「黒い船」④

 機械音がけたたましく鳴っている。静かな海岸線、周囲ののどかな田舎の風景が、その機械音をより不気味な音に感じさせる。日本海は珍しく凪いでいて、月の出ない夜と相まって、まさに漆黒の海だ。出雲空港で、佐藤と麻里は仲間に迎えられ、松江にある島根原子力発電所の入り口に到着した。

 宮内と15人ほどの若者たちが佐藤と麻里を迎え入れた。それぞれが楽器のケースを持っている。おそらく中には銃火器が入っているのだろう。


 「山本さん、お待ちしてました。さあ、こちらへ。」


 宮内も普段と変わらない様子だ。


 「警備は? どうやって突破した? 」


 「警備は同志たちです。問題ありません。突破ではなく、吹奏楽のサークルなので特別に楽器の持ち込みを許可していただいただけですが。」


 そういう彼らの首からは、入構証がぶら下がっていた。

 

 「中の職員たちは無事なのか?」


 「はい、原発をメルトダウンさせることが目的ではないですから。」


 「しかし、どうやって中の職員を? 」


 宮内の顔は涼しいままだ。


 「職員の中にも何名か同志がいましてね。我々はその同士の親戚で特別に見学ということになっています。現状はね。」


 「これだけの大規模なことができる組織って一体なんだ? そろそろ教えてはくれないか? 」


 「FSBですよ。我々の後ろ盾はロシアです。」


 あっさりと答えたということは、まず嘘であると思って間違いがないだろう。

 

 「しかし、このままどうやって声明を出す? 現状では不可能に近くないか? 」


 「合図を出せば、中の同志が施設を占拠します。彼らは化学兵器を所持してますので、一人二人殺せば問題ないでしょう。そしてこの原発の空調は民間会社の一括運営です。あとはお分かりですね。もちろん最悪の事態を想定しての準備ですので、そこまでやるつもりはありません。」


 とうとう始まるんだ。俺たちで社会を変えよう。そういった高揚した声が聞こえた。彼らは本当に事態を理解しているのだろうか。もし最悪の事態が起これば、これは地下鉄サリン事件を超える我が国最大のテロ事件になるだろう。しかし若者たちは、皆英雄気取りで、どこか映画の中にいるようでもあった。


 そういえば坂本の姿が見当たらない。恩田も連絡が取れないと言っていた。


 「坂本さんの姿が見えないようだが。」


 「坂本さんは今、別の場所で作業をしていただいてます。会いますか? 」


 「いや、いいんだ。見当たらないのが気になっただけで。」


 とりあえずは無事でいる。しかし、よくない状況である可能性が高い。ただ、あまりに過剰に反応すると、坂本が公安であるとバレていた場合こちらもまずい事態になる。


 「これからどうする? 」


 「そうですね。まだ準備が整っていませんので、車の中で休んでいてください。原田さんご案内してもらえますか? 」


 原田が頷き、駐車場に停めてあるワゴンに佐藤を案内した。


 「どうぞ、こちらで休んでいてください。」


 そう原田が言って、乗り込もうとした瞬間、佐藤の後頭部に衝撃が走り、意識が途切れる中、うすら笑っている原田の顔が見え、宮内が近寄ってくるのが見えた。しかし、佐藤の意識は途絶えた。


 「佐藤君、必ず私が守るから。」


 佐久間エリが自信に満ちた表情で言う。やめろ、行くな。そう言おうとするが、なぜか言葉が出ない。頼むから行かないでくれ、少し寂しそうな顔で佐久間は走り出す。


 「やめろ。行くな。」


 後頭部の痛みで目覚めた。頭をかこうとしたが両手足はがっちりと縛られていて動かせない。


 「目覚めましたか? よかった。かなりうなされてましたよ。」


 声のする方を見ると坂本が、手足を縛られている状態で壁にもたれかかっていた。おそらくここは、行きすがらに通り過ぎた、朽ちかけた神社だろう。ろうそくの明かりだけで見にくいが、祭具などが転がっている。


