最終話 結

 僕は今、石段のてっぺん近くに隠れてる。大丈夫、ばれてない。今日も上級生の軍団がいる。あいつらは強い。なんていったって身体がでかい。早くいなくなれ、早く、早く――よし、いなくなった。今だジョン、走れ!


「せいあつ、かんりょう」


 ここからは僕だけの基地だ。今日は薬草と食料も持ってきた。よし、お宝も取られてないぞ。

 あいつら早く卒業しないかな。そしたらここは、ずっと僕の場所なのに。


「ひみつきち~てきはごねんろくねんせい~ラスボスは~……」

「こぉらじゅん! こんな時間まで、またこんな所にいて!」


 出た、ラスボスだ。だがジョンはまだレベルが足りない。ふほんい・・・・だが、ここは大人しく言うことを聞こう。


「おかあさん……ごめん、おそくなって」

「ほら、もうご飯できてるから帰るわよ」


 ちぇっ、今日はミスリルソードの切れ味を試したかったのに。


「あ、ひこうきだ! ぶーんぶーん」

「ねぇじゅん、あの中にはどんな人たちが乗ってると思う?」

「えー。おひめさまとか、おかねもちのひと!」

「そう、じゃあお城みたいだね」

「ちがう、まちがえた。やっぱねー、へーたいさん!」

「兵隊さん?」

「うん、ちょーつよいの!」


 ラスボスと戦う時に、きっといっぱい飛んできてくれる。そしたら、お宝が入ったビンをいっぱい買ってもらうんだ。







野良のらくん、野良のらくん!」

「えっ。あぁ……何?」

「にっしーたちとカラオケに行くんだけど、野良のらくんもどうかな」

「……ごめん、行けない」


 ああ、またやってしまった。せっかく小池さんが話しかけてくれたのに。


「おーいー。だからやめとけって言ったじゃん」

「だって、同じ班だし。あたしたちだけで行くのもちょっと」

「来るわけないじゃん。だって……なぁ?」

「ぶはっ。一匹狼、まじカッケー」


 だから、聞こえてるんだよ。小池さんの前だからって、そうやってカッコつけた喋り方してるのも知ってる。寝たフリだって楽じゃないんだ。早くいなくなれ、早く、早く――







 僕って何か、望まれているのかな。







「いいかげん起きろ! ノラジョン!」

「っあいたぁ!?」


 脳天をかち割られたような衝撃で、眠りをやぶられた。長い長い夢を見ていた気がする。待てよ、これはまったく同じ経験がある。ふと感じた既視きし感は、夢と現実との区別がつかないまま、ほろほろとかき消えていく。


「あれ……夢か」

「もう一発ぶん殴られたいの? いいから立ちなさい!」


 ポン子は僕の腕を掴み強引に立ち上がらせようとしたが、ぐらりと視界が揺れてへたり込んでしまう。意識がまだ、あるべき場所に戻っていない。


「立って、早く!」


 むちを打つような声はどこか張り詰めていて、ただ事ではない雰囲気が伝わってきた。すると、どこからともなくドォン、ドォンと重々しい地響きが聞こえる。その音は急速に押し寄せ、じきに赤い竜ジャコウドラゴンがその姿をのぞかせ始めた。


「う……」


 反射的に立ち上がることができたが、背中に長い棒をくくりつけられたかのように、全身が硬直こうちょくして動くことができない。


「あーもう、いいから走る!」

「あいたっ」


 ポン子は僕の強張こわばった背中を文字通り蹴りやぶってきて、数メートル先の地面に頭がめり込みそうになる。そうこうしているうちに、赤い竜ジャコウドラゴンはすぐそばまで迫っていた。まだおぼつかない足で立ち上がると、必死で身体を運びながらポン子の後を追った。車のタイヤのように重い疲労を引きずり、口もけないほどだった。

 あれから、どれくらいの時間が経ったのだろう。城のような場所で出会った美しい女性、戦闘機内のような場所で出会った豪快な男。二人の顔が脳裏のうりをかすめていったが、余韻よいんすらとどまることなく消えた。心も身体もとうに限界を超えていて、他人の無事を心配する余裕などなかった。

 その時だった。突然、黒い何かが視界におおかぶさってきた。


「うわ! な、何!?」


 顔の上でバサバサとせわしなく動くそれを、やっとの思いで払う。振り向きざまに、カラスの大群がいさましい鳴き声を上げながら飛び去った。ただぼんやりとその方向を眺めていると、やがて豆粒ほどの大きさになるまで遠ざかった。

 なんとなく見届けてから向き直ると、空をゆっくりとすべり落ちていく太陽が、空間を薄く丁寧に塗るようににじませていった。細筆さいひつでなぞるようにどんどん輪郭りんかくが作られていくと、えがき出された光景は目を疑うものだった。


