き込む。
『留守番電話』
次の日も言葉が続く。
『ワモンアザラシ』
ずいぶんかわいいものを選ぶな、とおかしくなった。
『ししゃも』
アザラシの餌であろう小魚からヒントを得て、思いついたのはこれ。
次の日は、俺の首をひねらせた。
『モササウルス』
モササウルス?
スマホを取り出し、急いで調べる。
白亜紀後期の恐竜で、海トカゲ類。某ハリウッド恐竜映画に出ている、最強の生き物だった。
そんな言葉が出てくるあたり、一筋縄では行きそうもない。
またしても濁点攻撃を仕掛けることにした。
『スクランブルエッグ』
俺は満足して帰宅したが、次の日目にした言葉に、俺はまたスマホを操ることになってしまった。
『虞美人草』
なんだよ、それ。そう思った。しかし調べるとちゃんとでてきた。
文豪の小説の題名でもあったし、ひなげしという花の別名でもあった。
俺としりとりを続ける誰かは、なかなかの博識らしい。
どんなやつなのかな、と思う。
俺と同じ机で、真っ暗になった時間に教室で授業を受けるその誰かを、俺は知りたいと思った。
「やめとけ」
試しに友人に言ったら、あっさりと否定された。
「何で」
「どんなやつか分かったところでどうなるんだよ。お友達にでもなるのか?」
細かく考えていたわけではなかった。だから、俺は答えに詰まる。
「それに、すげー年寄りとか、変なやつだったらどうすんだよ」
「変なやつだとは思えないけどな」
「しりとりに付き合ってくれるからって、いいやつだとは限らないだろ。会ったらがっかりすることだってあるんじゃねーの」
「そうだけど」
確かに友人の言葉には一理ある。けれど、俺の知らない言葉をこの机に書き込むその相手が、どんな人間なのかくらいは知りたかった。
たった合計7回。それだけなのに、俺は毎朝新しく書き込まれた文字を見つけるのが楽しみになっている。
明日は土曜。次の言葉を知ることができるのは月曜だった。
俺は机に文字を書く。
『ウクレレ』
ら行攻撃は、効き目があるだろうか。そう思って、少し笑った。
月曜の朝、もう見慣れた丁寧な文字。
『レモンバーム』
それは知っている。確かハーブ。
俺は机の文字を指でなぞる。
俺の思いつかない言葉を選び出すこの誰かのことを考える。
夜間に学校に通うのは、多分昼間は仕事をしているから。同じくらいの年か、それとも年上か。友人の言うようにずっと年上の、中年の親父だったり、年寄りのじーさんばーさんだったりという可能性もある。けれど、こんな言葉を選ぶその誰かに、俺は惹かれ始めている。
俺の戯れに付き合ってくれた、その誰かに。
俺は今日も言葉を書き込む。
『ムニエル』
そして、その下に自分の名前を書き込んだ。それから自分のことをいくつか。まるで自己紹介するかのように。少し迷って、それに続ける。
あなたのことを知りたいです。
帰宅するまでに、その一文を最後まで消そうかどうしようか迷っていた。けれど俺はそのままにして帰宅した。
その日の夜はどきどきしてなかなか眠れなった。
いつもより早く教室に走ってきた俺は、鞄を下ろすより先に机を確認した。俺の書いた自己紹介文は消えていた。
『瑠璃色』
いつもの文字でそう書かれている下に、返事があった。
知ってます。
俺の心臓がどくんと鳴った。続きを読む。
そこには、前に俺が忘れていったノートで名前を知り、教室の後ろに貼られたクラスの写真で俺の顔も確認していたと書かれていた。
確かに教室の後ろの掲示板には、クラスの行事で誰かが撮ったスナップ写真が貼られていた。落書きまみれのそれは、友人や俺の名前や、ふざけた台詞が吹き出しのように書き込まれていた。
この写真を見て、俺を探したのだろうか。
そう思ったら鼓動がスピードを増した。
昼間はどんな人がこの席に座っているのか気になって、とそれは続いていた。ぽつりと離れて名前が書かれていた。少なくとも男性であることだけは分かった。そして、君より少しだけ、年上です、と付け加えられている。
元素の名前や海獣の名前、恐竜や花の名前、ハーブの名前。
そして今日は色の名前。
この人の世界は、俺の世界とはまるで違うものでできているような気がした。
俺はしりとりを続ける。
『ロケット』
そんな言葉を選んだ。
単純に、簡単な言葉でもいいから、この人の次の言葉を知りたいと思った。
『トロッコ』
もしかしたら本が好きなのかもしれない、と気付いた。
虞美人草も、トロッコも、文豪の書いた小説の題名だ。そして、今さらだが、俺の書いたさそりという言葉に対しての続きの言葉はリチウム。これはもしかしたら友人と銀河を走る列車に乗るあの小説からの発想なのではないだろうか。
『コアラ』
俺は机にそう書き込んだ。
定番のしりとりでは、りんご、ごりら、の次は大抵らっぱ、である。この人が何て返してくるのか気になった。
らくだ、ラッコ、ランドセル。そんな言葉を考えてみた。
俺は今日も小さなメッセージを書き込んだ。
本が好きなんですか?