 「下手をこいちゃいました。申し訳無いです。しかしあの原田って男は典型的な左翼ですね。痛めつける時の顔の嬉しそうなことったら。」


 よく見ると、坂本の服はぐちゃぐちゃになっていて、右目のまぶたが痛々しいくらいに腫れ上がっていた。


 「しかし、どうやってばれたんですかね? 」


 坂本が忌々しい顔をする。


 「宮内は最初から分かっていたみたいです。何かことを起こす時に、内部に敵のスパイがいた方がセンセーショナルで面白いし、スパイだとわかっていれば操りやすいんだそうですよ。まんまとやられました。おそらくロシアの線はヤツがそう疑うように仕向けた情報でしょう。一体ヤツは何者なんだ? 」


 我々は手のひらで踊らされていたということになる。


 「坂本さん、宮内秀樹という人間自体が嘘だったみたいです。残念ながら彼の組織の中には警察官もいるようです。よほど巨大な組織とみて間違い無いでしょう。」


 坂本が驚いた顔をする。


 「日本国内にそんな組織があれば我々がマークしていないなんてことはありえないです。」


 「しかし、実際に日本国内で軍事訓練をし、警察、原発に内通者がいる組織が存在しているのは間違いないでしょう。坂本さんも訓練には参加したのでしょう? 」


 「いえ、外されました。」


 「何で、その時点で報告しなかったんですか? 」


 坂本が驚いた顔をする。


 「報告しましたよ。上からは、そのまま潜入を続けろという指示でしたので。」


 佐藤は笑いがこみ上げきた。


 「少なくともその情報はうちにも、おたくの恩田さんにも届いていない。」


 外から人の話す声が聞こえた。引き戸がガタガタと鳴り、宮内が入ってきた。手には水のペットボトルを持っている。


 「乱暴な扱いをしてしまいまして申し訳ございません。原田さんは純粋な人ですから、あなたがたの行為が許せなかったみたいです。」


 「宮内、そろそろ本当の目的を話してくれないか? 」


 「山本さん、いえ、内閣情報調査室の佐藤さんでしたね。我々の後ろ盾はロシアだと先ほど申し上げたと思いましたが。」


 名前まで知られていることに佐藤は驚き、宮内を睨みつける。


 「たとえ、FSBであっても国内でこれほどまでの規模の作戦ができるなんて到底思えない。ましては警察、公安までにも内通者を作れるなんてありえるはずがない。もっと大きな陰謀が動いているとしか思えない。」


 宮内が笑う。


 「佐藤さんは陰謀論者なのですか? 我々がフリーメイソンだとかイルミナティとお考えでしたら、諜報員としての常識を疑わせていただかなくてはならないです。」


 覚悟を決めるべきか? 


 「NWO」


 佐藤がボソッとつぶやくと、宮内が少し驚いた顔をし、うつむくと肩を揺らした。笑っているようだ。


 「日本の諜報機関が我々の存在を知っているとは少し驚きました。とは言っても私は雇われですが。そうか、やっぱり高杉さんは掴んでいたのですね。これはすごいことですよ。敬意に表します。高杉さんに免じて我々の本当の目的をお話ししましょう。」


 「なんですか、そのNWOっていうのは。」


 坂本の顔を見て、宮内が何かを察したようだ。


 「サイロのトップシークレット事項みたいですね。佐藤さん、お話ししてよろしいですか? 」


 佐藤はうなずいた。宮内に知られてしまえば、我々が知っているということが、彼らに知られることになる。扉はもう開いてしまった。


 「坂本さんは、今の世界をどう思ってますか? 」


 「昔よりはどんどん良くなっているとは思うが。」


 「そう思っていない団体がいるとします。彼らは一神教を信じています。一つの神のもとに世界を統一したいと思ったら、どうすると思いますか? 」


 「一神教じゃない国に消えてもらうか、改宗してもらうしかないが、それは現実的に厳しいんじゃないか。それこそ第三次世界大戦になって地球自体が危ないだろうし、国連や首脳各国、人権団体がそんな横暴許すわけがないだろう。」 


 「一神教を信仰しない国同士が勝手にもめた場合はどうですか? ただ一つ問題があります。一つの国は核を持っていて、一つの国は核を持っていません。戦争も放棄しています。ただ、核も軍隊も持つべきだという主張が盛り上がっている国です。」


 坂本は怒りがこみ上げてきた。


 「バカにするのもいい加減にしろ。たとえ再軍備、核武装が現実のものになったとしても、我が国はそんなにバカじゃない。」


 宮内は表情を変えない。


 「そこで今回の実験です。この国に不満を持って、変えたいと思う純粋な人たちはどれくらいいるのか? また、その人たちに力を持たせたらどれくらい行動するのか? 実験はおおむね成功だったみたいです。私が合図を出せば島根原発で重大なテロが起こり、世論はまた国防意識が高まることでしょう。ただ、今回はしませんが。」


