第3話『強襲・雲谷』-4

「電磁場発信源、間もなく敷地内に進入します」

電磁場チャートを観測しながら川島が一号車放水担当の隊員に告げた。

「確認する。放水先はこちらの方向でいいんだな?」

「ええ。お願いします」

「わかった。放水開始の合図は頼む」

隊員が、放水開始レバーに手をかける。

川島は防磁端末の画面に目を向けた。先ほど現れた円状パターンの中心点は、進行の勢いを緩めることなくそのまま雲谷への直進を続けている。

視線を前方――発信源の向かってくる方角に向ける。キャンプ場周辺を取り囲むように生い茂る森林の向こうに、意識を集中させる。


――が。一向に異生物らしき影は現れない。

川島が困惑しながら電磁警戒チャートを再び見ると、目を疑うような状況が示されていた。

「どうした?発信源はまだ来ないのか!」

隊員の声に川島は叫び返した。

「もう来ています!……チャート上では、もう敷地内に!」

「何っ!?」



二号車の脇で、津島はその姿を視界に捉えた。

投光器から漏れる光が、その姿を微かに照らし出していた。

夜空を、何者かが飛んでいく。それは鳥のような飛行ではなく、単純な放物線運動に見えた。

影は小さい。丘の上に眠る異生物の半分にも満たない。

……いや。津島の目を引いたのは、その大きさではない。

光を浴びていたその姿が放つ輝き。その色彩を、津島ははっきりと覚えていた。

「――あいつだ」




風を受けて揺らめく影が、大地を突き刺すかのように上空から降下する。 

その影は、おもむろに体を大きく捻り、姿勢を反転させたかと思うと――。

二本の細脚で、杭打機のように重く鋭く、センターハウスの屋根を踏み砕いた。



鈍い音が、フロアいっぱいに響いた。指揮所内に伝わった振動が、配置された機器類をガタガタと激しく震わせる。それを必死に押さえつける機動隊員たちの身体へと、ひび割れた天井から粉塵とコンクリートの欠片の雨が降り注ぐ。

「何が起こった!」遠藤は混乱の中で叫ぶ。

「まずい」電磁警戒チャートを見た棟方が漏らす。「真上に異生物がいる。ここの屋上でしょう。避難を」

棟方は頷くと、指揮所内の隊員たちに向けて声を張り上げた。

「退避!総員退避だ!センターハウスから可能な限り離れろ!」


センターハウス外に出た遠藤隊長は、屋上に現れたそれを目撃した。

「バカな……」

棟方もまたその姿をはっきりと捉え、驚愕する。

「異生物じゃない。あれは――!」




着地した影の主が、ブーツを履いた両脚で静かに立ち上がる。

風が、結わえられた黒い髪を緩やかに揺らしていた。

腕の先では、黒いグローブに包まれた両の手が、鏡のように投光器の光を反射していた。

全身に纏った深い赤色が、凍りそうな冬の大気のなかで静かに輝いている。

黒い双眸から伸びる視線は、真っ直ぐに丘の稜線を見つめていた。




「資料にあった、赤服の奴か……!」遠藤は焦りが混じる声色で漏らす。

「一体何のためにここへ!」

「大岳で姿を現したとき、彼女は黒い花を吹っ飛ばした。なら、今度も……」

「――まさか」棟方の推測を耳にした遠藤は振り返り、丘陵の上の影を仰ぎ見た。

「あの異生物を叩き起こすつもりなのか!?」

強張った表情の遠藤が檄を飛ばす。

「全車放水開始。最大流量!目標は赤服だ!」

「あれは民間人です!EMCSの反応も誤動作の可能性が……」

戸惑う様子の伝令担当に向けて、遠藤はさらに続けた。

「奴は一度異生物と交戦・撃破している。ここで奴の接触を止められなければ、休眠中個体の覚醒と市街侵攻は必至だ!」

「……了解。指示を送ります」


赤服の少女が、屋根を軽く蹴る。

ハウス前の草むらに降り立った少女はその場に屈んだかと思うと、勢いよく駆けだした。

焦るように、三台の放水車がバラバラのタイミングで放水を開始する。

紅の閃光となった赤服が突進する。

三方向から放たれた高圧水流が到達するよりも早く、赤服は丘に至る斜面を一気に駆け抜けた。水流は目標にかすりもせずセンターハウス外壁に到達し、ガラス張りの外壁を高圧で洗い流した。

