幕間

従者たちのいるところ②

 それは何気ない一言から始まった。




「そういえば、伯雷さんと梨胡さんって、どっちが強いんだ?」


 秋も深まり始めたある日のことだった。

 朱麗と琉孫の執務室。梨胡はいつも二人の後ろに控えており、業務の一環で伯雷が訪れたとき。琉孫が何気なく零した。梨胡と伯雷は顔を見合わせる。


「伯雷もねぇ、一応若手兵士の中では抜きん出てはいるのよねぇ」

「一応ってなんですか、朱麗様……。俺が朱麗様付きの護衛だってことをお忘れですか……」

「そ、そうだったわね」


 伯雷の腕は立つのだ。そうでなければこの若さで朱麗の護衛に抜擢されたりなどはしない。

 ただ、瑠玻羅王国の気風のせいか、あまり護衛が必要な場面に遭遇しないのだ。諍いごとは、戴明国に比べ少ない。


「朱麗様、あまり言ってくださいますな……。これでも一応、剣の腕前は随一と言われておりますのよ? お人好しで頼まれる雑事を断れない難な性格なだけで」

「難って言うな! 比陽!」


 比陽はうふふと上品に笑う。

 朱麗は伯雷を見やった。


「でもまぁ、そちらが強いのかは気になるところではあるわね」

「姫様までそんなおかしそうに……」


 頭を抱える伯雷に、その場にいた者はおかしそうに笑った。

 比陽が帳面をぱらぱらとめくる。


「午後から鍛練場が空いていますね」


 そう言って伯雷に視線を移す。む、と伯雷は眉をひそめた。主と臣下たちの視線が、次々と刺さってくる。


「腕が鳴りますね」


 とは梨胡の言葉である。

 伯雷はたじろぐ。だんだんと追い詰められた野生動物のような表情に変わっていった。


「お……、俺はやりませんよー!?」


 絶叫が響き渡る。だが難な性格の伯雷が、断れるはずもなく。


     *


「では第一回! 護衛はどちらが強いか対決! 始まりまーす!」


 比陽の高らかな宣言と共に、わーっと歓声と拍手が沸き起こった。どこから聞きつけたのか、観客は朱麗たちだけではなくなっていた。女官たちに近衛兵の同僚たち。多くの人々が鍛錬場に集まっている。


