第2話 承

「あいたっ」


 ひらけた視界の先で、ゴチンとにぶい音を立て頭を強打した。


「いてて、少しコブになってる」


 ぶつけた箇所かしょをしきりにさすりながら、のろのろと立ち上がる。自分が落ちてきたであろう頭上を見上げると、巨大なシャンデリアが目に飛び込んできた。ドーム状の天井から吊り下げられていて、まばゆいばかりの輝きを放っている。その周囲には精巧せいこうな細工がほどこされた美しい柱が並んでいた。細部までぜいを尽くしたようなその空間に、思わずうっとりとため息を漏らしてしまう。


「ここ……どこ……?」


 辺りを見渡す。床一面には色の絨毯じゅうたんき詰められていて、その上をいかにも紳士淑女しんししゅくじょといった優雅な人々が軽やかに歩いていた。まるでどこかの城の大広間みたいだ。

 しかしそれとは対極的に、かすかに窓を叩く風の音や、エンジンのような音が響き渡っているのが気になる。


「僕、まだ寝てるのかなぁ」


 頬を軽くつまんで感覚がある事を確認すると、次は力いっぱいつねってみる。


「うぅ、痛いだけだった」

「言っておくけど夢じゃないわよ、ノラジョン」


 先ほど僕の部屋に現れたぽっちゃり少女が、腕を組みながら柱にもたれかかっていた。


「あの僕、ジョンじゃなくて純です、えっと……」

「ポンピング・メイデンよ。一回で覚えなさいよ、全く」


 ふん、と不機嫌そうに鼻を鳴らされてしまう。

 しかしこの少女、明るい場所で見ると随分と印象が変わる。桔梗ききょうのような青みを帯びた紫色の長い髪、上向きにった睫毛まつげふち取られた大きな瞳。もう少し痩せたら可愛いかもしれない。そんな事を思いながら観察していると「誰がデブよ!」と、鉄拳制裁が容赦なく飛んできた。


「いい?ノラジョン」

「あの、ジョンじゃなくて純……」

「んもう、どっちだっていいわよ。男なら細かいことは気にしないの」


 ポンピング・メイデンは面倒くさそうな口ぶりで言い捨てると、もたれていた柱から身を起こし近づいてきた。


「ここはアンタのいた世界とは別次元の世界よ」

「べつ、じげん」

「アンタの世界で言う、そうね、アニメやゲームに出てくる異世界って言えば分かりやすいかしら」


 そのまま僕を小さな円で囲うように、おもむろにぐるぐると歩いている。

 言われれば妙に納得がいく。ほんの少し前まで自室だった場所が、まるで別の空間に丸ごと入れ替わったようだった。


「アンタはこの世界で、数々の試練に立ち向かっていくのよ!」


 振り向きざまに大きく腕を上げると、人差し指をぴしっと伸ばして僕を差し、「決まった……」と得意気な表情を見せた。ツッコミどころは満載だが、あえて何も言わないでおこう。


「で、具体的に僕はこれからどうすればいいの?」


 そう聞くと、ポンピング・メイデンは少しばかり考え込むように首をかしげる。


「厳密には何が起こるか……」


 ちらりと横目で僕を見て、「アタシにもいまいち分からないのよね」と両腕を八の字に広げ肩をすくめた。


「分からないって……だって荒療治あらりょうじって言って連れて来たのきみだよ!?」

「あぁもう、うるさい。アニメやゲームみたいに、目的が決まってると思ったら大間違いよ!」

「その例えを出したのはきみじゃないかぁ」


 僕の抗議の声をわずらわしそうに突っぱね、耳をふさぎ出す始末だ。しまいには露骨にぷいっと顔をそむけ、ドスンドスンと効果音を奏でながら歩き去ってしまった。


「ちょ、ちょっと置いて行かないでよ」


 それにしても、明らかに場違いなこの格好が今は恥ずかしい。気休め程度だが、シャツのすそのずり上がりを直した。


「ごきげんよう」


 突然後ろから、馴染なじみのない言葉で声をかけられた。振り返るとそこには、紺碧こんぺきのドレスに身を包んだ女性がにこやかに立っている。い上げられている黄金こがね色の髪に彫刻のような顔立ちは、アニメやゲームに登場しても不思議ではない。美しい外国人を目の前に、さすがに動揺を隠せず口ごもってしまう。いや、日本語を話していたような。


