カメリア

遠藤孝祐

カメリア

 がらんどうの園。


 石造りの家屋は私を囲むように鈍重に構えているが、東から伸びる遊歩道の先だけは、遮るものは何もなく、存分に朝日を浴びることができた。


 吹き抜ける風が、繊細な手指を微かに揺らす。私には果たすことのない自立がその瞬間だけは叶えられているような気がした。


 あなたは、無邪気さを貼り付けた髪を、妙齢の侍女に切りそろえられている。ハサミが髪に触れることが楽しいのか、身をよじりながら押し殺して笑っている。


 何も言うことなく、私はそれを眺める。そして、不思議に思う。


 体の一部分を切り取られるという行為に、なぜああも寛容なのか。痛くはないのだろうか。自身が変容していく様を、あっさりと受け入れてしまっているのは、何故なのか。


 疑問の解消は果たされることはなく、家屋の尖片に設置された時計が、二周の時を刻んだ頃合いを持って、あなたの姿は密林を進んでいく野生児のような姿から、良識と淑やかさを兼ね揃えたお嬢様へと変貌した。そう印象は、一変した。


 危なっかしく足を小刻みに突き出しながら、私の元にあなたは駆け寄る。


 ほんのわずかな時間によりもたらされた変化を、何よりも驚いているのは、あなた自身なのかもしれない。


 そんな驚嘆と喜色を混じらせた仕草で、あなたは私に触れる。鼓動、体温、感じるのは熱い、生命の脈動。


「どう? 綺麗になったでしょ? ねえ、わたし綺麗?」


 私に言葉を紡ぐ器官があれば、表現された行動は笑いだったのかもしれなかった。


 外見がどれだけ変わろうとも、結局あなたはあなたでしかない、そう思えたからだ。


 まだ言葉も扱えず、自身の意志すら明確に示せなかったあなたも、確かな成長を持って、人としての形を造りつつある。感慨深い、という思いだろうか。


 答えることのできない私は、風に揺らされた一節に注目してもらえるよう願った。それが、彼女の望む回答になっているのか、自信はない。


 ただ、光を孕んだような姿は、内在する嬉しさを表すように左右に動いている。だから今は、それでも構わないと思う。


 肌を焼くような熱気を運んでくる空気も、徐々にその粗暴さは落ち着き、穏やかな囀りへと性質を変えていた。


 また今日も景色は巡る。その一歩をゆっくりと歩んでいる。


 身を刺すような寒風に支配される時が訪れて、私が赤黒い涙を流す頃になったら、またあなたは私を見てくれるだろうか。


 わずかな期待と、入り乱れる不安の両面を抱いている最中、あなたは私の体に頬を寄せていた。


「いつも、ありがとう」


 もたらされたお礼の言葉に、どのような意図があるのか、私にはわからない。


 聞いてみたいとは思うものの、もとよりそれが許される体ではないのだ。


 ただ、あなたのその思いを浴びるたびに、私は熱に浮かされた感情がほとばしり、時期に開かれるその身は、赤く染まっていくように感じるのだ。


 どういたしまして。


 この想いが伝わる日が、訪れんことを、身の程知らずにも青に溶かした。





「わたし綺麗?」


 何年もの間繰り返された言葉を、あなたは再び投げかけた。


 桜色に拡がる陽気を眩しく思い、命の煌めきを警鐘する小さな友達が幾度となく地に還り、郷愁を噛みしめるように赤づく葉がひらひらと舞い落ち、青白の雪が身を包む困難を幾度となく乗り越えた。


 いつしか、あなたの髪を切りそろえていた侍女は姿を見せなくなり、頻繁に私と対面するのは、あなただけとなっていた。


 しかし、そんな蜜月のような日々も、終わりが告げられるのだと、私は覚悟していた。


「わたし、明日お嫁にいくんだ」


 内側に滾る感情を、私は知らない。お嫁に行くという言葉の裏には、幾千もの言葉が含まれているのかもしれないが、身動きも取れぬ私には、推し量ることなど出来なかった。


 純白のレースがあしらわれた祝福の器に嵌められたあなたは、美しいと表現することに抵抗はない。


 しかし何故だろう。私が抱く感情の本流は、決して歓喜などではないのだ。


 ただ風が通り過ぎるだけでも、嵐のような激しさに、幻の痛みを感じる。激しく揺れる先端は、まるで心を表しているようだ。


 赤黒く染まった命を繋ぐ煌きは、感情を自発的に表現出来ない私の、無慈悲な雫のようであると感じた。


「わあ」


 首元から折れ、重力に従い雫は落ちた。残雪に混ざる姿は、血痕のようだ。


 次々と折れては落ちる。無力の悲しみに浸るように、私の身は削られ地面へと吸い込まれていく。


 あなたは、土に汚れることも構わずに、私の残骸をかき集めた。赤子を抱くような優しく、柔らかな手つき。


「祝福してくれるの? ありがとう」


 数ある経験や成長を持って完成されてきたあなた。泥にまみれたシャツを絞るようなあなたは、待ち受ける困難に染められゆく、純白のドレスに身を纏うのだろう。


 大きく丸い瞳。そこに映りゆく景色が、少しでも優しいものでありますように。


 けれども、一つだけ、八つ当たりのように伝えたいんだ。


 赤黒い私の雫は。


 決して祝福だけの気持ちでは、ないんだよ。




 あなたがいなくなった日々を、空虚だと考えてしまう私は、きっと罪深い。


 生命への冒涜だ。


 それでも死ぬことは出来ない。命へのエネルギーは、意思よりも強い。


 景色は巡り、日替わりに私に寄り添う小さなお友達も、何百、いや何万もやってきた。


 私の体に吸い付き、赤黒く染まる生命の表現から糧を得て、そしていつの間にかいなくなっていく。


 石造りの堅牢な館には、人の営みは感じられなくなった。切り揃えられていた黒髪のあなたを、前世の記憶であるかのように遠く感じた。


 それでも、私は生きていた。


 もうどのくらいの時を経たのかもわからない。雨風に凍え、大地の脈動に揺るがされ、度重なる熱量に体を乾かされても。


 それでも、私は生きていた。


 呼吸も、大地への還元も、うまく出来なくなっていた。


 自動的に生きていくことを、半ばうんざりとし始めた頃合いとなり、何かが私に触れた。


「ただいま」


 あなたは、年月に刻まれた体躯を機械の力に頼り、私の隣に息づいていた。


 幾星霜たる事象に晒された髪は白く染まり、呼吸は深く小刻みとなっていた。


 野山を駆け回っていた脚は弱々しく細り、声も随分としゃがれていたが、それでも愛しさは、私の中では変わらなかった。


「もうすぐ終わりだと思ったから、帰ってきたよ。良かった。あなたがまだここにいてくれて」


 生命の火は陽炎の如く揺らめき、いつ明滅してしまってもおかしくはない。


 しかし、憐憫や悲哀より、私が感じていたのは歓喜だった。


 どのような人生を辿ってきたのか。


 どのような感情が巡ってきたのか。


 私にはわからなかった。


 けれども、あなたが最期に選んだ場所がここであったことに、私は言いようもない喜びを感じたのだった。


 まるで悲しみのように感じていた赤黒い花弁は、感情を表現するように揺れて、去りゆきつつあるあなたを彩る。


「ありがとう」


 お礼なんていう必要はないんだよ。


 あなたは、私のすべてなのだから。

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カメリア 遠藤孝祐 @konsukepsw

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