10 剃刀、のち狂愛。
「君、だぁれ?」
ゴミ山に埋もれた、謎の美少女。眠そうな、トロっとした表情で、その場に寝そべっていた彼女に、俺はしみじみと驚愕せざるを得なかったのだが、とりあえず、こう声をかけておくことにした。
「とりあえず、そこから出てこい」
「俺は、アサナギコゲツ。今日から、隣に住むことになった」
ふーんと、興味なさそうに相槌をうつ少女。自分で聞いておきながら、それはちょっとどうかと思うが、まあ可愛いから許す。
「で、お前は一体何者なんだ?」
目尻をこしこしと擦りながら、ちょこんと腰を下ろす少女に、俺は問いかけてみた。
すると、あまり抑揚のない声で
「リリー。リリー・チュレスカ」
とだけ答えてくれた。
いやはや、改めて見ると本当に可愛い。同じ囚人服でも、俺みたいな凡人が着るのと、彼女が着るのとじゃ、はえ具合が天と地の差だ。
同じ額縁を使って絵を飾るにしても、凡才なやつが描いた没個性の駄作と、才能溢れるやつが描いた個性のかたまりみたいな傑作とじゃ、後者の方が圧倒的に見栄えがいいという話だ。
いっそデザインの地味でセンスのないこの囚人服が、逆に本人の個性を引き立てていると言うべきか。
さて、それほどまでの美少女なのに、残念でならないのは、そのまとわりついた異臭だ。こんな汚らしい場所に住んでいたら、そりゃあ身に深く染み込んでいくだろう。せっかく可愛いのに、匂いがゴミ処理場の作業員のそれだ。非常にもったいないと思う。
それで、勝手ながら、俺が考えたこと。
こんな可愛いやつを、こんなゴミだめに突っ込んだままにしてはおけない。
「なあ、出会い頭で悪いんだが、この部屋、掃除してもいいか? いや、させてくれ。こんな汚い部屋は、似つかわしくないと思うんだ」
「ダメ」
即答だった。間髪入れない見事な返事。もしかして、この空間を気に入っているのか。いや、ゴミ屋敷が好きな人間なんて、そういるもんじゃない。
ああ、きっとめんどくさいのだ。自分もさせられると思っているんだ。きっとそうだ。
「別に、お前にもしろってわけじゃない。俺が一人で全部やるから、お願いだから掃除させてくれ」
「ダメ、絶対ダメ」
「何でだよぅ!」
すると咄嗟に、手近なゴミをかき集めて、大事そうに両腕で抱きかかえ、後方に退くリリー。
「私の
「だから、既に
「無用。この
……わけわかんねぇ。
さながら、大切な我が子が暴挙によって痛めつけられるのを拒む、母親の様な目付き。キリリっと鋭いながらも、曲げようのない強い意志を感じる。
このゴミ屋敷を聖域呼ばわりとか、頭大丈夫なんだろうか。おい美少女、お願いだから正気なこと言ってくれよ。
「なあ、本当に、本当にそう思って言ってんのかお前」
「もちろん。女に二言はない」
むしろ二言があってくれた方がよかったな。
しかし、これで俺は一つの確信と決意を得た。
一つ、このこ、頭おかしい。
一つ、どうしても、嫌だというのなら、俺は……。
「否が応でも、掃除してやるぜぇ!」
途端、自分でも驚くほど足早に玄関へ向かい、扉を開け放った俺は、部屋の中にあるゴミというゴミを、片っ端から外へ放り出すという行為に及び始めた。
「え、やだ、やめてっ!!」
珍しく張りのある声で何やら叫んでらっしゃるが、構うまでもない。
「オラオラオラオラオラァッ!!」
途方もない量のゴミが、それでも少しずつ、少しずつ減り始める。それにつれて、今度は外にゴミの山ができ始めるが、ある程度たまったところで選別してどこか適当な場所に捨てればいいだろう。ゴミ収集所くらいあるだろ、異世界にだって。
あ、でも分別とかしてるんかね? どうなんだろう。
「お願い、お願いだからやめてっ」
かつての抑揚なき声が、感極まったようにかすれる。
そこまでか、そこまでなのか。でも、許せ。これがいずれ、お前のためになる。
お前みたいな美少女は、こんなゴミだめの中で息を潜めていていい人間じゃない。もっと明るい所で輝くべきだと、俺は切に思っている。
おお、そうこうしているうちに、玄関の床が見え始めてきた。よし、進んでいるぞ。少しずつ、部屋が綺麗になっている。
どれ、見せてやろう。これがお前の部屋の、本来あるべき姿の一部だと教えてやろう。
そう思い、俺は振り返ろうとした、その時。
「私の聖域を、冒すなあああっ!!」
聴きようによっちゃ少しピンク色の言葉だが、半ば金切り声である今のそれに、色っぽさは欠片もない。
俺の背後に迫っていた彼女の瞳は、悪魔みたいに、不気味に光っていた。
禍々しいオーラを、禍々しい異臭と共に放つ長い銀髪は、単に解かれていないだけなのに、奇妙にボサボサしていて、まるで、メドゥーサのよう。
「コゲツ、認識した。君は、私の
案ずるな、漂ってくる不穏な空気は、ただのゴミによる異臭だ。決して、こいつが禍々しいオーラをもつ魔の存在というわけではあるまい。
「お、おう……すまん、悪かった、悪かったよえっと……リリー。だからその、怒らずにもっと……穏便にいこうぜ」
「交渉の余地なし。全ては決定事項」
ゴミ山の中から漁ったのか、小さなその右手には、
え、待て、ちょっと待ってくれ。マジなの、ねえマジでやる気なのこのヒト!?
