ランチタイム

淺羽一

〈掌編小説〉ランチタイム

 男と別れる感覚は、夢から覚める感覚に似ている。素敵なものがあれば、悪夢もあるし、途中で起こされて思わず不機嫌になってしまうものもあれば、どんな内容だったのかあっさり忘れてるものだってある。そして何より、どれだけ仲良くベッドに入っても、やがて必ず訪れるその瞬間は結局の所、一人きりだ。

 今度の夢はつまらない内容だった。どれくらいつまらないかと言ったら、昨夜の別れから一夜明け、起きた時はまだ何となく思い出していた気もするんだけれど、洗面所で歯を磨いて髪をブローしている間に頭がすっきりして、トーストの匂いを嗅いだ頃にはまるで気にならなくなってしまうくらい。携帯電話に保存されている電話番号やメールなどは指に付いたパンくずを払うついでに消してしまった。そう言えば、電話番号なんて携帯に頼りきりで最初から覚えていなかった。

 せっかくの日曜日。大学は休みで、バイトも休み。だからこそ午前中から家を出た。

 服装は春らしく淡いながらも華やかな色合いをベースに、嫌味にならない程度に短めのスカートを穿いて、足下は軽く迷った末にショートブーツ。天気が良かったから、ヒールの高さはいつもよりちょっと欲張ってみた。

 環状線から地下鉄を乗り継いで、駅から駅まで二十分。とりあえずお昼までしばらく時間があったから、駅ビルのコーヒーショップに寄ってから近場のデパートでもぶらついてみようと決めた。注文したのはカフェ‐マキアート。エスプレッソにスプーン一杯のスチームドミルク、バニラシロップは少量で、キャラメルシロップはちょっと多めで。持ち運びながらもミルクの色が覗けるようにと、紙コップに被せられた無色透明な蓋が良い感じだ。

 街はそれなりに賑わっていて、だけどあんまりカップルはいなくて、デパートの中なんてほとんど女の子ばかりだった。色鮮やかな紙袋を沢山提げた彼女たちとすれ違うたびに、あぁ、あの子たちも今日はフリーなんだなぁ、なんて勝手な親近感を抱く。だって男と会っている時やデートの前に、大量の荷物を抱えて歩き回ったりなんてしないから。

 特に買いたい物があるわけじゃなくて、花と花をふらふらと渡る蝶みたいに、気分次第であっちの店やこっちの店へ。たまに気になるサンダルやカバンもあったものの、値札を見たらもう一月くらい待ってみた方が良さそうだった。

 そろそろお昼という頃になり、デパートを出てから大通り沿いを駅とは反対方向へ。五十メートル先にあるオープンカフェ形式のピッツェリアは、蜂蜜をかけて食べるチーズピザと真っ白いレアチーズケーキが最高だった。やっぱり席は女の子同士のグループを除けば男女それぞれ独り身の客ばかりで埋まっていて、何とか待たずに入れたものの、もしもそれがみんなカップルになったらもっと楽に座れるのに、なんてこっそり男性客の品定めをしながらそう思った。同い年くらいの女性店員が持ってきたメニューを見れば、今日のランチセットはピザが三種にドルチェが四種からだった。

 勿論、注文は例の二品に、ドリンクはエスプレッソを食後で。数分後、やがて先に運ばれてきたサラダのレタスにフォークの先を突き刺しつつ、頼んだピザが焼けるまで、先ほどデパートの本屋で買っていた雑誌をカバンから取り出して待つことにした。今号の特集は〈最新この夏のモテ服特集!〉。

 日なたの高原にいる草食動物さながらにのんびり葉っぱをつまみながら、パラパラとページをめくる。そこには、スカートやワンピースなど可愛らしいシルエットに上手く爽やかな露出を加えた感じの服やスタイルが紹介されていて、なるほどそれは確かにモテるんじゃないかなと思える雰囲気のものが多かった。あくまでも、雰囲気だけだけれど。

 正直に言って、最近はあまり恋愛をしたいと感じることが少なくなっていた。今回の別れだって、元々はそれが原因なのだ。彼氏といることに胸をときめかせるよりも、むしろつまらないなと感じてしまいがちだから、喧嘩をしても謝るどころか仲直りさえ面倒になってしまう。

 だけど、だからって全部が全部こちらの責任だとは考えて欲しくない。それどころか、言わせてもらえば男の方が悪いのだ。本当に、優しさと優柔不断を履き違えている男が多すぎる。男らしさと乱暴を混同している馬鹿に比べればまだマシだけれど、付き合うとなったらどっちも似たり寄ったりだ。と言うか、マイナスにしてもプラスにしても、絶対値にしたら同じ感じ。しかも最終的に乗算される印象はマイナスなのだから、だとすれば結果はやっぱり悪いのだ。

 そもそも恋愛は、選択権が男にあって、決定権が女にある、と思っている。そしてまた、政略結婚とかそんな特殊な事情が無い限り、それが恋愛の基本スタイルであるべきだとも。

