8P〜 三日目 正午過ぎ
はたと気がつく。静かに目が冴える。どうやらもう昼だ。昨日寝たのが零時をはるかに回っていたからだろうか、随分深く惰眠を貪ってしまった。時計を見る。12時を回ろうとしていた。
ゆっくりと立ち上がり軽く肩と腰を回す。不自然な体勢で寝ていたからだろう、ぱきぱきと全身が鳴った。寝違えることも痛めることも無かったようだ。幸いである。ふむ、と全身を確認する。昨日受け取った服装は眠っている間も体の温度を保ってくれていた。家の中で毛布を被っていたとはいえ、十一月の気温は中々に体に応えるというのに、朝起きてすぐ体を動かすことができるのはこの服の保温機能のお陰だろう。仕組みはわからないが優れた技術だ、痛み入る。
もごもごもご、と長椅子でくるまっている黒髪が動いた。まだ眠っているようだ。
「探偵。起きないか」
「ぼくが起きるのは太陽が一番高く登った時だ」
「今がその時だ」
「なんだと。それは大変だ。早くぼくの髪を梳かしてくれ。ついでに朝食、いや昼食も」
「なるほど。まだ寝ているようだな」
むくりと起き上がり探偵は目をこすりながら「冗談だ。半分は」欠伸をした。
作業台からパックが顔を向ける。精密作業中だったからだろう、眼鏡を外して彼は「サンドイッチくらいならあるぞ」と声を掛けた。この人はすごくいい人なのではないだろうか。
「いやいや、俺はそんなことねえぞ。だいたいアンタ達を泊めたのだって飯作ったのだって、前払いの中にその分の金もあったからに過ぎねえよ」
それは知らなかった。
「お人好しだねえアンタ。そんなんじゃ今まで苦労してきただろう?」
苦笑されてしまった。俺は首を横に振る。
「いいや。私は苦労などしたことがない」
「ほお」
感嘆するようにパックは仰け反る。彼の座る椅子がぎしりと音を立てた。俺は首をすくめる。
「気苦労はしたがね」
「ははは」
パックは俺の言葉を耳にして、さぞ愉快そうに大きな笑い声をあげた。
「そりゃいいな。俺も使わせて貰おう!」
「そんなお前にこれからとっておきの苦労をやるぞ。その名も無駄足と云う」
起き抜けのどこかふわふわとした声。いつの間にやら起きていたらしい、探偵は大きく伸びをして、首をぐるりと回した。前髪を掻き上げながら彼は「これじゃブランチだな」と独り言。
「腹に入れながら作戦会議といこう、お前の疑問符があまりに増えすぎて墓標になる前に。ウェイター、サンドイッチ」
「俺はウェイターじゃない」
そう言いながらも持ってきてくれるところなんか、人の良さが出ているいい例なんではと思ったが口には出さない。俺はそのまま、その厚意に甘えることにした。皿に盛りつけられた食事を受け取り、口に運ぶ。レタスやトマトなどがふんだんに入った中身。空腹を訴えていた胃を満足させるには十分すぎるほどだ。良好な精神状態と身体機能。うん。食事とは素晴らしい。他人に作ってもらうものであるほど尚のこと素晴らしい。
探偵は口の中のものを咀嚼しながら俺に話しかける。
「さて、お前が持っている疑問について答えてやろう。まずは警察がぼくに依頼したチャールズ・リーグ変死事件に関する情報。それに付随して、僕がお前に言った一連の多発猟奇的殺人事件について。また、ぼくとお前がなぜ重要参考人にされているのかについて」
《お前はぼくと同じ、一連の多発猟奇的殺人事件の重要参考人なんだろうよ》。
それは、探偵が俺に投げた言葉だ。
「さて、チャールズ変死事件だ。被害者の動向は警察の調べと変わらない。
探偵が目配せをする。俺は応える。
「被害者はチャールズ・リーグ、二十二歳、男性。滞在先のホテルで突然破裂した。被害者は大手貿易会社社長の子息だと」
「その上女遊びの激しい放蕩息子、家業には目もくれずかじった親の脛で遊び三昧。まあ恨みの線でいけば女だろうな」
「そもそもだ。他殺ではなくて事故とかはないのか?」
パックは首を傾げる。探偵は「うん、その疑問はもっともだ」と首肯する。
「他殺なのか? 事故なのか? はたまた自殺なのか? その疑問については、もう答えが出ている」
