anytime
月に何度か、常備菜というものを作る。
大抵の場合はおかずがなくても白飯を食えるようなもの。これは、俺が仕事や用事で食事を作れないとき、お前がそれで飯を食えるように。
あっさりした浅漬けや、さっぱりピクルス、甘酢漬けなんかは箸休めや付け合わせに。
そして、じっくり煮込んだ甘露煮やはちみつ漬けなんかは、甘いものが欲しくなった時につまめるように。
休日の朝から材料を買い込んで、3つ口のコンロを全部占領し、ひたすら作る。
二人で少しだけ寝坊して遅めの朝ご飯を食べたあと、散歩がてらの買い物。二人でエコバッグにぎゅうぎゅうに詰めた材料を抱えて帰ってきて、まずは一服。コーヒーなり紅茶なり緑茶なりを飲みながら、お前のお菓子ボックス──四角いワイヤーバスケット──に詰まった溢れるほどのお菓子や、俺の焼いたケーキやクッキーなんかをつまみながら、ごろごろする。
昼を回ったら、お前用に軽食を作る。
そして、俺は、買ってきた材料を駆使して、常備菜作りに取り掛かる。
キッチンで腕まくりして、まずはしょうがの皮を包丁で軽くこそげてから千切りに。しいたけは石突と軸を除いて薄切り、軸は細く裂く。鍋に牛脂を熱し、やや脂身の多い安い牛のこま切れ肉を入れて炒める。しょうがとしいたけを加えてひと炒めし、たっぷりの酒を加え、一度煮立てる。煮切ったところで砂糖と醤油を加え、じっくりくつくつと煮込んでしぐれ煮を作る。甘みが強く、醤油の濃い味が、白飯を進ませるお前お気に入りの一品。
お前がカウンターで、ランチ代わりに作ってやった簡単サンドイッチをかじりながらこちらを見ている。このサンドイッチの中身も、常備菜だったキャロットラペ。3日前に作ったものを使い切ってしまうことにして、トーストした薄い食パンに挟んでやった。
「牛肉安かったね」
「オーストラリア産は、わりと赤みが強いからな。しぐれ煮にするには、アメリカ産の方が向いてるかもな」
「そっか、柔らかい方がいいんだ」
二つ目のサンドイッチは、つぶした目玉焼きとスライスオニオン。切らずにそのまま食べるのがお気に入りのようなので、お前の前の皿には、10枚切りくらいの厚さにスライスされた食パンが4枚、重なっているように見えていた。
次は鶏レバー。これはいいレバーがあったので、多めに買ってきた。まずは血抜きするために切り込みを入れ、水を張ったボウルに浸ける。しばらくしたら水を取り替え、レバーを振り洗いする。するんと血の塊が落ちて、底にたまっていく。においが気になるなら、このあとで牛乳にしばらく浸けておくが、俺もお前も気にならないので省略。
レバーの半量を鍋に入れ、酒、砂糖、しょうゆ、しょうが薄切りを加えて弱火で煮込む。味が染みるまでじっくり。これで鶏レバーの佃煮の完成。
残りの半量を鍋に入れ、皮をむいたニンニク2つと、かぶるくらいの白ワイン──なければ日本酒──を加えて火にかける。中火にかけて、煮立ったら少し火を弱めてひたすら、水分が無くなるまで煮続ける。水気がなくなったら、熱いうちにマッシャーかフォークでつぶし、冷めて来たらバターを加えてさらにつぶし混ぜる。塩コショウで調味したら、レバーペーストの出来上がり。好みでハーブやスパイスを加えてもオーケー。これはクラッカーやパンに塗って食べる。
「今回は、ソース味のはなし?」
「そうだな」
「あれも好きなんだけどな」
レバーを水、酒、ウスターソース、砂糖で火が通るまで煮て、煮汁に浸しておけば、レバーのウスターソース漬けのできあがりだが、今回は見送り。
ボウルにヘタを取ったプチトマトを落として洗いながら、俺は問う。
「ピクルス、甘いのとすっぱいの、どっちがいい?」
「両方」