ああ、そうだ、扉が開いてる。いざとなれば、逃げればいい。
そう思って後ろをチラと見遣ったが……。
ドンッ!
身体がびくつくほどの荒々しい音を鳴らして、扉は閉ざされてしまった。原因は……なんと、少女の髪の毛。
触手みたいに器用に操って、ドアノブを引いて閉めたのである。
極めつけには、その場にあった大量のゴミを扉に押し付けて、盛り上げ始めた。そう、目指すは完全封鎖というわけだ。
こいつはまずい、扉が埋まる前に、何とかしないと。そうして俺が、体を動かそうとしたその刹那。
「逃がさない」
「グヘッ」
俺の体の部位のうち、首と名のつくもの全てが、彼女の髪の毛によって捕らえられた。完全に畳み掛けられてしまったようだ。うわー、何このプレイ。誰得だよ、触手に捕まった囚人服姿の男子高校生って。
「さて、これで準備は整った。排除、実行する」
「うぉっと!!」
呑気なことを考えている場合ではなかった。髪の毛触手ごと俺を目前に運んだリリーは、多少怒気を含んだ無表情のまま、俺の首に剃刀の刃先を近付けてきた。
「ま、待てよ、何でだよ。何でそんなに怒ってんだよっ!?」
「怒ってはいない。怒りを通り越して、私は君を軽蔑している。そして重罪を負った君に、これからその罰を下す。それだけ」
「だからなんでそうなる!?」
まずい、こいつマジだ。このままだと、俺は本当に殺される。しかし拘束されている以上、あがく余地はない。ダメだ。完全に手詰まりだ。ギブミーハンド……。
「そこまでよ!」
ゴミで塞がれていたはず扉が、荒い音をたて、とてつもない勢いで開かれたことに気づいたリリーは、驚愕のあまり、剃刀をゴミ山の上に落っことした。
現れたのは、ポニーテールをなびかせる、小柄で童顔の女。俺のあられもない姿を見て、何故だか少々ニヤケ顔だ。おい、ここシリアス展開だろ、笑うとこじゃないぞ。
しかしまあ何とか、ギブミーハンドではなくなったようだ。いやいや、真面目に怖かったよ。打開策のない状況ほど、怖いものはないね、と俺は思い知らされたのだった。
「ゴミ屋敷のリリー。アイルリストに名を連ねる者の一人よ」
なおも異臭の漂う狭い部屋の中、全く遠慮することなくゴミ山に腰掛けながら、相変わらずミカの実を頬張るアンジュは、気だるげにそう言った。というか、よくこんな場所でものが食えるな。いくら大好物といえど。
「で、そのゴミ屋敷のリリーは、一体全体どうして島送りになったんだ」
部屋の端っこで縮こまり、うじうじと何やら呟いている銀髪の少女に、俺は顔を近づけて言った。
「死ね冒涜者死ね冒涜者死ね冒涜者死ね冒涜者死ね冒涜者」
「呪文唱えてないで早く答えろ」
「ちっ」
ちって……。
ダメだ。俺の中の銀髪美少女の理想像が、段々と崩壊していく。
当の銀髪美少女は、キツネみたいに目を尖らせて、例のごとく抑揚に乏しい声で語り始めた。
「私達、チュレスカ一族は、髪の毛に魔力を通して操ることのできる、魔女の家系。その中で私は、あまり才能に恵まれなかった。
家族は、私を嫌って、家から追い出した。それから私、一人で暮らし始めた。働いて、お金貯めて、家を買った。一人だけど、楽しく暮らしてた。……ゴミがたくさんあったから」
「ちょい、最後どうした」
途中まではなんとなくいい話だったのに、最後が全てを台無しにしている。なんだよ、ゴミがあったからって。何の関係があるのそれ。
「私にとって、このゴミの山は大切な財宝。見ても、嗅いでも、舐めてもいい。落ち着く。これが私の、生きる価値」
