従者たちのいるところ③

 少しずつ朝晩が冷え込み始め、季節の移り変わりを感じさせていた。

 そんな冬の訪れを感じる朝。比陽は火鉢を抱え、回廊を歩いていた。そこで鉢合わせた人物に、苦い顔をして立ち止まる。


「おや、比陽さん」

「げっ」


 貴理だった。しっかり着込んでいる比陽に対し、貴理は晩夏の頃とそう変わらない軽装をしている。

 貴理は小首を傾げた。


「今、『げっ』って言いました?」

「気のせいじゃないですか? そんなことより、なんですかその格好は。寒々しい」

「そうですか? 戴明国は瑠玻羅王国よりも北の方にありますからね。これくらい寒いうちに入りませんよ」


 普通の会話かもしれない。だがこの男が言うと、嫌味に聞こえてしまうのはなぜだろう。

 多分、出会ったときの対応がまずかった。

 比陽は宮廷楽士だったころの貴理と宮城ですれ違っているはずなのだが、そのことはあまり記憶にない。凡庸な楽士だったのだろうと思っていた。

 実際のところ、貴理は間者として入り込んでいたのだから、悪目立ちせずにいたことは褒められるべきことなのだが、貴理が気に食わない比陽には関係ない。なぜこんな男が宮廷楽士に、と思うばかりである。

 朱麗至上主義の比陽に、琉孫最優先の貴理。両者一歩も譲れないのである。


「見てるこっちが寒くなると言っているのです。戴明国の男はその辺の機微が分からないんですか?」

「おやおや。こちらから言わせてもらいますと、瑠玻羅の女性がそのような偏見があるというのは残念ですね」

「なんですって!? それは姫様に対する侮辱とも取れますが、よろしくて?」

「それはそちらも同じでしょう?」


 両者睨み合いが続く。


「なにをやっているんだ……」


 割り入った声に、二人同時に振り向いた。今日の持ち場に行く途中だったのだろう、伯雷がそこには立っていた。


「比陽、火鉢それを持っていく途中だろう。姫様が冷えちまうぞ」

「そうだった! こんな人に付き合っている場合じゃなかった! ……っくしゅん!」


 言葉を切ったと思ったら、比陽は小さなくしゃみをした。


「おいおい、大丈夫か? 今日は冷えているもんな」

「大丈夫! じゃあ私、行くね」


 比陽は火鉢を抱えなおし、回廊を駆けていった。

 残された男二人。伯雷は貴理をじっと見上げた。


「あの、伯雷さん……?」

「あんまりあいつをいじってくれるな。ぽんぽん返ってくるから、楽しいのは分かるが」


 その表情にぴんときた。なるほど、この二人はそういう関係であったか。


「こう言うのもなんですが、苦労しそうですね」

「……ご心配、痛み入る」


 なんとなく同情してしまった貴理であった。

 そうして二人は別れた。伯雷は比陽の消えた方を見やる。当然のごとく、そこには比陽の姿はない。


「それにしても、あいつ……」


 その言葉を聞く者はいない。

 

