章末

黒いシルキー

ウェンカムイ討伐からおよそ一月。

夏の盛りを過ぎたばかりだと言うにも関わらず、ユティナ村には朝晩冷たい空気が流れるようになる。

年の半分近くを冷たい雪に閉ざされるこの村には、もうすぐ秋が迫っていた。

そして短い秋の後にやってくるのは、生ける物全ての命の灯火を吹き消す荒れ狂う吹雪の世界。

残り少なくなった冬までの短い合間に、農作物の収穫、家畜の手入れ、山の幸の備蓄、薪の補充、内職用の素材の仕入れなどなど、冬に備えての準備をしなければならない。

そのためには今のこの時期がどれだけ大切か、ユティナ村に住む全ての住人は理解していた。

その証拠に行き交う人々は挨拶もそこそこに、誰も彼もがせわしなく動き回る。

冬の間は雪に閉ざされるユティナ村であるが、しかし村人たちの財産の源はこの冬にこそ生まれるからだ。



長い冬の間に、この地方の人々は堅く閉ざされたそれぞれの家の中で内職を行ってきた。


男たちは木々を削り、組み上げ、家具や木製小物の製作と言った木工業に精を出す。

ユティナ村でずっと繰り返されてきたその営みは、長い時を経ることで確かな技術と洗練された独特の美しい植物紋様を育み、いつしか「ユティナ彫り」と呼ばれるようになった。

そしてそれに使われている素材は、深い色合いを持つメデル山から伐り出された最高級の楢材。

そう言った訳で、ユティナ村は、堕神が生まれるより以前から木工製品の一大生産地として名高い。


また女たちの編み上げる羊毛製品も「ユティナ編み」と呼ばれ、古くから名の知られた逸品。

こちらもメデル山由来の様々な植物染料による鮮やかな色合いが人気の秘密である。


メデル山の恩恵を存分に受け、その過酷な自然環境を甘受し適応した、まさにメデル山と生きる職人達の村。

それがユティナ村である。


そんなユティナ村で兵士として生きるレイ達『87班』の面々もこの時期はそれぞれ忙しく働いている。

レイはメデル山に木材を伐り出しに行く男達の護衛として裾野に広がる森へと同行し、ミリアは危険な堕神の発見及び除去を目的として山へと巡回に向かった。

そして新兵のユーナは、村の防衛戦の警戒と、兵舎の日用品や装備品の確認、来るべき冬への備えとして備品の補充や備蓄に奔走していた。


そんなユーナがひなげし商店で買い物を終え、ここ一週間分の食料プラスαの入った大きな紙袋を両手で抱えて兵舎へと戻ってくる。

無理な抱え方をしているせいで腰が痛む。狭まった視界のせいで歩くペースが遅い。

(それもこれも…全部レイあいつのせいだ!)

そう…既にミリアによって治癒されたが、ウェンカムイ討伐の際に負った腕の切断と言う重傷のせいで、またレイは一人留守番を命じられていた時期がある。

その時レイはひたすらいつものようにベーコンとチーズを食い散らかした。

その毒牙はあろうことか、冬季の保存用に買っておいた熟成前のチーズにまで及んでいた。

今日ユーナが点検の際にそれを発見し、致し方なくレイが食した分を補充しようとした結果がこの大荷物である。

憤りを抱えながらやっとの思いで彼女が兵舎の裏口までたどり着くと、ドアの前にちょこんと愛らしく座った黒いもふもふを荷物の影から見つけた。


「あれ?どうしたの?キミ」

荷物の影から顔を出し、ユーナは黒い毛玉に声をかける。

濡れ羽色の長い毛並み。ピンと立った大きな耳。琥珀色に光る大きな瞳。

一目で美人とわかる猫がそこにいた。

オスかメスかわからないうちから美人と呼ぶにはおかしい気もするが、特筆すべきはそこではない。


イエネコと比べると明らかに大きいその体躯である。

座った姿勢でユーナの膝を優に越えるその体躯は、普通の猫と比べても大きい方だろう。

しかしユーナが困惑を覚えるのはその顔つきがまだ幼いからだ。

成猫にある凛々しさや不貞不貞しさが伺えず、未だ子猫特有の愛くるしさを湛えている。

と言うことは、この猫はこれからもっと成長するのだろう。

そんなに大きくなる猫をユーナは知らない。

もしかしたらこの地方に棲むヤマネコなのかも知れない。


(困ったな~…そこにいると入れないんだけど…)