 要するに、男から告白して来い、と言うことだ。その代わり、女は魅力的になれるように頑張るから。

 それなのに、最近はまるで選択権も決定権もどちらも女にある場合が多い気がする。いや、女に押しつけられている場合が、だ。そのせいで、二人で付き合っているはずなのに、何故だか無性に一人よりも寂しくなる、或いは虚しくなる時がある。

 優しくされるのは嬉しいし、大事にして貰えるのはありがたい。意見を聞いてくれると話しやすいし、謝るよりは謝られる方が気分も良い。趣味だって合わせてくれると気楽だし、好みはやっぱり似てなかったら邪魔くさい。

 でも、それがあんまりにも極端だから、いっそ退屈を通り越して馬鹿にされている気分になってくるのだ。だって、単に仲が良くて話が合うだけであれば、男なんかより女友達の方が遙かに良い。ただただちやほやされたいだけなら、ろくに意見も言えない男より接客に慣れたホストの方が何倍も楽しい。大体、付き合いたての頃ならまだしも、たまのデートで当然のごとく割り勘って言うのが舐めている。あんまりお金が無いんだって、最初から開き直られるのは貢ぎ癖を持ってない限り引くけれど、それでもせめて安いなりの工夫を考えてくれればこっちだって素直に喜べるのに。周りなんか気にせず自分達のペースを守ろうなんてそれっぽい言い訳で逃げ道を作って、実際は中途半端に時間を潰した挙げ句、これが俺達なりの楽しみ方なんだから、って。女の生活費が男のそれに比べてどれだけ掛かるのか、全部計算して見せてやろうかと腹が立つ。その上、化粧なんかしなくても可愛いんだから自然で良いじゃんって、またその言葉がさらにさらに。中にはそれを褒め言葉や気遣いと感じる人もいるだろうけれど、少なくともこちらにはせっかくの努力を無視されている風にしか聞こえない。とは言え、強気すぎるのも考え物で、化粧やオシャレは男の為に、引いては俺の為にしてるんだろ、って自惚れを平気で口にする男は死ねばいい。

 あぁ~あ、どっかにいい男はいないのかしらん、と文字を飛ばしてカラフルな写真を目で追いながら、声には出さずぼやいてみる。サラダの皿はとっくに空で、気の利く女性店員のおかげでグラスの水は満たされているものの、店ご自慢の石釜で焼かれたピザはまだ来ない。以前に訪れた時もそうだった。お昼時で混んでいるのだ。

 と、そこで思わず雑誌のページをめくる手を止めた。見れば、何とこの店が紹介されていた。しかも煽り文句は〈新しい恋が見つかる店〉。

 どうやら記事に寄ると、この店をきっかけに付き合いだす男女が密かに増えているらしいのだ。

 果たして、それは一体どういうことなのか。さらなる詳細を知ろうと雑誌に顔を近付けたら、いきなり声を掛けられた。

「すいません。此処、良いですか」

 突然の出来事に驚いたのか、雑誌から顔を上げた女は間抜けな顔をしていた。

 選択ミスか、と焦ったのは一瞬だった。数秒後、何やら慌てた様子で雑誌をしまった女は、さらに数秒間の沈黙を挟んだ末に、おずおずと頷いてきた。どうも今ひとつ状況を理解しきっていない様子だったものの、せっかくのチャンスを見逃すはずもなく、自分の伝票とコーヒーカップを持ったままさっさと礼を言って女の向かいに腰を下ろした。店員の女がしばらく視線を向けてきていたが、こちらの着席を見届けると了解とばかりに会釈をしてきた。

 噂は本当だったな、と眼前の女を見つめながら内心でガッツポーズをした。ナンパ成功の秘訣は、外見よりも話術よりも、何よりもまず暇そうな女を見分けることにこそある。現に、普段はわりと警戒しがちな女でも、退屈を持て余している時は案外すんなりと話をさせてくれたりするのだ。会話の糸口さえ掴めれば必ずしも上手くいくわけではないけれど、それが無ければその先もまた有り得ない。その後の話の内容なんて大抵の場合、七割褒めて、二割聞いて、後の一割は相手に合わせておけば良い。所詮、これは出会いのきっかけに過ぎないのだから。

 とりあえず、実はさっきからずっと可愛いなって気になってて、なんて定番の台詞を並べつつ、頭の片隅では友人に教えられた話を思い出していた。曰く、この店に一人でいる客は暇をしている奴が多いから声を掛けやすい。

 最初に聞いた時はそんな都合のいい話があるかと疑ったものの、実際にそれで出会ったらしい彼女の写真を見せられてはその可能性を全否定することも出来なかった。ましてや、半信半疑で訪れた店には確かに暇そうな女や男が多かった。さすがにそこかしこでナンパを見られはしなかったが。

