ぎょふのり

淺羽一

〈掌編小説〉ぎょふのり

 自慢じゃないが僕は誰かを好きになる事に慣れていても誰かから好きになられる事になんて全くと言っていいほど慣れちゃいない。だから今みたいにこんな風に何の連絡も無くいきなり下駄箱に手紙を入れられていても、正直どうすれば良いか分からない。しれっと封筒をつまんで、さらっと表面に目を通して、たったそれだけでカバンの中にしまったのも、興味がなかったわけじゃなくてただ単純に自分の中にはこんな時に取るべき行動のリストが無かっただけだ。冷静に考えればまだ中身も確認していないのに気の早い話だろうけれど、すでに内心では涙を流す準備が出来ていた。

「簡単だろ」

 教室に荷物を置いてこっそり手紙だけ引き抜き競歩みたいにトイレへ急ぎ一番奥の個室に籠もって震える指で封を開けやっぱり間違いなく文面には〈ずっと好きでした〉と記されていたと知った時から昼休みまでほとんど記憶がないのだが午前の授業が終わるやいなやとにかくいつも通り中庭のベンチへ向かってそこでようやく弁当代わりのコンビニのパンを握りつぶす勢いで別のクラスに在籍する友人に相談すると、そいつは子供みたいに葡萄味の炭酸飲料の刺激に顔をしかめつつ言い放ちやがった。そんなに舌が弱いなら甘いミルクティーでも飲んでろやと言いそうになる衝動をぐっと堪えて有りがたく拝聴していると、そいつはさらにペットボトルと鮭のおにぎりなんてアンバランスな組み合わせに交互に口を付けながらその合間を生めるように「お前はすでに十分な経験を積んでるだろ」。

 いやいや嫌味か、と呆れてしまう。中学入学と同時に清く正しい男女交際に憧れ始めて早五年、好きになった回数は多々あれどそこから発展した経験はおろか勇気を出して告白した事すらたった一度だけしかない。しかも中学三年生の時に必死で考えて言葉にしたありったけの想いに対するあまりと言えば短い「ごめんなさい」がトラウマとなり、我ながら情けない話だがそれ以降はむしろ女子を好きになっているくせに遠ざけてしまうと言うような生活を送ってきた。

 恥を忍んで問うた。そんな僕の一体何処を探せば「経験」なんて素敵な単語が見つかるのだと。

 果たして、友人は今度は鮭味の余韻がある中で海苔を巻かれた五目飯のおにぎりを葡萄味で流し込むという足し算しか知らない馬鹿みたいな暴挙に及びながら、「だってお前、これまでかなりの数の女に惚れてきたじゃん」とのたまった。

 そんな言い方をされるととんだ遊び人に聞こえるが僕は常に真剣だった。ただ、僕が好きになった相手に限ってトントン拍子で彼氏を作ったり転校したり妊娠がばれて退学になったりするもんだから、仕方なくいつも心の中で彼女たちの未来を応援しつつ涙を噛んで諦めてきたのだ。

「だから、それが経験なんだって」

「どういう意味だよ」

「ずっと想像してきたんだろ、好きな相手と付き合えたらって。だったら今度は逆をしてやれば良いんだよ」

「逆?」

「要するに、自分が好きになった相手からして貰いたかった事を、その手紙の子にしてやれば良いんだよ」

 ……お前は天才か、真剣にそう思った。なんて見事な発想の転換。さすが高校に入ってからもうすでに経験人数が二桁に達しようとしている男なだけある。こんな味覚馬鹿の何処が良いんだと新しい彼女の画像を携帯電話で見せられるたびに密かに思っていた過去の自分を猛省した。

「女と上手く付き合う秘訣は、分からないなりに女心を考えてやる事だよ」

 長く続いても交際期間が二ヶ月くらいしか保たない男とはとても思えない素敵発言を自信満々に語れるその姿勢こそが魅力なのかも知れない。僕はもう三枚重ねで目から鱗が落ちていく気分だった。

