後日談

 淡い夕暮れの空の中を、アタシは泳いでいた。そう、文字通り、泳いでいた。


「ちょっとしたダイエットにはこれが一番よね。気圧ラブだわ~」


 少しずつ冷え込んでいくが、こうして夕焼けに包まれていると、身体の脂肪ごと燃えるような気がするのだ。

 西にかたむき始めたの光が、川の水面に影を落としていくのを見下ろす。河川敷かせんしき斜面しゃめん、うっすらとあかね色に染まる歩道、その上を歩く、帰路きろの途中の学生たち。あてどもなく視線をさ迷わせていたが、ふと見間違いかと慌てて視線を斜面しゃめんに戻し、驚愕きょうがくした。


「あぁっ! アイツ!」


 よく見ると着ていた制服が違うので、アタシは思わずまぶたをこすり二度見、いや、合計五度見はした。河川敷かせんしき斜面しゃめんに座っている少年。それはもう、まごうことなきノラジョン本人であった。


「はぁぁ? アタシがガラにもなく説教してあげたのに、まーだ学校サボってるわけ?」


 手がわなわなと震え始め、こめかみがヒクヒクと引きつるのが分かる。


「アタシのことなんか、すっかり忘れちゃってるみたいね」


 ノラジョンの表情は心なしか晴れやかに見え、紙パックに差したストローを呑気のんきに吸っている。アタシはぎゅっとこぶしを握り締めた。


「っていうか! 全部夢だと思われてたのが腹立つわ!マジ許さない抱いて!」


 怒り任せにノラジョン目がけて一直線に飛んでいくが、不意に視界に飛び込んできた姿に、後ろにのけりながら急ブレーキをかけた。


「あの女、小池……!」


 小池は歩道からノラジョンに向けて、顔を隠すようにひらひらと手を振っている(アタシからは丸見えだけど)。アタシよりはおとるけど、顔の作りはまぁまぁイイんじゃないかしら。

 ノラジョンはすぐさま立ち上がると、途中転びそうになりながらも芝生を駆けがる。少し息を切らして小池の前に辿り着くと、お互い照れくさそうにうつむいている。そしてどちらからともなく、横に並んで歩いて行った。


「ポケットに手なんか突っ込んじゃって。カッコつけてんじゃないわよ、まったく」


 お互い何かを言いかけてはゆずり合い、お互い黙り込む。それを何回か繰り返すという、初々ういういしいさまを見せつけてきた。


「なるほど把握、他校同士のカップルってわけね」


 先ほどから<別れろ光線>を二人に向けて放っていたが、ふと小池の後ろ姿をじっと凝視ぎょうしする。一筋ひとすじのかぼそい影が歩道に伸びている。うつむいた首や肩はほっそりとしていて、風に叩きつけられたら折れてしまいそうなほど華奢きゃしゃだ。


「むぎぎ……アイツ、球投げ返してこないと思ったら、スレンダーが好みってわけね」


 夕暮れ時の秘密基地での出来事が、はっきりと記憶に浮かび上がる。

 全アタシリサーチだと、あの時の体型が一番男に好かれやすいはずなのに。それなのに、だ。


「今! アンタは間違いなく! 全国の女子を敵に回したわよ!!」


 片足をじくにくるんと回り、大きく腕を上げ、ノラジョンへ向けて人差し指をぴしっと伸ばす。


「決まっ……あいたたた、腰が……」


 直後、腰に鈍痛どんつうが走る。空中で身体を丸めてうずくまると、自分の顔が自分の腹にめり込んでいることに気づく。

 リバウンドは本当に不覚だった。ついこの間、一目見て気に入った大学生の男の子。ちょっと好みの顔だったからって、すぐに食いついたのが間違いだった。顔に似合わずハイカロリー男子、ノラジュンに続き二人目である。


「あんのヤロウ、今夜こらしめに行ってやるんだから」


 左手で作った拳を右手のひらに打ちつけ、勢いよく飛び出そうとするが、再びのけって急ブレーキをかけた。


「はっ、いけない。ダイエットダイエット」


 風も虫も、今はもう身支度みじたくを始めている。空はぽたりとれ落ちたようなすみが忍び込み、急速に濃さを増していった。

 夜が来る。







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ポンピング・メイデン 規村規子 @kimuranoriko

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