「どちらまで行かれるのかしら?」

「あ、あなたこそどちらまで?」


 不覚。いくら緊張しているとはいえ、質問を質問で返すなんて。普段女子と接する機会がないことが裏目に出てしまった。


「うふふ、そうねぇ。沈む夕日に染まるヴェルヴェーヌ海を見に行くのもいいし、ミオソチス園で森林浴をしながらお散歩も素敵ね」


 女性は特に気分を害した様子もなく、楽しげに続けている。なんとなく相槌あいづちは打っているものの、聞いたことのない地名に僕は困惑していた。

 ふと気づくと感じる視線。奥に見える柱の陰から、ポンピング・メイデンが見事な仏頂面ぶっちょうづらを覗かせている。そこに込められた意図は分からなかったが。


「ごらんなさい、素晴らしい眺めよ」


 女性はそう言うと、壁面へきめんに組み込まれた円形の窓を指し示した。言われるままに外を覗くと、見たことのない光景に息を呑んだ。空には二つの太陽が寄りうように浮かび、草原と森が点在する大平野がどこまでも広がっている。流れていく景色と微かなエンジン音で、僕は今空の上にいるのだと気づいた。


「あの鳥、大きいなぁ」


 遠方上空を旋回せんかいしているのは、大きな翼をはためかせた鳥のような生き物たちだ。すると中でも一際大きな赤い鳥が、こちらに向かって飛んできたのだ。距離が近づくにつれ徐々に現れ出る姿は、とても鳥とは思えない爬虫はちゅう類状の大型生物だった。


「まぁ大変、赤い竜ジャコウドラゴンだわ」

「ドラ……うそでしょ」


 自分が異世界にいるという事実に、どんどん現実味が増す。

 赤い竜ジャコウドラゴンは目と鼻の先に見える遺跡のような建造物を、長い尾で勢いよく叩きつけた。瞬間、広間全体が大きく振動する。突然の揺れによろめき後ずさりをした。窓の外は砂煙に包まれよく見えないが、おそらく飛び散った建物の破片はへんが命中したのだろう。あちこちに駆け出す人や逃げ惑う人で、広間は騒然そうぜんとしている。気がつくと先ほどの女性はいなくなっていた。


「ノラジョン、こっち!」


 ポンピング・メイデンの目配めくばせに従い、よろけそうになる身体をどうにかこらえながら後に続いた。名前を訂正したかったが、今はそれどころではない。すぐに非常口を示す矢印が見え、僕らは通路を駆け抜けた。さっきはこんな通路あっただろうかと疑問を感じながら、突き当たりまで走って行く。というより、ここは――見たことがあるような。


「んんん、やっぱり圧力でロックされちゃってるわね」


 どことない既視きし感を覚えたまま非常口に辿り着くと、ポンピング・メイデンは扉のハンドルを確かめるように引いている。


「こうなったら、実力行使あるのみだわ」


 足を扉に乗せて体重をかけると、両手で思いっきり手前に引っ張っている。何か手伝えることはないかと戸惑っていると、僕の方へ顔を向けニヤリと笑った。


「ね、ね。さっきの女の人、キレイだったね?」

「こ、こんな時に何言ってるんだよ」

「なーによ、デレデレしてたくせに。こーんな顔で」


 そう言うと目尻を下げ、鼻の下を伸ばして見せた。僕の顔真似をするくらいの余裕はあるみたいだ。


「アタシ心は広い方だけど、浮気は許さないわよ」

「だからこの非常時に……うわぁぁぁ!」


 扉が無理矢理こじ開けられた瞬間、身体が勢いよく宙に投げ出された。風圧で揉みくちゃにされながら落下していき、僕の意識は遠退とおのいていった。



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