そう思っても、ユーナには子猫を足で追い払うようなことはできない。

とりあえず荷物を下ろし、屈んで子猫と向き合う。

子猫は一瞬ユーナと視線を合わせたが、すぐにプイっとそっぽを向いた。

嫌われてるのかも…とちょっとショックを受けながらも、ユーナは子猫に手を差し伸べてみる。

ミャーと高めの声で一声鳴くと、子猫はすんすんと差し出されたユーナの手を嗅ぎ、異常がない事を確認してから、自らの頬を擦り付けてユーナに親愛を示してくれた。

ユーナの胸に嬉しさが込み上がってきた。

それにしても自分から知らない人間に歩み寄ってくるこの子猫は、相当人慣れしている。

どこかで飼われていた子猫であろうか?

しかし首輪がない。


とりあえず子猫の顔周りを指先で優しく撫でてやり、居座っていた場所を移動させた。

そのまま十分戯れの時間をとった後、びっくりさせないようにゆっくり腰を上げ、裏口の鍵を外してドアを開ける。

「ちょっと待っててね~」

そう言いながら、置いた荷物を再び抱えようとした瞬間、子猫はスルリと兵舎の中に入って行った。

「あ!こ~ら」

慌てて子猫の後を追うと、子猫はキッチンを抜け、ダイニングのミリアの椅子に飛び乗り、そこに最初に見つけたようにちょこんと座り込んだ。

どうやらイタズラするようなマネはしないらしい。

その事にユーナは一安心すると、荷物をキッチンに運び入れ、ゆっくりと子猫に近づいてその身体を抱き上げた。

生き物特有の温かさと、まるでぬいぐるみのようなふわふわした毛の感触に、ユーナの心に幸せが広がる。

「キミ大人しい子ね~…どこからきたの?ここが好きなの?」

ミャーと一鳴きしたまま、ユーナのなすがままにされている子猫は嫌がる素振りすら見せない。

ただ大人しくユーナにされるがままに身を任せている。

ユーナが自分を傷つける事など念頭にない。それどころか労ってくれる事がわかりきっていると言うような、全幅の信頼を置いている接し方だった。

「あ~ん…キミ本当に可愛いね~…このまま飼っちゃおうかなぁ…キミを養うくらいのお給金もあるし、それも良いかも…」

自分の椅子に座り、その膝の上で優しく子猫を撫でつける。

どんどん子猫に魅了され、そのもふもふを思う存分堪能したユーナは、もううちの子になっちゃいまちゅか~、今日は何食べまちゅか~など幼児言葉で一心不乱に猫に語りかけた。


どれくらいそうしていただろうか…

「お前さん…どったの?狂った?」

突然の問いかけにユーナが慌てて視線を上げる。

そこにはいつの間にか戻ってきたレイが居て、うわ~…ヤバいところ見ちゃったよ~…こいつ頭だいじょうぶかな~と言わんばかりの顔で立っていた。

「にゃ!!…こ…これは!!違うにょっ!!」

動揺の余りしどろもどろになりながら、ユーナは膝の上で大人しく撫でられていた猫を持ち上げ、レイの前に掲げて見せた。


「…捨ててきなさい」

子猫を見るなり、レイはにべもなくそう言った。

「なんで!なんでよっ!こんなに可愛くて大人しいのに…レイには生き物を愛する優しい気持ちがないの!?」

「お前さんな~…ここの生活費はアルキメディア国の税金だぞ?その税金を猫の世話に当てるとかできるわけないだろ?」

「それならわたしのお給金でこの子を飼うもん!だったら問題ないでしょ!?」

「お前さんが世話するっつっても兵舎で飼うんだろ?ここには軍用品の武器やら火薬やらあるんだぞ?それを猫にいじられて事故でも起こしてみろ。大問題になるだろうが…」

「こ…この子はそんなことしないよっ!ほら、こんなに大人しいんだからっ!!」


ユーナはずいっと立ち上がり、レイの鼻先に子猫の鼻先を近づけた。

レイは仰け反った後、少し距離を取り、初めてマジマジと子猫を見つめた。

まだ幼いながらも、メデル山に生息しているメデルヤマネコのようだ。

長い毛並み、そして特徴的なリンクスティップス。大きな耳の先端から一際長く伸びたその飾り毛リンクスティップスこそが、極寒のこの地方に適応した進化を遂げたメデルヤマネコのまがう事なき特徴。