 いやはや、せっかくの休日にも関わらず、わざわざ平日と同じように朝からスーツを着て出てきた甲斐はあったと思った。日曜日なのにお仕事なんですか、と問われたら、朝一から仕事があってついさっき片付いた所なんです、と答えろ、と言うのは友人からのアドバイスだ。

 聞けば女はまだ大学生だという。女子大生、良い響きだ。およそ八年分の若さは、眺めているだけでこちらの気分を軽くしてくれる。

 君みたいに可愛かったら学校でも大人気でしょ、なんて適当な発言に返ってくるのは、そんな全然ですよ、と否定しつつも明るい声。それに、もしかして君の同級生の男の子って勉強は出来ても馬鹿なのかな、とか冗談口調で答えながら、腹の中では全くもってありがたい風潮だと考える。本当に、最近の男子諸君が大人しくなってくれているのは喜ばしい限りだ。おかげで、こうしてそこそこの空き物件があちらこちらに転がっている。一昔前なら、狭い部屋にさえ数人が群がって鮨詰め状態なんてことも多々あったのに。しかも、家賃がふざけて高かった。

 先月に結婚するかどうかでもめた恋人と別れて以来、仕事の疲れもあって寝てばかりの休日を過ごしていたが、ようやく調子が戻ってきたらしい。眼前の女の反応もあながち悪くなさそうだったし、このまま上手くいきさえすればまたしばらくは楽しく過ごせるかも知れない。

 とりあえず、食事が済んだらこのまま遊びに誘ってみよう。天気は良いし時間もある。プランだって幾らでも立てられそうだ。

 現金なもので、そうと決めたら、急にいい加減にピザはまだかという気になってきた。早くしてくれないとデートの時間が減るじゃないか。頭の中ではさっそくスケジュールが組み立てられつつある。

 良し、後二分しても来なければ、あくまでも紳士的に店員に対応してやろう。店内をさり気なく見回し、そんなことを決意してから、ざっと一分。ようやく、女と、そしてこちらが注文していたピザが運ばれてきた。

「大変お待たせ致しました。三種のチーズピザと、魚介のクリームソースピザです」

 木皿に載せたそれらをテーブルの真ん中に置くと、客の男と女は何の違和感も無さそうにそのままピザへ手を伸ばした。それを見て、あぁ、この二人は上手くいったなと確信した。失敗の場合、客同士は互いに自分の注文を手元に寄せるのだ。

 正直、初めは少なからず不安だったものの、作戦はなかなか上手くいっているみたいだった。やっぱり、発想の逆転が重要なのだ。ピザ作りにこだわる店長のせいで長すぎるとクレームが出ることもあった待ち時間を、逆に客同士の出会いのチャンスとして利用する。ただし、当然ながら普通に食事をしたいだけの客も多いから、あくまでも店側は関知していない客の間だけの噂話として。この前に取材に来てもらった知り合いの雑誌記者にも、そのことはちゃんと伝えていた。

 と、厨房の方から声が掛かって振り向けば、新しく焼き上がったピザがあった。今度はクリームソースピザと、マルゲリータが二枚。そこで注文票を確認してから、さっと店内を見渡して運ぶ先の選定に入る。基本的には注文を受けた順なのだが、もしもそれがさっきみたいに別の客と会話を始めていたりすれば、しかも例えばこの場合そのテーブルの注文にチーズピザがあったりしたら、密かに来店時からのグループ客や他の一人客を優先する。ランチタイムに限った話なのだけれど、なるべく、出会ったばかりの客の所には同じタイミングでピザを運ぶようにしているのだ。内緒のサービスだ。その代わり、だからこそお昼はランチセットの注文のみなのだけれど。

 と、そこでまたしても、別の席にいた男がさり気なく近くの女に声を掛けた。だけど、どうも旗色は悪そうだった。と言うか、話し掛ける相手が悪い。携帯電話を片手に手帳と睨めっこしている人なんて、十中八九、頭の中が忙しい。案の定、男はすごすご席に戻り、女はさっさと再び自分だけの世界へ。

 どうやらピザを運ぶ先が決まったな、と営業スマイルの裏で思う。幸いにして、男も女もマルゲリータを注文していた。おかげさまでそれなりに繁盛していて、しかもただでさえ忙しい時間帯なのだ。新しい出会いはやがて宣伝となって売り上げに貢献するから良いけれど、気まずい客には早々に場所を空けて貰う方がありがたい。クリームソースは注文順に持っていこう。

 バランス良くピザを腕に載せ、改めてさぁやるぞと背筋を伸ばす。

 もたもたしていたら焼きたてピザが冷めてしまう。そうなると客に失礼だし、何よりピザ焼きしか能のない馬鹿店長が可哀想だから、こっちがフォローしてあげるしかないのだ。

 まったく、我ながら自分の健気さに感心する。いつかこの店が私の店にもなる日が来ても、やがて生まれてくる子供には、もっといい相手を見つけなさいときちんと教えて上げなければ。


〈了〉

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