「……どっちが、って聞いてるのに、両方なのか?」
「うん」
まあ、分かっていた。どっちがいいかと訊ねる俺に、返ってくるお前の答えはいつも「両方」。どちらも選べない、のではなく、選ぶつもりがないのだ。そして、それを許し、両方作ってやる俺も悪いと思うのだが。
苦笑しながらザルにトマトを上げ、ミョウガとにんじん、きゅうり、カブ、玉ねぎも洗う。玉ねぎは根の部分をすれすれで落とし、4つ割りにする。身が離れないよう、中心を外れないように注意して切る。にんじんときゅうりとカブは一口大に切る。
小鍋に水、砂糖、粒コショウ、ローリエを入れる。砂糖が溶けたら白ワインビネガーを注いでさっと煮立て、そのまま冷ます。
違う鍋に水、砂糖、白ワイン、はちみつを入れて煮溶かし、冷めたらレモン汁を加える。
保存瓶を用意し、片方には全種類、もう片方にはトマトとにんじんと玉ねぎを入れ、先の瓶には普通のピクルス液を、後の瓶にははちみつ入りの甘いピクルス液を注いで、冷蔵庫で休ませる。浅漬けなら夕飯に食べられるだろう。
エノキはほぐして鍋に入れ、酒、砂糖、しょうゆを入れて火にかけ、水分が出て来たら混ぜながら煮詰めていく。とろみがついたら好みでお酢を垂らし、手作りなめたけの出来上がり。
水煮のたけのこは繊維に沿って3~5センチくらいの長さの薄切りにして、ごま油と赤唐辛子の輪切りを熱したフライパンで炒める。砂糖、酒、しょうゆ、いりごまを加えてさらに炒め、水分が飛んだらラー油を加えて混ぜ、お手軽メンマの完成。
「あー、すっごくいい匂い」
メンマのごま油と、さっきから一番小さい口のコンロでくつくつと音を立てているしぐれ煮の甘じょっぱい香りが、それぞれ台所に広がっていた。
「白いごはんほしくなるー」
「今、サンドイッチ食っただろ」
目の前の皿は空になり、パンのカスが落ちているだけだ。ミルクたっぷりの紅茶をすすりながら、お前が口をとがらせる。
「だって、たまらないよ、この香り」
「夕飯まで待ってろ」
ぶーぶー文句を言うお前を受け流し、次の料理。
トマトは洗ってヘタを取り、半分に切る。塩をぱらりと振って、出てきた水分を拭き取り、オーブンシートを敷いた天板に並べ、低温──100~130℃のオーブンで2~3時間じっくりと熱して水分を飛ばす。ドライトマトは、このまま保存しておいてもいいが、ニンニクと一緒にオリーブオイルに漬け込んでおくと、料理に使い回せるので、冷めたら3分の2はそうすることにした。残りはお前が時々つまんでいるようなので、そのままで。チーズと一緒に食べるとうまいので、食べやすく切って、容器に入れておく。
さて、次は。
カウンターで頬杖をついて俺を見ていたお前が、ねえ、と声をかけてくる。
「何だ?」
「きゃらぶきって、いつ作るんだっけ?」
「──春だな。4月くらい」
「そっか、残念」
「食いたかったのか?」
「うん、あの、細くて、甘しょっぱいフキ、好き」
「あれは俺も好きなんだよなー、フキゆでて、むいて、ちょっと干して、甘めに煮る」
「俺も、皮むくの、好き」
今年の春に作ったときは、ゆでた大量のフキを二人並んで皮をむいた。太い方から、少しずつぺろんと一周分めくり、それらを一度に引き下ろすようにむいていくのを、お前が面白がって繰り返していた。
すっごい気持ちいい! そう言って笑いながら、何本も。
カウンターの向こう側で、少し手持無沙汰なお前を、俺は手招きした。お前が首を傾げ、スツールから立って、キッチンに回り込む。
「何?」
俺はピーラーを渡して、にんじんとごぼうを指さした。
「皮、むいてくれ」
お前が嬉しそうに俺を見上げ、笑顔でうん、とうなずく。