「あ、ちなみのその子、かなり可愛いぞ」

 いっそ目玉が手紙の上に落ちそうになるほどの勢いで文面を読み返す。改めて確認してみても間違いない。そこに記されたクラスは友人の在籍するそれと同じだった。

「まぁ、頑張れよ。恋愛なんてのは愛するよりも愛されるよりも、愛させる事が一番なんだから」

 さながら神か悪魔でも目の当たりにした気分を味わいながら、ようやく僕にも生まれて初めて「彼女」なる相手が出来るんだと期待と喜びで空っぽの胃袋さえも満たされていくのを実感していた。





「正直、もっと落ち着いた人だと思ってたのに、いざ付き合ったら何か違うんだよね」

 放課後、心なしか虚しそうに語る同じクラスの女子に机を挟んで相槌を返しつつ、「それって、どんな風に」と俺は尋ねた。口調は勿論、いかにも君の事を心から案じていると言う感じで。声音はとりあえずわざとらしくならない範囲で低く低く。

「いい人なんだって分かるんだ。本当に、いつも私のして欲しい事を優先してくれるし、考えてくれてるのも分かるんだ。けど……」

「あんまり優しくされすぎると、ちょっと重いって言うか、引け目に感じちゃう?」

「……うん。こんな風に考えるのって、私が間違ってるんだよね」

 俺は迷わずこう答えた、「そんな事ないんじゃないかな」と。それから続けて「むしろ、それって優しい証拠じゃない」と。

「だってさ、言ってみれば都合の良い相手じゃん。適当に付き合っていくならある意味じゃ最高でしょ。だけど、そうじゃなくて、ちゃんと自分や相手の事だけじゃなくてお互いの事として考えてる」

 すると二ヶ月前に自分からの告白で付き合い始めた相手との関係性に悩んでいると語っていた彼女は、ほんのかすかながらも気分が軽くなったような表情を浮かべてくれた。

「うん、そうかも……。やっぱり、こんな付き合い方ってお互いに良くないよね」

 ほら来た、決して顔には出さずそう思った。大抵の場合、こんな身勝手な女は最終的に「お互いの為」なんて言葉を免罪符として使いたがる。しかも何よりも質が悪い事に、そんな台詞を平気で出してくる女に限って寂しくなったら途端に惚れっぽくなってしまう。適当に付き合っていく分には最高だが、真剣に将来を考えるのはそれこそお互いの為になりにくい。

「私、どうすれば良いかな」

 結論なんてすでに出ているのだ。ただ、要するにそれを「自分からの選択」としたくないだけで。だからこそ俺はしばらくの間、深く考えている風を装った後、こう言った。

「辛いかも知れないけどさ、やっぱりお互いの為を考えたら、別れるべきなのかも知れないね」

 果たして、彼女はぱっと顔を上げてこちらを睨み付けるように見つめてくるも、しかし反論は一言も発さなかった。だから俺は待った、じっと目を逸らさずに。

 先に視線を背けたのは彼女の方で、俯いた彼女は深い溜息を吐いた後、「…うん。そうだよね」と言ってきた。俺は「うん」と答えながら、ぽんぽんと彼女のつむじの辺りに手を置いた。鼻を啜る音が聞こえてきて、俺はしばらくそれを無言で眺めていた。

 我ながら酷い男だと自覚しているつもりだったが、こいつも大概だなと心底呆れた。

「…でも、分かってくれるかな」

 ひとしきり泣いて満足したのか、それとも十分にアピール出来たと確信したのか、改めて顔を上げた彼女の声はもう震えていなかった。

 俺は素直に頷いた。「きっと、大丈夫だよ」と。

 嘘を吐いているつもりは無かったし、実際、その通りだろうと思っていた。何故なら、もしもそれが俺ならば、別れたいと告げた時は後腐れ無く別れて貰いたいものだから。

 こちらの発言に自信を持ったのか、傍目にもはっきりとさっさと頭を切り換え始めた女を眺めながらぼんやりと考えた。

 このまま行けば、こいつでおそらく十人目。実は人気があるくせに自信が足りないせいでいつも傷つく友人と、そんな彼への想いで悩んで苦しみ挙げ句の果てに別の男へ流れる女生徒達。全くもって理不尽な話だが、青春なんてそんなもんだろう。

 窓の外は文句なしの快晴で、どうやら明日も晴れそうだった。この後どういう流れになるにせよ、とりあえずコンビニに寄って炭酸のきついジュースを買って飲もうと決めた。

〈了〉

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