第13話その13
夏休みが始まって、一週間が過ぎた。太陽の光は日ごとに元気を増している。今年は記録的な猛暑らしく、地球温暖化の影響だなんて騒いでいる人も居た。でも、記録的な猛暑なんて毎年言っている気がする。
夏休みらしく真っ黒に肌を焦がす人がいる中、僕の肌は、なにも描いていない紙のように白い。時々、ベッドのシーツなのか僕の腕なのかわからなくなる。
屋上からの見事な大ジャンプを見せたあの日、僕の命が尽きることは無かった。無様にも生還して、米俵の様に病院のベッドで寝ている。
ベッドの横にある棚の上には、真新しいスケッチブックが置いてある。最近新しく買ったもので、白いページはまだたくさん残っている。そしてその横には、漫画本の山が二峰そびえ立っている。
「おっすー。来たぞ、ひ弱少年」
真っ黒になった肌を見せびらかすように、布野はやって来た。
布野も僕同様生き延びて、僕とは違い肌が焼ける程に夏を体感している。神様の不公平は、今に始またことではない。
そもそも僕には、人生を終わらせる気もたいして無かった。
僕達がいつも居た屋上は、渡り廊下で繋がっている隣の校舎よりも、一階分低い三階建てだ。さらに僕たちは、校舎裏にあるダンボール置き場めがけてジャンプしたのだ。
腐りかけの木の板と、これまた腐りかかったトタン屋根で出来た小屋が校舎裏にあり、そこがダンボール置き場になっている。文化祭などでダンボールが必要になった時用に、大量に置いてあるのだ。
正直、こんなにうまく行くとは思っていなかったし、死んだらそれでかまわないとも思っていた。一人じゃないならいいと思っていたのも本当だし、結果死んでしまった時はそういうものだったのだろうと思える。
布野のことをなんとか説得しようなどと最初は思っていたけれど、布野の涙を見ると、いろんなものが吹っ切れた。諦めとも呆れとも達成感とも名付けられるその涙の種類を、僕はよく知っていたから。
同情からの行動じゃない。強いて言うなら、仲間意識だ。
僕らのフライト結果は、腕から血をドバドバ流しながら大爆笑している布野と、右足を左手で抱えながらのたうち回る僕が発見されただけだった。
発見したのは用務員さんで、ダンボール置き場を整理しようとやって来たらしい。あと一日遅かったら、段ボールの数が減っていて僕たちは死んでいたかもしれない。
布野は左腕を三針程縫っただけで済んで、僕は右手の骨を一本と右足の骨を何本か折った。それも、ヒビが入ったなんてものではなく、バッキリと。
「いつになったら絵を教えてくれるの。さっさと直しなさいよこんな骨折」
不満げにぶつくさ言いながら、包帯の巻かれた僕の足をつっつく布野。
「包帯巻いた手じゃ描けなだろ」
「利き腕は右だから大丈夫なの」
何もつけていない右手をプラプラと揺らしながら、布野は舌をべーっと出した。
あの日から、布野は空の欠片を食べなくなった。本人曰く、空は飛んだからもういいらしい。今は宣言通り、絵を描くのに夢中なのだそうだ。
真新しいスケッチブックを持った布野は、今まで見たことのない、けれど今までで一番明るい表情をしている。
僕が作った空よりももっと綺麗な空を作る為に、毎日緑地公園へと通っている。
あの時一緒に絵を描いた小さい子達と仲良くなったらしく、高校生にもなって時々膝に擦り傷を作ってくる。
布野が左手に巻いた包帯は、僕に気を使ったフェイクなのではないか。というのが最近の僕の見解だ。
僕たちは死ななかった。けれど、これまでと決別した。
布野は帰ってから親と、僕はこの病院で母さんと、離婚してから初めての喧嘩をした。
布野に関しては、わざわざ遠くにいる母親の元にまで行って来たそうだ。近々僕の父さんも見舞いに来るそうだし、僕もその時盛大に喧嘩をしようと思う。
親に従うのが、まだ自立できない子供の義務なのかもしれない。けれど、意見を言う資格くらいはあるはずだ。僕らは同じ家族なのだから。
それで現状が良くなるとは限らない。母さんとの対話だってうまくいったとは到底思えない。不満だって、これからも溜まるだろう。
けれど、少なくとも僕らの中で変化はある。何も言えないよりは、収まりがいい気がする。主張が叶わなくとも、抱え込む量は各段に小さくなる。
僕達のちょっと遅れた戦いは始まったばかりで、僕らが飛び降りたことにより屋上は完全封鎖になったけれど、前よりは卑屈にならずにいられている。気がする。
「その漫画、もう全部読んだの。ということは、バトル物より恋愛物の方が好みなのね。洵矢って意外と乙女?」
「いや、たまたまだと思うけど」
「やっぱり女の子になりたいは本気で……」
布野の馬鹿な妄想は、睨むことで黙らせておく。何事も多弁が良いとは限らないのだ。少し都合がよすぎるだろうか。
今日の空が魅せる青は、僕の腕ではきっと表現しきれないだろう。でも、空を食べてきた布野なら、あの綺麗な優しい空を白い紙に映し出せる。
そっくりなんてものではなく、もっと綺麗な空を。僕はそう思っている。
そのために空を食べてきたと思えたら、あの日、一人で寂しそうに屋上へやって来て食べていた空の欠片にも、死ぬ意外の意味ができるかもしれない。
なんて考えるのは、少し上から目線過ぎるだろうか。
八月目前の太陽の熱が、病室の窓を叩いてくる。冷房の効いた部屋から早く出てこいと、急かされている気がした。
空を喰む 日月明 @akaru0903
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