普段は、お前をキッチンに入れることはほとんどない。料理の才能が皆無なお前に包丁を持たせたら流血騒ぎになりかねないし、火を使わせたら火事の心配をしなくてはならないからだ。
全体的にガサツなお前が、火の調節や、数ある切り方をきちんとこなせるはずもなく、手伝わせた料理はとんでもない出来になってしまう。
それなのに、どうして、コーヒーを煎れるのだけは、嘘みたいにうまいのだろう、といつも感心する。
本当は、ごぼうの皮は包丁の背で軽くこそげるくらいがいいのだが、この際目をつぶった。ピーラー片手にうきうきと俺の隣に立つお前の楽しそうな姿が見られるなら、そのくらいは我慢。
危なっかしい手つきで野菜の皮ををむいていくお前に注意しながら板こんにゃくを千切りしてゆでて臭みを取り、水気を切っておく。皮のむかれたごぼうは、隣で俺がすぐさま洗って5センチほどの長さにぼつんぼつんと切っていく。ボウルの中に落ちていくそれらが、茶色いアクを出していく。ごぼうのアクにはポリフェノールが入っているらしいので、変色する前に手早く千切りして、ザルにあげていく。にんじんも同様に。
お前が作業台の四方八方に散らばった皮をかき集めてゴミ箱に捨てているうちに、鍋に油と赤唐辛子を入れて熱し、ごぼう、にんじん、こんにゃくを入れて炒め、酒、砂糖、しょうゆで調味して炒り煮していく。水分がなくなってきたら火を止め、隣で鍋を覗き込んでいたお前に、箸でつまんで差し出してみる。
あーん、と大きく開いた口に突っ込むと、危なく菜箸まで食われそうになった。
苦笑しながらどうだ、と訊ねると、もちろん、おいしい、と笑顔で返ってきた。
「きんぴら、好き」
「レンコンも入れればよかったかな」
「今度、レンコンだけの、作って」
「了解」
ピクルスに使ったカブの葉っぱを細かく刻み、同じくらいの大きさに刻んだ油揚げとともにフライパンで炒め、酒とめんつゆを加えて水分を飛ばしながら炒め。いりごまをふって、カブの葉炒めを作って、完了。
本当はリエットやナスキャビなんかも作りたかったが、材料不足。
使った調理器具を並んで洗って片付ける。
「しばらく、副菜に困らないね」
「1日2日で食い尽くすなよ」
「──努力する」
釘を刺しておかないと、本当に食いきってしまうから不安だ。
並んで腰かけたソファで、お前がクッションを抱きかかえて俺を見る。
「常備菜、って、いい言葉だねえ」
「そっか?」
「だって、常備、だよ」
「よく分からん」
「いつでも、常にそこに備えられてるなんて、すごいよね」
「まあ、常備菜だから」
「俺の、『ちょっと物足りないなあ』っていう心を満たしてくれるんだよ、常備菜は」
「……ちょっと、なのか?」
「たまには、『すごく』」
いつも、お前が満足するくらいの量を作っているつもりだが、時には思ったより分量が少なく出来上がることもある。そんなときは、常備菜である。白飯だけはいつもたっぷりと炊いているから、お前がそれらをおかずにお代わりを続けるのを、やれやれと思いながら見つめてしまうこともある。
「だから、これは、あんたからの愛だよね!」
「…………」
ええと。
俺は、お前を見下ろしたまま、しばし絶句する。
常備菜を作るのは、単純に、俺の料理に対する欲求を満たすためと、たまには楽をしたいと思うときのための保険である。
しかし、目をきらきらさせて俺を見つめるお前に、正直にそれを告げるのは、やめた。
「──そうだな」
俺の答えに、お前がにこーっと笑顔になった。
「次は甘いの作って。この前作ったイチジクの甘露煮もおいしかったし、栗の渋皮煮もおいしかったし、煮豆も好き。これからリンゴ安くなるから、蜜煮も。あと、ジャムもね。冬になったら、柚子ジャムも!」
「柚子ゆべしと柚子ようかんも作るよ」