返事が来るといい。そう思った。
次の日、俺は机の新しい文字を見る。
『ラザニア』
残念。俺の予想は外れてしまった。苦笑しながら視線を移動させると、そこには昨日の俺への返事らしき言葉が書かれていた。
好きですよ。
突然、俺の心臓がものすごい勢いで音を立てて鳴った。
それは、俺が問うた本が好きかということへの答えに違いなかった。けれど、その文字は俺の心をものすごい勢いでかき乱した。
だって、これは、まるで──
「告白されてるみたいだ」
思わずそうつぶやいていた。口にしたら、今度は体温が上昇した。俺の顔は多分、真っ赤になっていただろう。
今日は金曜日。
次にこの文字を見られるのは月曜日だ。
俺は一日中、その机の文字を見つめ、時々指先でなぞった。
まるで恋をしているような気分だった。
ラザニア。
その続きを、俺は考える。月曜に、また、この文字を見られるように。
放課後、クラスメイトがみんな帰ってしまっても、しばらく俺は机を離れられなかった。
思いついた言葉はたった一つだった。けれどそれを書き込む勇気がなかなか出なかったからだ。
俺は机にそっと頭を乗せ、目を閉じた。
この机を共有するその人の名前をつぶやいてみる。
知りたい、と思っていた。
その人のことを。
俺はゆっくりと顔を上げ、ためらっていたその言葉を書込むことにした。返事を見ることができるのは月曜日。少なくとも心の準備をするだけの時間はある。
俺は机に、いつもより丁寧に文字を書いた。
そして席を立つ。
この戯れが続けばいい。
そう思った。
月曜の朝、俺は教室の入り口でためらっていた。
金曜に自分が書き込んだ言葉を思い出し、頭を抱え込みだくなる。土曜、日曜と心を落ち着かせ、覚悟してきたはずなのに、なかなか一歩が踏み出せない。
クラスメイトたちが次々に俺を追い越していく。中には邪魔だ、とか何やってんだ、と怪訝そうな顔をしてくるやつらもいて、俺は腹をくくった。
気合を入れて机に向かう。
俺の書いた文字は、
『会いたい』
しりとりの続きでもあるし、俺から彼へのメッセージでもあった。金曜日、これを見て、彼はどう思っただろう。
俺は深呼吸してから、机を見た。そこには一言。
『Yes』
すとんと椅子に腰が落ちた。さっきまでの気合いは消え、急に力が抜けた。
それは、しりとりの続きにもなっていて、さらに俺からのメッセージへの答えにもなっていた。
やっぱり、この人に会ってみたい。
俺は笑う。突然笑い出した俺を、クラスメイトたちが驚いたように見ていた。友人がやってきて、大丈夫かよ、と声をかけてきたけれど、俺はそれに答える余裕がなかった。
嬉しさと、安堵が入り混じり、複雑な気分だった。
夜間の授業が何時から始まるのか、俺は知らない。けれど今日はその時間が来るまでここにいたい、と思った。
返事をくれた彼を待つために。
俺はもう、まだ会ってもいない彼にがっかりすることなどきっとあり得ない、と確信していた。
それはもう直感で、そして願望で、きっと俺の中ではもう始まってしまっている感情で。
彼の世界を知ったら、それはもう止まらなくなるに違いなかった。
だから、しりとりの続きは決まっていた。
彼に会ったら、俺はそれを伝えてしまうだろうと思った。
彼は驚くかもしれない。俺を変なやつだと思うかもしれない。
けれど、俺はもうこの走り出した感情を止めるすべを知らなかった。
俺からの言葉はたった一つ。
『好きです』
戯れに始めたしりとりの、続きを。
俺は永遠に続けていたい、と感じ始めていた。
了
りんご→ごま→マタタビ→ビニール傘→さそり→リチウム→虫歯→バミューダトライアングル→留守番電話→ワモンアザラシ→ししゃも→モササウルス→スクランブルエッグ→虞美人草→ウクレレ→レモンバーム→ムニエル→瑠璃色→ロケット→トロッコ→コアラ→ラザニア→会いたい→Yes→好きです(#゚ロ゚#)
と、なります。
keep on hiyu @bittersweet
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