ただレイの知識と食い違う点が一つ。メデルヤマネコは雪と擬態するために真っ白な体毛で覆われていたはずだ。

黒い個体など見たことも聞いたこともない。

突然変異なのだろうか…


一通り観察が済んだ所で、子猫を持つユーナの手が揺れた。

ユーナに視線を向けると、空色の瞳をキツくしてレイに触るよう強制してくる。

一つ息を吐くと、レイは子猫に手を伸ばした。


そのとき、今までおとなしかった子猫の喉の奥から「きしゃぁぁぁぁぁぁぁ」と言う威嚇音が漏れ、伸ばされたレイの手を全力で引っ掻いた。


「いてぇぇぇ!!」

レイの声と子猫の突然の豹変に驚いたユーナがその手を放す。

子猫は音もなくダイニングの床に飛び下りると、すぐさまミリアの椅子に這い上がり、そのままキツい視線でレイを睨みつける。

「どこが大人しいんだ!!いきなり引っ掻かれたじゃねぇかっ!!」

レイが口角泡を飛ばして抗議する。

「さっきまでおとなしかったのに…レイが捨てて来いなんて言うからきっと怒ったのよっ!!」

「ネコに人間の言葉がわかるわけないだろうがっ!!」


「わかる!バカにするなっ!」


ユーナとレイの言い争いの最中、突如響いた少女の高い声。

レイとユーナがギギギと油の切れた機械人形のように子猫に首を向ける。


「おまえっ!触るなっ!!臭いっ!!」

二人は決定的な瞬間を同時に目撃した。


信じられないことに子猫が喋っていた…

青い顔で金魚のように口をパクパクさせていた二人は、リンクしたように同時に声を出した。

「ウソ…ネコちゃんが…喋ってる…」

「ネコに…くせぇって言われた…」

「そっちっ!?」

ユーナの突っ込みに我に返ったレイは腰のナイフを引き抜きざま、ユーナを庇うように前に出た。

「お前…堕神だなっっっ!?」

誰何の返答を待たずして、レイが聖痕を明滅させて子猫に襲いかかった。

だと言うにも関わらず、子猫はふんっと短く鼻を鳴らすとレイと同じ暁闇の光を放ち、長い尻尾でレイのナイフを一つ払う。

突如レイのナイフが消失し、レイの攻撃は空振りに終わった。

何が起きたのか、当事者のレイも、すぐ側でそれを見ていたユーナにもわからなかった。

呆気に取られる二人をよそに、子猫はゆっくりと宣言する。

あるじさまに言われてここに来たっ!!ヴェルダンディさまが来るまでここにいるっ!!」

有無を言わさぬその物言いに、いち早く正気を取り戻したレイが食いかかる。

「てめぇ…俺のナイフをどうした!!主様って誰だ!?ヴェルダンディって誰だっ!?」

「お前にはかんけーない!」

「関係ないことあるかボケェ!ここにミリアがいない今、責任者は俺だこのクソネコ!さっさと答えろアホンダラぁ!!」

「うるさい!臭いお前とは話したくないっ!」

「…くさいって言うなぁぁぁぁぁ!!」

子どものように癇癪を起こしたレイが猫を掴もうと躍り掛かる。

チッと舌打ちした子猫が再び暁闇の光を纏う。

眩い光に目が眩んだレイが顔を背けて視線を切った瞬間に、ずっと子猫から視線を切れなかったユーナだけが再び信じられない光景を目の当たりにし、フリーズした。


年の頃は10歳前後、少し癖っ毛の艶やかな長い黒髪。その上にある大きな黒い猫の耳。そしてお尻からは長いふさふさの黒い尻尾。

琥珀色の瞳を持った、気の強そうな少女がそこに現れた。

…全裸で。


視線を戻したレイも、突如現れた全裸の猫耳少女に面食らった。

目を皿のように大きく押し広げたまま、突然の出来事に硬直する。

そのレイの姿を見たユーナが、レイより先に再起動した。


「いつまで見てるのよぉぉぉぉぉ!!!!このへんたいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!」


左足を鋭く踏み込んで、すぐさま腰を切り返す。

遠心力で走り始めた右足を、右膝を内側に捻る事で上から落ちる軌道に修正。

同時に右手を背中に向かって強く振り捨てることで力が流れないように抑制し、並行して腰が折れないように胸を張って背筋を伸ばす。

そのまま体重を載せきって一気にインパクト。

ユーナの全力を込めた右下段回し蹴りローキックが、教えた本人レイの右膝に炸裂した。


フリーズ中と言う全くの無防備な状態。さらに全くの無警戒だった後ろユーナからの攻撃突っ込み

焼けたハンマーで撃ち抜かれたような熱く重たいその衝撃に耐えきれず、レイはその場で崩れ落ちる。

「ぐぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

「こんな女の子にまで欲情するなんて…最低の変態よっ!!」

「のぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!」

急いで少女を抱き寄せ、レイの邪な視線を遮る。

「そう言えば保存用のチーズ食べたでしょう!あれ買ってくるのスッゴく重かったんだから!なんでわたしがレイの食べた分補充しなきゃなんないのよっ!今度から自分でやんなさいよぉっ!!」

「のぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!」

呻き声で会話すると言う高度な芸風を披露しながら、悶絶するレイ。

レイを汚物を見るような目で蔑みながら、裸の猫耳少女を抱きかかえ、どこかずれた非難の言葉を浴びせかけるユーナ。

そんなカオスの状況の中、ユーナの腕に抱かれていた少女の猫耳がメタルブーツの足音を捉え、ピクッと動いた。


「うるさいわね…何の騒ぎ?」

帰宅したミリアが二人に事情を問う。

ミリアの目が床に転がり悶絶するレイに行き、それを見下す冷めた目のユーナに向かう。

最後にユーナの腕の中からミリアに向けられていた猫耳少女の視線に向けられた。


その姿を見たとき、ミリアの目が一際強く輝いた。

「あら…あなたはブラウニー?」

「ヴェルダンディさま?」

「まさか…シルキーなの!?」

そのまま少女に近づくと、慈しむように猫耳少女をユーナから抱き取り、自分が羽織っていた外套でその華奢な裸体を包み込んだ。

おおよその事情に見当をつけたミリアが、レイとユーナに視線を送り、言葉を投げかける。

「…二人ともまずお水でも飲んで落ち着きなさい。わたしはこの子に何か着せて来るわ。話はそれからにしましょう」

有無を言わせない凛とした口調でそう述べると、ミリアは足早に二階の自室へと向かっていた。




「さぁ…これを着て」

少女に合うサイズの服がなかなか見つからず、やむを得ずミリアは自分の着古したワンピースを少女に被せ、余った裾をハサミで断ち切った。

同時に尾を出す穴を開ける。

そのまま違う布地の端切れを見つけ出して手早くリボンを作り、ブカブカな生地を抑えつけるベルト代わりに結びつけた。

ミリアの手でなすがままにされている少女は、くすぐったそうにミリアに語りかけた。

「ヴェルダンディさまですか?」

「ええ。けどそれは昔の名前。今はミリアって呼んでね!」

「はい!!ミリアさまっ!」

「それで…あなたは誰から生まれた子かしら?」

「主さまなのですよ、ミリアさま!」

「そう…その主さまのお名前はわかる?」

「ん~…」

少し何かを思い出すようにしながら、暗唱していた名前にしては少し長い単文を少女が述べた。

「『ふるきななちゅーのめーやくによりじゅーしゃをおくる』。主さまのお名前を聞かれたらこう言えって言われましたっ!」

名前の代わりに託されたメッセージ。それを聞いていたミリアの手が止まった。

「…そう。わかったわ、ありがとうね!」

そのままにこやかな笑顔を浮かべて、ミリアは着付けを終える。

着せられた薄い水色のワンピースと腰の白いリボンが、艶やかな黒い少女の髪を引き立てている。

その姿を満足そうに眺めたミリアは、少女の手を取り階下へ誘った。



「んで…これはどういうこと?」

ユーナの蹴りから回復したレイの目が、正面に座ったミリアと、その膝にちょこんと座り、珍しそうにホットチョコレートを見つめる猫耳少女へと向かう。

一方のミリアの視線はレイではなく少女に向けられており…

「猫だけど、シルキーだから大丈夫よね?ホットチョコレート飲めるわよね?」

「はいっ!!主さまに人間の食べ物なら食べても大丈夫って言われました」

そんな取り留めない会話をしながらミリアはふーふーと息を吹きかけて、少し冷ましてから少女にホットチョコレートを与えた。

それでも猫舌なのはヤマネコ由来なのか、舐めるようにチロチロと少しずつホットチョコレートを口にする少女。

そんな様子にミリアは目を細めていた。


そんな愛くるしい姿に目を奪われている人物がもう一人…

