第3話 転

 目を覚ますと、辺りは穏やかなエンジン音に満たされていた。


「えっ?えっ?」


 身体を起こそうとするが、身動きが取れない。肩から足にかけて頑丈がんじょうなベルトでロックされている。フロントガラス越しの景色が、ゆるやかに後ろへと流れていた。どうやら、僕はまた空の上にいるらしい。ここまでくると、もう何が起きてもさほど驚きそうにない。


「はは。今なら学校、行ける気がする」


 意外な適応能力の高さに、自らをあざけるように薄笑いを浮かべた。


「おい坊主。これからドラゴンとおっ始めるってのに、随分と余裕じゃねぇか」


 隣の操縦そうじゅう席に座っていた、いかにも軍人といった風貌ふうぼうの中年男性に声をかけられる。


「おっぱ……な、何をですか?」

「はははっ、おいおい冗談だろ」


 男は豪快に笑うと、「なぁに寝ぼけたこと言ってんだ」と、僕の頭をガシガシと雑に撫でた。


「頼りにしてるぜ、相棒」


 言い終わる瞬間に僕の肩を力強く叩くと、男は一転して真面目な表情に変わり、素早い手つきで機器のあれこれに触れ始めた。

 それ以上聞かなくても、どうやっておっ始めるのかは容易よういに想像できた。もう何が起きても、とは言ったが、前言撤回ぜんげんてっかい。現実では起こり得ない状況の連続に、僕は深いため息をついて身悶みもだえた。


「目標の現在位置を教えてくれ」


 男は通信機器のようなものに話しかけている。


『ハナグルマ山より北西、推定十マイルです』

「了解、そのまま警戒しとけよ」


 すると今度は別の声が機器から聞こえ、男は慣れた様子で命じた。

 目標というのは、先ほどの赤い竜ジャコウドラゴンのことだろうか。十マイルって何キロあるんだっけ。そんなことを取りめもなく考えていると、ふとフロントガラスのはしに、見覚えのある姿がかすかに映り込んでいる。座り込んで項垂うなだれているが、ポンピング・メイデンだ。


「うぅ、酔った……」


 壁にもたれかかり、機体が微動する度にうめき声を漏らしている。


「ポン子、大丈夫?」

「ちょっ、ポン子って誰よ!!」


 首を後ろに向け声をかけた瞬間、鉄拳制裁が飛んできた。そろそろ頭が変形するんじゃないかとさすりながら、数秒前の気遣いを無駄に思う。


「い、いいじゃないか呼びづらいんだから。それよりこれ、どういうこと?」

「どうって、どう考えてもさっきのドラゴンを倒しにいくんでしょうね。まぁ頑張んなさいよ」


 ポン子は、まるで他人事のように淡々とした口調だ。


「そんなことは分かってるよ! そうじゃなくて、どうして僕が倒しに行くことになってるの!?」

「あぁもう、いちいちうっさいわねぇ。男なら腹くくりなさいよ」

「質問の答えになってないよそれぇ」


 僕の責め立てるような口ぶりが怒りをあおったのか、ポン子は一転してふてぶてしい態度でふんぞり返っている。


「元はと言えば、アンタが現実逃避ばっかりしてたせいでこんなことになってるのよ。ま、これも試練のうちのひとつってことね」

「そりゃあ僕のせいで、その……太っちゃったのかもしれないけど」

「おいこら、誰がデブよ!」


 声を荒立てるポン子を差しおいて、僕は考えをめぐらせていた。先ほどの脱出劇や、これから赤い竜ジャコウドラゴンと戦うことが「数々の試練」で「荒療治あらりょうじ」だというのは、自分の中でもなんとなく繋がっていた。しかし、どうしてもに落ちないことがある。


「大体、ポン子のダイエットとどう関係があるっていうんだ」


 ここで言いくるめられてなるものかと、僕は一歩も引かず強気な態度を示した。


「ところが関係あるのよ、これが」


 ポン子は立ち上がると、身体を動かせない僕が見える範囲に収まるように移動し、勝ち誇ったように「ふふん」と鼻を鳴らした。その姿に驚き、思わず声を上げそうになった。むっちりと重たげだった腰回りやふくらはぎは、心なしか細くなっているように見えた。いちじるしく変化していたのは、丸々とふくらみきっていた顔だ。輪郭りんかくは一回り小さくなり、顔のパーツがくっきりしている。なかば埋まっていた首はあらわになっていた。


「う、嘘でしょ。だってさっきまであんな……」


 そこまで言いかけて、慌てて口をつぐんだ。しかしポン子の耳には届いていないようで、自身の手足を恍惚こうこつと眺めっていた。少し走ったくらいで、人はこんなに痩せるものなのか。いや、人ではないのかもしれないけど。待てよ、太りすぎの人は一気に痩せるって聞いたことが――


「誰が小デブよ!」


 身体が固定されていなければ吹っ飛んでいたであろう、強烈な左フックをあごにぶち込まれた。さすが神様、心の中も読めるとは。


「これで分かったでしょ?アンタが試練を乗り越えて行けば、アタシは――」

「……痩せる」

「そういうこと」


 自分の目で確かめた身としては、誘導に乗らざるを得なかった。


「お、おい、坊主。大丈夫か?」


 不意に男が遠慮がちに声をかけてきて、僕はハッとした。隣に人がいることなんてすっかり忘れていた。


「さっきから一人でぶつぶつ言ったり、いきなり声上げたりよ……」


 その言葉の意味を理解した瞬間、二人を交互に素早く見てしまう。僕の向かいにはポン子の姿が確かにあるが、それは僕にしか見えていないのだ。男は心配しているような、戸惑っているような、複雑な表情を浮かべ僕を見ていた。