 「お前のお仲間はどうなるんだ? 」


 佐藤はあの希望に満ち溢れていた若者たちを思った。


 「この後、しかるべき施設で洗脳教育をして、工作員として再度日本に入国していただきます。佐藤さん、坂本さんの敵になってしまいますね。」


 「お前、逃げられると思っているのか? 日本をなめるなよ。」


 半ば絶叫するように坂本が言う。


 「そこで佐藤さんの出番です。」


 宮内が携帯電話を取り出す。


 「飯島さんに電話をして、佐々木麻里の件について尋ねてください。」


 「どういうことだ? 」


 「電話をしていただければわかります。」


 宮内が携帯電話をスピーカーにし佐藤の口元に近づけた。コール音が鳴っている。番号まで筒抜けになっている。つながったが、相手は話さない。


 「飯島さん、佐藤です。」


 スピーカーから、どよめきが聞こえた。


 「すみません、捕まってしまいました。坂本さんも一緒です。宮内から佐々木麻里の件を尋ねろと。」


 「まずは無事なようで良かったです。佐々木麻里さんは今一緒にいますか? 」


 「いえ、宮内と坂本さんだけです。」


 飯島の声が苦々しくなる。


 「佐々木麻里さんは官房長官の隠し子です。先ほど内閣緊急招集チームが開かれました。我が国として内閣の人間の身内がテロリストであるということだけは、絶対に知られてはならないとのことです。宮内の要求はなんですか? 」


 私がかわりましょうと、宮内が携帯をとる。


 「初めまして飯島さん、宮内と申します。」


 「要求を教えてください。」


 「佐々木さんの写真は届いたみたいですね。要求は簡単です。我々の迎えが来ていますので邪魔しないでいただきたい。」


 「断った場合はどうなりますか? 」


 「島根原発でテロが起こり、その首謀者の中に官房長官の隠し子がいる映像がいろいろなところに拡散するでしょう。そのリスクと引き換えであれば悪くない交渉だと思いますが? 」


 飯島が黙る。


 「しかし、驚きました。サイロの高杉さんは我々の情報を掴んでいた上に、それを隠し通していたとは。本当に優秀な二重スパイだったのですね。そして最後に日本をとった。」


 「とうとう始まるのですね。今回は我々の負けですが、必ずあなたを探し出して殺します。」


 飯島の声に力が入る。


 「まあ、私は雇われですので。味方になる場合もありえるかと。では交渉は成立ということでよろしいですね。」


 「待ってください、佐藤さん、坂本さんの命の保証は頂けますか? 」


 「はい、約束しましょう。それでは。」


 電話を切り、宮内は建物から出ようとする。


 「待て、お前は何者なんだ。」


 「いずれまたお会いする機会もあるでしょうから、その時にでも。拘束は申し訳ないですが、そのままにさせていただきます。」


 そう言うと宮内は建物から出て行った。


 「ここまで惨敗すると、もはやぐうの音も出ませんね。」


 天井を仰ぎながら坂本がため息を漏らす。


 「とにかく、ここから出ないと。坂本さん動けますか? ベルトのバックルにナイフが仕込んであります。」


 まだ自分たちがいる。止めないと、彼らの人生は悲惨なものにしかならない。


 「なんとか行けそうです。さすがスパイですね。」


 茶化すように坂本が言う。

 及川に誕生日プレゼントでもらった、スパイっぽいベルトがまさか役に立つとは思っていなかった。無事に帰れたら、飲みにでも連れて行ってやろう。


 佐藤、坂本は急いで建物から出た。月明かりがないせいか足元さえおぼつかない中、周辺に一つしかない建物である原発の明かりを頼りに進んだ。


 「しかし、佐藤さん、NWOでしたっけ。本当に存在するんですか? 」


 「我々も確信は持てなかったけれども、とうとう姿を現したようです。」


 「国は知っているんですか? 」


 「残念ながら。今回の件で我々の判断が正しかったことがわかりました。誰がNWOなのかわからない。」


 開けた道に出た。あとは一本道だ。間に合うだろうか。


 「佐藤さん、俺も内調入れないかな。悔しくて。こんな仕事をしてるけど、俺この国好きなんだ。こんなの拉致じゃないか。俺、あいつらとずっと一緒にいたから、本当に悪い奴らじゃないって知ってるんだ。」