言わずもがなユーナである。

熱さの奥に広がる舌を包み込む濃厚な甘さと、ふくよかに立ち上る乳成分由来の豊かなコク、そして甘ったるくなりがちな味を引き締める柔らかな苦味。

初めて味わう未知の飲み物に、目を閉じ、背筋を伸ばして吟味する猫耳少女の様子を、ユーナがとろけそうな表情を浮かべて眺めていた。


「ミ~リ~ア~~~?」

痺れを切らしたレイが語気を強めてミリアの返事を促す。

「あら、ごめんなさい。この子は堕神じゃなくて、妖精ね。それもネコの家妖精!恐らく家妖精ブラウニー希少レア種、シルキーよ」

「いえよーせー???」

「そう。家妖精」

「あの、妖精ってなんですか?」

目をずっと猫耳少女から離すことなくユーナがミリアに問う。

上官…と言うか他人に対して質問するには失礼極まりない態度だが、ミリアもミリアで膝の上の少女に目が釘付けなのだからお互い様である。

「妖精はね、堕神と同じように女神様が分離して生まれた存在。だけど堕神と違って、女神様の善性…簡単に言えば人間に対する優しい心を受け継いでいる、人に友好的な種族を言うの」

「ふ~ん…初めて聞いた…」

「もともと確認例が少ないし、確認できてもある日突然出会うものだから証言以外の証拠が得られないことが多いのよ」

「んで…妖精はわかったけど…家妖精って言うからには、家に憑く妖精ってことだろ?」

「そう。妖精の中でも確認が取れてるのが家妖精。この家妖精って言うのはね、家に居着いて、そこに住まう人たちに様々な手助けをしてくれるの。わたしの知ってるところだと、ネズミの家妖精とイタチの家妖精ね。記録ではブタの家妖精も居たみたいだから、元になる生き物は多種多様みたい。この家妖精で一番確認されている数が多いのがブラウニーね」

不意に猫耳少女がカップから手を離して目を上げて、ミリアを見上げた。

そのまま暁闇の光を纏うと、人型から元の猫の姿に舞い戻る。

着ていた服の中からもぞもぞと這い出ると、そのままミリアの膝の上で丸まった。

ミリアは目を丸くしながら、膝の上の黒猫を優しく撫でる。

気持ちよさそうに黒猫はみゃーと小さく鳴いた。


「…話を戻すけど、ブラウニーとは基本的に会話が成立しないわ。だから彼らが良かれと思ってしたことでも、住人からはありがたがられたり、いたずらと思われたり…姿は基になった動物の形と、人型の両方を取るの。さっきの女の子の姿みたいに…『変身』がブラウニーの固有能力よ。とりあえず、家に憑く妖精で、人に化けられるけど会話はできない存在をブラウニーって呼んでいるわ」

「じゃぁシルキーはなんなのさ?会話ができるブラウニー?」

「大ざっぱに言えばそうね。決定的な違いはもう一つ。レア種である以上、ブラウニーにはないその個体特有の権能を持っているわ。この子の権能が何なのかわからないけど…」


それを聞いていた猫が声を出す。

「ミリアさま~、ここお掃除していい?」

突然の問いかけにミリアは曖昧に頷いて許可を出す。

ぴょんとミリアの膝から飛び降りると、3人の視線を集めて、黒猫が眩い暁闇の光を纏った。

そのままさっと尻尾で床を一撫でする。

終わるとミリアに向き直り、香箱座りでその場に四肢を着いた。

「終わったよ~ミリアさま~」

急に眠たげな声でミリアにそう告げるとそのままコテンと顔を床に着けた。

「終わったって…何がかしら?」

どうやらかなり強い権能を使ったようで眠くなってしまったようだ。

椅子から降りたミリアが黒猫を抱き上げるため屈み込む。


その時、この猫の権能の正体に気がついた。

「これって…まさか…!?」

ミリアは床一面をペタペタと触り始める。

ない…全くない。全然ない!