     *


 ところ変わって、朱麗の執務室。どこかに用事に行っているのか、琉孫の姿はない。


「申し訳ございません、朱麗様。お待たせいたしました」

「いえ、大丈夫よ。ちゃんと着込んでいたから」


 そう言う朱麗の姿を見ると、男物の羽織を肩に掛けている。比陽はにやりと笑った。


「ははーん、琉孫様ですね? やりますねぇ。自分が寒さに強いからって、朱麗様にいいところを見せようとするとは」

「別にそういうつもりじゃ……。というか、なぜ琉孫様が寒さに強いって知っているの?」

「それはさっき貴理さんが、『戴明国の人間は寒さに強い』って言ってたからで……。あ、でもそうなると、琉孫様は違うんですかね?」


 琉孫は戴明国生まれといえど、瑠玻羅王国育ち。その理屈は通らないのかもしれない。


「ではやっぱり、朱麗様にいいところをお見せしたかったんですね。やりますねぇ」

「だから違うってば……」


 比陽が手際よく炭に火をつけ、部屋の中にぬくもりが広がった。

 朱麗は火鉢に手を掲げる。


「それにしても、今からこうも冷えると、真冬が心配ねぇ」

「大丈夫ですよ。こう冷え込むのは今日明日くらいだって学者が言っていました。……っとくしゅん!」


 またくしゃみが出た。


「大丈夫? 風邪かしら」

「大丈夫ですよう。ちょっと鼻がむずむずしただけです」


 ぐっと拳を握る比陽に、朱麗は心配そうな目を向け、「そう」と呟いた。


「それではお茶を用意してきますね。しばしお待ちください」


 ぱたぱたと出ていく比陽に、朱麗は「ううん?」と首を傾げた。


     *


「あっ、比陽様」


 調理場へ向かうと、女官たちが固まっていた。比陽を認めて困ったかのような声を上げる。


「どうしたの?」

「実は、水瓶の蓋が開かなくなってしまって……」

「まぁ。なんでまた」

「昨夜仕舞った者が、別の瓶の蓋をはめてしまったそうなんです。ぴったりはまってしまったようで、こうしてみんなで引っ張ってみたんですけど、どうしても開かなくて……」


 ふむ、と比陽は袖をまくる。


「こういうのはこの私に任せなさい? 開けてみせるわ」


 女官から水瓶を受け取った。

 ふんっと力を込める。じわじわと蓋が動いていく。おぉっと女官たちのどよめきが上がった。


「それ!」


 比陽のかけ声と共に、ぽんと蓋が開く。そして――。


「ひっ、比陽様! 大丈夫ですか!?」


 瓶の中の水を、比陽は頭から被っていた。まだ朝方。一晩放置されていた水は冷たい。


「大丈夫、大丈夫……っくしゅん!!」


 盛大なくしゃみが響き、「なにか拭く物を!」と女官たちが焦って探しに行く。


「なにをしているんだ、お前は」


 聞き慣れた男の声と共に、手ぬぐいが振ってきた。振り返ると、呆れた顔の伯雷が立っていた。


「伯雷、なんでここに……」

「朱麗様に言われたんだよ。遅いから様子を見てきてくれって。それに」


 言いながらわしゃわしゃと頭を拭かれる。ぼんやりとした頭で、比陽はされるがままになっていた。

 伯雷の顔が近づいてくる。こつんと額に額を合わせられた。


「やっぱり。熱があんじゃねぇか」

「熱……?」

「朝からなんか変だったから、気になってたんだよ。お前、人前じゃ回廊を走らないだろ」


 気づかれていたことに驚いた。朱麗付きの女官として、恥じない行動を心がけていたのつもりだ。そういえば調子のおかしさをごまかそうとするあまり、いつも通りの行動をできていなかったのかもしれない。


「でも、熱……?」

「それも気づいてなかったのかよ。朱麗様も心配してたぞ? 『顔が赤かったけど、大丈夫かしら』って」


 朱麗に心配をかけてしまったことに、情けなくなる。朱麗付きの女官なのに。

 熱があると気づいたら、急にくらくらしてきた。


「おっと」


 ふらついたところを、伯雷に抱き止められる。


「調子が悪そうだったら、そのまま休ませろとのお達しだ。歩けるか?」

「無理……」


 ぐったりと寄りかかってくる比陽に、伯雷は小さくため息をついた。


「ったく。仕方ねぇな」


 よっと屈み、比陽を横抱きにした。

 ちょうど戻ってきた女官たちにそれを目撃され、「きゃあ!」と声を上げられるのだが、意識朦朧としている比陽は気づかない。

 比陽が回復したころには城中での噂になっているのだが、それはまた別のお話だ。


     *


 比陽の部屋まで運び、寝台に寝かせた。

 こうしていると、昔を思い出す。小さいころも、比陽はこうしてたまに調子を崩すことがあった。

 伯雷の下には、多くの弟妹がいる。彼らからすれば、比陽もお姉ちゃんだ。世話を焼くため、気を張っていたのだろう。

 伯雷からしたら、比陽も妹のようなものだ。なのに頼ってくれないことを、不満に思っていた。

 だが熱を出したときは違う。ふにゃりと気の抜けた顔で身体を預けてくる姿に、庇護欲をそそられた。

 さっきの『無理』は効いた。久々に頼られて、眠っているときで良かったと思う。こんな顔、普段の比陽には見せられない。


「ったく……。限界まで頑張りやがって」


 こつんと額を小突くが、比陽はむにゃむにゃと気持ち良さそうな顔で眠っている。

 朱麗にはこのままの看病を命ぜられた。年頃の男女がこうして共にいちゃまずいでしょうと論じたが、曰く『お前らさっさとくっつけ』と蹴り出された。いや、こんな言い方はされなかったが、意訳すればそうだった。これはきっと完全に琉孫の影響だ。粗暴になっていく主に、嘆かわしくなる。