 「潜入はこんな仕事じゃないですよ。立派な国防ですよ。坂本さんなら、大丈夫じゃないかな。僕ら似たような仕事だし。上司に進言してみますよ。」


 ありがとうと坂本が言い、あとは彼らを。と二人で顔を見合わせ、暗闇を駈けた。


 漆黒の海に漁船が何艘か繋がれているのがかろうじて見えた。人が乗り込み荷物を積んでいる。間に合った。しかしどうすれば。木陰に身を隠しながら、二人は様子を伺う。


 「佐藤さん、俺行ってきます。もしかしたら話聞いてくれるかもしれません。」


 無茶なことはわかっているが、それしか方法はない。佐藤も、坂本もどうしてもあの若者を第三国に連れて行かれたくなかった。


 「わかった。けどくれぐれも無茶はしないでください。僕は暗闇に紛れ込んで宮内に近づいてみます。」


 たとえ数人で、日本で犯罪を犯しているとはいえ、彼らは日本の法律で裁かれるべきだ。完敗はしたが、我が国の国民をこんなに簡単に連れ去られてたまるか。佐藤は身を低くして少しずつ進んだ。


 おーい。と坂本が両手を振り近づいていくシルエットが見えた。その瞬間。かわいた一発の銃声が響き、坂本は倒れた。


 急いで駆け寄ろうとしたが、後ろから何人かに取り押さえられたようだ。佐藤は船まで引きずられ、宮内の前に投げ出された。


 「仕事にトラブルはつきものですが、追ってこなければ良かったのに。」


 坂本も引きずられ、宮内の前に投げ出された。頭を撃ち抜かれている。原田が銃を手にし、一発で仕留めたと意気高揚としている。


 「原田さん、こうなっては仕方がありませんが、お二人は生きて帰す約束だったのですよ。私は約束はなるべく守りたいのです。」


 「こんな国家の犬は、殺されて当然ですよ。俺たちを裏切りやがって。」


 「そろそろ行かなければ。佐藤さんこれは一つ借りです。いつかお返しします。さあみんな行こう。」


 原田が坂本に唾を吐きかけ、船に乗り込んだ。佐藤は原田を睨みつけた。奴はお前を救おうとしていたんだぞ。


 「待て、佐々木麻里も一緒に連れて行くのか? 」


 「佐々木さんはお返しします。佐藤さんが殴られたワゴンで、眠っています。もうこのカードは使えませんからね。」


 黒く塗られた漁船は、漆黒の海に消えていった。



 港区の官房長官の自宅。刺殺体になった佐々木麻里の横で、官房長官は首を吊っていた。佐藤はサイロ職員と部屋の中に入り、かつて麻里だったものを見つめていた。目が見開いたままだった。そっと手を添え瞼を閉じさせた。


 職員は官房長官を下ろし、救急隊員に扮したサイロ職員がストレッチャーに乗せ、布をかぶせて出て行った。病死。それが今回の筋書きだ。佐々木麻里は痕跡を消さないといけない。佐藤は手を合わせ、別の職員たちと麻里を袋に詰めた。すぐに鑑識という名の証拠隠滅部隊が入り、佐藤たちはそのどさくさに紛れて、麻里を担ぎ出した。あとは信頼できる、しかるべき業者に引き渡すだけだ。


 佐藤の顔はしかめていた。着信。宮司からだ。


 「これで与党の中道派の大将が消えおった。あの若造はなかなか見込みがあったが、心は弱かったみたいだのう。指定の場所に車を向かわせい。清川がおる。」


 「わかりました。向かいます。」


 清川の車は先に到着をしているようだ。指定の立体駐車場の屋上。横に車を停める。清川は珍しくタバコをふかしていた。


 「お待たせしました清川さん。タバコ吸われるんですね。」


 清川はこちらの方を見ずに答えた。


 「誰かが、弔いに火を灯してやらんといけんと思いまして。」


 清川が口にくわえたタバコを深々と吸い、吐き出すと、佐藤に手渡した。それを受け取り、同じように深く吸い、吐き出した。二人は目を合わさずにしばらくそのままでいた。


 

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オロチ 山下宗 @yama_nob

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