「あ……れ、ここって……」


 何の変哲へんてつもない、こじんまりとした公園だ。ただ一つをのぞいて。がけ斜面しゃめん沿った、長い長いローラーすべり台。この公園の名物だ。踊り場には、手作りの段ボールそり・・が何枚も積み重なっている。みんな紐付きのやつが欲しくて、一斉いっせいに取り合うのだ。

 背後から再び押し寄せてきた地響きに、ブランコがキイッと鎖のきしむ音を立てた。


「やばい、逃げなくちゃ!」


 先ほどまで重かった足取りが、嘘のように軽やかに動いた。僕は走った。砂場の山を難なく飛び越えて。かつてけわしかった斜面しゃめんを足早に進み、すべり台を横切るとせまい石段に突き当たる。かつてドクダミ草とツツジの花を握り締め登ったこの道を、迷いなく駆けがっていく。

 登りきると、なだらかな丘は燃えるような夕映えに包まれていた。向こうの雑木林ぞうきばやしは、風を受けてさぁさぁと同じ方向へ揺れている。けたたましい音を立てるショベルカーの爪は、埋もれていた夕焼けをすくい上げているようだった。

 丘に沿って張られている金網かなあみ一角いっかくに、自然と足が向かう。かつての日々と同じように。目印のごろごろした大きな石。廃材はいざいへいと屋根に、子供一人分ほどのスペース。剣に見立てた長い木の枝。石の隙間に埋めたお宝のビー玉。


「制圧、完了」


 僕は誰に言うでもなく、古くからの友人に逢うような懐かしさを噛みしめ、ぽつりと呟いた。誰からも邪魔されることのない、ただじっと座っているだけなのに、ここはかけがえのない大切な場所だった。


「待ちくたびれたわよ、ノラジョン」


 振り返る前にはもう、声の主が誰だか分かっていた。夕焼けの逆光の中、仁王におう立ちしている黒い影。


「ポン子、今までどこに……っていうか、また痩せた?」

「ふふん、わかる?わかっちゃう?」


 ポン子は片手を頭の後ろに、もう片方の手を腰に当ててウインクを投げてきた。まだだいぶ肉づきの良かった腰回りや足が、いくらかぎ落とされたように減っていた。曖昧あいまいだった胸と腹の境目さかいめも今なら分かる。豊満な体つきという言葉がぴったりだ。


「ちょっと! 投げられた球は投げ返しなさいよ!」


 手をばたつかせ地団駄じだんだを踏み出したので、歩み寄って「まぁまぁ」となだめていると、一際ひときわ強い風がざぁっと吹き抜けた。僕らの髪や服のすそを激しく揺らしていくと、満足したようにいだ。

 僕らは互いをまっすぐ見つめる。そしてどちらからともなく、空を見た。今この風景を、二人で見ている。


「アンタならきっと、ここまで来れるって信じてた」


 ポン子はそう言うと、はにかんだような笑顔を浮かべた。夕焼けにほんのり染まったポン子は妙に雰囲気があって、不覚にもドキッとさせられた。

 静寂せいじゃくの中、再びドォン、ドォンと足音が聞こえてきた。同時に緊張が走る。夕日を受けてもなお焼け尽きたような真っ赤な姿が、ゆっくりと僕らに近づいてくる。生々しいうろこおおわれた体、人間の顔ほどもあるするどい爪、こんなに見上げるほどの巨大な生き物が存在するのかと、常識も疑問も吹っ飛んでしまいそうな威圧感。なるほど、さすが強そうだ。僕は不思議と冷静に観察していた。


「ノラジョン……」


 見守るように距離を空けたポン子が、心配そうな顔で呟く。


「大丈夫」


 なぜなら僕は、この赤い竜とのやり過ごし方・・・・・・を知っているから。

 僕はすうっと息を吸い込んで、顔を上げた。







「遅くなってごめんね、お母さん。一緒に帰ろう」







 次の瞬間、爆発したかのような強烈な光にさらされ、身体がめくりあげられる。暗闇の中を猛スピードで、ずっと向こうにある丸い光に落ちていくように進んでいる。光をくぐると、いい匂いの不思議な空間に出た。道が見える。山も川も、コンクリートもない。そしてあのメロディが、引き寄せていく。やわらかな物語の行方を、ぼんやりと追いかけている。







 ひみつきち~

 てきはごねんろくねんせい~

 ラスボスは~







「おかあ……」


 自分の声で目が覚める。カーテンの隙間から均一きんいつな光がし込んでいる。空っぽだった頭の中をありったけ動かすが、現在の自分と結び付けるまで少し時間がかかった。それからスイッチが入ったように起き上がり、自分の部屋だと認識する。