暴風と電磁嵐を纏いながら、赤いケープを激しくはためかせ少女が駆ける。冬季にはゲレンデとして利用されるほどの急な斜面を、いとも簡単に駆け上っていく。赤服と異生物の距離は瞬く間に縮まっていった。

「間に合わない……!」棟方は遠藤隊長に問う。

「遠藤さん、特殊銃は!?」

「使用許可は下りたが、いずれも署からの移送中だ。今すぐには……」

「打つ手なしか……!」

「放水一時停止!異生物覚醒に備えて再配置を!」



亜音速で突貫する少女が、黒色に包まれた手を強く握り込む。

場内にいるすべての人間がその様子を見守る中。

少女の右腕から放たれた神速の鉄拳が、異生物へとえぐり込むように叩きこまれた。



――轟音が木霊する。

センターハウスに衝撃が伝わる。窓枠が震え、ガラスが弾け飛んだ。

赤服の少女は素早く身を翻し、後方に跳び下った。

顎のあたりから打ち込まれた衝撃で、異生物の黒い巨体が飛び上がり、程なくして地面に叩きつけられ――。



機械的なノイズに似た咆哮が、一帯に響き渡った。



「目覚めてしまった……!」棟方は丘陵の様子を見てそう直感する。先ほどまで何ら動きを見せなかった異生物が、その背からケーブルのような触手を伸ばしているのが見えた。

「全車放水開始!異生物を足止めしろ!」


遠藤隊長の檄による高圧放水の準備が整う前に、赤服の少女が動いた。再び拳を固め、異生物に飛び掛かる。

が、黒い鼠は大きく前方に跳び上がり、鉄拳の一撃を回避した。

着地したのち、異生物は市街方面に鼻先を定めて勢いよく走り出す。

三条の高圧水流が命中したものの、その勢いは全く衰えない。

やがて、異生物は一直線にセンターハウスまでの下り坂を走り抜け――。

漆黒の巨体が、放水で濡れた外壁に突っ込んだ。


粉々に砕け散ったガラス張りの壁が、異生物の甲殻にぶつかり、きゃらきゃらと細やかな音を立てる。

突撃はなおも止まらない。異生物の背面、黒色の蕾の内部から、数本の触手――大岳捜索隊のひとりを絡め取ったものだ――が現れた。触手は細やかに身をしならせたかと思うと、その先端を半壊したセンターハウスへと突き刺した。やがてすべての触手が残骸を穿ったかと思うと、異生物の身体がゆっくりと宙に浮き始めた。

建物に突き刺した触手のみで自重を完全に支えた異生物は、蜘蛛を思わせる動きでハウス上面へと這い上っていく。棟方は驚きの声を上げる。

「あんな芸当までできるのか!」

「冗談じゃない。あれを越えたら奴は街に……!」


遠藤隊長がそう口にした刹那、外壁に張り付いた異生物の姿が大きく反り返る。

異生物を背中から叩き潰すかのように、赤服が飛び掛かり再び拳を叩きつけていた。

黒い甲殻が大きく凹み、施設へと体をめり込ませる。先ほどの激突を超える衝撃が、内部に張り巡らされた梁の悉くを叩き折り、急速にセンターハウスを崩壊させていく。

瓦礫を全身で浴びながら、黒い怪物が悲鳴を上げる。同時にその全身から、背中の黒い蕾へと青白い輝線が走った。内部から這い出た触手が、勢いよく赤服の少女へと伸びる。

弾丸のような速度で眼前に迫った触手先端を、赤服は身じろぎもせずに見つめている。

次の瞬間、手袋を着けた右手が無造作に複数の触手をまとめて掴み、握り潰した。異生物の口から、ノイズとも悲鳴ともつかない高い音が漏れ出る。

赤服は瓦礫に埋もれ行く異生物の体を踏みしめ、跳躍する。深紅のケープをたなびかせながら、ロケットの打ち上げを思わせるスピードで、星の瞬く冬の空へと跳び上がっていく。

