月見だいふく

淺羽一

〈掌編小説〉月見だいふく

 もしもあの月にたった一つだけ持って行けるとしたら。

「冷蔵庫」

 それが彼女なりの答えなんだと理解する為に、少なからず精神力を必要とした。ましてや、続けて紡がれたその理由が、月にいるウサギと薄い餅に包まれたアイスを仲良く食べたいからだなんて。

 と言うか、百歩譲って月にウサギがいて、しかもそいつらが器用に楊枝を使ってくにゅうと伸びるアイスを好んで食べるとしても、そもそもアイスを入れておくなら冷凍庫だし、それ以前に冷蔵庫だけ運んだって月に着くまでに全部溶けてしまってるだろ……ソーラー発電式なら別だけど。

「好きじゃないの?」

 まさかそんなわけないはずなのに、あたかも内心の冷静さを指摘するかのようなタイミングで彼女が問うてきた。目の前には、頭上に浮かぶ満月にも似たバニラアイスが今にも頼りない楊枝から落ちてしまいそうな感じで突き出されている。

「いや、好きだけ――」

「じゃあ早く。溶けちゃうよ」

 相手の話を半分しか聞かず、残りの半分は自分の頭の中で解決してしまうのは彼女の常だ。だから仕方なく、続けようとしていた言葉ごと白い塊を頬張るように飲み込んだ。

 いや、好きだけど、それはあくまでも周りの皮がちゃんと残っているならな。ほろ苦い諦め風味と優しい甘味では食い合わせが悪かったのか、こめかみのやや上辺りに内側からきーんと痛みが広がった。やはり、勢いに任せたアイスの一気飲みなんてやるもんじゃない。ただでさえ、夏には決まってかき氷で苦しむ体質なのに。

 原因というか元凶というか彼女はそんなこちらの苦しみなんて意に介する風もなく、それどころか「あ~ん」の成功に素直に満足したのか、風船ガムを膨らますことが下手くそな子供みたいに白い皮を舌でくにゅくにゅと伸ばしながらご機嫌そうだ。いい加減に止めろ、はしたない、なんて強気に言えたら楽なのに。

 ごくん、ではなく、ごろん、という感じで胃へと落ちていった月の名残に胸をさすりつつ、本当に、どうしてこんな女に惚れてしまったのだろうかと呆れ半分で考えた。答えなんて詰まる所は――

「私、ゆきくんのこと好きだよ」

 ――まともに自問自答する暇さえ与えてもらえないのだから、出るはずもない。

 そして彼女はまたしても言うだけ言って気が済んだのか、再び作業に戻ってしまう。半透明の薄皮は、とっくにふやけて溶けかけた雪みたいになっていた。

 全く持って厄介な女だと思った。何せ、馬鹿のくせしてやけに鋭い。だからいつもこっちは頭で考えてしまう分だけ遅れてしまう。けれど最も救いがたいのは、彼女自身がそんな関係を都合良く勘違いしてしまっていることだ。彼女にはわりと本気で「もう、雪くんはいっつものんびりで一人じゃ何も出来ないんだから私がしっかり引っ張っていって上げないと」みたいな考えを抱いている節がある。勿論、そんなわけだから、彼女にとって自身の行動はすべからく相手の為を思ってしていることであり、それに関する後悔や疑念なんて一毛も生まれっこない。

 ようやくこくりと喉を鳴らした彼女を横目に収めつつ、腹式呼吸で鼻から静かに息を吐いた。斜め四十五度に上げられた顎から首へと続くラインは、可愛らしく上下したきりしんと動きを止めている。普段からこうして黙って月に視線でも注いでくれていたなら、こっちだっていかにも神秘的な表情に心惹かれて、終いにはかすかに開いた薄い唇にきざったらしいサプライズ感覚で触れてやろうかとさえ思えるのに。悲しいかな、現実に起きる驚きなど、突然「お月見がしたい」なんて電話が草木も熟睡している頃に容赦なく掛かってきて、挙げ句に寝癖頭のままで深夜のコンビニへとアイスを買い出しに行かされてそれが溶ける前に公園まで猛ダッシュとかそんな内容で。はっきり言って、こんなのはこっちにしてみればいっそ単なるハプニングだ。第一、春先の夜中に外でアイスって、彼女の胃腸はどれだけ頑丈なんだろう。

「どうしたの」

 と、不意に彼女がこちらを向いた。ベンチの傍らに立つ外灯の明かりが丸い瞳に反射している。唇の周りにうっすらと白い粉が付いている。きらきらと彼女が光って見える。

「あのさ」

「あ、分かった」

 言いかけた所で、やっぱり彼女は自信満々に笑みを浮かべる。「これが欲しいんでしょ」。華奢な指が楊枝を使って二つ目のアイスを容器から持ち上げる。

「仕方ないなぁ。さっきは私が食べたから、これは半分こね」

 全部くれるんじゃないのかと、呆れを通り越して最早、可笑しさしか湧いてこない。柔らかい餅皮にかぷりと噛みつく彼女の姿に、頬が緩むのを堪えきれない。お腹の冷えは胸の熱さで誤魔化すしかない。

「はい、あ~ん」

 気恥ずかしくないと言えば嘘になるけれど、それすらも心地良いのだから、結局はもうそれが答えなのだろう。

「美味しい?」

「好きだからね」

「でしょ~」と楽しげに頷く様子から、果たしてちゃんと伝わったのかどうなのか、正確に読みとることは出来ない。でも、それで構わない。どうせきっと彼女はやはりいつも通り都合良くこちらの言いたいことを想像して、やがて見事に正解へ辿り着くはずなのだから。

「あのね、冷蔵庫には一杯にアイスを入れて行くからね。だから雪くんは心配せずに待っててくれて良いからね」

「いや、急に何の話を」

「大丈夫。雪くんが寂しくて死んじゃう前に、私がちゃんと見つけてあげるから」

「寂しくて死ぬってウサギじゃあるまい――」と、そこまで言ってようやく理解した。あぁ、なるほど。要するに、彼女の中ではいつの間にか俺はあの月で彼女の到着を今か今かと待ちわびている設定になっていて、しかもその上どうしてか分からないがよりにもよってウサギになってしまっているわけで、と言うかそもそも「あのさ、寂しいなんて一言も……」。

「所でさ、雪くんは何を持ってくの」

「…………」

 本当に、どうして彼女はこうも馬鹿で、勝手で、心底から無邪気そうに笑えるのか。「ねぇ、何、何」としつこく尋ねてくる姿はいかにも小動物っぽくて、なるほど確かに――寂しい云々はともかく――あの月でもこんな時間を過ごせれば幸せだろうから。

「じゃあ、発電機を持っていくよ」

「発電機?」

 思いがけない単語に珍しくきょとんとする彼女の様子を眺めながら、頭の中で自問した。

 さて、簡単便利なソーラー式と、テレビなんかで見る自転車を改造した人力式ならば、一体どちらが適しているのだろうかと。まぁ、おそらく彼女のことだから、短足のウサギがきこきこと懸命にペダルを漕ぐ光景を見た日なんかには喜々として歓声を上げるのだろうけれど……。

「……雪くんって、たまに変だよね」

 ややあってから発せられた失礼極まりない発言もまるで気にならない。

「そっちはしょっちゅうだけどね」

 答えならすでに決まっていた。


〈了〉

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