 カーテンを左右に寄せると、たちまち白い光が部屋中に流れ込んだ。目頭めがしらがちくちくと痛い。朝だ。洗い立ての広い空を、ちっぽけな飛行機が横切っていった。僕は僕の意思とは無関係に、誰にも見ることのできないその内側を見ていた。あれは旅客機なのか軍用機なのか。どんな人たちが乗っていて、どこへ行こうというのか。


「忘れていた何かを見つけちゃいました俺、って感じ?」


 もう振り向かずとも、誰がそこに立っているかはわかる。


「ポン……って、えぇ!?」


 振り向きざま、驚いて腰を抜かしそうになる。全身の余分な肉という肉がすっかりなくなり、すらりとした華奢きゃしゃな身体つき。丸みをびていた顔も、骨格に沿ってぎ落とされたように小さくなり、目鼻立ちのくっきりした華やかな顔。まるで別人のようだった。


「や、痩せすぎた?」

「アンタ……女子に会う度に痩せたって聞くの、ほんっとやめた方がいいわよ」


 眉間みけんしわを寄せて、不愉快そうに怒気どきを含んだ声で返す。間違いなくポン子だ。


「とはいえ、試練達成よ。おめでと」


 ポン子はパンパンと軽く拍手を送り、「あぁ軽い」とボールのように何度も飛び跳ねた。


「アタシの身体もスッキリしたし、アンタの心も、ちょっとはスッキリしたんじゃない」

「まぁ、何て言うか」

「学校。行きたくなった?」


 食い気味に聞かれ、動揺した。


「アタシが言いたいのはさ、もっと心に余裕を持ちなさいってコト。アンタ、あんなに空眺めてたの久しぶりでしょ?」


 何となく見透かされているような気がして落ち着かないが、無表情をよそおさとられまいとした。


「別にずっとこのままだっていいんだけどさ。そうやって卑屈ひくつになって閉じこもって、自分にあきらめて、つまらない人間だって思ってるのが一番楽だから」


 頭の中で閉じ込めていた場所に向かって、記憶が巻き戻されていく。そしてほんの小さな出来事が、断片だんぺん的に再生されていった。

 高校に入学してから、声をかけてくれた何人かのクラスメイトたち。何を話したらいいのかわからなくて、つまらないと思われるのが怖くて、冷たく突っぱねてしまっていたこと。本当は優しくしたかった。暗くてどうしようもない奴だと思われるのは嫌だった。

 とうとうポン子を直視ちょくしできなくなった僕は、視線をどんどん下へと向かわせた。


「子供の頃ってさ、まっさらよね。見つけたばっかりの秘密基地みたいに。それで大きくなるにつれて、基地の周りに石を積み上げてくの。どんどん、どんどん。身体は大きくなってるのに、心は石で埋まっちゃうの。でも、その石と石の隙間から顔を出せる場所を、蹴っ飛ばしてくれる人を、くずせる方法を、これからのアンタがきっと持ってる」


 一瞬の沈黙が流れたあと、ただちに空気をたっぷりと吸い込む音が聞こえた。


「さぁノラジョン! 今日の朝日は特別よ。アンタが生まれ変わって、初めて見た朝日!」


 僕は何を思い、何を言えばいいのか分からなかった。だけどその言葉に、まだどうにも思い出し慣れない子供の頃の記憶が、慣れない感情がすっと胸をりていくような気がした。


「ま、あんまり心配しなくても平気よ。アンタって、意外とオトコノコだしね」


 黙って聞いていたが、ふと、その言葉の意味を疑問に思う。


「ちょっと前までは、あーんなイケナイ・・・・夢見ちゃってさ」


 一体何のことだかわからず、落としていた視線が床の上をあてもなくさ迷う。


「……小池さんだっけ?」


 その固有名詞に反応し、熱湯に顔面から突っ込んだように熱くなった。


「ばっ、あれは違っ……」


 即座に顔を上げたが、そこにポン子の姿はなかった。










 居間へと繋がる階段を、トントンとリズムよく駆けりていく。今までは気にもめていなかった、足を乗せるたびにギィギィときしむ音。夢の中であんなに動き回ったはずなのに、不思議なほど疲れが残っていない。子供の頃はぐずったりもしたのに。肉体が勝てていなかっただけなのかもしれない。今なら勇者にも大魔王にも、何にだってなれる気さえする。


「心に余裕、か」


 経験地も十分積んだ。レベルも申し分ない。これから僕は、居間の向こうに待ち構えているラスボスに、こうから交渉しにいくのだ。




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