「ほお、なるほど言ってみろ」
「それが探偵にものを言う態度か。まあ構わない、協力者に嘘はつかないし吐きたくない。うん、これは他殺だと断言できる。理由? 決まっているだろう。警察がぼくに依頼してきた時点でこれは他殺なのさ」
「んんん?」
パックは首を傾げすぎて腰を捻じ曲げている。
「アイザーン。お前は知らないだろうが、ぼくはお前に会う前にお前の上司であるレイカール・リーヴェシェランを始めとする警察のお偉いさん方と取引をしていた」
俺はすでに知っていた、と相槌で返す。だろうな、と探偵は一瞬片目を眇める。別に隠されるようなことではない。国家機関が民間企業に業務を委託することは不自然ではないし、極めてありふれている。探偵に捜査協力を依頼するのであればその時に交渉条件を提示するのは当然だ。それが自分自身であったとしても。
「向こう方からすればアイザーンとぼくを纏めて拘留する予定だったんだろう。ぼくはあえて向こう方に都合がいいように、《若い男の刑事を付けてくれ》と申し出た。当然のようにお前が来た。そして逃げた。それは置いておく。兎にも角にも、向こう方はこの事件が他殺だと既に調べがついていることになる」
つまりは逆算だ。探偵は肩を竦めた。「いくらザル組織だとはいってもこんなに簡単に掛けたカマに引っかかると思わなかった」と呟く。
「《与太話》を纏めて引っ括ってお縄に掛けてるのか? いいやそうではない。あくまで《事件の重要参考人》として、把握している《与太話》を連行しようと考えたのみだ。もしも全ての《与太話》を連行するのなら、あんまりにも規模が少なすぎる。では何の事件の容疑なのか? まさかチャールズ変死事件だとか言わないでくれよ。もっと大きな事件だ。例えば───」
一つの考えが浮かんだ。国家機関がトップしシークレットにするほどの殺害事件。大量殺人ではないとすれば、考えられるのは限られていて。もしや。
「貴族か王族の誰かがチャールズ変死事件と同様の手口で殺害された、なんて」
にやり、と探偵は口角を吊り上げる。察しがいいじゃないか。細長い指が彼の胸ポケットを探る。
「ああやめてくれよ、火薬があるんだ」
パックが口を挟む。むっとしてから、探偵は何も掴み出さずにポケットから手を抜いた。
「まあそうだな。そう考えるのが妥当だ。なので、ぼくも考えた。考えて行動に移した。ここ一ヶ月で死んだ、あるいは行方不明になった英国貴族、あるいは王族は?」
「大々的に報道されてはいないが」
「だからこそだ。王族となれば警察はもっと派手に動いている。貴族の線で調べてみると該当者が一人見つかった」
どうやって調べたと言うのだろう。あやしい。
「探偵の主な業務は恨み辛みと浮気の身辺調査だぞ? 貴族様なんてその代表だろうが。毎日の生活にあくせくせず暮らしていける、刺激が欲しくて浮気する、その調査をぼくに依頼する。人脈とはこのように使うんだ。覚えておくといいぞ」
一生覚えたくない。親指を立てるな。歯を光らせるな。
「さて、そいつは別に変死した訳ではなかったんだが、少々気になるところがあってな。誰がやったのか、はなんとなく手掛かりは得られそうだ。どうやって、は見当がついている。しかし断言は出来ない、確信がないからな。何のために、は誰が、がわかれば自然と手に入る。さて、なぜぼくとお前が重要参考人にされたのかはもう述べた。残るは《一連の猟奇的殺人》のあたりだな。これについてはお前お得意の実地調査だ。アイザーン、食べ終わったな」
ああ、と頷く。探偵はポケットからナフキンを取り出し口を拭う。そしてそれをまた仕舞い、ゆるりと立ち上がった。
「では街へと繰り出そう。何、目的は決まっている。チャールズ変死事件、ひいては一連の多発猟奇的殺人の犯人の足跡を辿るとしよう」
アイザーンによる口述筆記 宮間 @yotutuzi
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