うさぎさんは疑心暗鬼

十一

ウサギとカメとタヌキ

 勢い良く駆け出したウサギは、カメのようすをうかがおうと後ろをふりかえりました。

 カメは四本の足を動かし懸命に歩いていました。けれど、その必死な表情とはうらはらにちっとも前には進んでいません。重いこうらがとても窮屈そうです。

 またたく間にウサギはカメを置き去りにして行きます。まず間違いなくかけっこはウサギの勝ちとなるでしょう。あの足の遅さではカメが逆転できるはずもありません。

 ウサギは跳ねるようにして気分よく野を走り抜けて行きます。けれどふと疑問が湧いてくるのでした。なぜカメはこの勝負を受けることにしたのでしょうか。自分が歩くのがあまり得意ではないとカメは知っているはずです。だというのに、ウサギがかけっこをしようと持ちかけたとき、すぐさまこうらから突き出した首を縦に振りました。

 たしかに、カメは歩みの鈍さをバカにされて怒りで顔をまっかにしてウサギに挑みかかりました。かけっこに勝ってバカにしたことを謝らせるとも宣言していました。

 そうなのです、カメは勝つつもりなのでした。

 なにか算段があるのではないだろうか、ウサギはそう疑わずにはいられません。

 道は山へとまっすぐ続いていて、どこかで近まわりするのは無理そうでした。平地ではこうらに足を仕舞って転がり落ちることもできません。

 勝負は単純な競争でカメがなにか仕掛ける余地などありません。

 ウサギはだからこそおかしいと思ってしまいます。

 いったいカメはどうやってウサギを追い抜くつもりなのでしょうか。

 あたりには木が多くなってきました。山が近づいて来ている証拠です。

 森の鳥たちがさえずる声を聞いているうちに、ウサギはタヌキのことを思い出しました。おばあさんを騙して殺してしまったあの性悪タヌキのことです。

 ウサギはおじいさんに仇討ちを頼まれ、それを見事成し遂げました。湖に泥舟が沈んでいくところを、ウサギは木舟からはっきりも目にしました。あのタヌキは溺れ死んでもうこの世にはいません。

 けれどとウサギは想像します。あのタヌキにも家族がいたはずです。ならば、その家族はきっとウサギを恨んでいることでしょう。おじいさんがしたように仇を取ろうとしてもおかしくはありません。

 タヌキには化ける力があります。その力で人や動物たちをたばかるのが彼らのやり口です。

 タヌキの姿を頭に浮かべ、ウサギはひとつの可能性に気づきます。

 タヌキがカメに化けていたのではないだろうか、と。あのカメがタヌキであったのなら鳥になって空を飛びウサギを抜き去るのも簡単にできるではありませんか。あるいは、オオカミの姿になりウサギをひと飲みしてしまうかもしれません。

 ウサギは足を止め周囲を見回しました。木々が生い茂る森は隠れる場所に困りません。どこにタヌキが潜んでいても不思議ではありません。

 森の中へとのこのことやって来てしまったことをウサギは後悔しました。これではまるで袋のネズミではありませんか。

 大きな耳をひくりひくりと動かし、ウサギはまわりの音に耳をそばだてます。足音や息のわずかな音も聞き逃すわけにはいきません。

 どうやらこのそばには他の動物はいないようでしたが、だからと言って安心はできません。なにもタヌキは動物にだけ化けられるわけではないのです。木や石の姿で身を隠し、ウサギが接近した瞬間に正体を現し襲いかかって来るやもしれません。

 警戒をおこたらぬままゆっくりと歩みを進めていたウサギの耳が、水の音をとらえました。音からすると大きな川が近くに流れているようです。

 ウサギは首をかしげます。こんなところに川があったという記憶はありませんでした。

 タヌキの仕掛けた罠かもしれません、注意して川のほうへと歩いていきます。

 木が途切れ谷になっている場所に、いつの間にやら川ができていました。茶色く濁った水が流れています。まるで大雨でも降ったあとのようでしたが、このところ晴れの日がつづいていてまったく雨の気配はありませんでした。

 この水はどこからやって来たのでしょう。ウサギは川上のほうを見上げ、その先に湖があることに気づきました。そうです。あの性悪タヌキがウサギの策略で沈んでいった湖です。

 ウサギは事情を悟りました。あの泥舟が崩れて湖の水が流れていくはずだった本来の川をせき止めてしまったのです。そうして、こんなところに新しい川ができることとなったのでしょう。

 水がなければ谷底を走ることもできました。けれど、この水量では川を渡ることはできそうにはありません。また飛びこせないほど川幅は広くなっていました。

 遠回りをして川を渡れるところを探すほかないようでした。

 あのカメは本当にタヌキの変身したものだったのでしょうか。川沿いを歩きながらウサギは想像します。カメはこの川について把握していたのではないでしょうか。ウサギは回り道わわしなければここを越えられませんが、カメはそうではありません。泳ぎの得意なカメは難なく川を渡れるでしょう。この川を利用して遅れを取り戻し、あわよくば抜き去るつもりだったのではないでしょうか。だからこそカメは勝つつもりでいられたに違いありません。

 ようやく川幅が狭くなった部分を見つけ、ウサギは助走をつけて向こう岸へと飛び移りました。

 この迂回でだいぶ時間を食っていまいました。これから元の道へと戻るとなるとさらに時間がかかります。

 はやく行かなくては。そう焦るのですが、森の薄暗さがウサギの不安をあおります。カメの作戦は見抜けました。しかし、だからといってタヌキがいないということにはなりません。この勝負を知ったタヌキが、ウサギがやって来るのを待ち受けているかもしれないではありませんか。どこにタヌキが隠れているかもわかりません。

 ウサギはキョロキョロとまわりを見回し、耳をすましながら大急ぎでけもの道を駆けていきます。

 タヌキが怖いけれどカメにも負けたくはありませんでした。


 その日、ひとりの農夫が畑仕事をしていると、どこからともなく一匹のウサギが飛び出してきました。ウサギは気もそぞろといったていで周囲を見回していましたが、目の前の切り株には全く気を払っている様子がありませんでした。

 農夫が驚く間もなく、ウサギは勢い良く株に衝突しそのまま死んでしまいました。

 そのウサギを拾って以来、農夫は畑を耕すのを辞めました。

 それからというもの彼は、くる日もくる日も株を守りてウサギを待っているのです。

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