「なんでこんなことに……」

「諦めなさい、伯雷さん。あの主である限り、こんな無茶振りばかりですよ。一生」

「一生か……」


 伯雷は剣を携えうなだれる。

 対する梨胡は、一見丸腰だ。ねず色の着物に、黒の帯。同じく黒の袴は動きやすいように、足に沿っている。

 訝しげな伯雷の視線に首を傾げ、短い髪が揺れた。


「なにか?」

「いや、得物はいいんですか?」


 あぁ、と梨胡は自分の体を見下ろした。


「ご存じではないかもしれないが、前職がそういう筋の者でな。心配無用。むしろ油断大敵ですぞ」


 そう言ってまとった気配に、伯雷はびりっと来て身構えた。

 明言はしなかったが、この気配は只者ではない。もしや武器を隠し持っているのか。そうでなくとも、体術もかなりの手立てのような気もする。

 曲がりなりにも琉孫の護衛なのだ。これは油断していたらやられる。

 伯雷が身構えたところで、比陽が進み出た。


「勝負は一回きり。武器はなにを使うも自由です。どちらかが『参った』というまで続けてもらいます。あとは殺さないこと。それだけが条件です」

「殺さないことって……」


 にっこりと笑って言い放つ幼馴染に、伯雷は冷や汗を浮かべる。朱麗を見やるとにこにこと楽しそうに笑っており、これはもう腹を括るしかないなと思いなおす。

 あの玻璃姫とまで呼ばれた朱麗が、笑っているのだ。その功績は琉孫のものかもしれないが、あの笑顔を曇らせたくはない。

 伯雷は剣を構えた。


「それでは両者、前に」


 梨胡と伯雷は前に進み出た。二人の距離は、三間(約五メートル)。一気に距離を詰められるか。


「始め!」


 比陽の声が、高らかに響く。歓声が湧き上がった。

 地面を蹴って前に出ようとした伯雷は、踏み止まる。梨胡がなにかを放った。

 慌てて真横に飛び、それをかわす。さっきまで伯雷のいた位置に、クナイが刺さっていた。


「いきなり飛び道具かよ……!」


 袖に仕込んであったのだろうか。この分ではもっと大量の武器を隠し持っていそうだ。

 遠距離戦は分が悪い。伯雷の武器はこの剣だけなのだ。距離を詰めなければ。


「猪口才!」

「どっちが!」


 続けてクナイを放ってくる梨胡に、伯雷は逃げの一手だ。

 観客席から野次が飛んでくるが、それどころではない。この容赦ない攻撃を受けてみろってもんだ、と内心毒づく。


「埒が明かねぇな……」


 武器が尽きるのを待ったが、これは伯雷の限界が来る方が早そうだ。打って出なければ。

 まっすぐに向かってくる伯雷に、梨胡は目を瞠った。ちょうどクナイが切れたところだ。武器を持ち返る。

 キンと甲高い音が上がった。振りかぶられた伯雷の剣を、梨胡は受け止めている。


「おたく、そんなのも隠し持ってるのかい」

「お生憎さま。武器は一つとは言っていない」


 梨胡の手元で、伯雷の剣を短刀が受け止めていた。梨胡はぐっと押し返し、伯雷から間合いを取る。

 伯雷の長剣に、己の刀を向ける梨胡。両者、睨み合いが続いた。

 先に動いたのは梨胡だった。強く地面を蹴り、体重を感じさせない動作で伯雷の間合いへと踏み込む。

 黙って迎え入れる伯雷ではない。梨胡の一挙手一投足を見逃すまいと、目を見開く。梨胡が眼前に迫る。己の剣を振り上げる。

 梨胡の短剣が弾かれた。くるくると回って飛んでいく短剣に、観客にざわめきが走る。

 好機。伯雷は剣を振り払った。


「そこまで!」


 伯雷の剣は梨胡の脇腹に、梨胡の針が伯雷の首筋に当てられていた。動きを止めたお互いが、比陽の制止を受けて息を吐く。そのまま浅い呼吸を繰り返した。


「朱麗様」


 比陽が朱麗を仰ぎ見る。


「えぇ、引き分けね」


 歓声が今日一番大きく巻き起こった。伯雷と梨胡は武器を下げ、一礼をする。


「随分と強いんだな。久々に本気になっちまったよ」

「そちらこそ。手合わせ感謝する」


 伯雷が差し出してきた手を、梨胡は握り返す。拍手がより一層大きくなった。


「私も久しぶりに強い相手とやれて楽しかった。また機会があれば、手合わせ願いたい」

「ははっ! ご免こうむる!」


 伯雷は梨胡の手を振り払う。梨胡はむっと眉をひそめたのだが、伯雷の表情は楽しそうなものだった。また頼めば手合わせしてくれるかもしれない。なにせ難ありな性格だ。

 こうして対決は終了したのだった。

 したのだったが。




 伯雷と梨胡が握手していたころの観客席である。

 朱麗は伯雷を労うため、鍛練場へと降りていった。針を突きつける梨胡を、琉孫は微妙な表情で見ていた。


「なぁ、貴理さん」

「……なんでしょう」

「うわぁその間が物語っている気がする……。聞きたくないけど聞かなきゃだよなぁ」

「私も答えたくはありませんが、致し方ありません。なんなりとお聞きください」


 琉孫は沈黙する。ややして意を決したかのやうに、口を開いた。


「……あの針、毒塗ってないよな?」

「そう、願います……。現役時代に使っていたものとよく似ている気もしますが……」

「しないで! それがばれたら国交問題になる気がする!」

「いや伯雷さんが相手ですから、そこまでは発展しないとは思いますが。朱麗様にばれたら、なんと思われるか……」


 二人の間に沈黙が落ちる。結論が出るのは早かった。


「墓まで持っていこう」

「それがよろしいかと」


 ここに男同士の密約が生まれた。

 二人は鍛練場を見下ろす。ちょうどこちらを向いた梨胡と目が合った。

 瑠玻羅王国随一の兵士とやり合ったこと、なかなかに誇らしく思っているらしい。琉孫を見る目は忠犬のように、褒めの言葉を待っているように見える。彼女のこんな表情を見られるとは、となんだかおかしく思った。

 梨胡はこちらまで上がってくるようだ。


「まったくなぁ。梨胡さんだけは怒らせないようにしておかないと」

「おや、あれほどのことをされておいて、今さらなにを怖がる必要があると?」


 暗殺未遂のことを言っているのだろう。琉孫は苦笑する。


「あれほどのことって……。それは僕のせいなのか?」

「どうでしょうねぇ。様々な要因が重なった結果、とでも申しましょうか」

「そうさねぇ」


 梨胡が二人の元にやってくる。なにやら話し込んでいた男二人に、首を傾げた。


「なにを話していたんだ?」

「いやね、梨胡さんが敵に回らなくて良かったなーって」

「その話はやめろ! 主が道を違えようものなら、いつでも後ろから刺す準備はできているさ」

「やめてくれ! 怖いから!」


 本気で焦る琉孫に、貴理はくすくす笑う。

 琉孫と梨胡が、訝しげに貴理を見やった。


「素直じゃないですねぇ、梨胡は」

「やかましい。今すぐその減らず口を利けなくしてやろうか」

「怖い怖い」


 貴理は肩を竦め、距離を取る。梨胡が苦虫を噛み潰したかのような表情をした。


「やっぱり貴理なんて嫌い。大嫌い」

「おや、光栄ですねぇ」

「褒めてない!」


 噛みつく梨胡に、貴理はどこ吹く風だ。あの梨胡相手に大したものだなぁ、と琉孫は感心する。

 そんな二人を従えているのは琉孫なわけだが、そのことには気づいていないようだ。


「あ、朱麗様が呼んでる」


 鍛練場を見下ろすと、朱麗が手を振っていた。

 比陽と伯雷がなにやら言い争っている。こちらの臣下も似たようなもののようだ。


「さてさて。頼りになる臣下がいると、助かるねぇ」

「なにを隠居老人のようなことを仰っているんですか。これからあなたが頑張らないといけないんですからね?」

「はいはい」

「はいは一回!」


 三人は揃って朱麗の元へと向かう。

 戴明国への祖国の思いは弱いが、琉孫はかの国との架け橋にと訪れた存在。頼りがいのある臣下がいることは、頼もしいかぎりだ。朱麗の臣下の力がたしかなことも、助けになる。


「いい部下に恵まれたものだ」


 結局のところ、優劣は関係ないのである。梨胡も伯雷も含めてこちら側。

 皆が頼りになる仲間なのだから。

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