第9話 巨人の大脳のようなものを運んでいる集団

 りおちは奴隷船に運ばれていた。

 村内を奔走するうちに、奴隷狩りに捕まったのだ。

 ボートに乗せられて、大きな川の中央の奴隷船に近づくと、船の側面の小窓から、いくつもの顔が、こちらを見ていた。

 数隻の奴隷船の中でも、もっとも大きな船に近づくと、甲板になにか大きなものが見えた。


 巨人の大脳のようなものがある。

 川に落ちそうなほど、甲板の端にせり出していた。

 それを食い止めようと、船員たちは、船のへりと大脳の間に棒を突っ込んで、強く押し返している。


 「乗れ」


 甲板に上げられると、別の船員たちにつかみ上げられて、体に異常がないかを点検された。

 下に降ろされ、前甲板を見わたすと、巨大な脳みそが動いているのが見えた。

 船員の背丈よりも大きかった。


 それは、ぶにょぶにょした柔らかい肉のかたまりで、新鮮な鳥肉のような色だった。

 表面は粘液でびちょびちょにまみれている。

 コケやシダのようなものが張りついて、ところどころ緑になっていた。


 りおちは、下甲板に連れて行かれそうになったが、とっさに、大脳を指差して、「穴 呼吸 止まる」とアラル語で話した。

 船員は一瞬驚いたような顔を見せたが、すぐに大脳のもとへ引っ張っていった。


 近づいてみれば、大脳は、川に逃れようとしているのか、船のへりにぶつかっている。

 船員たちがそれを防ごうと棒で叩くと、ナイフを刺しこまれた魚のように、ぶるぶると痙攣した。

 時には、膿のようなものが裂けて、黄色い汁が甲板に流れ出た。


 りおちは甲板の粘液に足をすべらせながら、船のへりに行った。

 そのまま飛び込んで逃げないように、船員が片腕をつかんでくる。

 川に体を乗り出すようにして、大脳の側面を確認して、言った。


 「穴 呼吸 草」


 何度も船員に伝えていると、やがて一人の船員が、大脳の側面を探り始めた。

 ひだのようになった肉を軽く持ち上げると、そこには、こぶしくらいの呼吸口があった。

 シダがいっぱいに詰まっている。

 川へ逃れようとしていたのではなくて、船のへりに体をこすりつけることで、シダを除去して、呼吸を確保しようとしていたのだった。

 船員が手を突っ込んで取ってやると、動きは止まった。


 ぶたましめぬんだ、とりおちは思った。

 それはりおちが移動集団の入門式のさいに接触したことのあるもので、三日間この子宮の内部に籠もることで集団の一員として認められる慣例になっていた。

 おそらく、りおちたちと同じように人でも動物でもないものだったが、このなめくじと思われるもののように、全身が人ではなくなった場合は、知能の低さから種を継続できないことが多いので、利用価値のあるものだけが人工的に養殖されるのだった。

 未開の奥地には、このように人なのか動物なのかわからないようなものが歴史のある時点で突如発生し生息していた。


 「背中 乗る」


 と船員に伝えると、持ち上げられて、ぶたましめぬんの背中に乗せられた。

 背中の皮膚は、なにかの汁でぐじゅぐじゅになっていて、膿んだかさぶたの匂いがした。

 おかゆのような汁に、足くびまで浸かりながら一歩踏み出すと、シダのあいだから虫たちが逃げていった。


 頭の方へ近づくと、触覚が伸びていた。

 その先には、皮をむいたばかりの桃のような目がにゅるっと出てきた。

 皮膚からむきだしに出したり、また引っ込めたりするたびに、汁があふれ出た。

 りおちは、ホタルの光を隠すように、両手でその目を覆い隠した。

 こうして外部の光を遮断したり、与えたりを一定の規則で繰り返すことで簡単な意思を伝達できた。


 ぶたましめぬうんは、ゆっくりと甲板の中央へ戻り始めた。

 体を曲げると、ガリガリと霜柱を踏むような音がして、体の下の貝かなにかが押しつぶされた。

 甲板の中央には、マストの柱と柱のあいだに布を張って、日よけがつくられている。

 りおちは背中に乗ったまま、そこまで移動し終えると、甲板の上へ降りた。

 通ったあとが、粘液で光っていた。


 「音 何」


 と船員が聞いてきた。

 ぶたましめぬんの内部からは、先ほどからなにかが炸裂する音がしていた。

 パン、パン、と音がする。


 「卵 壁」


 とりおちは答えたが、はっきりと意味が通じなかった。

 ぶたましめぬうんは、産卵期がくるとまるで爆発のような生殖によって精子を子宮内部の壁へ炸裂させるため、そのときの音が響いているのだ。

 これはじっさいに観察しないとわからない。

 穴に顔を突っ込んで見てみるように提案したが、船員たちはいぶかしげに聞いていた。


 りおちはこの貢献により船員の信頼を獲得したと見えて、まだ少女でもあることから、手かせははめられずに、食事の用意を手伝うように命令された。

 奴隷たちのなかでも、数人の女たちはその仕事に携わっていた。

 米を洗う、芋を粉にする、鶏やヤギの世話をするなどの仕事に精を出した。


 食事ができると、それを奴隷たちに配るように指示された。

 鉄格子の鍵がはずされ、食事をもって、下甲板に下りた。

 急に暗闇に入ったため、目が見えなかった。

 すると奥から、首のない人が歩いてきた。

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鬼に生まれ変わったらやりたい3つのこと ほろび @horobi

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