髪の毛どころか埃一つダイニングの床に落ちていないのだ。そればかりかキッチンの床にも…

恐らく兵舎の一階部分すべての床が掃き清められたに違いない。

「なんてステキな権能ちからかしらっ!!!!」

突然勝ち誇ったように叫んだミリアを後目に、レイとユーナは目を見合わせた。

「ミリア…そいつの権能って?」

「恐らく、尻尾で掃いた物を消去できる能力ね…床がキレイだわ…しばらく忙しくて適当に済ませてたのに…これで掃除が楽になるわ…」

「あ…そう言えば俺のナイフ…」

突然消えたナイフの謎を解明され、レイは「俺のナイフはゴミかよ…」と一人ごちた。


ミリアはごめん寝のポーズで寝息をたてる黒猫を抱き上げて、自分の席に戻る。

ミリアの腕の中で黒猫は幸せそうな寝顔を浮かべていた。


「とりあえず彼女の正体はこんなところだけど…」

「いや…待て待て。ヴェルダンディってなんだ?そいつミリアを訪ねて来たんだろう?ミリアと知り合いなのか?」

「いいえ…この子は知らないわ。ヴェルダンディって言うのはわたしの修業時代の道場での呼び名よ。この子に聞いても何もわからなかったけれど、恐らく修業時代に同門だった誰かがこの子を拾って、わたしの下に行くように言い含めたんじゃないかしら?わたしが軍に居ることは有名だし、喋る猫なんて軍以外で扱えるところなんてないだろうし…」

言葉の中に微かな嘘があることを見破ったレイであるが、彼はそれをおくびにも出さない。

女性は秘密と共に生きる生き物であることを、彼は他ならぬミリアに叩き込まれたからだ。

イヤな記憶を思い出しながら、信じる振りをして首を一つ振ると、最後に一番大切な質問を投げかけた。


「んで…そいつこれからどうするんだ?」

その質問に今までの会話に口を出さずにいたユーナもミリアに視線を向ける。

その視線には黒猫を飼うよう必死の懇願が滲んでいた。

そんなユーナに微笑みを送ると、ミリアは一つ咳払いをして居住まいを正した。

「もちろんここで面倒見るわよ。喋る猫、人に化ける猫。おまけに権能持ち。一般の人が触れて良い存在ではないわ…それに軍の施設に送ったら実験動物にされちゃうだろうし…だからわたしの責任でこの子はここで育てるわ」


ミリアの決定を聞いて、ユーナの顔が大輪の向日葵のようにほころんだ。

レイは苦々しそうに口を引き結んだが、大佐の決定には逆らえない。

そのままむっつりと黙り込み、ミリアの腕の中でスヤスヤと眠る黒猫に険しい視線を送る。

しかしその視線も不意に緩む。

「はぁぁぁ…ヤメだヤメ。そいつの安心しきった寝顔見てたら、怒るのも反対するのもバカらしくなった」

「…何も言わないでくれてありがとうね、レイ…」


レイの気遣いに謝意を示し、ミリアは目を潰ってゆっくりと物思いに耽る。

この黒猫は主の名を尋ねたとき、『旧き七柱・・の盟約により従者を送る』と答えた。

と言うことは、この黒猫の主は実在するはずのない七柱目の女神を知っていて、更に七柱で交わされた盟約の内容を知っていることになる。

そして与えられた権能。

加えて権能を用いる際に見せたレイと同じ暁闇の光。

思い当たる存在は一柱しかいない。

(…この子はレイを護るために・・・・・・・・生み出され、そしてここに来た)

その事実が指し示す内容はただ一つ。

向こうの準備が整ったと言うことだ。

そしてそれはミリアにとって別れの刻が迫っていることを表していた。


惜別の悲しみを一人胸に抱えたミリアの耳に、ユーナの歓喜の声が反響する。




それは、後にユーナによって『ブルーム』と名付けられる黒いメデルヤマネコのシルキーが、87班にやってきたある日の夕暮れの出来事だった。

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堕神狩り 青柳夜雨 @jyan5

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