「うん……」


 相変わらず、比陽の顔は赤い。なにか冷やすものを持ってくるか、と伯雷は立ち上がりかけた。


「どこ、行くの……?」


 伯雷はぴたりと動きを止める。着物の裾を比陽が握っていた。

 潤んだ瞳が伯雷を見上げてくる。まずい、そんな目で見つめられたらまずい。伯雷はどかりと座り込んだ。


「ここにいて、お兄ちゃん……。比陽のそばに……」


 そう呟いて、すうっとまた眠りについてしまった。裾は掴んだままだ。

 伯雷は片手で顔を覆う。それは反則だろう。

 妹として見れなくなったのは、幼き日の看病をしたあの日からだ。あの日から、比陽は大事な女の子になった。

 伯雷の顔が、比陽の顔へと近づいていく。その耳元で止まった。


「なぁ。お前が望むなら、俺はずっとお前の傍にいるよ。だから早く、元気になってくれ」


 この分では朱麗の命を聞けそうにもない。安心しきっている比陽に手を出すのは無理だ。そもそも体調を崩しているのである。こういうのは、元気なときに言うべきだろう。

 比陽はすやすやと眠っている。その寝顔を見て、伯雷は安堵したのだった。


     *


 翌朝。前日とは打って変わって、穏やかな光の差し込む朝だ。比陽はふっと目を覚ました。

 しっかりと眠ったおかげで、具合はすっかり良くなっている。これならば今日の業務はこなせそうだ。

 うーんと伸びをして、起き上がろうとしたそのときだった。寝台の傍らに、誰かいる。椅子に座り、俯いて眠っているその人は――。


「は、伯雷……?」


 戸惑う比陽の声に、伯雷は目を覚ました。


「んあ、朝か……」

「なんでここにいるの……?」

「お前が着物を掴んで離さなかったから、帰るに帰れなかったんだよ」


 伯雷がくあっとあくびをした。

 昨日の記憶が一気に蘇る。


「夢、じゃない……?」

「どれのことを言ってるのかは分からんが、多分そうだ」


 思い出して青褪める。仕事を放棄したこともだし、伯雷の世話になったことも。一生の不覚だ。

「ごめん……。休めなかったよね」

「別にいい。今日は昼からでいいって言われてるから、これから部屋に戻って休む。それより、具合はもいいか?」

「おかげさまで……」

「そうか、良かった」


 柔らかく微笑まれて、なにも言えなくなってしまう。

 普段、あれだけ憎まれ口を叩いているのだ。具合が悪かったからとはいえ、こうして優しくされると調子が狂ってしまう。

 伯雷が立ち上がる。


「じゃ、朱麗様にはよろしく言っておいてくれ」

「待って!」


 まだ言わなければならないことがあった。あれが夢でないのならば。


「……傍にいるって、なに?」


 伯雷が勢いよく振り返った。わなわなと震えている。


「お前……! 寝てたんじゃ……」

「耳元で言うんだもん。聞こえてたよ」


 伯雷に夢じゃないと言われなければ、信じられなかった。都合のいい夢だと思った。

 伯雷は入り口で立ち尽くしている。やがて長いため息をつくと、比陽の元まで戻ってきた。


「分かった。こうなったら腹を括る。お前が望むならと言ったが、そうじゃない。俺が、お前に傍にいてほしいんだ」


 伯雷の顔は真っ赤だ。真剣な目が、まっすぐに比陽へ向けられている。


「……もっとはっきり言って」

「お前なぁ……。一度しか言わないからしっかり聞いておけよ。比陽、俺はお前が好きだ。一緒になってくれ」


 心拍数が上がる。これこそが夢なんじゃないだろうか。

 手を伸ばしてみた。伯雷の手は暖かい。このぬくもりが、これは夢なんかではないと知らせている。


「はい……」


 それだけ言うのがやっとだった。また熱がぶり返してしまうのではないだろうか。それくらい顔が熱い。

 伯雷が手を握り返してきた。向けられる笑顔にときめいてしまう。


「長かったなぁ」

「ほんとだよ、馬鹿」

「お前なぁ」


 呆れ声を上げるが、涙の滲む比陽を目にし、くすりと笑われる。

 伯雷の手が、比陽の頬に添えられた。ゆっくりと彼の顔が近づいてくる。

 そして、二人の唇が重なった。




 それは冬の日の朝。長い恋が実った瞬間だった。

 瑠玻羅王国に、新しい年がやって来る。

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爪紅の調べ 安芸咲良 @akisakura

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