その腕に掴まれたままの触手がぴんと張る。

黒い鼠の上からガラガラと音を立てて瓦礫が落ちていく。反攻に転じようとその体を動かしたのではない。異生物の巨体が、上空に引っ張り上げられていた。


川島は放水車の横でその姿を見上げる。冗談のような光景だった。

見る間に異生物と赤服の少女は空高くに跳び上がっていく。少女の細腕一本の力にすら抵抗できぬまま、異生物はもがきながら冬の空へと昇っていく。

やがて上空の赤服が、空いていた左手で触手をしっかりと握りこんだ。異生物は空中で脚部を必死に振り回すが、短い手足は赤服まで届かない。掴めるもののないまま、細い爪が無為に宙を掻いた。

赤服は姿勢を反転させる。両腕で黒いものを引っ張ると、その勢いを殺さぬままに大きく振り上げた。黒い巨体が振り子のように揺れ、あっさりと振り回される。赤服を中心にして、大きな円弧が宙に描かれた。

やがて振り向きざまに、赤服の黒い瞳が崩れかけた建物を捉えた。

触手を握り込む両の手が静かに開かれる。一直線に投射された巨体が、隕石のように叩きつけられた。建材の欠片が、斜め上方からの衝撃で吹き飛び、鋭利な暴風を起こす。

直後、高空より降下した赤服もまたセンターハウスの残骸へと突入した。舞い上がる粉塵の中へと赤い影が垂直に突入し、隠れる。

直後、硬質なものが叩き割られるような快音が響き、続けて異生物が咆哮を上げた。

粉塵の中に、無数の輝線が迸る。やがて青白い光は一点に凝集したかと思うと、一気に輝きを解放するかの如く四方へと拡散し――。

突如として、雲谷一帯に静寂が訪れた。




鼠型の異生物は、大小入り混じる瓦礫の中に身体を埋没させている。辛うじて見える半身にも、体表の甲殻の所々で凹みや亀裂が生じていた。もはや動く気配はない。

「――今度こそ、完全に?」棟方が部下たちに問う。

「おそらくは。ですが……」

津島の答えに棟方は頷き、異生物の死骸に向き直る。

「これは一体、どういう事だ?」



「花が、咲いた……」



川島の言葉の通りだった。

異生物の背中に存在していた巨大な蕾状の殻が、四方へと割り開かれている。赤服の猛攻で大きく歪んでいたものの、その姿は漆黒の花弁を持つ花に似ているように見えた。

川島はその様を見て眉をひそめる。目の前に現れた黒い花は、大岳で見たものによく似ていた。

「櫻井くんはどうだね?」棟方は津島に訊く。

「まだ電波が回復しません。一度ここを降りなければ」

「この死骸も科捜研か、ほかの専門機関で分析する必要があるだろう。手配しなければね」

「対策班の捜索部隊にも手を回してもらいましょう」と川島。棟方は頷く。

「そうだな。こうなった以上、対策班の全面統合も時間の問題だ。今の段階から共同で事態に当たった方が好ましい」

菊池巡査長に連絡を、と川島は指示を受ける。



対策班総出での異生物の死骸回収準備が進む中、瓦礫の中から突如として、小さな影が勢いよく飛び立った。コンクリートとガラスの欠片が跳ねる。

全身に粉塵を纏わせて白みがかった赤色の衣服が、遥か高空で闇の彼方に溶けていく。

川島達はその姿を見送ることしかできなかった。

「あれが、大岳の……」

口をあんぐりと開いたまま空を見上げる菊池を横目に、棟方が呟いた。

「……赤服は今回もまた、異生物を追うように現れたわけだ。しかも今度は、異生物と同じように磁気嵐を纏わせて」

「普通の人間は、体から強磁場なんて出しません」と川島。

「ああ……それにあの異常な身体能力だ。あいつについて説明が可能な仮説なんて、俺には一つしか思いつかない」

「仮設?……何だというんだ、津島君」



「赤服もまた、奴らと同じ……」



夜の大気が、凍り付きそうなほどに冷たかった。

月が明るい。

赤服の飛び去った軌跡が、漆黒の夜空の中に白く照らされてたなびき、消えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Λ-inVasion -大怪獣北限決戦- むらた林檎 @Cidre_Go_Around

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