「うん」
「甘夏とはっさくでマーマレード作って、国産のいいやつが出回ったら、ピールも作ってやる。グラニュー糖たっぷりのと、チョコがけのやつ」
「うんうん」
「リンゴは箱買いして、いっぱい煮ておくか。コンポートもいいし、アップルパイも、タルトタタンも、焼きリンゴも作ってやる」
「うわあ」
「フルーツピクルス、作ろうかな。あれも、結構うまいよな」
「た、食べたい」
「金柑も煮ないとな」
「早く時期になるといいねえ」
お前は幸せそうにクッションを抱き締める。
「甘いのも、しょっぱいのも、みんな大好き」
「だろうな」
お前が嫌いなものを探す方が、きっと難しい。
「ふわー、幸せー」
ぎゅうう、と抱き締めたクッションの形が変わっている。
「──こら」
俺は、お前の頭をこつんと叩いた。
「抱きつくのは、こっち」
クッションを取り上げたら、お前がきょとんと俺を見た。
「俺が作るものは、お前への俺からの愛、なんだろ? ──だったら、そのお礼は、こっちによこせよ」
後頭部をつかんで引き寄せると、理解したらしいお前があははと笑って両手を俺の背中に回して抱きついた。
クッションよりもぎゅうううう、と強く。
「うん、幸せ」
「そりゃよかった」
「おいしいものいっぱい、すっごく幸せ」
お前がしゃべるたび、俺の胸に熱い息がこもった。
「幸せー!」
ぐいぐいと顔を押し付け、お前が笑う。
やっぱり、訂正。
俺の料理欲を満たすためでも、楽をするためでもなく──俺は、お前のために、作ったのだ。
お前の喜ぶ顔が見たくて。お前を幸せにしたくて。
だから、やっぱり、あの常備菜は、俺からの、お前への愛なんだろう。
「ねえ」
お前が顔を上げて、俺を見る。
「今日の夕飯、あれにしていい?」
と、キッチンを指さす。それが何を意味するのかは分かっていた。ついさっきまで作り続けていた常備菜だ。
「……いや、だから、常備菜、だからな?」
俺は不安になる。
「常備菜ってのは、常備されているからこそ、常備菜なんだぞ?」
「──分かってるよ?」
きょとんとしたお前に、猜疑心しかなかった。
断言できる。さっき作った常備菜だけで夕飯にしたら、お前はきっと、残らず全部食い尽くす。
まん丸な目で俺を見上げるお前を見下ろしながら、俺は溜め息をつく。
──何か、別の常備菜も、作り足そうかな。
冷蔵庫の中身と、乾物ボックスと、買い置きの缶詰。それらのストックを思い出し、頭の中で何を作ろうか、と考えることにした。
「──なあ、一応、今日の夕飯のメニュー、決まってんだけど?」
「うん、それも、食べる」
「どんだけ食うんだ」
「いつものことでしょ」
「…………」
「じゃあ、今日の夕飯は明日に回せば?」
無邪気にそんなことを言うお前に、負けた。
俺はかくんと肩を落とし──かわいい顔で俺を見上げたままのお前を見下ろした。
「愛だな」
「うん、愛だ」
お前が笑う。
少し休んだら、たった今頭の中で考えていた材料で、別の常備菜を作ろう。白飯が進むような、しっかりしたおかずになるようなものを。
たまには、メインのない食卓というのも、新鮮かもしれない。
「──愛ならしょうがない」
「うん、愛ならしょうがない」
お前が繰り返す。多分、意味は分かっていないに違いない。
まあ、愛はいつでも、常備しているつもりだ。性欲も、愛欲も、全部。
夕飯までにはまだ時間があることを確認して、にこにことのんきに笑うお前に、思い切りキスして押し倒してやった。
了
いやあ、常備菜って、楽しいですね!
kitchen hiyu @bittersweet
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