「ま、要するに、始めて自分で買った家が前の住民によってゴミ屋敷にされていて、何故かその環境に懐いてしまったと。そういうことよ」
アンジュの説明の声色は、どことなく呆れたふうであった。アンジュが呆れるレベルのゴミ屋敷廃人。こいつもう、救いようがないな。
そして、アンジュはさらに続けた。
「彼女が住んだゴミ屋敷のせいで、風評被害は凄まじいものになったわ。いくつか街を移っているけど、そのうち、一つか二つくらい、ゴミを発端とする伝染病で崩壊させたとか、させなかったとか」
伝染病って……。それもう近隣の異臭トラブルとかいうレベルじゃなくて、公害だぞ公害。賠償金いっぱい取れるやつだぞ。
「それで、やむなくアイルリスト入りさせた彼女の手配書をそこらじゅうに張り巡らせて、何とか捕まえたわけよ」
はい、説明終わり、といったふうに、両手をパンと叩くアンジュに、俺は加えて質問した。
「なあ、じゃあこの部屋は何でゴミだらけなんだよ。普通更生のために規制するだろ」
するとアンジュは、何言ってんの、と口を尖らせつつも
「ここは更生施設じゃなくて、単に罰を受けながら暮らす終身刑のための島よ。それに彼女、ゴミがないと死ぬっていうから、こればっかりは管理局もお手上げって感じだったわね。さすが、アイルリストってだけのことはあるわ」
と説明してくれた。
管理局もお手上げか。ゴミへの愛が深すぎて、もう俺は何も言えなくなった。
ゴミ屋敷のリリー。彼女の容姿は確かに可愛い。しかし、その複雑にへし曲がった愛と、身体から発せられる異様な匂い。
随分と、残念な属性がついてきたもんだ。
「おい、コゲツ」
「はい何でしょう!?」
恐ろしいほど低い声で、リリーが俺を呼びつけてきた。うへぇ、怖ぇ。
それで、俺の方をこれでもかというくらいギロギロと睨み回してくる彼女は、ただ一言、こう呟いたのだった。
「よろしく……」
なんだろう、照れているのか。若干紅潮している彼女の顔は、流石に美少女。微笑ましく可愛らしかった。
そうだな、なんだかんだいっても、俺はこれからこんなやつと隣合わせで暮らすことになるわけだからな。
いつまた剃刀で襲われるかと思うとおどろおどろしくて仕方がないが、多分さっきくらい怒らせない限りは大丈夫だろう。
それに恐らく、いまの「よろしく」には、「ごめん」の意も含まれているような気がする。これに関しては、俺も自己中に走っていた部分があるから、似たような感情を抱かざるを得ない。
そんなわけて、俺も潔く、謝罪の意も込めて返してやるのだった。
「ああ、よろしく、リリー」
そして俺は、そのまま軽く挨拶をして、アンジュと共にゴミ屋敷を後にした。
空は既に赤く染まっていた。ああ、なんか腹減ってきたな。それとなくアンジュに聞いてみると、ガボンが広場で、仲間達と炊事や焚き火をしているらしい。
もはやキャンプだな。そんな暮らしを毎日しているのか。それが、仲間と暮らすということなのか。
色々、考えさせられた俺は、その気持ちをしっかりと胸に秘めたまま、伸び伸びとポニーテールをゆらす童顔女教官と共に、広場へ向かった。
ついでに、新たな仲間達との顔合わせもしておこう。うん、それがいい。
その日の夜、俺は、ただならぬ騒音に悩まされることになるのだが、この時の俺はまだ、知る由もなかった。
メーデー、鬼畜島に囚われまして……。 青野はえる @Ndk_ot
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