「ぼ、僕、見えないものが見える体質で。戦う前に、守護霊に守ってもらおうとお願いしていたんです!」

「そうならそうと早く言えよ。頭がおかしくなっちまったのかと思ったぜ」


 咄嗟とっさに口にした言い訳は我ながら酷いものだったが、男は意外にも納得した様子だった。もしかしたら戦場に行く前というのは、正気でいられる方が不思議なのかもしれない。


「ちょっと! 勝手に殺さないでよ!」

「それで坊主、その守護霊ってのは美人さんかい?」


 ほぼ同時に左右からそれぞれ話しかけられ、ひとまず男との会話を優先しようと顔を向けた。


「うーん。もう少し痩せたら、おそらくそうかもしれないです」

「なに、そいつはいけねぇ。食ったら動く、これで大抵の肥満はどうにかなるもんだぜ」

「あーやだやだ。ジジィってみーんな同じこと言うんだから」


 気に食わなかったのか、ポン子は僕の背中をポカポカと殴ってくる。互いの姿が見えないのにダメ出しをし合う二人、挟まれて聞いている僕。なんとも奇妙な光景だが、どこか懐かしさを感じる不思議な感覚だった。


「ねぇ、ポン子」


 どうしてもに落ちなかったこと、それは。


「この世界はさ、もしかして僕の――」

『目標、こちらに接近中です!』


 言いかけると、慌ただしい音声通信が割って入ってくる。機内は一気に緊張感に包まれ、ついさっきまでのなごやかな空気は嘘のように消えた。男は待ってましたとばかりにヘルメットを乱暴にかぶると、続けてマスクのようなもので口元をすっぽりとおおった。


「おっと、忘れるとこだった。しっかり付けとけよ」


 手元に放り投げられたヘルメットをかぶる。もうひとつのこれは、酸素マスクだろうか。ひどく嫌な予感が背筋を流れた。


「よぉし、迎え撃ってやろうじゃねぇか」


 男がスロットルレバーのようなものを握り締めたので、慌ててマスクを装着する。これまで穏やかだったエンジン音が徐々に荒々しくうなり、機体の振動が背中に伝わってくる。


「よく聞け坊主、このベルトはなぁ」


 突然何かにはじかれたかのように急激に加速し、背中が勢い良く座席に押し当てられた。


「選ばれた人間だけが縛られるくさりなんだぜ!」

「何ちょっとカッコいいこと言ってるんですかぁぁ」


 機体は垂直すいちょくに近い角度で上昇していき、シートベルトをしていなければとっくにひっくり返っていただろう。一瞬で呼吸の仕方を忘れてしまうような感覚は、小さい頃に乗ったジェットコースターを思い起こさせた。やっとの思いで目を開けると、はるか前方に赤い竜ジャコウドラゴンの姿をとらえた。


「全機、このまま散開して挟み撃ちだ。近づきすぎるなよ!」


 大きく機体をかたむけながら、乱暴に旋回せんかいしていく。雲を抜けると、赤い竜ジャコウドラゴンの背後にまで迫っていた。男は照準器越しに赤い竜ジャコウドラゴンの背を睨み、何かのスイッチに指を掛けている。

 そんな中、僕の意識はだんだんと白いもやがかったものに巻き込まれていった。ひどく気分が悪い。本当は今も夢の中にいるんじゃないか。ポン子は無事だろうか。


『……繰り……直撃……し……せん!』

「どうした!?」

『こちら……損傷……退……』


 異変を知らせる声が、途切れ途切れに飛び交う。


『高度……維持できま……』


 その通信を最後に、砂嵐のような雑音がただ聞こえてくるだけだった。


「おい! 誰でもいい、応答しろ!」


 男は「くそったれ」と悪態あくたいをつき、機器を叩きつけた。次の瞬間、衝撃音と共に辺り一面に火柱が立ち上がる光景に、僕は容赦なく現実に引き戻された。風にあおられ燃え盛る炎は、まるで生き物のように地をっていく。

 熱風の中から、喉の奥まで見えるほど口を開けた赤い竜ジャコウドラゴンが姿を見せた。周囲の空気を目一杯吸い込み、喉元に炎の塊が生成されていく。


「あんなの……勝てるわけ……」

「ちきしょう!」


 男は避けるように機体を大きく動かしたが、何かが衝突したような凄まじい衝撃に襲われた。操縦席の椅子いすを通してなお、身体が叩きつけられたように痛んだ。目の前のフロントガラスをおおうような黒雲が現れ、ここでようやく事態を把握した。身体が椅子いすから張り付いたように動かない。


「いやだ……死にたくない。お願い……」


 そんな祈りもむなしく、機体は減速し高度が下がり始めているようだ。ゆっくりと五感の機能が停止していく自分を、もう一人の自分が冷静にながめているような、不思議な感覚だった。

 耳鳴りにまぎれ薄れていた僕の意識は、そこでぷつりと消えた。



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