第3話 転
目を覚ますと、辺りは穏やかなエンジン音に満たされていた。
「えっ?えっ?」
身体を起こそうとするが、身動きが取れない。肩から足にかけて
「はは。今なら学校、行ける気がする」
意外な適応能力の高さに、自らを
「おい坊主。これからドラゴンとおっ始めるってのに、随分と余裕じゃねぇか」
隣の
「おっぱ……な、何をですか?」
「はははっ、おいおい冗談だろ」
男は豪快に笑うと、「なぁに寝ぼけたこと言ってんだ」と、僕の頭をガシガシと雑に撫でた。
「頼りにしてるぜ、相棒」
言い終わる瞬間に僕の肩を力強く叩くと、男は一転して真面目な表情に変わり、素早い手つきで機器のあれこれに触れ始めた。
それ以上聞かなくても、どうやっておっ始めるのかは
「目標の現在位置を教えてくれ」
男は通信機器のようなものに話しかけている。
『ハナグルマ山より北西、推定十マイルです』
「了解、そのまま警戒しとけよ」
すると今度は別の声が機器から聞こえ、男は慣れた様子で命じた。
目標というのは、先ほどの
「うぅ、酔った……」
壁にもたれかかり、機体が微動する度に
「ポン子、大丈夫?」
「ちょっ、ポン子って誰よ!!」
首を後ろに向け声をかけた瞬間、鉄拳制裁が飛んできた。そろそろ頭が変形するんじゃないかとさすりながら、数秒前の気遣いを無駄に思う。
「い、いいじゃないか呼びづらいんだから。それよりこれ、どういうこと?」
「どうって、どう考えてもさっきのドラゴンを倒しにいくんでしょうね。まぁ頑張んなさいよ」
ポン子は、まるで他人事のように淡々とした口調だ。
「そんなことは分かってるよ! そうじゃなくて、どうして僕が倒しに行くことになってるの!?」
「あぁもう、いちいちうっさいわねぇ。男なら腹くくりなさいよ」
「質問の答えになってないよそれぇ」
僕の責め立てるような口ぶりが怒りを
「元はと言えば、アンタが現実逃避ばっかりしてたせいでこんなことになってるのよ。ま、これも試練のうちのひとつってことね」
「そりゃあ僕のせいで、その……太っちゃったのかもしれないけど」
「おいこら、誰がデブよ!」
声を荒立てるポン子を差しおいて、僕は考えを
「大体、ポン子のダイエットとどう関係があるっていうんだ」
ここで言いくるめられてなるものかと、僕は一歩も引かず強気な態度を示した。
「ところが関係あるのよ、これが」
ポン子は立ち上がると、身体を動かせない僕が見える範囲に収まるように移動し、勝ち誇ったように「ふふん」と鼻を鳴らした。その姿に驚き、思わず声を上げそうになった。むっちりと重たげだった腰回りやふくらはぎは、心なしか細くなっているように見えた。
「う、嘘でしょ。だってさっきまであんな……」
そこまで言いかけて、慌てて口をつぐんだ。しかしポン子の耳には届いていないようで、自身の手足を
「誰が小デブよ!」
身体が固定されていなければ吹っ飛んでいたであろう、強烈な左フックを
「これで分かったでしょ?アンタが試練を乗り越えて行けば、アタシは――」
「……痩せる」
「そういうこと」
自分の目で確かめた身としては、誘導に乗らざるを得なかった。
「お、おい、坊主。大丈夫か?」
不意に男が遠慮がちに声をかけてきて、僕はハッとした。隣に人がいることなんてすっかり忘れていた。
「さっきから一人でぶつぶつ言ったり、いきなり声上げたりよ……」
その言葉の意味を理解した瞬間、二人を交互に素早く見てしまう。僕の向かいにはポン子の姿が確かにあるが、それは僕にしか見えていないのだ。男は心配しているような、戸惑っているような、複雑な表情を浮かべ僕を見ていた。
「ぼ、僕、見えないものが見える体質で。戦う前に、守護霊に守ってもらおうとお願いしていたんです!」
「そうならそうと早く言えよ。頭がおかしくなっちまったのかと思ったぜ」
「ちょっと! 勝手に殺さないでよ!」
「それで坊主、その守護霊ってのは美人さんかい?」
ほぼ同時に左右からそれぞれ話しかけられ、ひとまず男との会話を優先しようと顔を向けた。
「うーん。もう少し痩せたら、おそらくそうかもしれないです」
「なに、そいつはいけねぇ。食ったら動く、これで大抵の肥満はどうにかなるもんだぜ」
「あーやだやだ。ジジィってみーんな同じこと言うんだから」
気に食わなかったのか、ポン子は僕の背中をポカポカと殴ってくる。互いの姿が見えないのにダメ出しをし合う二人、挟まれて聞いている僕。なんとも奇妙な光景だが、どこか懐かしさを感じる不思議な感覚だった。
「ねぇ、ポン子」
どうしても
「この世界はさ、もしかして僕の――」
『目標、こちらに接近中です!』
言いかけると、慌ただしい音声通信が割って入ってくる。機内は一気に緊張感に包まれ、ついさっきまでの
「おっと、忘れるとこだった。しっかり付けとけよ」
手元に放り投げられたヘルメットを
「よぉし、迎え撃ってやろうじゃねぇか」
男がスロットルレバーのようなものを握り締めたので、慌ててマスクを装着する。これまで穏やかだったエンジン音が徐々に荒々しく
「よく聞け坊主、このベルトはなぁ」
突然何かに
「選ばれた人間だけが縛られる
「何ちょっとカッコいいこと言ってるんですかぁぁ」
機体は
「全機、このまま散開して挟み撃ちだ。近づきすぎるなよ!」
大きく機体を
そんな中、僕の意識はだんだんと白いもやがかったものに巻き込まれていった。ひどく気分が悪い。本当は今も夢の中にいるんじゃないか。ポン子は無事だろうか。
『……繰り……直撃……し……せん!』
「どうした!?」
『こちら……損傷……退……』
異変を知らせる声が、途切れ途切れに飛び交う。
『高度……維持できま……』
その通信を最後に、砂嵐のような雑音がただ聞こえてくるだけだった。
「おい! 誰でもいい、応答しろ!」
男は「くそったれ」と
熱風の中から、喉の奥まで見えるほど口を開けた
「あんなの……勝てるわけ……」
「ちきしょう!」
男は避けるように機体を大きく動かしたが、何かが衝突したような凄まじい衝撃に襲われた。操縦席の
「いやだ……死にたくない。お願い……」
そんな祈りも
耳鳴りにまぎれ薄れていた僕の意識は、そこでぷつりと消えた。
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